respect Seiko Matsuda and 80s pops -25ページ目

respect Seiko Matsuda and 80s pops

旅行、音楽、最近は松田聖子を尊敬するブログ



福岡県の筑後地方の城に興味があって柳川市と近隣を訪問しましたが 内容は城跡と寺社が中心です。



本丸跡付近は石垣が残るものの私立学校の敷地に囲まれていて車も入れません大型バスも入れる駐車場がありそこに長時間預けました。 福岡県柳川市本城町58-7 0944-72-3040 柳川パーキングセンター



過去に訪問されたことがある人も多いかもしれませんが、高速のインター、国道バイパス、有明海沿岸道路などもできており再訪されると新たな発見があるかもしれません。







柳川城跡にいくまえに観光案内所にいって、天守の模型を見学しました。










 松岡修造さんは城跡に建つ高校のテニス部に所属されていましたが、松田聖子さんのファンだと告白したそうです。聖子さんのご先祖 蒲池鑑盛がここの城をつくったと書いてあって 不思議な気持ちになります。




   日吉神社に参拝後に堀端の歩道を散策するのが最も楽しく城内を見学する方法かもしれません。柳川の城は蒲池氏、龍造寺氏、立花氏、田中氏、立花氏と何度も城主が交代しています。



田中吉政公銅像 日吉神社近くの堀端にあるのですが徒歩で見学できます。



立花氏の第十七代の方が運営する料亭御花と史料館が観光客にとっては中心なのですが今回は他の城跡を多数訪問するので時間の都合で次回訪問時に見学することになりました。



日吉神社 鎌倉時代に勧請され蒲池氏が柳川城を築いてからは柳川総鎮守といわれるそうです。



三柱神社 戸次道雪、立花宗茂、道雪の娘、宗茂の妻の誾千代がおまつりされていて流鏑馬も行われる参道は荘厳な雰囲気でした。




福厳寺 立花氏菩提寺で藩政時代の歴代の霊廟があります。



本光寺 蒲池鑑盛の孫の代に蒲池家供養のため開かれた寺院で蒲池氏の関連の墓が多数あるそうです。



良清寺 立花宗茂の妻誾千代の菩提寺で、蒲池鑑盛の孫の代に開かれた寺院です。立花宗茂は養子でしたが子供が出来なかったせいか、柳川では誾千代とは別居していたそうです。 松田聖子さんの直接の祖先もこのお寺の関係で、蒲池孜さんの葬儀もこちらでおこなわれ聖子さんも参列されたとのことです。誾千代の墓所等は要予約だそうで時間の都合で拝観できませんでした。





瑞松院 立花宗茂の側室の菩提寺ですが正室の菩提寺と向かい合っているのがポイントだそうで、これに関してさまざまな言い伝えがあるそうです。



玉樹院 立花宗茂の側室長泉院の菩提寺です。



天叟寺 立花宗茂の実父高橋紹運の菩提寺です。



 


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オノ・ヨーコさん の祖父の屋敷跡


 外国人には有名な場所で、日本人の方が知らない場所だそうです。ここを訪れるためだけに柳川市に来る外国人もいるとのこと。道が細くたどりつくまで迷う方も多いそうで堀端を徒歩でゆっくり見学されることをお勧めします。中学校からみて堀に北西方向にかかっている橋をわたりレ○パレスの住宅を探すとすぐみつかるかもしれません。






歴史については素人なので文がおかしい点があるかと思いますが、その辺はご容赦願います。




よみがえる日本の城 (20) (歴史群像シリーズ)/学研

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蒲池城周辺




蒲池城周辺 今夏柳川城を訪問したのですが、柳川城は城主が蒲池氏、龍造寺氏、立花氏、田中氏、立花氏と複数かわっていて、最初の城主の蒲池氏が柳川に移るまえの城に行ってみました。
蒲池城は柳川中心部から見ると北にあり、博多駅から車で訪れたので順番的には先に蒲池城、次に柳川城と訪問しています。



NaviTimeさんで検索しルートは博多駅~鳥栖~佐賀県の東背振インターから南下する方法を選択しています、このルートは筑後川を越え平野を南下し、田園地帯を走りぬける、田舎が好きな人には都会とは全く違う気分を味わうことができる楽しい車窓が味わえます。 むかし訪問されたことがある方にも、おすすめで新しいバイパスができていたり、高速のインターが増えていたり、有明海沿岸道路ができていたり、新たな発見があるかと思います。


新道の赤線中心あたりが蒲池城跡




 






 写真の蒲池駅は城跡からはかなりはなれていますが、名前が気になったので訪問しました。





 目的地は柳川市の北部で市境にちかいところです、昔の国道は細くて旅行で訪問された方で走った方は少ないとおもいますが、国道のバイパスが一年前にできたばかりでした。ぴかぴかの道でそれまでに比べて交通の便が良くなったとのことです。



 国道(385)バイパスの新しい信号 蒲池城跡 の付近が城跡の中心だそうです。


 そこから国道を南下すると 東蒲池 の信号があり、すぐ南には有明海沿岸道路という高架道路が完成しつつあるとのことです。福岡県福岡市からはじまる国道の終点が柳川市の 蓮蒲池 という交差点でした。バイパスとは別に昔からある国道も見学しましたが  西蒲池 西蒲池北 という城郭と同じ地名を含む信号がありました。




蒲池城跡



東蒲池



蓮蒲池



西蒲池



西蒲池北







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城跡中心部 青い標識の東西に神社や寺があります



 城跡には昭和60年頃たてられた石碑がありました。この石碑のある場所ですが、一般の住宅の敷地隣にあって実際に人が住んでいました。





石碑





 石碑の周辺 写真の高い電柱の左下付近が石碑があります。高低差がないため普通の人にはどこが城跡だったのか判別できないほど民家が点在しています。





城址から南方を眺めるとまもなく開通の自動車専用道が建設中でした。





戦国時代中期まではこのあたりが蒲池氏の拠点であったそうです。


周辺の道、畑、田と堀の形からかつての条理田が想像できます。




長寿院



崇久寺



崇久寺内の墓碑



三島神社




浄光院跡の公園





神社に行く途中面白そうな名前の窯業の看板がありましたが、江戸時代は、 柳川藩の御用窯 であったのですが一旦途絶えて、その後に再興したとのことです。







長寿院散策中に気になる名前のお菓子屋さんを発見。





蒲池城は石垣等の遺構がのこっておらず、お寺と神社等をみただけでしたが柳川市の調査ではこの辺りは貝塚が多くあったそうで、同市で人が暮らし始めた最も古い地区だったとのことです。まだ解明されていない事も多いらしく教育委員会の調査等、今後あらたな展開があるかもしれません。




崇久寺付近の挿絵




蒲池城の説明




歴史については素人なので文がおかしい点があるかと思いますが、その辺はご容赦願います。


筑後争乱記―蒲池一族の興亡/海鳥社

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松田聖子さん関連 柳川市を訪問して博多駅に帰る途中についてのブログです。写真で修正が必要なものが多々あり編集都合上、タイトル順番が前後しています。写真は市のホームページの交通案内です

 

あちこちの神社を参拝したときに、筑後国一之宮が「高良山」にあって、是非ともお参りした方がいいと聞き 柳川市から国道経由で久留米市方面に北上しましたが、

その神社に行く途中に神社に似た名前の場所を発見しました。

 

地理的には筑後川と筑後平野があってその東方の耳納山系に連なる丘陵がこの地名で、国道は丘を南北に縦貫する位置関係で、勾配がある道沿いに気になるバス停を発見しました。有名人が利用していたバス停だそうです。

 

 

バスを待っていた人に聞くと、近くに遺跡!があるとのことで興味がわいたのでさっそく寄り道して見学しました。

たしかに公園とその隣に古墳があり、千数百年前のふるいものですが、案内板ではさらにこの古墳から近い場所に他の古墳の痕跡があるとのことでさらに見学しました。

 他の古墳をさがしている時に病院を発見。敷地の隣は勾配が急でこの付近は古墳の斜面にあたるのかと想像しました。ちなみにある有名人の方もここで誕生されたとのことです。

 

 

 古墳公園の敷地には、老人憩いの家、コミュニティーセンターなどが位置しています。道路を挟んだ敷地には公立保育園がありました。

古墳のすぐ前の道路脇が池になっていて散歩すると楽しそうです。

 このちかくに工場があり大型車が通り道はかなり狭く感じます。喉が渇いたので信号前のセブンイレブンでお茶を買おうとしたところ八女茶のシュークリームを発見しました。

 

鉄道の踏切の向こうにある公立小学校も古墳の跡で古くは前方後円墳があったそうです。学校は静かな住宅地にありますが良い雰囲気で確かに昔の古墳があってもおかしくないなとおもいました。


 古墳の南に公立中学校があり、この中学校の付近も古墳の跡地らしいのですが、学校の敷地は平坦になっているため、古墳の境界がよくわかりませんでした。テニスコートからの練習音とセミの鳴き声が印象的でした。

 

よくみると学校の敷地は周辺の住宅よりも若干高そうです。

 この角度で見るとたしかに学校の敷地が周辺より高く勾配があるのが確認でき、古墳の跡の雰囲気があります。

 

すぐ南方には川があって、筑後平野の田園風景がひろがり、高架をものすごい速度で電車が走り去っていました。

 

ちかくで農作業をしている方にききましたが、古墳について詳しいことはわからないとのことです。川の方から見ると公立中学校周辺敷地が丘のように高くなっています。学校下の敷地が売却に出されていました。この辺に住むと古墳の雰囲気が味わえるかもしれません。

古墳周辺を歩いている途中に素敵な門を発見しました、校内に無断で立入れないため部活の先生の退勤時間だったため事情を話して一瞬だけ写真をとらせてもらっています。

 

学校の創立50周年記念に卒業生の方が寄贈されたそうです銘板には元柳川城主の子孫の方のお名前が刻まれていました。


古墳見学で相当時間をとられて帰りの時間が気になったので出来て数年のバイパスを経由して高良山へ直行するはずだったのですが、

 喉が渇いたので食料品店でお茶とお菓子を買ったところ、おしゃれな建物を発見しました。私立学園で有名な歌手の方も通われていたとのことです。

 


高良山は大型バスでも神社まで行けるようにむかしにくらべて道が広くなったとのことです。

 

 

中世の柳川城主の先祖もこの神社がご縁で結婚されたそうです。最近では有名な歌手の方もこの神社で初詣をされたとのことで、筑後地方を訪問された方には是非とも参詣をお勧めしたいです。

 

筑後川、筑後平野をみわたせる展望台があるのですがこの時期工事中で入れませんでした

 


駐車場の茶屋で冷たいものを食べた時に少しだけ流域の風景が見えました。戦国時代はいろんなひとがこの山に布陣しており、当時もこんなふうに筑後平野を眺めていたと考えると不思議な気分になります

 


高良山を下山後はバイパス経由で数分で久留米インターに出れます。九州道に乗れば博多までほぼ一直線でした。※連休の繁忙期、レンタカーで乗捨の方なら久留米駅、新鳥栖、鳥栖から電車に乗り換え時間を短縮される方もいるようです。

 

わたしは別の目的(立花氏史跡関連)があったので高速経由で博多まで移動しました。  歴史については素人なので文がおかしい点があるかと思いますが、その辺はご容赦願います。

 

不動産屋さんの看板ですが写真の一番下の部分が今回の古墳の付近となります。

本の紹介です

 

大村雅朗の軌跡 1951-1997 梶田昌史、田渕浩久 ディスクユニオン

松本隆さんをはじめ、当時ご一緒に仕事をされた方が、大村さんの没後20年にあたって貴重な証言をされていました。

ねたばれになるので、多くはかけませんが松本さんの証言はすでにwikiにもあがっておりました。

 

松本さんに弟のように可愛がられ松田聖子さんからは兄のように慕われた大村さんの人柄を後世につたえる貴重な本と言えます。読んでいる途中何度もなきました。

 

 

 

 

本の紹介です。

 1984年の歌謡曲 スージー鈴木 イースト出版

 わたしはこの1984という年に特に興味があってよんで見ました。この時代に青春を送った人はもちろん生まれていなかった人にもおすすめできる一冊です。
 

 

 

 

 野球で有名な甲子園は、1924年竣工ですが、十干十二支の甲子で60年に一回の縁起の良い年で甲子園という名がついたそうです。それから60年後1984が本書のテーマとなった年で昭和59年、日本人の寿命が世界一になったと言われた年です。平成が始まる約5年前でこの時代が良いとか悪いとかでなく、先入観なしに、見つめて振り返れる内容です。

 後半の歌謡曲、ニューミュージックからシティポップ、Jポップに至る流れのところがとくに興味をそそられます。巻末にはこの年のMVPが独断で選ばれており、曲の好き嫌いはともかく、その分析が読んでいて飽きません。