どこかで糸井重里さんの書いているものを読んで
すてきだなあと思い、
図書館で見つけて
初めてその人の本を読みました。
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そのタイトルは
「夜は、待っている」。
英語で書かれたタイトルを見て
軽くパンチを受けた感じでした。
それは、「Dawn 」。
普通は「夜明け」とか「明け方」
なんて訳されることが多い言葉。
私にもそのイメージが固まったようにあったので
それを見たとき
ぶおんと頭をシェイクされる感じがしました。

普通は一つの事象を指し示す為に
言葉を選んで使うことが多いけれど、
この二つの日本語と英語の併記が
その人にとって同じ意味を持つ
もしくは補完すると示されたのを見て、
その人が見ている世界の広さや深み、温度が
自分が感じているものと驚くほど違うことを
改めて思い知りました。

そして日頃話したり書いたりしてる言葉も
みんなそれぞれに随分と違う意味を持ちながら
でも少しでも共有したいという思いで
使っている道具だったな、と
思い出しました。

と同時になんだか感じたことを
言葉にして書きたいのに
うまくできなくて
今もぞもぞしている自分も
感じています。

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(「夜は、待っている」糸井重里 p.298)

だからたまには
たくさんの言葉を尽くして
話してみたくなるんですね。

なんだか優しい気持ちと
もう少し言葉で何かを伝えるってことを
またしてみたくなりました。