中間報告の前編、中編、後編の議論を元に以下のような考え方で日本語訳を付けて

見ました。

 

まず一番。「 fa'ahei-ta'oto-hia 」と「 para-ovine-hia 」のところはわざと翻訳調に

してあります。「 rima tatara 」は「親指」とせず、次の行との関連で、「自由な指」

としました。「 ta'u fenua iti 」はそのまま訳すとゴロが悪くなるので、「この国」と

簡単に済ませましたが、愛がないと文句が出るかも知れません。一番最後の行は謎の

ままとしましたが、小さいから実りを付けるようになったのだ、と一見矛盾する様な

言い方にしてあります。これは小さいからタヒチ教会の完全支配下に置かれて来た

と言うことをほのめかしたつもりです。なにか不思議を感じ取ってもらえればと思い

ました。(7/1 やはり「私の国」としました。「復活さ」はゴロが悪いので「戻るの

さ」にしました。)

 

次に二番。一行目、最初はオロモナ山と読んでいましたが、多くの地図には「 plateu

 Oromona 」と書かれていることもあり、単にオロモナとしました。その後「 hupe 」

を「山おろし」とすると「オロモナ山おろし」となるのですが、ゴロが悪いので単に

「オロモナおろし」としました。二行目では、リマタラ インコとは書かずに、タヒチ

語歌詞の様に判じ物風に「炎の赤とあの鳥」としました。歌詞で「鳥」を「 rupe 」と

していますが、一般的な「 manu 」にすれば「 manu 'ura 」、つまりリマタラ インコ

の現地の呼び名になります。後はタヒチ語の翻訳通りです。最後の行で「 niu 」は

「基礎(foundation)」の意味ですが、「それが  Tamaeva の基礎」とするとゴロが

悪くなるので、単に「それが Tamaeva さ」としました。(7/1 「鳥」を「あの鳥」と

しました。)(7/1 正確にはリマタラの最高点は Uahu 山で標高は約 83 m です。その

付近の高原を Plateu Oromona 或いは Plateu Oromana と呼ぶようです。)(7/1 最

高点付近には白い大理石の「玉座」と呼ばれる四角い石があり、「 Pito 'Oromana 」

つまり、「オロモナのへそ」と呼ばれています。それはタマエバ家の代々の王の臍の

緒が埋められているからだそうです。

ここですね。)

 

Rima Tatara o Rimatara  by Sue Mareikura

 

Fa'ahei ta'oto hia ra  vau  e    夢を見せられたよ  少し前 わたしは

                 I was show a dream a little while ago

E rima tātara 'o Rimatara e    自由な指だよ リマタラは

                 It's a free finger, Rimatara is

E tara ē e matara ē        戻るのさ 自由だよ

                 We can go back, we are free,  yei

Motu iti ha’i ha’i ta’u fenua iti e  とても小さな島 私の国は

                 A very small island, my dear country is

'Ua para ovine hia te porohiti   だから 実り付けられてます porohiti は

                 So it had been made ripe, the porohiti had

 

 

 

'Ia he'e te hupe nā oromona ra  e  やって来たので オロモナおろしが

                 The down blow is coming from Oromona, yei

'Ua titi hia te ura e e te rupe e   守られたよ 炎の赤 と あの鳥が  

              They've been saved, the red of fire and that bird, yei

Puehu te miti puehu te miti    海が払われる 海が払われる

                 The sea is blown away, the sea is blown away

Tatahi hiava   e          Hiava の海辺で

                 At the seaside of Hiava

Te ti'a maira te ti'a maira     立ち上がれ 立ち上がれ

                 Stand up now, stand up now

Aue te niu o tamaeva e      そうさ それが Tamaeva さ

                 Oh yes, that is Tamaeva, yei

 

 

以上、タヒチ語の歌に合わせて歌えないこともない和文歌詞にしました。相変わらず

判じ物のような歌詞ですが、それが元々の歌詞作成の上での要求なのでしょうから

これで良いでしょう。聞いた人を何となく煙に巻いたままにしたり、「それはねー」

と教えてあげるのも面白いかと思います。何となく、「タマエバは負けない」と言っ

ているのが伝わって来ます。実際、タマエバ家の子孫はまだ沢山現存して様です。

その中のどなたかが歌詞を書いて Sue Mareikura さんに託したのではないかと思い

ます。

 

(7/1追加 些細な点ですが、タヒチ教会風造語「○-○ -hia 」が一番に限られている

のは一番が軽い出だしだからでしょう。作詞者の本当の主張は二番だと思います。)

 

(7/14 追加 すいません。軽くはありませんね。まず全ては夢ですと断ってから

本来の文化への回帰を語ったのです。そうすると、一番も軽くはありません。)

 

(7/1 追加 それで二番の二行目が本来のB版とは違ったA版の形で歌われている件で

すが、最初は知らないからだろうと思ったのですが、考えてみるとリマタラに縁の

在る方なら元のB版の歌詞の二番の二行目は何を言っているのかすぐ分かるでしょう。

特に、YouTube 動画の「Clip Tahitien - Rimatatara / Puehu Te Miti (Lyrics/Paroles)」

では明示的に変えた方のA版の歌詞が説明欄に付いていますが、映っている様子を

見るとリマタラでの歓迎の演奏のようですから、新しく来た人たちに不快な思いを

させないように配慮しているという考え方も成り立ちます。中にはリマタラのことを

よく知っているタヒチ教会関係者も居るかも知れませんから。Esther さん位になると

そのまま歌っても文句は出ないのでしょう。)(7/2 追加 「 'Ua para-ovine-hia

te porohiti 」の所がそもそも危ないと思うのですが、ここは既に意味が分からなく

なっているのかも知れません。)

 

(7/14 追加 今まで A 版と B 版を歌い分けていると考えていたのですが、分かって

居る人たち、例えば上に揚げた歓迎演奏などでは実際には B 版を歌いながら、表向き

には A 版の歌詞を出しているのかもしれません。そうすると、タヒチの人でも、

多分、聞き分けられないのかもしれませんね。)

 

英語の歌詞はいつもの適当訳を後ほど追加します。

(7/2 追加しました。)

 

(7/3 実は最後まで判断がつかなかったことがあります。それは、二番の一行目と二行

目の「時制」の不整合です。「 'ua 」は完了を表す動詞マーカーですから、 条件を表

す「 'ia 」を受けることができるのかという疑問が解けませんでした。ただ、一つ考え

て置かなければならないのは、そもそもポリネシア語に置いては「時制」と書くこと

が 間違っていると言うことです。 勿論、 「過去」と「未来」 の区別は ありますが、

我々が考えるような時間軸上の位置よりは、「事は既に成ったのか」或いは「まだ成

っていないのか」という区別が重要な様です。ですから( ? )、二番の一行目と二行

目は矛盾しないのかも知れません。 よく引き合いに出される例として 「好きに成る」

という行為が完了した現在はどういう状況かを考えてみます。我々は好きに成るのが

終われば気持ちも冷めているのではないかと考えがちですが、ポリネシア式に考える

と、「好きに成る動作が完了したなら」現在は「好きである状態が続いている」のだ

と 言うことです。 ですから、 二行目の「 'ua 」  は王権の発動の結果として リマタラ

インコ は今も現存しているのだ ということを表しているに 過ぎないのかも知れませ

ん。最後まで解決できなかったこととして記録しておきます。)