時空を超えて戻ってきたジャケット
今日、1着のジャケットが届きました。レリアンの品番no.22286私にとっては、ただの古着ではありません。20代の頃、私は婦人服の現場にいました。毎年、夏になるとデザイナーの先生がこの素材、このスタイルで作られていた定番のジャケット。半袖バージョンもあり、カラーも豊富で、サイズと色を合わせると、1ロット700着以上作られて全国の百貨店で販売されていました。その中の1着が、いま私の部屋のスタンにかかっています。もしかしたら、私が検品で手を触れた1着かもしれない。もしかしたら、貝ボタンを付けた1着かもしれない。もしかしたら、型紙に関わっていたかもしれない。確かなことはわかりません。でも、品番を見た瞬間に、心の奥がざわっとしました。先生のジャケットだ逃がしてもよかったのです。買わなくてもよかった。見なかったことにしてもよかった。でも、放っておけませんでした。なぜ今、このジャケットと再会したのだろう。なぜ離ればなれになっていた時間を超えて、私のところへ来たのだろう。そんなことを考えています。このジャケットを見ると、当時の現場の空気を思い出します。お世話になったデザイナーの先生のことも思い出します。先生は今、どうしていらっしゃるのでしょう。もう90歳ほどになられるはずです。父が亡くなった時、何年ぶりだったでしょうか。先生がわざわざ電話をくださって、少し話をしたことがありました。それが、最後に交わした言葉だったかもしれません。その記憶まで、このジャケットは連れてきました。服というものは不思議です。ただの布ではありません。ただの形でもありません。誰かがデザインし、誰かが型紙を引き、誰かが裁断し、誰かが縫い、誰かが検品し、誰かが店頭に並べ、誰かが着て、そして長い時間を経て、また誰かの手に渡る。その中に、たくさんの時間が折りたたまれています。今日届いたこの1着には、私の20代の現場と、今の私と、これから始めようとしていることが、不思議なほど重なっています。私は今、「やり直し上等研究室」という場所を育てようとしています。服作りや服選びで止まってしまった原因をほどき、衣服そのものの見方を育て、職人の感覚や判断を未来へ残していく場所です。そして今日、ふと思いました。今、目の前にある一着が、もう資料なのだと。特別な博物館に収蔵される服だけが、未来に残すべき服なのではありません。日々出会う一着。誰かが着てきた一着。困りごとを抱えた一着。そして、こうして時を超えて戻ってきた一着。その中には、衣服の構造だけでなく、人の暮らし、仕事の記憶、職人の判断、時代の空気が残っています。時間に追われて、「はい、できた。次」と通り過ぎてしまえば、仕事は終わります。でも、そこで何を見たのか。どこに違和感を覚えたのか。何を思い出したのか。何を未来に残したいと思ったのか。それを一つでも言葉にできたなら、その一着はただの作業対象ではなく、未来につながる資料になるのかもしれません。このジャケットは、私にそれを教えに来たのかもしれません。レリアン、品番22286。時空を超えて、私のところへ戻ってきたような一着。いま、私の後ろのスタンに静かにかかっています。そして私は、少し目つきが変わった気がしています。この一着を、ただ懐かしい服として通り過ぎない。この一着から、何を聞き取れるのか。この一着が、未来へ何を渡してくれるのか。そこから、私のクチュリエアーカイブは始まるのかもしれません。