世界最強軍団を倒したのは蚊🦟
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です‼️
では、今回は蚊にまつわるエピソードをご紹介致します🙇✨
1. 歴史を動かしたエピソード
世界最強の軍隊を倒した蚊
歴史上、最も多くの人間を征服したのは偉大な将軍ではなく蚊(ハマダラカ)だと言われています😱💦
ハマダラカ
アレクサンドロス大王の急死
世界帝国を築いた大王の死因は、蚊が媒介するマラリアだったという説が有力です。
平清盛の怪死
平安時代末期に権勢を誇った平清盛は、体に水をかけると一瞬で湯に変わるほどの高熱(あつちちとて死にけり)で亡くなりました。
これもマラリア(当時は「おこり」と呼ばれた)の症状だったと考えられています。
2. 文学・落語のエピソード:蚊をユーモアに変えた先人たち
日本の伝統文化の中では、蚊はただの害虫ではなく、しばしば笑いや風流の対象として描かれました。
落語『蚊帳(かや)の中』
蚊帳の中に1匹だけ蚊が入ってしまい、それを追い出すために夫婦でああだこうだと言い合う、人間の不器用さを描いた滑稽話です。
一茶の俳句
小林一茶は「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」という句が有名ですが、蚊に対しても
「蚊をひとつ 打ってはナムアミダブツかな」
という、優しさとユーモアが入り混じった句を残しています。
3. 日常の「あるある」エピソード
なぜか耳元を狙ってくる謎誰もが一度は経験する、夜中のあの「ぷ〜ん」という不快な羽音。
これには科学的な理由があります。
耳元に来る理由
蚊は人間が吐き出す二酸化炭素や体温(熱)を察知して近づいてきます。
顔の周りは息(二酸化炭素)が最も濃く、耳の穴は熱がこもりやすいため、結果としてピンポイントで耳元に引き寄せられてしまうのです。
次に、蚊取り線香にまつわるエピソードをご紹介いたします🙇
🔶最初の誕生
最初は「棒状」だった(1890年)
蚊取り線香の生みの親は、金鳥(大日本除虫菊)の創業者である上山英一郎です。
福沢諭吉の紹介でアメリカから「除虫菊」という花の種を譲り受け、これを粉末にしてお線香に練り込んだのが始まりです。
除虫菊
しかし、最初は現在の形ではなく、仏壇に供えるようなまっすぐな「棒状」でした。
これには大きな弱点がありました。
・40分しか持たない
途中で燃え尽きて夜中に蚊に刺される
・煙が少なくて効き目が薄い
同時に2〜3本焚く必要がある
・長くすると自重で折れてしまう
🔶第二の誕生
妻のひらめきで「渦巻き型」へ(1902年)
「もっと長持ちさせる方法はないか」と英一郎が頭を抱えていた1895年の秋、妻のゆきさんが庭で「とぐろを巻いたヘビ」を目撃します。
彼女はそれをヒントに、
「お線香も渦巻き型に丸めれば、場所を取らずに長くできるのでは?」
と夫に提案しました。
このアイデアは見事でしたが、製品化には多くの困難がありました。
1本ずつ手で巻くと、乾燥するときに歪んでちぎれてしまうのです😅💦
それでは、妻のひらめきから始まった渦巻き型蚊取り線香が、世界へ広がっていくまでの驚きの開発裏話を2つご紹介します。
裏話1
職人技が光る!「2本同時」の手巻きマジック
当時の蚊取り線香は、機械ではなくすべて職人たちの手作業で作られていました。
最初は1本ずつ丸めていましたが、乾燥させると縮んで形が歪み、簡単に折れてしまいました。そこで考え出されたのが、「2本をぴったり重ね合わせて、同時に渦巻き状に巻く」
という驚きの方法です。
なぜ2本同時なのか?
2本を絡ませるように巻くことで、乾燥時の歪みをお互いが支え合って防ぐことができたのです。
神業のスピード
熟練の職人(主に地元の女性たち)は、2本のまっすぐな線香の素を手にとると、わずか数秒で美しい渦巻き型に丸めてしまいました。
今でも2本ワンセットの理由
現在売られている蚊取り線香も、2本の渦巻きがぴったり合わさった状態で箱に入っていますよね。
これは、当時の「手巻き製法(ダブルコイル)」の名残なのです。
裏話2
最初は「茶色」だった!緑色に変えられた驚きの理由
実は、明治時代に誕生した最初の蚊取り線香は、現在の緑色ではなく「地味な茶色(ベージュ)」でした。
除虫菊の粉末をそのまま固めると、どうしても木くずのような色になってしまうためです。
これをあえて「緑色」に変えたのは、戦後のことでした。理由は2つあります。
涼しさを演出するため
日本の蒸し暑い夏に、茶色い煙がモクモク出るよりも、爽やかな「葉っぱの緑色」の方が視覚的に涼しさを感じられるという演出です。
高級感を出すため
当時はまだ「着色料(緑色)」が貴重で高価でした。
あえて緑色に染めることで、
「これは効き目の高い上質な製品です」
というブランド力をアピールしたのです。
この狙いは大ヒットし、他社もこぞって緑色を採用したため、「蚊取り線香=緑色」という日本の常識が定着しました。
職人たちの手業と、日本らしい細やかな色彩感覚が、あの小さな渦巻きに詰まっていたのですね。
こうして7年の研究期間を経て、1902年に約6時間燃え続ける
「渦巻き型の蚊取り線香」
が誕生し、日本の夏の風物詩となったのです🤗✨
では、金鳥(大日本除虫菊)のシンボルである「鶏のマーク」には、蚊取り線香の会社なのに、なぜか「蚊」ではなく「ニワトリ」が描かれているのでしょうか🤔💦
このロゴマークが1910年(明治43年)に誕生した背景には、創業者・上山英一郎の熱い決意と、ある「中国の故事」が深く関係しているようです🤗✨
1. 由来はことわざ「鶏口となるも牛後となるなかれ」
英一郎は、中国の歴史書『史記』に登場する
「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ」
という言葉を座右の銘(信条)にしていました。
言葉の意味
「大きな牛の尻尾(お尻の側)にくっついて生きるより、小さくても鶏の頭(リーダー)になって重んじられる方が良い」
という意味です。
当時、世界市場を視察した英一郎は、大国の真似事をする(牛の尻尾になる)のではなく、「自分たちは世界の除虫菊・殺虫剤業界のパイオニア(鶏の頭)として、品質も経営も常にトップを走り続ける存在になるんだ」という強い気概を込め、このニワトリを商標に選んだそうです😌✨
2. なぜ「鶏の頭」だけが大きく描かれているのか?
おなじみのマークをよく見ると、ニワトリの全身ではなく、「頭(カシラ)の部分」が強調されてデザインされています。
これもまさに「鶏の頭(リーダー)になる」というメッセージを視覚的に表現したものです。
さらに、ニワトリの胸のあたりには、創業者の苗字である「上山」の判子を模した四角いロゴが刻み込まれており、商品への絶対的な責任と自信を表しています。
3. 「金鳥(KINCHO)」という名前の秘密
「鶏のマーク」から、のちにブランド名・社名の代名詞となる「金鳥」という言葉も生まれました。
ニワトリという身近で親しみやすい鳥をベースにしながら、
「最高・一番」を意味する「金」の文字を組み合わせることで、世界に誇る日本のトップブランドにするという願いが込められています。
大企業の真似をせず、独自の発想(渦巻き型など)で世界初に挑み続けた金鳥は、まさにこの「鶏口牛後」の精神を体現したエピソードと言えますね😌✨
金鳥のニワトリマークの変遷
実は、あのマークは100年以上の歴史の中で合計7回変更されています。
初期の約20年間に試行錯誤が集中しており、その後は私たちがよく知る「完成されたデザイン」としてほとんど変わっていません。
その歴史的な変遷と、デザインに隠された「違い」をご紹介します。
1. 初期(明治〜大正)
試行錯誤の時代1910(明治43)年に初代のマークが登録されてから、最初の20年間はニワトリの「顔つき」や「リアルさ」が激しく変化しました。
初代(1910年)
現在のものに比べると、非常に写実的(リアル)で少し劇画チックな劇画調のニワトリでした。
目つきも鋭く、どちらかというと「怖い」印象を与えるデザインです。
実はニワトリではなく「闘鶏(トウケイ)」
初期のデザインを見れば分かりますが、描かれているのは普通のニワトリではなく、戦うために飼育される「闘鶏」です。
業界のトップとして他社と戦い、勝ち続けるという創業者の強い意志が、その獰猛な顔つきに表れていました。
2. 戦時中:デザインの「強制的なシンプル化」
昭和に入り戦争が激しくなると、蚊取り線香のパッケージやロゴにも大きな影響が出ました。
色が消えたニワトリ
物資が不足し、印刷に使えるインクの色数が制限されたため、おなじみの鮮やかな赤色や細かいディテールが使えなくなりました。
戦時中のパッケージでは、非常に簡素な黒一色のシルエットに近いニワトリが使われていた時期があります。
3. 戦後〜現在:世界一有名なニワトリの完成
戦後、物資が豊かになると、グラフィックデザインの近代化に合わせて現在のマークへとブラッシュアップされました。
親しみやすさと力強さの融合
初期の「怖さ(闘鶏の鋭さ)」を適度に残しつつも、一般の消費者がひと目で「金鳥だ」と分かるような、すっきりと洗練された赤いニワトリへと落ち着きました。
100年変わらないパッケージの安心感
金鳥の担当者いわく、「初期の20年間で形が完成してからは、意図的にデザインを変えていない」とのことです。
あえて変えないことで、日本人に「夏といえばこのパッケージ」という絶対的な安心感を与えるブランディング戦略となっています。
よく見ると、明治時代の古い看板やレトロな前掛けに描かれているニワトリは、今のニワトリよりもかなり「リアルでいかつい顔」をしています。もし古道具屋などで見かける機会があれば、ぜひ今のマークと見比べてみてくださいね🤗✨
1. 名キャッチコピー「金鳥の夏、日本の夏」の裏側
このフレーズは1970年代に誕生しました。
実は、最初からテレビ用として作られたわけではなく、ラジオCMの「ナレーションの締めくくり」として使われたのが始まりです。
なぜ心に響くのか
「金鳥」という企業名と「日本」という言葉を並べることで、「蚊取り線香を焚くこと=日本の正しい夏の過ごし方である」という強い結びつきを人々の無意識に植え付けました。
あえて「引き算」の美学
テレビCMでは、大爆笑を誘うお笑いコントのような映像が流れたあと、最後に突然、静かなトーンで「金鳥の夏、日本の夏……」とこのナレーションが入ります。
この「動(爆笑)」から「静(情緒)」へのギャップが、視聴者の耳に深く残る計算された演出なのです。
2. ユニークすぎるテレビCMの裏側
金鳥のCMといえば、タレントの美空ひばりさんや郷ひろみさん、美輪明宏さん、藤原竜也さんなど、名だたる大物を起用しながらも、内容は常にシュールでコミカルです。
ここには、金鳥独自の「CM哲学」があります。
裏側①
すべての絵コンテ(設計図)を社長自らがチェックする金鳥のCM制作において、広告代理店から提案された何十本もの企画案を社長や役員たちが1本ずつ徹底的に吟味します。
基準は「他社と同じような、ただ商品を説明するだけのCMになっていないか」。
真面目な会社だからこそ、全力で「面白いエンターテインメント」を追求しているのです。
裏側②
言葉遊びのヒット連発(「タンスにゴン」など)蚊取り線香だけでなく、他商品でも「亭主元気で留守がいい(タンスにゴン)」や「じいちゃん、それ、ちがう(サンポール)」など、流行語になるCMを連発しました。
これらは、日常のリアルな(少し毒のある)人間関係をあえてパロディにすることで、主婦層を中心に強い共感とインパクトを生み出しました。
裏側③
「15秒・30秒のドラマ」にかけるこだわり近年でも、高校生男女の甘酸っぱいけれどどこかシュールな会話が続く「プレシャスシャワー」のCMや、蚊のキャラクターたちが自虐的なセリフを吐くアニメCMなど、SNSでトレンド入りする仕掛けを毎年欠かしません。
真面目にふざける!!
これこそが、100年以上続く老舗企業でありながら、常に若者からも愛され続ける金鳥の強力なブランド力の秘密のようですね🤗✨
最後までありがとうございました🙇





























