1973年の出来事😌✨
1973年は私の青春の真っ只中でしたね🤗✨
当然のことながら、懐かしんでこのブログ記事を作りました😌✨
最後まで読んで頂けましたら光栄です🤗✨✨
1月2日
東京・両国の日大講堂で行われたプロボクシング・WBA世界フライ級タイトルマッチで、王者・大場政夫が挑戦者・チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOで破り5度目の防衛に成功。
1月25日
3週間前に5度目の防衛に成功したばかりのWBA世界フライ級王者、大場政夫が首都高速道路の新宿区新小川町付近で交通事故死(享年23)
状況は、カーブを曲がり切れず、中央分離帯を乗り越えて反対車線に飛び出したため大型トラックと正面衝突し、車はトラックの下にめり込み、大破しました💦
現役世界王者のまま夭逝したため「永遠のチャンプ」の称号が与えられています🌟🌟
1月23日
アース製薬が使い捨てゴキブリ駆除器「ごきぶりホイホイ」を発売
当時のゴキブリ捕獲器はプラスチック製で、捕獲したゴキブリを殺す手間や不快感があり、ゴキブリを直接見たくないという消費者の要望がありました。
開発の着想は、アース製薬の当時の社長である大塚正富氏が、とりもちでセミを捕まえた子供の頃の記憶からヒントを得て、粘着剤でゴキブリを捕獲し、箱ごと捨てられる使い捨てタイプの発想が生まれたそうです🧐✨🌟
1月24日
大関・琴櫻が第53代横綱に昇進
※遅咲きの横綱でしたが「猛牛」と異名をとった「ぶちかまし」は迫力ありましたねー🤗✨
第51代横綱・玉の海の急死直後の前々年九州場所以来続いた北の富士のみの“一人横綱状態”は8場所で終止符となりました✨
※北の富士関(左)と玉の海関(右)の両横綱好きだったなぁ〜🤗✨
玉の海関は、第51代横綱として活躍され、27歳という若さで急逝されました。もし存命であれば、北の富士関とのライバル関係がさらに続き、数々の名勝負が生まれたと想像されます。また、病気で引退に追い込まれた大鵬関の最後の土俵入りで太刀持ちを務めるなど、責任感が強く、相撲に真摯に取り組む姿が知られています😔✨
2月1日
浅間山で爆発的噴火が発生。火炎の高さ500m。
1973年の噴火後も、浅間山は小規模な噴火活動を散発的に続けています。
特に、2004年には大規模な噴火が発生しました。
江戸時代中期の天明3年(1783年)、4月から7月初旬(旧暦)まで断続的に活動を続けていた浅間山は、7月8日(旧暦)に大噴火を起こしました。このとき発生した土石なだれにより嬬恋村(旧鎌原村)では一村152戸が飲み込まれて483名が死亡し、群馬県下で1,400名を超す犠牲者を出しています😖
天明3年の浅間山噴火を描いた「夜分大焼之図」
2月14日
為替レート・1ドル=308円の固定相場制から、変動相場制に移行。スタートは、1ドル=277円。
第二次世界大戦後、日本では1ドル=360円の固定相場制が続いてました
ニクソン・ショックにより、1971年8月にアメリカがドルの金への交換停止を発表し、固定相場制が一時的に終了。
スミソニアン協定:1971年12月に1ドル=308円の固定相場制を試みるも、維持できず。
変動相場制へ移行:1973年2月14日に1ドル=277円で変動相場制へ移行しました
2月21日
東京地検、『四畳半襖の下張』著者の野坂昭如らを起訴
四畳半襖の下張事件は、性的描写のある文学作品がわいせつ文書にあたるかどうかが争われた刑事事件です。
この事件は、雑誌『面白半分』に永井荷風の作と伝えられる短編小説「四畳半襖の下張」が掲載されたことが発端です。
雑誌の編集長野坂昭如と社長が、わいせつ文書販売の罪で起訴されました。
永井荷風の原作と言われる「四畳半襖の下張り」をヒントに、神代辰巳が映画化。日活ロマン・ポルノ初期を代表する傑作です✨
2月25日
桜田淳子、『天使も夢みる』で歌手デビュー。
デビュー曲での桜田淳子さんは、初々しい歌声を聞かせ、次のシングル「天使の初恋」では安定感が増し、「わたしの青い鳥」では基本的な歌唱スタイルが確立されていると評されています。
3月
象印マホービンが「エアポット『押すだけ』」を発売。
象印マホービンのエアーポット「押すだけ」は、空気圧を利用した注水機構により、傾けずにプッシュボタンを押すだけで注げる便利さが、圧倒的な好評を博し大ヒットとなりました。
3月20日
熊本地方裁判所、水俣病訴訟で、チッソ水俣工場の廃液が原因であったことを認める判決
1968年9月26日、厚生省は熊本での水俣病の原因がチッソ株式会社水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物であると正式に認定しました。
その後、1973年3月には熊本水俣病患者家族141人、チッソを相手取り、総額16億8,000万円余の慰謝料を熊本地裁に提訴して患者側が勝訴し、チッソから認定患者へ補償金が支払われることになりました。
3月22日
プロ野球・読売ジャイアンツの投手である湯口敏彦が入院先の病院で急死。球団に原因のある自殺と疑われマスコミからバッシング報道を受ける。
湯口敏彦選手は、1970年にドラフト1位で巨人に入団した期待の投手でした。しかし、2年目のシーズン終盤にうつ病の症状が見られ、その後亡くなりました。
湯口選手の死因を巡っては、自殺ではないかという憶測も流れました。
当時の川上哲治監督や球団全体への厳しい批判が展開され、巨人のイメージ低下につながりました。
4月4日
最高裁判所大法廷、1968年に実父からの長年の性的虐待に耐えかねて実父を殺害した女性被告人に対し、尊属殺を一般の殺人罪より重罪とする刑法第200条の規定を違憲と判断したうえで被告人に執行猶予判決を下す。最高裁判所初の違憲判決
尊属殺の規定は、1973年4月4日の最高裁判所判決により違憲とされ、事実上効力を失いました。その後、1995年に刑法から正式に削除されました
4月6日
第45回選抜高等学校野球大会の決勝戦が13時から甲子園球場にて行われ、横浜高校が広島商業を延長11回3-1で破って優勝を決める。優勝投手は永川英植(のちヤクルト)。
この大会開会式直後の北陽との初戦、作新学院江川卓は19三振を奪い完封。ここから甲子園での“怪物伝説”がスタートしています
※私もリアルタイムで観てましたが、当時今の大谷以上の歓声でしたねー![]()
とにかく浮き上がるような直球の速いこと😱😱
動画がありましたので見て下さいね![]()
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4月20日
日本初のプロレス団体『日本プロレス』が興行を停止。
日本プロレスは、力道山が1953年に設立した日本のプロレス団体です。
力道山の死後、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が日本のプロレス界を牽引しましたが‥
アントニオ猪木は1971年に日本プロレスを退団し、新日本プロレスを設立し‥
ジャイアント馬場も1972年7月に退団し、同年9月には全日本プロレスを設立しました。
両エースを失った日本プロレスは、1973年に興行団体としての機能を停止し、同年4月には、力道山の墓前に解散が報告されています
4月29日
英国のリバーシ・ゲームを改良したオセロが日本で発売され、この年のヒット商品になる
オセロは、19世紀後半にイギリスで考案された「リバーシ」というゲームとほぼ同じルールを持っています。日本では明治時代に「源平碁」として紹介され、オセロ発売以前にも商品化されていました。オセロという名称は商標登録されており、ほぼ同じルールのゲームが「リバーシ」や「白黒ゲーム」などの名前で呼ばれることもあります。
5月21日
山口百恵がシングル「としごろ」で歌手デビュー
山口百恵さんのデビュー曲「としごろ」の歌詞は、14歳の少女が初めて恋に目覚め、大人へと変化していく心の揺れ動きが表現されています。
ではお聴き下さい🤗✨
5月23日
シンガーソングライターの吉田拓郎が強姦致傷の容疑で逮捕される。ファンの女子大生が4月18日の金沢公演の夜に吉田に暴行されたと訴えたが、結局女子大生の狂言であることがわかり不起訴となり6月2日に釈放された。
5月30日
大関・輪島が第54代横綱に昇進。初の学生相撲出身横綱となる
黄金の左」と称される左下手投げを得意としていました。幕内優勝は14回を数え、これは歴代7位の記録です。
北の湖関としのぎを削った「輪湖時代」を築いています
引退後はプロレスラーとして活躍しています
※ブッチャーには子供扱いされてますね![]()
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6月4日
この日発売の週刊少年ジャンプ(集英社)にて、広島原爆をテーマとした中沢啓治の漫画「はだしのゲン」の連載が開始。以後、掲載誌を変えながら1985年まで連載が続いています🤗✨
※当時よく読んでましたね〜🤗✨特に「プレイボール」「包丁人味平」は大好きでした✌️✨
「はだしのゲン」は、中沢氏自身の被爆体験に基づいており、広島への原爆投下で家族を失った主人公の中岡ゲンが、たくましく生きる姿を描いています。
6月20日
NHKホール(渋谷区神南)落成。
1973年6月、渋谷のNHKホールが4000人を収容する多目的ホールとして開場🌟✨
『紅白』は、この年の第24回から新しく完成したNHKホールに舞台を移しました🤗✨
ホールは最新の設備で、コンピューターで装置やセットで操作できるようになり、演出上の工夫もこらせるようになり、審査員にその年の話題の人を起用したり、観客が審査員となり、紅組か白組か客席で投票し、日本野鳥の会が、票数を数えるなどの工夫がされました🤗✨
6月23日
自衛隊機乗り逃げ事件。現職自衛官が自衛隊機を盗みそのまま失踪する
この事件では、整備士であった菅野行男3等陸曹が、小型プロペラ機「LM-1連絡機」に無断で搭乗し離陸しました。機体と菅野3等陸曹は行方不明のまま、現在に至るまで発見されていません。
動機に関しては、飲酒後の操縦、操縦士試験に同期の中で唯一落第したことによる自暴自棄などが推測されます😔💦
7月20日
日本赤軍によるドバイ日航機ハイジャック事件発生
日本赤軍らのグループが乗客乗員145人を乗せた日本航空のパリ発アムステルダム経由羽田便をハイジャック😱
アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ、シリアのダマスカスを経て、リビアのベンガジ空港に到着。24日に人質全員を解放した後、機体を爆破しました(ドバイ事件)
※現在も逃走中です😖💦
香港の俳優で、カンフー映画の第一人者として知られたブルース・リーが死亡。
ブルース・リーは1973年7月20日に32歳で亡くなりました。死亡時の公式な死因は、鎮痛剤に対するアレルギー反応による脳の腫れ(脳浮腫)とされていました😅
しかし、約半世紀が経過した現在、新たな死因の可能性が指摘されています😳💦
新たな死因の可能性
水の飲み過ぎ 腎臓疾患の専門誌に「水の飲み過ぎ」による低ナトリウム血症の可能性が報告。
危険因子
慢性的な多量の水分摂取、マリファナの常用、腎臓の水分排出能力を低下させる処方薬の服用が指摘されています😮💨
ブルース・リーは、主演作『燃えよドラゴン』の世界的な公開直前に亡くなり、その死は当時も現在も大きな衝撃を与えました😭
では、「燃えよドラゴン」の名シーンをご覧下さい🤗🌟
※当時私は映画館に5回足を運んでますよ〜😝✌️🌟🌟
8月8日
金大中事件
証言者や物的証拠がほとんど残っていない状況下で真相の究明は困難を極め、朴による指示の有無はともかく、調査は「朴正煕の指示あるいは黙示があった可能性は十分に考えられる」という曖昧な結論で終結してしまいました🧐💦
こうして金大中拉致事件は「未解決事件」の一つとして歴史に刻まれてきたのです😌✨
8月22日
第55回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が時より甲子園球場にて行われ、広島商業が静岡高校に3-2でサヨナラ勝ちし、1956年(第39回)以来16年ぶり5度目の全国制覇。
8月30日
阪神の江夏豊投手が甲子園球場の対中日戦で史上初の延長戦ノーヒットノーラン達成。
延長ノーヒットノーラン
江夏投手は延長11回まで中日打線を無安打に抑え続けました。
これはプロ野球史上唯一の「延長戦でのノーヒットノーラン」です🌟
サヨナラホームラン
延長11回裏、江夏投手は自らのバットでレフトスタンドへサヨナラホームランを放ちました🌟
ノーヒットノーランを自らのサヨナラホームランで決めたのも、江夏投手ただ一人です。
9月25日
開業を4日後に控えた西武百貨店高槻店で火災、6人死亡。原因は警備員による放火。建物の損壊が激しく、開業は1974年11月15日に延期。
西武百貨店高槻店は、その後「オーロラモール」として運営され、2017年10月1日には、そごう・西武からエイチ・ツー・オー リテイリングに経営権が譲渡されました。
そして2019年10月1日には「高槻阪急」へと名称変更され現在に至っています😌✨
11月1日
この年の日本シリーズで巨人がパ・リーグの覇者・南海を4勝1敗で下し、1965年からのセ・リーグペナントレースおよび日本シリーズ9連覇(V9)達成。
この翌年には巨人はセ・リーグ2位に終わり連覇は9で途切れることになります😮💨💦
大阪府千里ニュータウンのスーパーマーケットで、トイレットペーパー売り場に約300人が行列をつくり在庫が売り切れる
以後、同様のパニックが全国的に発生😱✨
オイルショックの影響でトイレットペーパーが不足する」という噂が大阪府の千里ニュータウンで広まり、あるスーパーで行われたセール対象のトイレットペーパーに購入希望者が殺到したことが発端となっています🥴🌟
その状況を毎日新聞が「定価の2倍になった」と誤報したことで不安が全国に広がり、トイレットペーパー以外の日用品へまで買い占めが相次ぎ社会問題化しました😳💦
11月20日
イトーヨーカ堂によりセブン-イレブン(当初の社名はヨークセブン)設立。
1974年5月、東京・豊洲に日本初の本格的なフランチャイズシステムによるコンビニエンスストアとして、セブン-イレブンの記念すべき第1号店がオープンしました🌟
オープン当時の営業時間は店名のとおり午前7時〜午後11時でしたが、翌年の1975年に福島県の虎丸店にて24時間営業を開始🌟
多様化する人々の生活や社会の変化に対応し、存在感を示していきます🧐✨
「あいててよかった」という利便性を追求した結果、1号店の開業からわずか2年にして100店舗を達成。関東を中心に「馴染みのあるコンビニエンスストア」としてその名が知れ渡っていったのです😌✨
11月25日
五島勉が解釈した本、ノストラダムスの大予言が出版される。
空から降ってくるという“恐怖の大王”の正体に、核ミサイルや隕石など様々な憶測が飛び交い、当時の日本人を不安に陥れた書籍ですね😱💦
あの、さくらももこさんの代表作『ちびまる子ちゃん』のなかでも、世間を騒がせたこの大予言が登場しています😆
エピソードタイトルは、ずばり「まる子 ノストラダムスの予言を気にするの巻」。
現実世界同様、まる子のクラスでも「ノストラダムスの大予言」の一説、“1999年に世界が滅亡する”という話題が大流行し、まる子が振り回されていく姿が描かれています😝🌟
当初は予言を信じていなかったまる子だったが、騒然とするクラスメイトたちの姿や予言について取り上げたテレビ番組を目の当たりにし、徐々に「本当に世界が滅亡するのでは」と不安を抱くようになってしまいます😳💦
本来ならば明日のテストに全力投球しなければいけないまる子でしたが、どうせ世界が滅亡してしまうならば……と、なんと1999年まで全力で遊び続けることを決意。
“あと25年もぐうたらできる”と、頑なに現実逃避し続けるまる子を引き戻そうと、家族たちが説得のため奮闘する姿もコミカルです😆😆
世界滅亡に絶望してしまう一方、「どうせ世界が終わるなら」と開き直ってしまう感覚は、当時の大予言ブームを知る方々にとって私も含めて共感できる部分も大きいのではないでしょうか😌✨
11月29日
熊本県熊本市下通の大洋デパートで火災、死者104人、負傷者124名。日本の百貨店火災としては史上最悪の惨事に💦
出火「原因」そのものは不明ですが、死者が100人以上に達する大惨事になった背景には、いくつかの問題が重なっていたとされています💦
🔶防火シャッターや防火設備の不備や作動不良
🔶スプリンクラー設備などの未整備・不十分さ
🔶避難経路のわかりにくさや、避難誘導の遅れ
🔶店内の可燃物が多く、煙が一気に広がったこと
これらが重なり、日本のデパート火災史上最悪規模の犠牲者数になったと振り返られています。
12月14日
愛知県宝飯郡小坂井町で数日前から流れた「豊川信用金庫が倒産する」という内容の事実無根のデマにより、同信用金庫で取り付け騒ぎが発生
当時、女子高校生Aさんが友人Bさん、Cさんに「豊川信用金庫に就職が決まった」という話を電車の中でしていました😌✨
その際、BさんとCさんは
「信用金庫は危ないよ」
と冗談交じりに言いました😳✨
この時の「危ない」は、強盗などが侵入する可能性があるという意味でしたが、Aさんは経済的に不安定なのではないかと勘違いしてしまったのです😅💦
Aさんは親戚にその話を伝え、親戚から友人へと噂はどんどん広まっていきました😵💫💦
同じ頃、豊川信用金庫に120万円を引き出したいという電話がありました。
当時携帯電話は普及していなかったため、店の電話から連絡したようですが、その電話を聞いていた別の客が「倒産するから120万円をおろすのだろう」と思い、自分も慌てて180万円をおろしてしまいまったのです😲💦
こうして噂はどんどん広まり、預金を引き出す人が続出😝
最終的には、アマチュア無線愛好家がこの情報をアマチュア無線で広めてしまい、取り返しのつかないほどの騒ぎになってしまいました😫💦
日付不詳
1970年辺りまでは、若者の街、若者文化の流行の発信地といえば新宿でした😌✨
しかし、この年に渋谷でPARCOの開店があり、日本における若者文化の歴史が大きく変化。その流れは「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」と移り変わっていきました
😊✨
最後まで読んで頂きありがとうございました🙇✨
次回は1973年のエンターテイメントです😊✨
あ楽しみに〜🙏




















































