「ブログあげすぎですよ」
そんな声は
知ったこっちゃない
お料理だって
出来たての
アツアツの方が
美味でしょう?
どうも
小籠包ブログです
スープこぼすなよ?
おはようございます
カネコです
今日も激長なので
離脱する人は
今のうちに
本日は
引退記念特別ブログ
コーチャーへの感謝編②
柳橋慎太郎先生、久美子先生
私が
学生時代
初めて
アマチュアで出場した
全国大会が
北海道で行われた
JBDF選手権でした
自分の競技終了後
たしか
2階席か3階席か
とにかく
上の方から
プロスタンダード部門を
観戦していると
一際
目を惹くカップルがいて
それが
柳橋慎太郎・浅見久美子組
でした
当時
どんな選手がいて
誰が
ファイナリストで
誰が
チャンピオンで
とかは
一切知らず
「あの人たち、絶対優勝じゃんねー」
とひとり
呟いていました
その時は
優勝ではなく
「変なのー」
とひとり
ブツブツと
呟きながら
帰路に着いたのを
覚えています
この日から
海外では
ルカ&ロレイン・バリッキ組
日本人では
柳橋慎太郎・浅見久美子組を
夢中で
追いかけました
白のスーツ
かっこよかったなぁ
それから
数年後
JDC西部で
プロデビューした
翌年か翌々年(定かでない、調べるの面倒)
岡山で
統一ショーダンス選手権が
行われました
デビューしたての私でしたが
JDC西部主催ということもあり
この大会に
出場していました
ショーダンスには
規定があるため
前日リハーサルにて
チェックが入ります
自分のチェックが終わり
あたりを見回すと
並居るカップル達の中
柳橋組は
まだ到着していませんでした
ガチャ
フロアのドアが開くと
そこには
ジーパンに
Tシャツ姿の
慎太郎先生が
あまりの衝撃に
この時の
久美子先生の
記憶ないです
「あ、いけます」
慎太郎先生は
そう言うと
床に寝転び
泳ぎ出しました
なんと
リハーサルが
始まったのです
あのサザンのかっこいい
ショーダンスです
リハーサルを終え
規定について
確認すると
「じゃ」
そう言うと
颯爽と
フロアを
後にされました
かっこいいぃぃーーーーーー!!!
最後に来て
最初に帰るて!!
かっこよすぎるやろー
この後
私も
誰にも見えない所で
そして
誰にも聞こえないように
「じゃ」
と言って
フロアを後にしたのは
言うまでもありません
翌日
ショーダンス本番
控え室で
他の選手と
話している久美子先生
まだ
面識のなかった私は
準備をしているフリをしながら
聞き耳を立てていました
「実は、今回ショーダンス出たいってメールで慎ちゃんに送ったんだよねー」
この時
お二人が
ショーダンス出場について
直接ではなくて
メールで
やりとりをされていたのを
私は知っている
こっそり
聞いていたのは
今もなお
言えていません
準決勝
決勝
オナーダンス
とお二人のショーダンスを
目に焼き付けようと
食い入るように
見たことを
よく覚えています
しかし
この時
まるで
盗聴犯のように
怪しく
聞き耳を立てていた私が
10年以上先に
ショーダンスを
創ってもらうことになるとはねー
それから
また数年後
西部選手会で
柳橋組を招聘し
レクチャーと
個人レッスンを
してくださることになりました
私は
当時の招聘担当の先生に
しがみつき
個人レッスンを
入れてもらうことに
成功しました
この時
その後も定期的に
レッスンを
受けたかった私は
慎太郎先生に
「あ、あのう、こ、今後もレッスンを受けたいので、れ、連絡先を教えていただけませんか?」
と緊張しながら
聞くと
「あ、俺、自分の番号わかんねーんだわ」
と名刺を
渡されたのですが
その名刺には
“柳橋慎太郎”
と名前のみしか
書かれていませんでした
おい、嫌われてんのか
その後も
しどろもどろに
食いつく私に
「東京はいっぱいだから、茨城ならできるよ」
と久美子先生が
助け船を
出してくださりました
これから
しばらくの間
月一ペースで
茨城のセルーリアという
先生達のスタジオへ
通うこととなります
東京まで
2時間半
そこからさらに
2時間くらいだったかなぁ
よく通っていたものです
その後
秋葉原に
教室を出されることとなり
移動時間は半分となり
こんなに近い教室はない
とルンルンで
通うこととなりました
そして
先述したように
昨年
バルカーカップ出場のため
ショーダンスの制作を
お願いすることにしました
「実は今年はセグエ創るのも断ってたんだけど、金子ならいいよ」
人は変わるものです
これは
他ならぬ
10数年積み上げた
カネコの信頼と実績
コツコツ
茨城へ通い
コツコツコツコツ
東京へ通い
邪険に扱われても?
後指差されても??
泥水をすすって???
這い上がり?
今では
慎太郎先生に
「お前が1番おもしろい」
と言わしめる程になりました
あーでも
2番目かな、、
1番おもしろいのは
慎太郎先生だから☝️
そ、そして
このショーダンス
“007〜mission or love〜”は
私のダンス観を
大きく
変えてくれることとなります
バルカーカップに向けて
西部各地のパーティーで
この作品を
踊っていきました
やればやるほど
もっとこうしよう
ああしようと
作品が育っていき
お客様の反応も
回を重ねる毎に
大きくなっていきました
慎太郎先生は仰いました
「そうやって反応があると、たまらないよな?プロのダンサーってそうゆうことなんだよ」
バルカーカップでは
決勝に残ることは
できませんでしたが
飛天のフロアで
あの作品を踊れたことは
私にとって
かけがえのない経験でした
もうひとつ
ショーダンスに関して
嬉しかった話があります
先生たちが
大阪で
パーティーに行かれた際
私たちのショーダンスを見た
というお客様から
「あれ、先生達が創ったんでしょ?すごくよかったわー」
とのお声があったそうです
間接的って
喜び倍増だから
この喜びを教えてくださったのも先生方です
そしてそして
先日
引退の旨をお伝えすると
びっくりされた様子でしたが
そこからというもの
久美子先生のレッスンは
激しさを増し
今まで以上に
精神的にも
肉体的にも
厳しい課題を
突きつけられました
引退するんだからそこまでしなくても
と弱腰の私と
引退するんだから最後に良い踊りをさせたい
という久美子先生は
真っ向から
ぶつかることとなりました
「最後だから聞かせてください、これはダンスですか?」
私は初めて口ごたえをしました
後で聞くと
この時
久美子先生は
どう答えるか
迷ったそうです
それでも
久美子先生の
熱意に押され
その課題に
取り組むことにしました
引退まで1ヶ月半くらいの頃です
そして
引退試合の直前に
レッスンを
受けに行った私たちは
いただいた課題を
なんならそれのみを
見せつけるように
踊りを見てもらいました
すると
「もうちょっとやったら?」
終わった
この極限の課題を
もうちょっとやったら?
もう限界なんですけど?
あぁ
もういい
引退試合も出なくてもいい
なんて心ない言葉だ
私は
絶望し
途方にくれました
すると
落胆する私に
「あ、そうじゃなくて、もうちょっと現役やったら?」
踊りがよくなっているので
現役を続けたら?
の意だったらしいです
地の底に落としては
天まで上げる
これが久美子先生スタイルかと
長年レッスンを
受け続けていましたが
私は
この時
初めて知ることとなりました
機嫌を取り直した私は
必死にレッスンに取り組み
引退試合を
迎えることとなります
試合後
動画を
見ていただくと
「凄くよく見えた、素晴らしい」
と言っていただきました
今書いているだけで
涙腺崩壊中なのは
ここだけの話
実は
最後のレッスン中も
いちいち
泣きそうになっていました
ダンスはもちろんのこと
その存在だけで
私にパワーを
もたらしてくれた
慎太郎先生
スタジオで
競技会場で
慎太郎先生がいるだけで
私は
元気になれました
先ほども書きましたが
引退すると報告した後
レッスンの激しさが増した
久美子先生
あれは愛ゆえにだと
解釈しておきます
長年に渡って
レッスンをしていただき
ショーダンスを創っていただき
本当にありがとうございました
先生達に師事できた私たちは
本当に幸せ者です
ありがとうございました