いよいよ

引退記念特別ブログ

コーチャーへの感謝編the lastは

もちろん

長谷波陽子先生です


おはようございます

カネコです


20年近く前

大学を

法スレスレの

手を駆使して

5年かけて

卒業した私は

ダンスのプロになりたい

と思いつつも

一般企業へ

就職することとなります


その勤務地は大阪


日々の勤務の中

ここで

何十年も働くのかと思うと

恐ろしくなり


オフィスのフロアで

上司に踊らされるくらいなら

ダンスのフロアで

自分の足で踊ろう


そう決意し

会社を辞めることにしました


決めたのは

ちょうど

オフィスの

階段の

2階と3階の間だったかな


“踊り場”


はい?


勤務期間

ジャスト6ヶ月

有給休暇も

使い切ったよウインク


そこから

何のツテもない

大阪の地で

ダンスを再開することと

なりました


なぜか

この時

何かの縁で来た

大阪で

やってみようと

思ったのです


今思えば

その後の出会いを

予感していたのかもしれません


そして

大阪の街で

根無草で

野良猫同然だった

私を

拾ってくれたのが

陽子先生でした


土砂降りの

明け方のミナミで

酒に溺れ

ギャンブルに敗れた

私は

道頓堀のほとりで

倒れていました

借金を返すアテもなく

きっと

追っ手もそこまで来ている

もうこのまま

死んでしまってもいいかな

薄れゆく意識の中で

ゆっくりと

眼を閉じようとすると

私の前に

現れたのが、、


そう


陽子先生でした


ずぶ濡れの私に

傘を差し


「あんさん、こないな所で寝とったら、風邪ひくで」


と言って

私を連れて、、、




てのは嘘でゲラゲラ


トントン拍子で

パートナーも決まり

教室勤務も

決まりました


なんで

こんなこと

書いてもうたんや

ウチ

疲れてんのかな

引退ショックで


その数年後

DANCE TEAM YOKOの

オープニングスタッフとして

10数年

それから

教室を引き継いで

今に至ります


何度も

ダンスを

投げ出そうとしても

いや

実際

投げ出したこともありましたアセアセ

それでも

陽子先生は

いつも

最後は

止めてくれました


もうやめると

飛び出した私を

探して

向いのホーム

路地裏の窓

こんなところにいるはずもないのに


と、とにかく

こうして

無事に

引退を迎えられたのは

陽子先生のおかげです


陽子先生は

私が自信を失くしても

自暴自棄になっても

いつでも

私のダンスを認めてくれて

そして

私以上に

私のダンスを

信じてくれた

私のダンスの

最大の理解者でした



それなのに

陽子先生のレッスンでは

あまり

いや

全然

言うことを

聞かない

生徒でしたね


よく言えば

陽子先生は

自分の本音の本音を

ぶつけられる

唯一のコーチャーでした


そして

陽子先生は

それをすべて

受け止めてくれました


だけど

引退を決めてからのレッスンでは

陽子先生の

言うことを

きちんと聞いて踊ろう

そう心に決めていました


自分のダンスを

信じてくれる

コーチャーを

信じなくて

どうする、と


そしたら

ちゃんと

良い踊りが

出来るもんですねウインク


もう少し早くから

言うことを聞いてたら

もっと

成績出ていたかもしれませんねねー


引退してからも

言うこと聞くかは

わかりませんがしょんぼり

今後とも

どうぞよろしくお願いいたします


陽子先生の元で

ダンスができて

ラストダンスを

見ていただけて

本当によかったです


これは嘘じゃありません


本当にありがとうございました


おおきに

左手もう少し後ろって言われそう、、、