あまり、スピ系のことは 好きじゃないはずだったが、
それなりに触れて、勉強してきたところで、
自分のイメージ力と似ているところがあるとわかった。
ずっと、創作や、即興のトレーニング方法を開発して、
実践し教えたりしてきた私にとって、
インスピレーションは扱いやすい課題だったからだ。
ひとつの事をかんがえたり、書いたりしていても、
そのひとつのことに、
いくつも、妄想のような図像が、何種類も浮かぶ人なので、
考えをまとめるのに苦労するが、私みたいな人が沢山いるのだろう。
凄い速さのセルフトークなので、自分でも思い出せないことも多い。
ちょっと苦労しならが、そのセルフトークで思い出したイメージを書いてみる。
例えば、前回のブログの橋○氏のイメージでも、
「ゴキブリが出るので、ネズミにそのゴキブリを退治させようとしているが、
十分でないので、スーパーラットを導入してみたら、
従来のネズミを駆逐したが、ゴキブリはそのままだった」
十分に思い出せないが、そんなイメージなどである。
こういうときは、やはり、自分が制御できる物を使うのが大事なんだろうけど、
それが把握できないまま、スーパーラットなるものを使う傾向がある。
自分が、ゴキブリを退治しないと、
もっとたちの悪い外来種のスーパーラットにやられちゃう。
いつまでも根本的な問題が、片付かない。
また、ゴキブリやねずみそのものを、退治の対象とみるか、
というのも、問題だ。
自然の一部としての共存、
もしくは共存共栄で「だきまいらせる」という視点もあるだろう。
あと、もう一つ浮かんでいたのだが、忘れた。
多分、強い物は何か、本当にあるのかとか、
あてがう人の適正とか、悪に対して悪ならば対抗できるだろうと
「毒をもって毒を制す」的な?
そんなことで、イメージが膨らんでいたと思う。
ただ、根本的に、何を悪とするのか。
これが、悪とか善とかは、かってな自分の常識で、
「自分に都合がよければ、善で、悪ければ、悪」
となっている可能性もある。
その辺の自分の偏りも、よく把握した上での、
投票行動などをとっていきたいと思う。
本当に使わなきゃいけない物は、なんなのだろう。
ことを複雑にするねずみや、スーパーラットでなく
もしかして、ゴキブリとの住み分けとか?
とにかく、混乱してきたが、
少なくとも、自分にできないからといって、
強者に強者で対抗するようなイメージは、
ものすごく疑問なんだと、言葉で理解した。
(実際の無意識ちゃんはもっと、知っているのだろうが・・・)