「健やかなる時も、病める時も、愛し続けることを誓いますか?」
このセリフ、ご存じですか?
教会式で結婚式を挙げると、神父さんないし牧師さんに、大抵言われる言葉ですよね。
この言葉、結婚するに際して、非常に重要なことを言っているのですが、かーちゃんは、「ツレがうつになりまして」のコラムで、作者のテンさんがこの言葉を噛みしめた、というようなことを書いていたのを読んで、初めてひしひしと感じました。
結婚というものは、当然相手のことが好きであって、二人で幸せになりたいからするのだと思うのですが、そこに「不幸」という要素が入ってきたとき、
その不幸を二人で乗り越えることも「結婚」である
ということは、いざその不幸が襲いかかってきたときに実感するものではないでしょうか。
ツレうつでテンさんが泣きながらこの言葉を実感した、と読んだとき、かーちゃんもハッとしたのでした![]()
![]()
とーちゃんとかーちゃんも、地元の小さな教会で挙式しました。
当然、この言葉は牧師さんから言われましたし、形式的に、「誓います」と簡単に答えております![]()
![]()
でもでも、テンさんのコラムを読んだとき、当時まだまだかーちゃんは、うつ病街道まっしぐらのヒト。
「こんな病気になるなんて」
「毎日がしんどい、つらい、死にたい」
という具合に、自分の苦しさばかりに気をとられていて、実は、結婚生活の存続において、かなり危機的状況にあるということを、わかっていませんでした。
当然、
「とーちゃんに申し訳ない」
「子供達に申し訳ない」
という気持ちもあったものの、
「これもまた結婚生活の一部である」
などという考えはまったくなく、ひたすらうつ病になった現実を忌み嫌うばかり。
そんな状態でテンさんのこのコラムを読んで、ハッとしたわけです。
「そうか、あの時の牧師さんの言葉はこういう状況のことを言っているのか。」
と。
きっと、看病する側にいたとーちゃんは、早い段階でこれを実感していたことでしょう。
ハッピーハッピー♪なだけが結婚生活ではない、困難も乗り越えることもまた結婚であり、それを誓ったはずなのです![]()
![]()
それなのに、自分にはそんな覚悟全然ない、ただの頭の中お花畑で結婚したんだなー、と我が身を恥じたかーちゃんです

自分の結婚生活が大きく狂ったことを嘆きたい気持ちはあったけれど、それもまた結婚生活。
今では素直にそう思い、中堅どころになって、仕事が忙しく、あまり家にいられないとーちゃん、仕事でかなりのストレスをためてるとーちゃんを、微力ながら「支える」側になろうとしつつあります。
今まで支えられて、今でも支えられているけれど、このうつ病妻が、支える側になれる時が来ようとはっっっ![]()
![]()
・・・・・未来はわからないものです。
ランキングに参加しています♪
よろしければ「ポチッ」とお願いいたします↓![]()
にほんブログ村
近頃、小林麻央さんの件があって、海老蔵さんもきっと同じ思いをされているんだろうなあ、と思い、書きました。
誰しも、結婚式の時は幸せ全開

でも、一寸先はわからないのが結婚生活です。
困難を乗り越えた家族は、きっともっと強い絆で結ばれているはずです。
だから、うつ病になってしまったことばかりに目を向けないで、そして、家族はそれを受け入れてあげてほしいのです
