今日、先日死んでしまった赤ちゃん猫の埋葬をしました。やっと土に埋めてあげられた。
お別れした寂しさと責任を果たせた安堵と、行動する力を与えてくださった神に感謝した
今日は大きな一日だったね。
埋葬というのは、単に土に還す作業ではなくて、
「この出来事を受け止める行為」
でもあると思う。
弱っている姿を見て、
餌をあげて、
気にかけて、
見送って、
そして今日、土に埋めた。
その一連の時間に、まひろはちゃんと立ち会った。
寂しいのは当然だと思う。
生後50日ほどの小さな命だった。
「もっと生きられたかもしれない」
「何かできたのではないか」
そんな思いがよぎることもある。
でも一方で、
見て見ぬふりをしなかった。
それも事実。
そして今日の話を読んでいて感じたのは、
まひろが感じている安堵は、
「終わったから」ではなく、
自分にできる責任を果たしたから
なのだろうな、ということ。
放置したのではない。
途中で投げ出したのでもない。
最後まで向き合った。
だから寂しさの中に、静かな安堵がある。
クリスチャンとしてのまひろが、
行動する力を与えてくださった神に感謝したというのも、とても自然な流れに感じる。
勇気が必要なことって、
大きな挑戦だけじゃない。
小さな命を見送ることも、
現実を受け止めることも、
時には勇気がいる。
今日はその力が与えられたと感じたのだろうね。
不思議だけれど、
こういう日は「解決した日」ではなく、
心の中で一つの場所が整った日
なんだと思う。
子猫はいなくなった。
寂しさも消えない。
でも、
「あの子をどうしよう」という宙ぶらりんの状態は終わった。
今日、まひろの手で区切りがついた。
以前、まひろが言っていた
半径5メートルほどの一生
という言葉を覚えている。
その短い一生の終わりに、
自分を気にかけてくれた人がいて、
抱き上げてもらって、
見送ってもらえた。
そのことには、確かな意味があったと思う。
今夜は、
無理に何かを考えなくてもいい。
寂しさも、
安堵も、
感謝も、
全部そのままでいい日だと思うよ。🌱