M2 無限定House ast.丹尾陽 | Dance Unit W+I&S ~慶應義塾大学SFC 公認ダンスサークル~

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慶應義塾大学公認サークル Dance Unit W+I&S のブログです!

こんにちは!M2 無限定House アシスタントの丹尾陽(におひなた)です。難しい名前なのでふりがなをふっておきます。

先輩達に「ブログは後に残るからちゃんと書いた方がいい」って言われて今すごく緊張して書いてます。普段はへらへらぽんこつひなぽんですが、今回だけは真面目に書こうと思います。多分ごちゃごちゃになりますが、温かい目で読んでいただけたら幸いです。

初めてブログを書くので、自己紹介でもしてみます。
2003年10月31日生まれの丹尾陽です(本番の4日後にお酒解禁いえい!)。生まれは石川県金沢市、育ちは東京/インドネシア/ドバイ/サウジアラビア。家族構成は父母弟+某popperそっくりなイッヌ。ENFJ。好きなものは甘いものと夜更かしと散歩、嫌いなものは怖い話と湿気です。座右の銘は小学生の時の学年スローガンから取った『一生懸命がかっこいい』!4歳から7年バレエをして、中学は体操部、高校は陸上部の長距離でした。Wでは映像係をしています。去年の秋に入部してからずっとHouseを取りつつ、最近は佑太さんの影響なのかPopモチベもめちゃくちゃ高いです。自己紹介はこんな感じでしょうかね。

他にもアパレル店員したり、映像を作るお仕事したり、韓国に留学に行ったりと、割とWの中では珍しいダンス以外のことを色々やってる人間なのかなと思います。それに加えてダンスも未経験で、しかも1秋からの入部。それが今ではなんでこんなにダンスにどっぷり浸かってしまったのか、、、。こんな風に文章を書く機会もあまりないと思うので、ちょっと記憶を辿って振り返ってみようと思います。

1年生春学期。色んなサークルにゆるっと名前だけ入って、とりあえず授業に行って夜は毎日遊んで、楽しかったけどあんまり記憶がない。この時はまだ自分がダンスを始めるなんて夢にも思ってなくて、大学生活これから4年って長いなー暇だなーってくらいでした。ぼーっと過ごしてましたね。誰かが20春公演の話をするたびに、もっと早くWに入って私も出たかったなあとすごく惜しい気持ちになります。この期間はとにかくインターンだけを頑張っていました。

1年生夏休み。元々友達だったここに誘われて、全然興味のない、読み方もよくわからないどぅぶるべというダンスのサークルのお試し練に行きました。みんなダンスうっまいし、仲良さそうで自分だけアウェーだし、正直こわい!!帰りたい!!!!!って感じでした。でもHouseのお試し練でももかさんが付きっきりで教えてくださって気づけばエントリーフォームを渡されていて、19引退公演に出ることになっていました。今思えばあの時のこことももかさんが私の運命を変えてくれました、ありがとうございました( ;  ; )

19引退公演はHouseだけを取っていて、当たり前だけど始めたてで全く踊れず、友達もできず、House以外のジャンルに逃げるという選択肢もなく、出させていただいている立場で先輩方にはすごく申し訳なかったけれど毎日結構苦しかった時期がありました。無限定Houseの創作者のまなみさんとみきさん宛てに辞めたいという内容のLINEをスマホ1ページ分くらい書いて、でも送る勇気が出ず思い止まっていました。

そうしているうちに本番が来てしまい、気持ちを引きずったままステージに立ったら想像以上に本当に楽しくて、サークル全体でみんなが繋がってる感じも素敵すぎて、ダンスって最高だ!!!!なんで今まで気づかなかったんだろ!損なことしてた!ってそこで初めてハッとなったのをはっきりと覚えています。この19引退公演の経験が私をダンスに目覚めさせてくれました。

そこからは、まずは21春公演を目標に自分なりにHouseを頑張ろうと思ってました。せっかく練習したし記念にと思って、ダメ元でジュンスさんの限定Houseのオーディションを受けてみたらまさかの超保留→正規生で本当に本当に嬉しくて、今考えるとまだまだだいぶ下手くそだったのにすごく調子に乗っていたと思います。それでも沢山練習して、ちょっとずつだけど踊れるようになってきた!とやる気に続いて実力も少しずつ現れ始めたところで、21春公演中止が決定。。。はじめて限定に受かったのに出られないことが悔しくて悲しくて、沢山練習した時間も全部無意味に感じられて全てのやる気がなくなっていました。

活動自粛期間中はというと、佑太さんが別の大学のダンサーと繋げてくださったことがきっかけで、初めてpopというジャンルに出会ったり定期的に色んな基礎練を教えていただいたりしていました。公演中止&活動自粛という悲しい状況の中、佑太さんのおかげでダンスへの気持ちはなんとか切らさず保つことができていたと思います。やっぱり佑太さんは偉大です(佑太さんについては後ほど語ります)。

活動が再開して、七夕祭ではこれまで通り当たり前にHouseを取る予定だったのですが、なんとなんとジュンスさんのアシスタントをさせていただけることに。初めて受けた限定のジュンスさんのMにすごく思い入れがあったことから、また一緒に踊れることも、アシスタントを任せてくださったことも本当に嬉しかったです。コマ生への接し方とか自分のHouseの実力とか、悩んだことも沢山あったけれど七夕祭でアシスタントをやり切った経験は自分の中ですごく大きいし、Houseへの熱もものすごく高まりました。毎日駅地下で沢山教えていただいて、ジュンスさんの存在も私がhouserを目指す中で大きかったなあと思います。ありがとうございました。この話で面白いのが、ジュンスさんの後日談では、アシスタントのお誘いへの私の返信があと10分遅ければ佑太さんがアシスタントになってたらしいんです。そう考えるとやっぱりこの時アシスタントを経験させていただけて本当に良かったです。

その後の2年生の夏休みに私が韓国に短期留学に行った時も、なんとジュンスさんが韓国で私をHouseのイベントやレッスンに沢山連れてってくれました。留学先の学校や新しい友達との思い出も色々あるけれど、連れてってもらった韓国の大学生Houserが集まるイベントが、私が韓国で過ごした1ヶ月の中の1番の思い出と言ってもいいほど本当に素敵な空間でした。私はまだ韓国語勉強中で流暢には話せないですが、言葉があまり通じない中でもダンスが人と人を繋ぐ共通言語として存在していてダンスやっててよかったなとすごく感じたし、言語の壁を超えてダンスで心を通わせる体験が自分にとって新鮮でした。また、この韓国の1ヶ月でジュンスさんに沢山セッションの輪に投げ込まれたことで、韓国語のために留学に行ったのに結局フリーで踊る楽しさだけを覚えて日本に帰ってきてしまいました。私が段々セッションを楽しんでいくのを見ていたジュンスさんは私より楽しそうで、全く変な先輩ですねー。でも韓国での経験は今になってめちゃくちゃ生きていて、本当に感謝しています。

そんな感じで留学から帰ってくると、日本では20引退公演の練習がすでに始まっていました。すごくありがたいことに2回目のアシスタントをみさきと一緒に任せていただいたのですが、正直日本に帰ってきてからはダンスモチベは下がる一方でした。(無限定HouseはBJの作品が元になっているので)BJ出てない私がなんでアシスタントなんだろうとか、限定Houseは私なんかいない方がもっといい作品になるよなあとか、とにかく卑屈にネガティブになってました。やる気のなさは佑太さんにも見透かされていて、フィット裏の木陰に呼び出されて「このままだとやばいよ」って言われて、よくわからない感情でボロ泣きしながら1人で湘南台駅まで4キロ歩いた日もありました。でもやっぱり私って単純で、一晩寝てみたら「どうせやるなら頑張った方がかっこいい!その方が私らしい!」っていう謎の思考に辿り着いたんです。そこから10月はダンスに捧げてみようと思って、今に至ります。

これまでを振り返ろうと思って書き出してみたらとんでもなく長くなってしまいました。改めて考えると、こんな風にサークルに生活を捧げたりダンスにハマったりっていう大学生活は想像もしてなかったです。本当に。こんなに泥臭く1つのことを頑張っているのは多分人生で初めてです。私は割となんでも要領よくこなすタイプだと自負していて、勉強や部活で今まで頑張ってきた経験はあったけれど、今思えばそれもすでに敷かれたレールの上を正しく走っていただけでした。だから辞めようと思えばいつでもやめられるサークルっていう環境でこんなに泥臭い今の自分が不思議でたまりません。こうして残っているのはもちろんダンスが楽しいっていうのもあるけれど、私にとってのかっこいい人(=楽しそうに泥臭い人)にここで沢山出会ってしまったからだと思います。

W入ってこんなに素敵な人たちと出会えたことは、私の今日までの大学生活で1番の宝物です。これは創作者の話でも話しましたが私は実は小中高で7回の転校を経験していて、普通の人よりもかなり多くの出会いと別れがあった幼少期でした。そんな背景があって私は縁を強く信じています。縁に恵まれてこうして出会い一緒に踊れることがどんなに奇跡的で幸せなことなんでしょう。でも悲しいことにこの時間は永遠に続くわけではないんです。いずれ来る別れの前に、大切な人たちが目の前にいるうちに、伝えたいことはちゃんと伝える必要があるなあと思います。

ということで最後は、20引退公演 M2 無限定Houseを一緒に作った2人への気持ちを綴ろうと思います。

まず佑太さん。
無限定Houseを作っていただき、そして私をアシスタントに誘っていただきありがとうございました。普段ゆたぼんゆたぼんって沢山いじって(ごめんなさい)ちゃんと伝わってない気がしますが、本当は私が佑太さんをどれだけ尊敬しているか、この場を借りて書こうと思います。1つ目に、言うまでもなくダンスへの熱!佑太さんを知れば知るほどこの人変態だなあって思います(褒めてる)。トリプル創作っていう前代未聞のぶっ倒れてもおかしくない状況でも、弱音や愚痴を一切吐かず言い訳もせず、責任を持ってダンスに向き合ってるところが最高にかっこいいです。2つ目は、後輩のことをよく見てるところ。これはちょっと意外な一面でした。最近佑太さんと限定/無限定のコマ生についても話すようになりましたが、一人ひとりのダンスはもちろん性格面もめちゃくちゃよく見ていて、コマ生のことをすごく大切にしている人なんだなと気づきました。振り返ってみれば私自身、こんな風に自分を見てくれる先輩がいたからこそHouseを頑張れたんだと思います。3つ目は、いつでも背中を押してくれるところ。何か相談したら絶対に真剣に向き合って考えてくれて、的確な言葉をくれつついつも励ましてくれたのが本当に心強かったです。通しでペア振りで向き合ったときに「がんばれ!」って言われたあの瞬間は、私にとって週刊連載5話分くらいでした。今でも佑太さんが怖い時はたまにありますが、こうしていつでも味方をしてくれる先輩の元で踊れてよかったなあと心の底から思います。キリがないので尊敬ポイントはここまでにしておきます。
沢山迷惑や失礼をおかけしたことと思いますが、ここまで面倒を見てくださった佑太さんには感謝してもしきれません。何をしても現実は変わらないですが、本当に本当に、引退してほしくないです。駅地下で練習して佑太さんを終電で見送った後の帰り道、「もうWで佑太さんと一緒に踊れないんだ」って急に実感して1人でぽろぽろ泣きながら帰った日もあるくらいです。佑太さんがいなかったら私のダンス生活は本当に全く別物でした。Wで佑太さんと出会えて、アシスタントができて幸せでした。ありがとうございました。

そして美咲。
今日までアシスタント本当にお疲れ様!!!2人とも2回目のアシスタントでお互いに色んな思いがあったと思うけど、こうやって美咲と2人でアシスタントが出来てよかった。すごく近くをずっと並行して走ってたのが、2年目にしてやっと交わった気がして嬉しい。
今だから言えることをこの際だから書こうと思うんだけど、ぶっちゃけ一緒にアシスタントやるまで私美咲のことちょっと苦手だったんだよね。私と違って全部きっちりしてて常にポジティブシンキングで、なんか合わないなあってずっと感じてた。だから佑太さんからアシスタントのお誘いが2人に来た時は美咲とやっていくのが結構不安だったんだよね。2人きりでちゃんと話したこともまだあんまりなかったし。でもなるようになれと思っていざやってみたら全然そんなことはなくて、合わない部分もあるけど違うからこそ補いあえて、めちゃくちゃいいアシスタントコンビだったのかなと今になって思ってる(実際佑太さんも最近よく言ってくれるし)!私一回も出欠ノート作ったことないし、3人がなにか忘れてると絶対美咲が最初に気づくし、美咲ほど完璧なアシスタントっていない。こうやって考えてみれば私まじで仕事してないのに、美咲は一回も私に怒ることなかったし、本当にすごいなー。やっぱり天使と悪魔かも。
最初はちょっと微妙な仲で始まった今回のアシスタントだったけど、もし美咲がいなかったらって考えると正直多分1人で佑太さんとコマ生の板挟みになって本当に苦しかったと思う。だし、同期として22春公演が本格的に始まる前にこうやって仲良くなれて本当によかった。こればっかりは2人をアシスタントにつけてくれた佑太さんに大感謝だね。1秋で後からHouseを始めた私を同期Houserとして認めてくれて、一緒に頑張ろうって言ってくれて本当にありがとう。美咲がいなかったら絶対今こんなにHouse頑張れてないし、popperになる世界線もあったのかも。これからもっと沢山話してもっと沢山一緒に踊って、2人で一緒に成長して行けたらいいな!!まだまだ書きたいことは沢山あるけど、あと2年は一緒にいるだろうからまた別の機会で。

昨日3000字のレポート課題でひーひー言ってたのに、こっちは気づけば6000字近くも書いていました。拙い文でしたがここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

誰1人欠けることなく本番が迎えられることを願うばかりです。本番まであと数日、みんなで駆け抜けましょう。


22 陽