ある森のお話

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ある日、山にいるお友達のところを訪ねました。
初めての山道なのに近くまで着く頃にはすっかり日が暮れてしまいました。
ほとんど街灯のない中、一人車の中でもらった地図を明かりのあるところで何度も止まりながら、間違えないよう少しずつ進んでいきました。



でもなぜか怖くはなかったんです。
その日は満月からまだ数日しか経っていないうえ、宵の明星が木々の間から優しく見え隠れしていました。
誰かがその先で待っているという暖かさが、常に心の奥でともし火のように点っていたからだったのかもしれません。

 細い山道に入ってしばらく行くと、道の右側に先が白い太いしっぽの後ろ姿がヘッドライトに照らされ現れました。
あ、子狐と思っていると、道の真ん中をまるで案内するように走り出しました。そろそろと超低速でしばらく後をついていくと、じゃあここまでね、こちらに用事があるからというように左手にきゅんと曲がって姿を消しました。
ありがとう、と心の中でお礼を言っていると今度は子だぬきが現れしばらく並走してくれました。
そして、そろそろこの辺りかなと思った瞬間、2匹のじゃれ合うたぬきたち。車を止めるとライトの光の中やはりじゃれ合いながら暗闇に消えていきました。
そしてそこがまさに友達たちが待つところだったのです。

高い木々の森の入り口に建っていた山荘は、優しい闇と静けさにも囲まれていました。
そしてひと通り再開を喜んだ後、その日はみんなで瞑想をしてその静けさと一緒に眠りにつきました。




朝になるとヒグラシのような沢山の蝉の鳴き声と鳥のさえずりが絶えず聞こえ、夜とは全く違う生き物たちが活動していることを知らせていました。
街の中で出会う虫や鳥たちとは違い、初めて人間を見たのではないかと思うように、ほとんど逃げることはなく、むしろ興味を持って近づくものもいるような感じでした。それは圧倒的に彼らの方が私たちより沢山、そして長くこの土地にいることを思い出させてくれました。

無数の音に囲まれているけれど、とても静けさに満ちた森。そんな山の森の中に次の日合流した友達たちと一緒に数日を過ごしました。

たくさんのいろいろな種類の木々や草花がただ一緒に暮らしている森。そのふかふかな土を踏みながら時には散歩し、時にはみんなで踊り、瞑想し。ただ一緒にそこにある、という時間が流れていきました。

またその森の中でした「セークレッド・アース瞑想(聖なる地球の瞑想)」はまさに森に抱かれてしているようで、その中の言葉、「地球が私たちに属しているのではなく、私たちが地球に属していいます。」がいつもより深くそしてとても自然に、そこにいる私たちも森の草や木や虫達のように有機的に繋がっているというよりリアルな気づきをもたらしてくれました。
また目の前に大きくそびえ立つそれぞれ一本ずつの木々も、それを支えるだけの深く広く広がる根を持ち、その根が交わりながら周りの木々と支え合い共存しているんだと教えてくれるようでした。





湧き水を汲みに行き、温泉に入り、まるでヒマラヤのような高い山々を望み、地の食べ物をいただく。
それは普段暮らす街から数時間の移動でこんなに違うところにいることを、驚きを持って体験する時間でもありました。



友だちの招いてくれた山の名前は聖山。
近くの聖高原には、何十年も前幼稚園の時に遠足で来ていたことが後からわかりました。
友だち達からとともに場所そのものからも暖かさを感じていたのは、なにかご縁のある場所だったのかもしれません。






先日、「無農薬or有機栽培だから
皮ごとマーマレード作れるよ」
といってお友達から甘夏を三ついただいた。

それから頭の中は、
マーマレード、マーマレードと呪文のように
言葉が響いてそのまま食べるという
選択が無くなっていた(^^;

ネットで色々レシピを見て
結局実はジャム、
皮はオレンジピールの甘夏版と
チョコレートをかけたオランジェットを
作ろうと準備開始。

皮は下ごしらえがあるので
初日は実をひたすら向いてジャムに。

丁寧に袋外しをしていると
だんだん心が静かになってくる。

保存が効くようにと
びっくりする位のグラニュー糖を入れ
お鍋でぐつぐつ。
皮は入れないので種だけ入れて。

でも出来上がったら煮詰め方が足りなかったか
ペクチンが足りなかったか、サラサラ。
甘夏ジャムならぬ甘夏ソースの出来上がり。
まぁゆるい方が紅茶や炭酸に入れる時
良さそうなので、それで今回はよし。

次の日は甘夏ピール作り。
刻んでから陰干し。

この日は真夏日。
鍋のそばに何時間もいるのは向いてなかった(^^;

色々レシピを比べれば良かったんだけど
見つけたレシピには書いてなかったので
かき混ぜ過ぎて、細切れになってしまった‥
まぁ味は変わらないのでこれもOK。

でも次の日乾いてからの工程が大変!
たくさんピースがあるので
乾き具合を見ながらひっくり返したり
グラニュー糖をまぶしたり
チョコレート掛けをする手間が半端無い(^^;

まだ一部チョコレート掛けした分が
乾いておりません。

足掛け3日目がかりの格闘になりました。

好きなので今までお店でオランジェットなんか
ちょっと高いなと思って買っていたけれど
これだけの手間がかかっているんだから
そうだよなぁと納得。


こないだお話を聞いた
プラムビレッジの尼僧の方が
「今私の話している言葉は
  今日いただいたお米から
  できているとも言えます」
と言っていた。

しばらく私の言葉もこれからいただく
甘夏ソースやピールのように
甘苦くなってるかも
しれません。







「夜は、待っている」

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どこかで糸井重里さんの書いているものを読んで
すてきだなあと思い、
図書館で見つけて
初めてその人の本を読みました。
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そのタイトルは
「夜は、待っている」。
英語で書かれたタイトルを見て
軽くパンチを受けた感じでした。
それは、「Dawn 」。
普通は「夜明け」とか「明け方」
なんて訳されることが多い言葉。
私にもそのイメージが固まったようにあったので
それを見たとき
ぶおんと頭をシェイクされる感じがしました。

普通は一つの事象を指し示す為に
言葉を選んで使うことが多いけれど、
この二つの日本語と英語の併記が
その人にとって同じ意味を持つ
もしくは補完すると示されたのを見て、
その人が見ている世界の広さや深み、温度が
自分が感じているものと驚くほど違うことを
改めて思い知りました。

そして日頃話したり書いたりしてる言葉も
みんなそれぞれに随分と違う意味を持ちながら
でも少しでも共有したいという思いで
使っている道具だったな、と
思い出しました。

と同時になんだか感じたことを
言葉にして書きたいのに
うまくできなくて
今もぞもぞしている自分も
感じています。

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(「夜は、待っている」糸井重里 p.298)

だからたまには
たくさんの言葉を尽くして
話してみたくなるんですね。

なんだか優しい気持ちと
もう少し言葉で何かを伝えるってことを
またしてみたくなりました。