私には

両親と兄、姉がいます

父は亡くなっていて

母、兄、姉とも

今は

会うことも

連絡をとることも

あまりありませんが

大切な存在です


あ、でも

父とは

今も

結構

頻繁に

連絡を取り合って

会いに行っています


え?!


おはようございます

カネコです


父は

私には

とてもやさしく

ほとんど

怒られたこともなく

末っ子らしく

私は

育てられました


その教育方針が

仇となったのか

若い頃

ダンサーとして

とにかく

何がなんでも

成功を収めるために

今思えば

とんでもない

無茶をしていて


「ダンサーとして成功するためだから」


とのたまう私に対して


「その前に人間だろ?」


と父は諭しました

甘やかされて育ち

当時

激情型だった私は

もちろん

大反発を起こすわけですが

年々

その言葉の意味、重みを

感じます


ほんと、そうよねーねー


人として大事な事ってあるよねーえー?


本当嫌よね、逆ギレってえー?


あの時

私の大反発を

黙って聞いていた

父でしたが

今思えば

あの沈黙にも

深い意味があった

ということでしょう


“自分で気づきなさい”と


当時は

言い負かした

自分は正しい

そう思っていたと

思います


愚かな話です


人外だった私には

到底

気づくことは

できませんでした


父は

もう亡くなっているので

叶いませんが

もし

まだ生きていたら

低反発まくらでも

送っていたことと

思います


あ、

今度会う時に渡そか


え?!



母は

女性特有の

感情豊かな人で

芸術が好きな人です


私が

プロのダンサーになろうと思う

と伝えた時に

反対されると思いきや


「そう言うと思った」


と反対するどころか

“待ってました”と

言わんばかりでした


芸術好きが

幸いしたのでしょうか

すんなりと

ダンスを始められたのは

本当に

ありがたかったです


一方で

母の

ありあまる

豊かな感受性は

逆に

自分の意に

そぐわない時は

激情となり

まさに

烈火の如く

襲いかかります


そ、そんなこともあって

恥ずかしながら

実は

今は

母とは疎遠になってます


あれ?

父の

あの時の沈黙は

このせいだったんとちがうか?


アタシ

もしかして

あの時

父に

烈火の如く

襲いかかってた!?


ち、血は争えないのか、、アセアセ


お、お父さん、ごめんなさいぼけー


母には

なにとぞ

元気で

暮らしていて

ほしいものです🙏



兄は
6つ上で
この人を
怒らせれる人いるんかな
というくらい
温厚な人で
幼い頃
私は
兄のことが大好きで
いつも
遊んでもらっていました
兄が
大学進学のため
家を出ることが
決まった時
兄のいない生活は
想像するに堪えず
私は絶望し
もう生きていけないとすら
思っていました

まあ
楽しく
生きていけたんですけどね

稚児の戯言でしたね怒り


ダンサーになりたての頃
燕尾服を作る資金に
困っていた私に
兄は
あっけにとられるくらい
すんなりと
お金を工面してくれました

あれ、返してないんだよな、たぶんアセアセ

温厚だから
踏み倒しても大丈夫かな、
烈火の如く襲いかかって来ないかな、、
そしたら
逆ギレして
烈火の如く襲いかかったろか、、、

お父さん、天国で泣いてるかな、、、

コホン、、

姉は
今現在は
温厚な人なのですが
若い頃は
角しかないほどに
尖りに尖っていて
いつ
烈火の如く
襲いかかってくるかわからない
そんな雰囲気を
醸し出していて
私にとって
近寄りがたい存在でした

今のご主人と出会ってからでしょうか
いつの間にやら
温厚スタイルに
キャラ変していて
今では
家族の橋渡し役を
してくれています

母と疎遠な私には
とても
ありがたい存在です


ダンスを踊れる身体に
産んで育ててくれて
ダンスを踊れる環境を
サポートしてくれた
両親、兄、姉へ
この場を借りて
感謝します


ありがとう

烈火の如くねー

謎のお墓をトライアングルに囲む陣形ゲラゲラ

後ろ、お父さんじゃないよ、お兄ちゃんだよ!!



大学入学時 ロン毛ゲラゲラ



昨年、姉一家とひらめき