このブログを読んでいる皆さんは、お酒を飲むことが日常の中でどのくらいあるでしょうか。
僕は、お酒に強い訳ではありませんが、人とお酒を飲んで語らうことが、大好きです。
1年と7カ月が経ったこのダンシングアクロスザアマゾンの旅において、僕は昨晩、初めてこんなにいい酒をのませていただき、涙を流させていただきました。
だから今日は二日酔いで書いています(笑)
もしかしたら、これまでの1年7か月の中で、一番大事な夜だったかもしれない、、、。そんな風にすら思うのです。
どこから書いたらいいかわからないし、どうかいたら一番伝わるか、わかりません。ただ、記憶していることをできるだけ多く記録しておきたいと思います。
一般的な、読者のための読みやすい「ブログ」というものは、もっと文章が短く、写真が沢山あって、ポップなものが多いと思います。
今日は、前もって断っておきます。
長くなりそうです、、、。
どうせここまで長引いた旅です。これまで一緒に旅を進めてきてくださった皆様へ、もしよろしければ、今日もひとつ、お付き合いくださいませ。
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まずはじめに、長谷川さんについて少し書いておきたい。
「プカルパを出発する前に、一度顔を出しますね!」長谷川さん夫婦には、そう言っていた。
冒険家の阿部雅龍さんが、数年前にアマゾン川イカダ下りをされている。それで、このプカルパと言う街に住んでレストランを営んでいらっしゃる、長谷川さんと言う方を彼に紹介して頂いたのだった。
カヌーを漕いでプカルパに着いたとき、僕は長谷川さんの所へ行き、少しの間犬とオウムを預かってもらえる獣医さんを紹介して頂いた。それだけでなく、車を出して買い物に付き合っていただいたり、洋服をご自宅で干させていただいたり、荷物を預かっていただいたり、そして何より、いつも美味しい料理を出して頂いた。
旅の中で人に優しくしてもらうことほどうれしいこともなく、何より母国語で話ができることが嬉しかった。
長谷川さん夫妻は、50年ほど前にブラジルに移民された。そのあと10年ほどしてから、ペルーに移られた。初めは百姓をされていたが、あるときからレストランを始めることになり、今日までこのレストランはその人気を維持している。
長谷川さんには、5人の子どもがいる。子共と言っても、もう40代だが、長谷川さん夫妻の間に生まれた子供は2人。残りの3人は、一緒に移民してきた、お兄さんの子どもたちだ。お兄さんはこちらで亡くなられた。だから、長谷川さんが5人の子供の面倒を見ることになったのだ。
「私はこっちに来てね、よかったと思っているのよ。」長谷川さんの奥さんは、僕と会うたびにこう話てくれる。「子供たち5人とも大学まで出させてやることが出来たんだからねぇ。日本にいたら、1人2人は大学に行かせてやれても、5人はちょっとねぇ。うちの人が本当に頑張ってくれたのよ。」
自分の子供だけでなく、お兄さんの子供も育て、しかも右も左もわからぬ異国の地で、生きてきた。長谷川さんは、僕に何度もこう言った。
「あんたはアマゾン川をイカダで下ってきたからいいけれど、こっちはイカダで川を上ってきようなもんよ!はっはっはっは!」
一か月ほど前、初めて長谷川さんにお会いした時、こんな会話があった。忘れられない会話なので、是非皆さんにもお伝えしたい。
「お子さん5人も大学に行かせたって奥さんから聞きました。」
「まぁ、そのくらいはやらんとな!」
「僕も最近になって、やっぱし将来子供は欲しいなと思うようになってきたんです。」
「お前さん、そりゃぁ義務だよ義務!子供つくんなくてもいいと思ってたの?お前子供つくんなきゃ、日本と言う国がなくなってしまうじゃな
いか!」
日本を出て、異国の地に骨をうずめる彼にそんなことを言われたのだから、より一層衝撃的だった。
「今はお前さん、若いのがアルバイトだとか、好きなことやって、子供もつくらないで自分が好きなことばっかしやってるみたいだけど、、、そんなことやってたんじゃ、やっぱし日本はダメになってしまうよ。」
こういう人が、長谷川さんだ。
いまから50年前、より良い人生のために南米に移民した、勇者だと僕は思う。
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「おう!明日出発かぁ。そんなら、Despedida(お別れの宴)してやろう。」
16時半で、お店はもう閉まっていたが、お店からテーブルと椅子が出てきて、ビール瓶が出てきた。
「お~!!!!!」僕は無性に嬉しくなった。
いや、嬉しかったというと何か、ゼロからプラスになったみたいだけれど、実際はどこか、マイナスからプラスになるような、そんな気持ちだった。
「まぁほら、座りな。」
「はい、ありがとうございます!」
「何か食うもの買って来てや。」長谷川さんは奥さんを遣いに出し、大きなチキンとポテトフライを買って来てくれた。
「ビールは好きかい?」
「いやぁ、やっぱしこれだけ暑いと、ビールも美味しいですよね。」
僕は長谷川さんと乾杯した。
「実は僕、旅が長引いてしまって、日本が恋しくて、それで辛いっていう部分があるんですよね。」
「あぁ、そうだろうな。」
「だから、こうやってお酒をいただけることは、ものすごく嬉しいんです。」
僕は、長谷川さんに前もって断った。
「あの、今日はとても嬉しいので、飲ませていただきます。」
「あぁ、いいよ。飲みな飲みな!ビールは売るほどあるんだから。」
長谷川さんは、いつもの通り寛大だ。
もう、このときに僕はわかっていたのだと思う。
自分が、今夜みじめにも泣き始めてしまうことを、、、。」
「ありがとうございます。いただきます!」
「、、、プカルパはそういう所よ。今は少なくなったけど、昔は俺達みたいな日本人が何百人もいたんだ。」
「いやぁ、そういう所なんだプカルパは!いいなぁ、、、。長谷川さんがいるなら、僕もここに住みたいなぁ。一か月くらいお店で雇って頂けないかなぁ!」
「ダメダメダメダメ!そんなのはダメよ。」
僕は乾いたのどに、冷たいビールを流し込んだ。
とても嬉しかった。そして少しだけお酒が入った僕は、こんなことを言ってみた。
「僕はこうして日本人の方と日本語を話せるっていうことが物凄く嬉しいんですけど、長谷川さんも僕みたいなのがこうしてやって来て、嬉しいって気持ちはあるんですか。」
「いやぁ、別に無いね!わっはっはっは!イカダだか何だか知らないけど、まぁどっか行ってくれなんて言えないから、こうして酒でも飲ましてるって訳よ!別にどうってことないよ!はっはっはっは!」
冗談半分ではあったが、それもそのはず、と思えた。
「一所懸命」とは言え、自分が好きなことを自分のためにやっている人間が来たところで、子供のために文字通り必死こいて働いてきた人からしたら、「別にどうってことない」、招かざる客みたいなものだろう。
「いやぁ、すいません。こんな生産性の無いやつがきて、酒を飲んで帰っていくという、、、。」
「わっはっはっは!まぁ、飲みなよ。」
長谷川さんは僕のコップにビールを注ぎたしてくれた。
僕が喜ぶのを見て、長谷川さんも少しくらいは嬉しかったのかもしれない。
彼も少し熱くなって話し始めた。
「この「腹が減る」っていうことだよな。
自分の腹が減ることは、まだいいんだけれど、自分の子供が腹減って泣いている、っていうのを見たら、これはもうやらないかん!ってことで、必死こいて頑張るんだな。」
異国の地で、子供5人を育て上げた長谷川さんご自身の、魂がこもった言葉だった。
「僕らの世代はね、経済成長の時代の上にいて、「お腹が減る」っていうことを知らないんです。」僕は言った。
長谷川さんに出して頂いたでっかいチキンと山盛りのポテトフライが、僕の目の前にはあった。
「あぁ、それがいけないんだよ。」長谷川さんは一言で応えた。
戦後、先人たちが一所懸命に頑張ってくれたから、今の平和な時代があるんだってことを、忘れたらいけない、、、。
「そうか。腹が減る思いとか、悔しい気持ちっていうのが、世界をもっと良くしよう!っていうエネルギーになるんですよね!」僕は、感情的になり始めていた。
「長谷川さん、ぼくのおばあちゃんはね、自分の親父が7歳のときに旦那さんを亡くしてね、お裁縫一つで、着物を縫って子供4人を育てたんですよ。
そしてあるときね、僕のおばあちゃんは、うどんを買うか、それとも針を買うか、悩んだっていうエピソードを、聞いたことがあるんです!
近所のおばあさんから、そういう話を聞いたんですよ!!」
このときもう、僕は泣いてしまっていた。
「それなのに!それなのに僕は自分のことばっかり考えて!!」
悔しい気持ちと、それでもどうしようもない自分がいて、僕に出来る唯一のことは、長谷川さんにご馳走して頂いたお酒で酔っ払って、泣きじゃくってその場にしゃがみこむことくらいだった。
僕が持っているもの、それは大志ではなく、野心に過ぎなかった。
自分がいかに幸せになれるか、そのことばかりを考えてきた。
自分のことがいつも大事で、他人のことを考える余裕などなかった。
でも、苦しい時代を生きた人たちは一体どうだったか!
自分の腹が減っているのを我慢して、針仕事を頑張って家族を支えた。
あるいは、国のために。
将来日本という国に生きる、後世のために、自らの命を犠牲にした人たちがいた。
「僕の親父もね、あるときボソッとこう言ったんです。
『自分の人生は何だったんだ、って最近になって思うんだ』と。
一生懸命家族のために働いて、自分の好きなことややりたいことはせずに、、、。それが虚しいって!!」
「それで親父は今、70近いんですけど、ささやかな趣味を楽しんでいるんです。」
「それなのに僕は、他人のことなんか忘れて、親に大事に育ててもらったことをいいことに、自分のことばかり考えてのうのうと生きている!!」
悔しかった。自分が、ものすごく悔しかった。
僕はもう、涙も鼻水も分からなくなるほどグシャグシャになってしまっていた。
「まぁ、こんな厳しいことを言うのもハセガワさんくらいなもんかもしれないけどなっ!」長谷川さんは、相変わらずこの生産性のないワカモノに優しかった。
「だからそういうことに気付けたんなら、こんなところで遊んでいようなんていうのはダメだってことよ。」
長谷川さんに甘えて、ここで少しの間雇ってもらおうという、僕の甘えた気持ちに対する言葉だった。
「でもそれは、僕の親父が、”かわいい子には旅をさせろ”でもって、代わりに長谷川さんに言ってもらっているんですよ。」
けれど、一つだけ言えることがあった。
自分の腹が減っているのを我慢して、子供のために一生懸命に働いてくれたおばあちゃんの血は、今日の僕の中にも流れている。
自分のみじめさを思い知ったら、あとは長谷川さんに言うことは一つだった。
「こんな僕ですけど、いつの日か、『長谷川さん、ぼくこんなになりましたよ!』って、報告しに来ますよ!」
「あぁ、待ってるよ。」長谷川さんは、もう冗談半分ではなかった。
長谷川さんは、本気のとき、口数が少ない。
「ちゃんと待っていてくださいよ。長生きしてきださいよ!」
僕はわんわん泣きながら絞り出すようにこう吐いた。
「まぁ、そんなことためには長生きはせんよ。まぁ期待はしていないからよぉ!はっはっはっは!」
、、、長谷川さんの冗談半分の言葉は、冗談じゃないもう半分は何で出来ているのだろうか?
その解釈は、ただ僕に任されていた。
僕には、こう聞こえた。
「期待しているよ。頑張ってくれたまえ。」と。
それは、言葉で「あぁ、期待しているよ!」なんて言われるよりもずっと優しさのこもった、声援の言葉だった。
「頑張りますよ、先輩。」
「おう、頑張れ!」
長谷川さんはそう言って、まだビールが入っている僕のグラスに、更にビールを注いでくれた。
だが、僕はビールを飲む手をいったん置くことにした。
そして、深呼吸をした。
今僕が感じている旅の辛さと、自分の人生とか生命とかいったものに対する悔しさが重なって、しかも長谷川さんの優しさが相まって、随分と感情的になってしまった。
「すみませんでした。今からは、もうちょっと建設的な話がしたいんです。だからお肉、いただきます!」
「おう、食べな食べな!」
僕はお肉をいただき、長谷川さんが話をしてくれた。
それは、祖国日本に対する憎しみの気持ちだった。
「何十年か前によぉ、(日系)二世とか三世とかを日本に呼んでよぉ、働かせたんだよ。ペルー人を。それで、しばらくしたら帰ってくれって、追い出したんだなぁ。俺はそれが許せないんだよぉ、、、。
ペルーでは2万人くらい、ブラジルでは8万人くらいの人がそうやって呼ばれてさ、呼び込むときは「稼げる」だとか「いい人生が送れる」だとか言って好きなだけ労働者を得てだよ、景気が悪くなると今度はもう国へ帰れって言って、追い出したんだな。それでも帰らない奴には、コレ金をやるから、絶対に日本へ戻ってくるなって、サインさせられたんだ。」
僕はそんな話を、聞いたことは無かった。
日本にいても、ペルーにいても聞かなかった。
「そりゃそうだろう、日本がそんなこと自分から言うはず無いじゃないか。ペルー人からしたって、『まぁそんなもんだろう』ってなもんで帰ってきたんだろう。
だけど日本人である俺だから、腹が立つんだよ!
機関銃もって、ぶっ放してやりたいよ!
人権というものを、完全に無視してるよ。
人間を、ゴミみたいに扱ってるさ!
俺は、日本を出てきてこっちに住んでるけど、
日本人として、恥ずかしいことは絶対にしない。
これだけは、腹を切ってでもしないっていう自負があるよ。」
長谷川さんの中にある「日本人としてのアイデンティティー」。
これが、日本に住む日本人のそれよりずっと強いのだろうということを、
長谷川さんの話を聞き、僕は言葉ではなくて身体で感じた。
「今の政治家なんてのは、3世4世でもって、親の仕事を受け継いでいるだけだろう。そんなのは政治家じゃないよ!
今の若い人は世の中がどう動いているかなんて、みんなわかっているんだよ。年よりの政治家には、何もわかりやしない。若い人が、政治をやっていかなきゃいかんよ。」
そして話が進むにつれ、長谷川さんは急にこんなことを言いはじめた。
「日本人が、白人に命令して使えるようにならなきゃいかんのだよ。」
僕は、少し疑問をもった。
白人が日本人を使おうが、日本人が白人を使おうが、それでは世界は変わらないのではないか?と、そう思ったからだ。
長谷川さんの強い愛国心が、世の中に敵と味方を作ってしまっているのではないか?
僕はこの疑問を長谷川さんにぶつけてみることにした。
そして長谷川さんの応えは、僕の不意をついた答えだった。
「いや、そうじゃない。もちろん、喧嘩は良くない。だけど、これまで世界を牛耳ってきたのは、あの白人たちなんだよ。世界は自分達のものだ!って、そやってやってきてるんだ。その白人たちに、『日本人と仲良くしよう!』とかってレベルじゃなくて、『日本人に良くすることが、良いことなんだ』って、本当に思わせなくちゃいけない。やつらに、気づかせなきゃならんのだよ。
それは、戦争したくらいじゃ気付かせられない。戦争して勝ったくらいじゃ出来ないよ。
、、、300年、400年とかかるかもしれないけど。
イカダ下りだとか言ってよぉ、こうやってビールでも飲むなんてのは、本当は、絶対的な不動の平和っていう時代が来てからやらなぁいかんのだよ。
わっはっはっは!」
「サル—!」長谷川さんと僕は、話しながら、途中で何度も乾杯をした。
「貧富の差を絶対に作っちゃいけない。人権を守らなきゃいかん。
日本と言う国は、社会主義を実現した国だなんだよ。」
つい数日前、YouTubeで経済学者の話を聞いていた時も、同じことを言っていた。
日本は、社会主義的な資本主義を成功させた唯一の国だ、と。日本は、社長と平社員の給料の違いが7倍とか14倍とかだけど、他の国は100倍とか1000倍とかの差がある、と言っていた。
「そうだよ。日本ほど、平等な国はどこにもないんだから。
信長が日本を統一国家にしたみたいに、世界にも平和が来なきゃいかん。
パスポートなんてもんが、無くなっちまうようにならないと。
それには何千年かかるか分からないし、もしかしたらそんな日は来ないまま地球は終わってしまうかもしれない。
『あの頃に生きていた人たちはいいよなぁ、空気がきれいでよぉ、ビールなんか飲めたんだから。いい時代だよなぁ!今はビールなんか飲んだら、死んでしまうわ!』なーんて、そんな時代が来るわな! わっはっはっは!」
「サル—!」
「サル—。」
「そういう時代が来るよ。
来ないようにしなきゃいかんけど。
でも絶対に来るんだよ。」
長谷川さんは静かにそう言った。
辺りはすっかり暗くなっていた。
気が付けば僕は長谷川さんとずっと話していて、奥さんは最初の十数分一緒にいてただけで、随分と前におうちの中に入っていたのだった。
僕は言った。
「日本から離れて、もうこっちに人生があって、ここで骨をうずめようって言う長谷川さんなのに、それだけ日本のことを思っているんですね!」
「いや、『だから』よ。日本を離れているからこそ、余計にそう思うんだな。」
これだけ日本と政治に関心がありながら、ご本人はペルーのジャングルでレストランをやっている、、、。そこで僕は変な質問をしたくなった。
「長谷川さんは、どうして政治家にならなかったんですか?」
「そりゃぁお前さん、俺は大した教育も受けていないし、俺一人じゃ何も変えられないよ。時間がかかりすぎる。孫にはね、『大統領になりなさい』って言ってるよ。今ペルーで一番いい大学に通ってるんだけど、俺の話をまじめに聞くんだ。だからまぁあと20年くらいして、ハセガワって名前の大統領が出てきたら、一つ拍手でもしてやってくれ。はっはっはっは!
僕たちは随分と飲んでしまったみたいで、僕の身体には十分お酒がまわっていた。辺りはもう夜の暗さになっていた。
「じゃ、この辺でお開きとしますか!」
長谷川さんの声で、二人は立ち上がり、テーブルを片付け始めた。
「俺は、自分の実力だけでやってきた。
それだけは、胸張って言えるな!
頑張って やってきたんだよぉ。」
これが、長谷川さんが最後に僕に言った言葉だった。
これまで座っていた長谷川さんが、初めて立ち上がって言った言葉だった。
僕はお土産に自分が残したチキンと、ポテトフライを持って宿に戻った。
「ありがとうございました。ごちそうさまでした。お母さんによろしくお伝えください!」そう言って、僕は長谷川さんと握手をして別れた。
同時に、
「ありがとうございました。ごちそうさまでした。お母さんによろしくお伝えください!」
そう僕に言われて、長谷川さんは僕と握手をした。
今日はもう遅くなってしまったから、もう一晩だけ宿で休んで明日の朝に出発しよう。
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夜8時だったが、昨晩少し夜更かししてしまっていたので、瞼が重たくてフラフラだった。宿に戻り、シャワーを浴びて、朝の5時近くまで寝ていた。
そして今(28日の12時前)まで、途中休みながら、この記事を書いている。
二日酔いもだいぶ楽になってきた。
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数日前に、フィンランドを100日間無料で旅行できるキャンペーンに応募していた。条件を見る限り、自分が最も適した人材だと信じ、吉報を待っていた。
だけど、当選の連絡は結局来なかった。
フィンランドに行けなくなった僕は、残念だった。悔しかった。
だが、フィンランドに行けなかった理由が、これで分かった気がした。
なぜなら、フィンランドに行けていたら、昨日の僕の涙はなかっただろう。
当選していたら、アマゾンの旅の憂鬱から、逃避することが出来た。
人生の悔しさを、無かったことにすることが出来た。
しかし、悔しさは消すためにあるのではなく、それをバネにして大きく飛躍するためのものだったのだ。
腹が減るために腹を減らすんじゃない。
今いる環境で直面する問題、自分の感情を、見ないようにしたり、無視したりするのではなく、
その合図、ヒントに、意識的になること。
決して辛さを強調させるのではなく、ありのままの自分、ありのままに感じる自分から、何を学べるかが大事なんだ。
ポジティブに生きるということは、きっとそういうことなんだ!
僕らはお腹が減ることを知らない世代だけれど、
ハッピーばかりの人生なんて、どんな時代にも在り得ないだろう。
悔しい思い、辛い想い、、、そういうものが、必ずあるはずなんだ。
無いと言う人は、嘘だ。生きていれば、必ずそういう瞬間があるものだ。
自分が一番やりたかった旅をしている僕ですら、あるのだから。
そういう感情や突き当たる壁に意識的になることで、日本の、地球の、宇宙の欠陥が見えてくる。僕らは今日も、生きている。この世界を、たった一ミリでも、良くするために。
20151027




