≠ | 曽川沙也伽

曽川沙也伽

記憶と感情を創っては吐いてるだけ。


普通というものは
何の根拠もないものであって
 
物事とかそのものひとつひとつにおいての
定義とか規則とかやらも
ある人から見ればそれはきっと
ごくあたりまえ且つ
ルールであり人生とかであって
第三者から産み出された理由とか過程とか想像とか彩りなんかには目もくれずに
黒は、黒でしかないと堅い脳みそが信号を送ってるか
もしくは信号なんてもんは送られていなくて
経験したことが"あっただけ"なのに
それが勝手に口が覚えてて他人に突き刺していたりもする。

言葉にすると端から見れば
何度そのことが起きて
どれくらいの重さで
なんていうのかは全くわからないのに、
あたかも何度もそれを経験して
乗り越えてきたかの様な捉え方もできる。
言葉とはすごく単純だからこそ
尖らせたり、時にやわらかかったり
刺したり、埋めたりすることができるけれど


言葉とか行動の裏側にある(心理的な裏側ではない)
表面を辿っていけばやらかいところに着いた
という表現がとても近しい感じがするけれど、
例えるならば口の中の上の部分を
舌でなぞって奥までいくと、ふにふにする感じ。

そういう何にも守られてない
やわらかい情景を感じたり
言葉で包まれたりっていうのを愛して、
気付くことができることがあったりもする。
自分もそういう生身なままでいれるかなんて
そういう訳でもないけれど。


痛そうで弱そうで
見えないことの方が多いから
それはきっと大切な人にしか
見せちゃいけないし
所詮相手も中途半端なら気付かない




距離感というのは本当に難しくて
時にめんどくさくて
とてつもなくややこしいけど
今年はなるべくまっさらのままでいて
その中で築いていきたいと。

そこから削るならばきっとそれは
傷ではなくて意味のある跡として
記憶される気がする























おわり。

正月ボケを薄めてゆこうねそろそろ。