幼児との生活開始【2】通報一歩手前の綱渡り生活 | ママのうつ病、家族の奮闘記~かーちゃん、うつ病と闘う

ママのうつ病、家族の奮闘記~かーちゃん、うつ病と闘う

第2子出産半年後にうつ病の診断を受けてからはや15年。病と共存しながら健康体を取り戻すべく、試行錯誤で暮らしてきました。
今では通院も服薬もありません。
そんな私の経験が少しでも参考になれば……。

うつ病患者って、トイレに行く以外何もできないことも多いんだから(威張るな?)。


それまでワーキングマザーで、子供は生後4か月から保育園に丸投げで働いて、うつ病と診断されてからも1年以上は保育園にお世話になったかーちゃんが・・・・




家で子育てできるエネルギーなんて、どこにある!!??





だけど、仕方なかったのだ。

なにせ、経済事情があったのだから。






さあ、ここからが、このブログ始めて、かーちゃんが一番書くのがツライお話。

自殺願望のお話よりも、もっともっと、かーちゃんの心の傷になっているお話。







当時、上の娘1号は、半日幼稚園に行っていたので、まだよかったのだ。





問題は・・・・若干2歳の娘2号。






まだトイレトレーニングもできていない頃。

食事だって自力ではどうにもならない。

ひとり遊びにも限界がある。




↑↑↑こんなちびっことうつ病ママが、家で二人きりというのは、親子で共倒れになりそうな状況である。





その頃、かーちゃんはなぜか、午前中に猛烈な眠気と倦怠感に襲われ、ダンスに行く日以外はほぼ毎日(ダンスに行けない日も多かったのだが)、リビングのソファーでうなされながら寝ていた。



娘2号は、最初のうちはひとりでゴソゴソと遊んでいるが、すぐに持て余して泣きついてくる。

こうなると、「午前睡」という都合のいい理由をつけて、かーちゃんは娘2号を自分のお腹の上にうつぶせに抱っこして、午前中をソファーで二人で寝て過ごす荒業に出た。


お昼頃に一緒に目覚めればまだいいのだが、昼になっても、かーちゃんはソファーから起き上がれないことも多かった。

起きなければならない義務感はひしひしとあるのに、体がいうことをきかない。

だから娘2号としてはたまったものではない。



「お腹しゅいたぁ。ママ、ごはん~」汗または涙汗または涙




娘2号のこの泣き声は、今でも耳に残っていて消えない。





あるときなど、何やら水がピチャピチャいう音がして目覚めると、娘2号が、台所のシンクの洗い桶に入っていた汚い水で、手を洗っていた@@


いつまでも起き上がれないかーちゃんにしびれをきらし、娘1号のおやつのために、朝から作っておいたおにぎりを、踏み台を使って自力で取って食べ、ベタベタになった手を、汚水で洗っていたというわけだ。


このとき、そもそも娘1号のおやつにおにぎりを用意しておくぐらいなら、娘2号の昼食用に作っておけばよかったものを、娘2号には別の物を食べさせようとしていたかーちゃんは、あろうことか、娘2号に激昂し、


「何でお姉ちゃんのおやつ食べるの!!」

「汚い水で手洗ってどーするの!!」


とヒステリックに叫び、娘2号は「ごめんなさい~」と泣き出した。






も~~~~こんな話、児童虐待、ネグレクト(育児放棄)、DV・・・etc

なんと言われようと申し開きができない状態だガーンガーン


この騒ぎ、ご近所が気づけば、通報レベルのお話だろう。



かーちゃんは一度、この事態を母に相談したことがあったが、


「大丈夫よ、それでもみんな生きてるじゃない。子供はどうにかして食べるわよ」


と一笑に付された・・・・




なんとも冷たいようだが、

「そんなに深刻にならなくても、どうにかなるわよ」

と母は言いたかったのであろう。

 

当時母は、漫画「カバチタレ」にドハマリしており、社会勉強に余念がなかった苦笑苦笑

その第3巻あたりに、DV編の話が出てくるのだが、その描写と比較して、

「アンタんちはまだマシよ、どうにかなるわよ」

と、かーちゃんを励ましてくれていたようだ。

(ディープな描写に耐えられる方は、ぜひ読んでみることをおススメする)






さて、そんな日々を延々2年近く続けることになったわけだが、

その日々が影響しているのか・・・




娘2号は・・・





体質と遺伝的にとってもヤセのガリ子なのに、


人一倍食べることに執着するようになった。





「ママ、今日のごはん何?」



と必ず訊いてくるのは、娘2号。

かーちゃんが具合が悪くて寝込むと、


「ごはんはどーしたらいいの?」


と必ず心配するのも娘2号。



ちなみに当時娘1号は、幼稚園でお弁当を食べていたし、被害を被るのはとーちゃんが24時間勤務の日の夕食ぐらいだったので、娘2号ほど「食べること」に危機感を持つことはなかったようだ。



こんな事態があったからこそ、かーちゃんは今、掃除よりも仕事よりも、持てる体力をごはん作りに重点的に注ぐようにもなった。






涙なしでは思い出せないようなこんな悲惨な話は、きっとうつ病で苦しむママのいる家庭では、よくある光景なのかもしれない。

あまりに子供にとってかわいそうな話がゆえに、表立って表面化しないだけであって、きっとこんな事態で苦しんでいる親子はいっぱいいるのだろう。

この時期をなんとか乗り越えてきた我が家の立場から言わせてもらうと、



(1)とにかく人の手を借りて助けてもらう

(2)可能であれば、保育園で見てもらう

(3)とにかく手を抜く

(4)子供が自力でできることはやらせる



これしか方法はないような気がするのだが、

一つだけ言えるのは、



「子供はそのうち大きくなる」



ということ。

大なり小なり、自力でいろいろできるようになるまでを乗り越えれば、

親子で共倒れせずになんとか過ごせる。






そして、こんな黒歴史があった我が家だが、決して悪いことばかりでもないらしい。




食べることに強く執着する割に痩せっぽちの娘2号は、

「ごはんを作ること」がこよなく楽しいことだと思い込み、

「将来は、一緒にごはんを作ったり作業したりする、作業療法士さんになりたい」

と、小学校3年生にして、将来の夢を手堅いところで抑えてきた。

もちろんこれは、運動好きが高じて、「理学療法士になりたい」と言い出した娘1号の影響が大きいのだが。

「2号は理学療法士さんにはならないの?」と訊いたところ、

「う~ん、私はやっぱり一緒にお料理する人の方がいい」とのこと。


だったら、「調理師」だの「パティシエ」だの、そっちの道もありそうなもんだが、ねーちゃんの「~療法士」がリフレインしているのだろう、あくまでも「作業療法士」がいいらしい。


まだまだ小学生の夢の話、どこでどう変わるかわかったものではないが、意外なところで夢のきっかけをつかんでくれたことに、贖罪の気持ちが少し軽くなったかーちゃんだ。











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