3月20日にかがわ国際会議場で開催された瀬戸内国際芸術祭シンポジウムに参加してきた。この主たる目的は現代アートというジャンルで地域づくりを行って、地域再生を行っていこうという発想をさぐるためである。以前、金沢21世紀美術館の館長がかかれた書籍を紹介したが、「文化が経済をつくる」という、新たな地域像、世界観が生まれないかと考えている志向に興味をもっていた。


そんな中で、金沢21世紀美術館とともに芸術によるまちづくりで有名な直島のベネッセアートと香川県とが組んで、島おこしに現代アートをつかうというプロジェクトを立ち上げて来年の7月から3ヶ月間ほどさまざまなイベントを行うと言うことで、この日はそのプロジェクトの概要がわかるそうであるので、「讃岐うどん」を食べるのを兼ねて参加してきた。



井の中の蛙、大海を知りたい!-瀬戸内国際芸術祭


シンポジウムを聞いてみてわかったことだが、これは新潟県の越後妻有で行われている「大地の芸術祭」を、瀬戸内海の島で行おうという発想であるようだ。「瀬戸内海から世界を変えること」を目指すこのプロジェクトは、民俗学の巨星である宮本常一氏や日本史学の巨星である網野善彦氏が生きていればきっと喜んだに違いないだろう。最初は香川県付近だがもっと瀬戸内海の島にどんどん広げていこうと取り組みにしていきたいそうだ。


シンポジウムには、愛媛県宇和島市在住のアーティスト大竹伸朗氏も参加されており、こういうまちづくりに対して大竹氏は興味がなくて作品づくりに没頭されているのかと思っていたが、意外にも(失礼)、大竹氏の話には自分の作品づくりを通して町づくりに協力するというプロフェッシャルさが伝わってくる発言が多かった。


また、勉強になったのは直島のベネッセアートミュージアムを運営している福武財団の福武総一郎理事長の話がとてもおもしろく、ある意味に置いて挑戦的なプロジェクトであることが伺えた。「芸術文化で町の再興したところはあるが、過疎の村が芸術文化で再生したところはないのが、瀬戸内はきっとそのモデルとなる」とは氏のプロジェクトに対する意気込みの言葉であり、経済ベースの現代社会に対する警鐘と、地域づくりへの可能性をとなえ、個人主義の究極であるアメリカ発の同時世界恐慌はある意味において、個人資本主義、経済が文化をつくる時代が誤りだったこと、経済は文化の下僕なのだというをあらためて証明したことを述べられていた。


そして、その後のシンポジウムのさまざまな議論の中で参考になるべき意見があった。


・一人ひとりが幸せになっても幸せになれない。人はいい地域にいないと幸せになれない。

・いい地域とは人生の達人であるお年寄りの良い笑顔がある地域である。

・これまでの社会は若者向けの社会であり(その象徴が東京=興奮、刺激、競争しかない)、これからの社会はお年寄りがいい笑顔の町にすることだ。


次に、現代アートというものをどのように地域の人たちと作り上げていくのかということについて議論もあり、現代アートという、日本人にとって一般的にわかりにくいものをどう克服するかという懸念に対しても、アーティストの側から真正面から挑む姿勢が伺えた。


・芸術家が大上段にかまえて作品をつくるのではない

・地域を訪れて地域の人たちとつくる

・里山や島に入って創作活動をしたいという若者を一緒につれていくことにより、新しい地域づくりへの風をおこしたい

・自分のやりたいことをやってそれでなおかつ人から愛されるものを目指す


つまり、創作活動そのもの(島のさまざまな場所に現代アートを展示していく取り組み)が、交流人口の増大につながる新たな地域づくりへの胎動であり、イベントをつくりあげていく行程を重要視していることがわかる。また、単に現代アートのみをするのではなく、このイベントでは「島×生活×現代アート」ということで、島の生活文化を踏まえたプロジェクトも同時に実施し、現代アートだけではないものになっていること、「あるものを残し、ないものを創る」ことが最大の特徴である。


そして、なぜ「瀬戸内海の島」でやるのかという議論についても、大地の芸術祭はひとつの博覧会を一箇所に集めて展示するのではなく、効率への挑戦であり、同じくこのプロジェクトも同様にわざわざ島巡りをしてまわらないとわからないようにしていることに意義があり、そこにドラマが生まれることがある。そして四国には88箇所霊場という、非効率の頂点にあるようなものが歴史文化として根付いていることからということも背景にあるという指摘がなされた。


その他、展示作品のひとつに、島の銭湯を大竹伸朗さんがつくるということで、なぜ銭湯だったのかという議論がおもしろく、福武氏の発言がたいへん勉強になったので紹介しておこう。


・島には高齢者が多く、お風呂の支度をするのが大変。

・島のコミュニティの場として機能ができるのではないか。

・銭湯といえば裸であるから、ある意味エロ的な要素もある。エロさは生命力の源でもある(笑)

・ただ、銭湯をつくるだけなら大竹さんに依頼したりしない。ただの銭湯なら利用者は住民のみであるが、大竹伸朗がつくった世界にここにしかない銭湯であれば、外からの交流が生まれる。コミュニティ+現代アートという構図にして交流人口の増大を意識している。

・銭湯に入ったあとに一杯ひっかけたいという人もおるはずで、すでに銭湯の開設予定地の横に民間の居酒屋ができており、まちづくりへの胎動が生まれている。


単に思いつきで大竹氏に頼んだという氏の指摘であったが、とんでもない。その裏にはしたたかなまちづくりへの戦略が息づいていることが伺えた。


【おまけ】

参考までにシンポジウムの中で、現代アートの作品の味わい方も紹介してもらったので、現代アートに興味のない方、このように鑑賞してみるとよいだろう(‐^▽^‐)


・現代アートは能書きがなく、見る者が感じるものであり、答えは自分自身にある

・私には世界がこのように見えるが、あなたはどう思うか?ということだ。