もう一回
母が他界して4週間。
母と過ごした時間がポッカリ空いて、一日が長くあの日が遠くに感じます。
何も手につかない情けない自分を思い知らされてました。
こんな事じゃ母ちゃんに怒られる。
母への想いを記して、一区切り付ける為にブログを開きました。
母への忘備録です。
長文で文字数オーバーなり、二つに分けてアップします。
私的な事ですしスルーしてください。
父が入院中に他界して2年半。
コロナ禍最後の時期だったので一回しか面会できず寂しい思いをさせてしまったので。。
母は在宅でみてやりたい。
父の他界後に訪問医や看護スタッフの方に相談して、万全のサポートをして頂いて在宅で看取る事ができました。
家族だけでは到底ムリでした。
看護ステーションシャットの皆さま。
本当にありがとうございました。
酷暑の夏の始まりから体調を崩して、
食べる力が落ちて、痰の絡みが増えてサーチも落ちてしまい点滴治療。
酸素吸入器と痰吸引器を設置してなんとか夏を乗り越えてくれたんたけど。
10月に入り一進一退を繰り返す母を見てて,もう苦しまなくていいよ,頑張らなくて良いよ、でも母ちゃん頑張って!!と相反する自分がいました。
しんどいとも言えず身体を動かす事もできない母を、どうしてやる事も出来ない事が歯痒くて仕方がなかったです。
覚悟しないといけない時が来たのかもと思いました。
15日水曜日、母は両目を大きく開いて一点を見つめてました。
母ちゃん大丈夫?
恐るべしオババさん発揮してねっ!
どうか食べてとハチミツをかけたモンブランプリンを少し口に含ませました。
でもゴックンできなかった。
嚥下のチカラがなくなってしまってる。
更に痰の絡みが酷くなって、1時間に一回のペースで吸引してあげないとサーチが落ちてしまいます。
ようやく上手く出来るようになった痰の吸引いっぱい取れました。
少し楽になった?
母ちゃんチョットお昼寝しようねっ言っても両目バッチリの母。
そしたら、喉からぐっぐっと込み上げる音がして黒いペースト状のモノを吐きました。
凄く怖くなりました。
直ぐに訪看さんと先生が来てくれて、内臓の出血による嘔吐だと。。
呼吸も荒くなってるし、血圧も下がってるので週単位でお別れの日が来ると告げられました。
直ぐに家族を呼んで兄弟と甥っ子みんなで見守りました。
ずっと目を見開いてたのは、苦しかったのかもしれません。
私は夜の11時半頃に着替えを取りにマンションに戻りました。
30分くらい離れてしまいした。
実家に向かってる車でダメやアカン!の電話が来て、母ちゃん待ってお願い待って!!
って叫び、着いたら開いてた目はうっすら閉じてて…。
でもまだ目がビクッと動いた気がして。。
母ちゃん起きて!!と叫んだけど起きてくれませんでした。
覚悟してたつもりだったけど、ぜんぜん覚悟出来てなかった。
私だけ最期を看取れなかった。
着替えを取りに行った事を悔やんでも悔やみきれなかった。
シャットの社長ララのママが、先生には生きてる姿を残したかったんだと思いますって言ってくださって、その言葉に救われました。
最期は両手をグッと下に伸ばして大きく息を吐いて安らかに眠りについたと。。
いつもの優しい母の寝顔になりました。
文字数オーバーにつき
続きはすぐにあげさせて頂きます。