1972年に流行った曲😌
1972年シリーズ4️⃣
今回は私にとっても永久保存版となる1972年のヒット曲です🤗✨
最後までお楽しみ下さいね🙇✨
ちあきなおみ
「喝采」
1972年度第14回日本レコード大賞大賞受賞曲
※レコード大賞受賞場面です♪ この曲が発売される前までは「瀬戸の花嫁」が大賞の最有力候補だったということです😌✨発売当時はちあきがデビュー前から兄のように慕っていた若手役者が亡くなったという実体験の話を詞にしたということでしたが、実際には作詞をした吉田旺はちあきのエピソードを知らずにこの詞を書いています😲✨
モップス
「たどりついたらいつも雨ふり」
※鈴木ヒロミツ懐かしい〜😝モップスはこの2年後に解散してボーカルの鈴木ヒロミツは俳優やタレントとして活躍されてます🤗✨1974年の「夜明けの刑事」の刑事役は記憶に残ってますね😌✨2007年(享年60歳)に癌で亡くなっています😌
宮史郎とぴんからトリオ
「女のみち」
※紅白歌合戦に出演した際の映像ですが✨司会の宮田輝さんも懐かしい〜😆 TV番組『8時だョ!全員集合』で、加藤茶の扮するお巡りさんのコントで、登場の際にこの曲を歌いながら出てくるのが通例だったため、(歌詞の内容とは無関係に)子どもたちにも覚えられ、国民的認知度が一層高まったようです😝✨
※ノブ&フッキーのぴんから兄弟は笑えます🤣🤣🤣
小柳ルミ子
「瀬戸の花嫁」
1972年度第14回日本レコード大賞歌唱賞
1972年第3回日本歌謡大賞受賞
※透き通った高音✨歌の上手さが際立ってましたね🤗✨ 瀬戸内海を代表するご当地ソングで、瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われています😌✨
当時子供たちの間で本楽曲のワンフレーズの区切りごとに「瀬戸ワンタン 日暮れ天丼」のように料理名を組み合わせる替え歌が大流行してました🤗
「京のにわか雨」
※この曲好きでしたね〜😌✨
よしだたくろう
「旅の宿」
※ フォークソングの王道の曲調であり、歌詞の内容はタイトル通り旅先の宿での恋人同士の出来事が描かれています😊作詞の岡本おさみが夫人との新婚旅行で青森県十和田市の蔦温泉に宿泊した際に曲想を得たということです😌✨
「結婚しようよ」
天地真理
「ひとりじゃないの」
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽賞
※この楽曲で「第23回NHK紅白歌合戦」に初出場。白のジャケット・パンツルックで紅組のトップバッターを務めています😉✨南沙織・小柳ルミ子が前年からの連続出場を果たし、いわゆる "新三人娘" が初めて揃って出場したのもこの回ででした🤗✨
「虹をわたって」
※天地真理、沢田研二、萩原健一が出演した同名の松竹映画が製作され、劇中で天地真理が同曲を歌唱しています😉✨天地の初の主演映画です✨
翌1973年春開催の、第45回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用されています😊✨
沢田研二
「許されない愛」
1972年度第14回日本レコード大賞歌唱賞
※この「許されない愛」がオリコン最高位4位を記録し、沢田研二のソロとして初のオリコントップ10入りを果たしています😊✨
欧陽菲菲
「雨のエアポート」
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽賞
平浩二
「バス・ストップ」
※平は自分の声にピッタリの楽曲をもらいワクワクしたが、レコーディングでは歌い出しの「♪バスを~」で熱のある指導をされた。スタッフから「この曲は『♪バスを〜』の『を』のファルセットで売れるかどうかが決まるんだ!『を』はこの曲の命なんだぞ!」と注意され、何度か録り直しを重ねたといいます😅✨
千葉紘子
「折鶴」
※この曲大好きですね〜😍今でもカラオケでよく歌われてるようです♪😌✨
小柳ルミ子の1972年8月25日に発売した5枚目のオリジナル・アルバム『京のにわか雨 は‥』に収録され、同時に千葉紘子の3枚目のシングルとして発売されました😊✨
有線で広く世間に知られ人気に火がついて、翌年にかけて徐々に売上を伸ばしてヒット曲となっています😌✨
内山田洋とクール・ファイブ
「恋唄」
※恋唄は、前川清さんの代表曲の一つで、歌詞に「ほんのみじかい夢でも とてもしあわせだった」とあります。切ない恋心を描いた名曲として知られ、多くの人々に愛されている演歌バラードです🤗
山本リンダ
「どうにもとまらない」
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽賞
※1966年のデビュー曲『こまっちゃうナ』以来ヒットに恵まれず低迷していた山本は、この曲を初めて聴いた時「すごくかっこいい、これでダメなら歌手はもうダメ」と泣きながら感じたそうです🤗✨
平田隆夫とセルスターズ
「ハチのムサシは死んだのさ」
※この曲はこの当時の学生運動を示唆した楽曲で、ハチのムサシという1人の青年が国を変えようと国家という太陽に挑戦して焼かれて死んで落ちたという内容だといいます😌✨
五木ひろし
「待っている女」
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽賞
※1976年8月、五木ひろしが演歌歌手として初めてラスベガス公演(アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス・ヒルトンホテルに於いて)を興行した際にオープニングナンバーとして歌唱したのがこの曲だそうです🤗✨
「夜汽車の女」
1972年度第14回日本レコード大賞歌唱賞
※前作「待っている女」に続く“ポップス演歌”第2弾として発売されています🤗✨
石橋正次
「夜明けの停車場」
※歌詞には、夜明けの停車場で別れを告げる情景や、愛していながらも離れていく悲しみなどが描かれています。
昭和の時代カラオケでよく歌ってましたね🤗✨
青い三角定規
「太陽がくれた季節」
1972年度第14回日本レコード大賞
※当時人気青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌で流れてたので学校でも皆んな歌ってましたね🤗
因みにこの曲は1983年以後、音楽教科書にも掲載されているそうです😌✨
南沙織
「ともだち」
※当時ホテル暮らしだった南が「まだ親しいともだちができないの」とまわりのスタッフに話していたことをヒントに有馬三恵子が歌詞を作成したらしいです😊✨
「純潔」
※デビュー前芸名についてCBS・ソニーの社内公募では「南陽子」が1位だったが、作詞家有馬三恵子の「彼女のイメージは陽子じゃなく、沙織じゃないかしら」の一言で「南沙織」に決まっています🤗✨
和田アキ子
「あの鐘を鳴らすのはあなた」
1972年度第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲
※私もリアルタイムで観ていましたが、レコード大賞最優秀歌唱賞受賞発表のとき、和田は感極まりたまたま近くにいた沢田研二の腕を掴み一緒にステージまで行き、歌っている最中も感動の涙でメイクが落ちたことによって「黒い涙」が流れ落ちました😲
和田の号泣ぶりと沢田のオロオロした姿が後にレコード大賞史に残る名シーンでしたね😌✨
また、受賞式ステージで葬儀用の白い菊の花を渡されたことを和田は後で明かしています😆✨
トワ・エ・モワ
「虹と雪のバラード」
※複数歌手による競作となり、トワ・エ・モワ、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、トワ・エ・モワ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツやスクールメイツなどが歌唱しましたが、最終的にトワ・エ・モワ版が定着しています😌✨
橋幸夫
「子連れ狼」
※橋の舞台での演題に「子連れ狼」も取り入れられ、橋は、何回となく拝一刀を演じ、本楽曲について「思い出深い」曲としていました😌✨
私自身橋さんの「潮来笠」「雨の中の二人」「いつでも夢を」は今でもカラオケで歌ってる世代です🤗✨ご冥福をお祈りします🙏
奥村チヨ
「終着駅」
※魅惑的で甘えた雰囲気の歌唱は好きでしたね😍
代表曲「恋の奴隷」が男性に従属的な歌詞だったので、当時は自宅周辺にまで付きまとうファンが多く出現したことで悩まされていたといいます😅✨
麻丘めぐみ
「芽ばえ」
1972年度第14回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞曲
※初レコーディングの際、ディレクターから声が可愛くないとダメ出しされ、その場で泣き出してしい当日のレコーディングはボツになる🥴💦
改めてのレコーディングで、作曲者の筒美京平から「君は高音にさしかかる際、泣き声になるからそれを生かしなさい」とアドバイスを受け、敢えて高めの音域で歌うことを試みると「可愛い声で歌えるじゃん」と、ようやくOKをもらったといいます😌✨
ペドロ&カプリシャス
「別れの朝」
※初代ボーカル前田曜子はこの曲がヒットし激務の中、酒におぼれる毎日も続き、1972年(昭和47年)急性扁桃腺炎となり、8月27日の公演には出られず、8月30日には日本テレビのスタジオで倒れ、9月「ペドロの前野曜子が倒れた」と報道されます😮💨その後事務所との待遇面での不満、「深酒による朝寝坊でグループのスケジュールは狂いっぱなし」などメンバーからの不満もあり、1973年(昭和48年)、ペドロ&カプリシャスを脱退しています😅✨
※二代目ボーカル髙橋真梨子カプリシャス時代の芸名は「高橋まり」の歌唱です♪
郷ひろみ
「男の子女の子」
1972年度第14回日本レコード大賞新人賞
※この映像もレコード大賞新人賞での場面ですね
当時、ジャニーズ事務所は郷の中性的なルックスを前面に押し出して売り込むべく、その魅力を象徴する本曲をデビュー曲に選びました♪
郷ひろみのデビュー時のキャッチフレーズは「フォーリーブスの弟」
新御三家の中で歌手デビューは一番遅かったが、オリコンでのベスト10入りは最初でした🤗✨
野口五郎
「青い日曜日」
※1972年12月31日、『第23回NHK紅白歌合戦』において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されています🤗✨
西城秀樹
「恋する季節」
※「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズを引っさげた、デビュー第1弾の作品です🤗✨
この曲は最初はアイ高野(元ザ・カーナビーツ)の元に送られていましたが、当人が拒否したために改めて西城に送られたものでした😌✨
上條恒彦
「だれかが風の中で」
※『木枯し紋次郎』の主題歌です😊
上條の力強い熱唱と相まっておよそテレビ時代劇には似つかわしくないものでしたが、逆にその新鮮さが幅広い支持を得ることにつながりました😌紋次郎の殺陣はそれまでの時代劇の主人公とは違って泥臭くてカッコよくありませんでしたが、リアルに斬りあう場面はとても斬新でしたねー🤗✨
三善英史
「雨」
1972年度第14回日本レコード大賞新人賞
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽新人賞
※この映像もレコード大賞新人賞の場面ですね
森昌子
「せんせい」
1972年度第14回日本レコード大賞新人賞
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽新人賞
※デビュー当時のキャッチフレーズは「あなたのクラスメート 森昌子」でした🤗✨
当時同世代のアイドルでしたねー😍
「同級生」
※森昌子2曲目のシングルですね✨ 前奏・間奏・後奏の終わり間際に鳴ってる、やや音程が外れたオカリナの音が耳に残ってますね〜🤗✨
ガロ
「学生街の喫茶店」
※翌年「君の誕生日」「ロマンス」が大ヒットして、フォーク歌手には珍しくバラエティ番組に出演してましたが、ヒット曲がなく3年後に解散しました‥その後1986年に日高が自宅近くのマンションから転落死(36歳没)して、2014年には堀内護が65歳で逝去😳現在は、大野のみが活動中です😌✨
チェリッシュ
「ひまわりの小径」
※1968年松崎好孝を中心に名古屋で結成。当初は4人組グループで、1970年に松井悦子が加入して5人組となりました🤗✨ 1972年の3作目のシングル『ひまわりの小径』のレコーディング後、メンバー3人が脱退し、松崎・松井の男女デュオとなっています😳悦っちゃんの歌声好きだなぁ〜😍
あがた森魚
「赤色エレジー」
※作曲者が八洲秀章となっている理由は、曲が八洲の作曲した『あざみの歌』に似ていることからレコード会社側の判断で八洲の作曲と表記したのであって、実際は作曲もあがたが手掛けています🤔当時、あがたはジーパン・下駄履きの小汚いスタイルで歌ってましたね🥴
ビリー・バンバン
「さよならをするために」
1972年第3回日本歌謡大賞放送音楽賞
※1993年にリリースした「さよならをするために (ニュー・ヴァージョン)」が、故郷大分県の三和酒類の焼酎「いいちこ」のコマーシャルソングとして使われていました😌✨
兄の菅原孝(すがわら・たかし)さんは昨年9月11日、肺炎で死去されました✨ご冥福をお祈りします😌
森田健作
「友達よ泣くんじゃない」
※この年の2月まで放送していた森田健作主演学園ドラマ「俺は男だ」の挿入歌です🤗✨当時私も剣道部でドラマと重なるものがありよく観ていましたね😌✨この曲は今でもたまにカラオケで歌いますよ😆✌️
森進一
「波止場町」
※歌詞中には函館・横浜・高松・鹿児島の4つの波止場町が登場します✨
藤圭子、天童よしみなどの歌手がこの曲をカバーしています😌✨
ハニー・ナイツ
「ふりむかないで」
※ライオン「エメロン」のCMソングとして広く知られています。「ふりむかないで」の歌詞は、東京、札幌、仙台、名古屋、大阪、博多など、日本の様々な都市が舞台となっており、各地での具体的な情景描写と振り向いた美女の顔が魅力でした😌✨
アグネス・チャン
「ひなげしの花」
※アグネス・チャンのデビュー曲でモノマネをする際にも多く歌われる(『草原の輝き』と並ぶ)代表曲でもあります😌✨翌年は新人賞受賞、紅白歌合戦にも初出場しています🤗可愛かったですよね〜😍
※では若かりし森昌子のアグネスも含めたモノマネ10連発をお聴き下さいな✨上手すぎる〜😝
藤圭子
「京都から博多まで」
※愛する人を追いかけて旅をする女性の心情を歌い上げています。藤圭子さんのハスキーな歌声と可憐な容姿のギャップが、多くの人々の心を捉えました😌✨
朱里エイコ
「北国行きで」
※とても歌の上手い歌手でしたねー🤗✨それと同時に百万ドルの保険を掛けたと言われた美脚が綺麗でしたね😝✨当時、中学生だった私はテレビ画面に映る朱里エイコさんの脚ばっかり見てましたね〜![]()
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如何でしたか🤗✨
懐かしんで頂けましたか😌✨
次回から1973年について懐かしんでいきましょう♪🤗✨
おしまい🙇
