【はじめに】

 

前回 、 10月 2日のご報告以来、丹田のバランスに注意をはらいながら、カメラ練習を続けてまいりました。続けている理由として色々と申し上げてきましたが、単なる惰性であると言えばその通りです。でも、惰性と言っても、最後の撮影以来、四ヶ月経っているのですから、何で惰性がこんなに続くのか、考えれば不思議です。他方で、「日本語で歌うポリネシアン」を試みることにもしていますが、この素人カメラマン一人でどうにもならない話です。でも、やると決めたのです。自分でも良く分からんと、思いを巡らしながら、この日 10月 23日に何時ものように多摩川へでかけたのでした。駐車場に車を止めてから、撮影地点まで数キロ、河川敷の草原を歩きます。そうしたら、気が付きました。そうしたら、カメラ練習も気分良く、今まで中々決まらなかった視野がかなり止まるようになってきたのです。そこで、本日の練習結果をご報告するに合わせて、何に気が付いたのかをお話しようかと思いました。

 

 

 

 

【10月 23日のカメラ練習の結果】

 

今回は全体として、カメラ保持の安定性が増した気がします。体の中のバランスが良くなってきたのだとは思いますが、気持ちが吹っ切れたのも大きいかと思います。今試みているような、ビデオカメラの最高倍率における視野の安定化は、写真撮影よりは、ライフル射撃に似たところがあるように思います。一般用であっても、写真撮影用のカメラでは高速シャッターは当たり前ですから、昼間の光の下であれば、一瞬に全力を注ぐことになるのに対して、ビデオカメラでは、一秒間に 30から 60フレームの時間間隔で撮影していきますから、鮮明なビデオ映像を得るためには、少なくとも数フレームの時間は視野を安定に保たなければなりません。これは、弾が完全に離れるまでは銃身を静止させて置かなければならないライフル射撃とよく似ているように思います。照準があった瞬間にトリガーを引いても、その時に銃身が動いているなら、弾は照準の方向には飛びません。ライフル射撃と同様に、ビデオカメラによる極限状態での撮影は、カメラマンの内側を整えることが大事になります。荒っぽい言葉で言えば、自分との対話の様なものです。ですから、気持ちが晴れていると、結果も良くなります。この日は、そんな日だったような気がします。

 

 

 

「従来の保持方式」

 

1. 川の中ほどで休んでいるいつもの水鳥(水鳥 A)[ 2分ほど]

 

 

 

2. 中洲で餌を探っている小鳥たち [ 4分ほど]

 

非常に細かく動くので、追尾が難しいです。速い速度で「少し」動かすというのが難しいのです。私達がカメラを横に動かす時、微細に見れば、カメラは色んな方向へ少しずつ動き、全体としては横方向の動きが卓越して、カメラは横に動くのです。それは、横方向という単一方向への運動であっても、そこに数多くの筋肉が関わっているからです。その最初の微細な動きが横方向とは限りませんから、しっかりと神経をコントロールしなければ、とんでもない方向に視野が移動してしまうことになります。十分に時間をかければ、神経をコントロールするのは難しくありませんが、短時間で動かすには、修練が必要だと思います。

 

 

 

3. 下流遠方の水鳥(水鳥 B) [ 2分ほど]

 

遠方であることもありますが、周囲が水なので視野を固定する手がかりが少なく、どうしても微動が止まりません。内部の感覚をもう少し安定化させる必要があります。これは、次の上流側の場合と比較するとよく分かります。実は、この様な状況というのは ハワイアンズでの撮影のときにも時々ありました。ビーチシアターの奥舞台の後ろの壁には無地のパネルが貼り付けてありますから、奥舞台で踊られている方を高倍率で撮影するときには、とても不安定な感覚をおぼえます。。

 

 

 

4. 上流遠方の水鳥(水鳥 C, 白い水鳥 D ) [ 4分ほど]

 

同じく遠方ですが、周囲の目印が多いので、下流と比べるとやり易いです。最終目標に行く前に、鴨を探して、寄り道をしています。白い水鳥 D を狙っている時に、手前に小さな水鳥が写りますが、これは以前よく撮影していた小型の川鵜です。

 

 

 

5. 中洲の水鳥(水鳥 E, 水鳥 A) [ 4分ほど]

 

中洲の中ほどに水鳥 E がいて、暫く追っていると、水鳥 A が乱入してきました。暫く互いに牽制しあって不思議な動きをしています。カメラが最大倍率の距離でも、水鳥たちにはカメラの視線が分かるようで、一度はこちらを警戒します。歩き方からも分かるように、この種類の水鳥はバランス感覚が大変に優れていて、大風が吹いている時でも、平気で立ったまま寝ていることがよくあります。

 

 

 

 

「片手保持方式」

 

今回の片手保持では、前回ほどには カメラの重さを感じませんでした。ウェイト トレーニングの効果があるのでしょう。ただし、手首に由来する微振動が多くあり、これは、広角の時に視野の微小な振動として出る傾向があります。

 

6. 川中の水鳥 A [ 1分ほど]

 

大きくは動きませんが、細かい振動が目立ちます。それから、時折、意図しない動きが入ってしまいます。筋肉が完全にコントロールされていないからです。

 

 

 

7. 上流遠方の水鳥 C  [ 2分ほど]

 

全体にピントが甘い感じが強いのは、細かな視野の揺れが原因だと思います。切り取り動画 4 でも写っていた小さな川鵜が見えるところがありますが、今現在使用しているカメラのディスプレイの解像度が低いので、撮影しているときには気が付きませんでした。使用していたカメラの自動焦点機構が動かなくなってお店に相談した時、最新型のカメラには高解像度のディスプレイが装着されていると聞きました。ディスプレイの解像度についての意見が多かったからでしょう。ただし、最新型には内部メモリが無いということでした。自動焦点機構の修理の間にカメラが必要だったので、新規購入をしたのですが、切り取り動画を作成するには、内部メモリと外部メモリの両者が必要でしたので、最新型は選べませんでした。

 

 

 

 

 

全体として、従来の保持方法ではもう少しで精度の高い撮影が実現できそうです。片手保持の方もなんとかなりそうな気配が出てきましたが、左手首が細かく動いてしまうという点が目立って来ました。細かく、自由に動かせるのが手首関節の特徴ですが、左手首は右手首ほどには注意深く使われてきていないので、コントロールされない細かな動きが多いようです。この点を改善するには、室内での練習を増やして、慣れていくしか無いと思います。

 

 

[ 20:34 付近]

 

 

 

 

【多摩川で気がついたこと】

 

幾度か、ハワイアンズ訪問の三年間はとても幸福だったと書きました。書いておいて、実は、具体的に何がそう思わせたのかを考えていませんでした。この日、歩きながらそこに考えが及んだのです。最後にハワイアンズを訪問した時のウアケアさんの踊りからは、これまでありがとうという、感謝と別離を感じ取らせていただきました。ですから、その時の映像の、オテアから後は今でも拝見することはできません。それほど強い思いが生じたのは、魂が強く揺さぶられたからです。それは、その時は、深い悲しみをもたらしました。

 

しかし、草原を歩いているうちに、ふと思ったのです。これはとても幸せなことではないかと。今まで生活してきて、様々な場面で喜んだり悲しんだりしてきましたが、魂が震えるような思いはしたことはありませんでした。多分、多くの方も同様ではないかと思うのです。良いときもあるし悪いときもあり、喜ぶときもあるし悲しいときもある。気持ちが通じ合うときもあれば疎外感を感じるときもある。それでも、本当に魂が震えることは中々無いと思います。この素人カメラマンの魂は強く揺さぶられ、今も揺れ続けています。人としてこの世にあって、これを幸せと言わずしてなんと言えばよいでしょう。

 

これは、舞踏家ウアケア佳奈子が強いアロハをお持ちだからです。ですから、魂が強く揺すぶられたのです。この方は、そのアロハを表に出されることはあまりありませんでした。ポリネシアの歌を素晴しく踊られます。そして、歌のアロハを自然な形でお伝えになります。しかし、そこにはこの方の思い、特に見ている方々に伝える思いはあまりお感じさせにならないのです。それであって、その踊りはとても美しいのです。踊り手としてアロハをお伝えになることで、この方の踊りは更に素晴らしいものになることは確かです。

 

彼が最後にハワイアンズを訪問した時、この方は舞踏家ウアケア佳奈子として踊ってくださいました。それは、まことに、この方の新しい踊りを思わせるのに十分なことでした。その素晴らしい予感が彼の魂を大きく揺さぶったのです。彼には終わりでしたが、この方には新しい踊りの世界への飛翔だったのです。この方は、その新しい世界で、ますます素晴しく踊られるでしょう。それは間違いありません。と同時に、そのままでは、この方の踊りは本当に美しいところまでには至らないことも確かなことです。なぜなら、本当に美しい踊りとは、私達が共感し大いなる愛を感じ取る踊りだからです。そのために、この方は私達の世界にお戻りになり、私達とその大いなるアロハを共にする踊りを完成するのです。それは、明らかなことです。

 

しかし、私達の世界にはその準備がありません。ポリネシアンを私達の踊りとして迎える準備がないのです。私達の踊りとは何でしょう ー それは私達の心に入ってくる踊り。明らかですね。ポリネシアの言葉で踊られる踊りは私達の踊りではないのです。ですから、このままでは、この方は私達の世界にお戻りになることはありませんし、最高の踊りを完成されることもありません。他の場合であるなら、それも運命かと思います。しかし、天からもたらされた奇跡のような資質をお持ちのこの方が、更に大いなるアロハを生み出す踊りにまで至りながら、それを最高の踊りにまで高めることがおできになれないことがあって良かろうはずはありません。この素人カメラマンはこの方の素晴らしい踊りを再び拝見できることを確信します。ならば、それしかない道を彼は歩むのです。その道の先にしか素晴らしい舞踏家ウアケア佳奈子はいらっしゃいません。そして、その道を歩む限りに、この方の素晴らしい踊りの予感に彼の魂は大きく揺れ続きます。

 

 

 

 

【おわりに】

 

先日の多摩川でのカメラ練習の首尾をご報告し、その時に気がついたことをご報告いたしました。分かってしまえば明らかなことです。