同じダンサーネームの阿部ようこさんと

昔【YO-COyo-co】というチームで【シャレ】でショーケースに出てた頃を知ってる人います?w


ようこさんは最初は知らない人だったのですが、同じダンサーネームだなぁ、、、。小文字だなー。

って思ってたら、向こうも同じこと思っていたらしく、共通の知り合いが私たちを引き合わせてくれました。


そんなひょんな出会いから、だんだん仲良くなって、私のプロデュースする舞台の振り付けをお願いしたのをきっかけにさらに接近。

何年かかけて仕事で出会ったけど親友になりました。


今回もその時のノリで


YO-COだけに45歳ですってダジャレで笑いを取ろうと思ったmy birthdayでした。


誰も笑ってくれなくて、まじめに祝ってくれた

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ダンスを仕事にすると決めた日に、今日が見えていたかというと全く見えてなかったよね。

当然。


そもそも、10代小学生の時なんて、先の事なんて何も考えられず、ただただ空想にひたってた。

TV見てても、「この曲誰のなんだろう?」

今みたいにShazamでピッ!と検索できる時代じゃなかったから、


TV局に電話する

「この時間にかかってた曲名教えてほしいんですけど、、、」


で教えてもらった曲をメモって、駅前のCDショップ行ってお小遣いで買ったり、レンタルショップ行って借りてきたりしたのが


【喜多郎】だったり【ナットキングコール】だったりする。


今考えると変わった小学生だった笑い泣き

聞いてる曲、壮大すぎ(笑)


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もちろん、ジャニーズとかもちゃんと聞いたし、コンサートとかも行ったし、学校では体育は苦手で優等生タイプ。友達ともたくさん遊んだ。



中学生になると、この自分の中の二つのベクトルがさらに加速して成長していく。


ダンスをもっともっとやりたくて週4回ニヤリ本番前はもっとになったし

優等生にも拍車がかかって学級委員長とかになる。

そして新たにもう一つのベクトルの芽が生まれる。


ま、それはまた別の機会に書くとしますねおねがい





今となっては、こうしてみんなと踊れてる毎日に

ありがとうしかないです。

自由に動いてくれる自分の体にも

ありがとうしかない。


そこへもってきて、出会う人が増えれば増えるほど

やりたい事も増えて、あの時と同じように

今でも「これやりたい、あれもやりたい」ばっかり。


そんなわがままを支えてくださってる皆様


これからもどうぞよろしくお願いします❤️