皆さんは、 
浪花 千栄子
(本名・南口 キクノ)さんをご存知ですか⁉️
名前では分からない人も、
本名の読み
 「なんこう きくの」
に因んで、
オロナイン軟膏
(大塚製薬)
のCMに出演し、日本国中のホーロー看板にも登場した女性と言えば、私より年配者の方はご存知のはずです✴

今月から始まったNHK連続テレビ小説
『おちょやん』
の主人公の竹井千代は苦難の人生を歩みながら、女優として大輪の花を咲かせるのですが、この千代のモデルになったのが浪花千栄子なのです。

2代目渋谷天外とともに松竹新喜劇を立ち上げ、日本映画黄金期にあって溝口健二小津安二郎黒澤明に重用された昭和の名女優である。
「大阪のお母さん」として親しまれた浪花千栄子の足跡をたどってみましょう✴
苦労続きの前半生
「おちょやん」は「小さい」を意味する「おちょぼ」がなまったもの。
転じて、茶屋の使い走りをする少女を指すようになりました。
この座布団を抱えた主人公の竹井千代を演じるのは、
杉咲花
さんです。

杉咲花といえば、2011年に山口智充さんと共演した味の素Cook DoのCMで、回鍋肉を食べる美少女として話題になりました。

そして、2016年、NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』でヒロインの妹・美子を演じ、全国的に名前が知れ渡ることになりました。
※演技力は抜群‼️頑張れ✊‼️

それでは話を続けましょう🎵

浪花千栄子の前半生は、苦労の連続でした。
浪花千栄子こと南口キクノは、1907年(明治40年)に現在の大阪府富田林市で誕生しています。
実母は千栄子が5歳の時に亡くなり、千栄子は小学校に行かずに、養鶏業を営む家の手伝いや3歳下の弟の面倒を見て育ちます。

8歳の時に父が後妻を迎え、その継母に嫌われたため、ほどなくして奉公に出されました。
道頓堀にある仕出し料理店の女中として給金なしで住み込みの生活を送りながら、字を学び、舞台裏から芝居の世界に触れるようになります。

新たな奉公先を経て、京都でカフェーの女給をしていた18歳の時に知人の紹介で
村田栄子一座
に入ります。
間もなく舞台にも立つようになりますが、不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移ります。
その後、市川右太衛門市川百々之助に招かれて帝国キネマにはいり映画出演を続けますが、給与未払いなどもあり映画界から足を洗うことになるのです。

1929年(昭和4年)、松竹傘下の「新潮劇」に参加し、1930年(昭和5年)に、
2代目渋谷天外

曾我廼家十吾

らが旗揚げしていた松竹家庭劇に加わり、同年、2代目天外と結婚します。
しかし、戦後再開した松竹家庭劇では、曾我廼家十吾と対立した渋谷が退団。

1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした
松竹新喜劇
※前列左2人目二代目渋谷天外、3人目曽我廼家十吾、4人目浪花千栄子、後列左2番目藤山寬美。

の看板女優として活躍します。
離婚、そして「大阪のお母さん」
しかし浪花千栄子は、2代目天外と新人女優九重京子との間に子供が生れたのをきっかけに離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団することになります。
※2代目渋谷天外の家族写真、一番左の喜久栄さんが九重京子です。

傷心の千栄子は松竹を退団後、芸能界から身を引き、同業者にとっては行方不明同様になっていましたが、NHK大阪放送局のプロデューサー・富久進次郎が浪花を捜索。

その富久に請われて、NHKラジオの『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演し人気を博しました。
そして、
『お父さんはお人好し』
にも二人で出演、これが長寿番組となり、斎藤寅次郎監督により映画化もされました。

特に『お父さんはお人好し』では、大阪弁とともに浪花千栄子の名前も全国区になったのでした。
また、吉本興業の花菱アチャコと共演したことからもわかるように、社の垣根を超えて大阪を代表する女優になっていたのです。
日本映画黄金期を支える名バイプレイヤーに
1953年(昭和28年)には専属監督・俳優の引き抜き等を禁止する五社協定が調印される中で、フリーでどんな役も演じられる浪花千栄子には、貴重なバイプレイヤーとして多くのオファーが寄せられました。

演技力に定評のある浪花千栄子は、黒澤明小津安二郎木下恵介らに名監督の信頼も厚く、溝口健二監督作
『祇園囃子』
ブルーリボン助演女優賞を受賞しています。

以来、溝口監督や木下恵介監督らに重用されます。
この時期の代表作に、森繁久弥と共演した
『夫婦善哉』

黒澤明の
『蜘蛛巣城』

小津安二郎の
『彼岸花』
などがあります。
京都嵐山の天龍寺内に旅館「竹生」を開き、養女とともに経営。
開業直前には、溝口監督に頼まれて『近松物語』(1954年)で共演する香川京子を旅館に預かり、着物の着こなしや立ち振る舞いを指導しています。

テレビドラマでも
『太閤記』

『細うで繁盛記』
などに出演しています。

晩年は、
オロナイン軟膏(大塚製薬)のCMでも親しまれ、1973年12月22日、消化管出血のため死去。66歳没。没後、勲四等瑞宝章受章。

では、主なキャストをご紹介致します🎵

竹井テルヲ
 演:トータス松本
千代の父。
養鶏で生計を立てていますが、鶏の世話や家事も娘の千代にまかせっきりの駄目な父親。
見えっ張りだが気が弱く、世渡り下手。
しかし、口は達者で女性にはモテる。
千代にとっては、憎みきれないトラブルメーカーであり続けます。
※演じるは、御存じロックバンド「ウルフルズ」のボーカル担当トータス松本さんです✴ガッツだぜ‼️

竹井栗子
演:宮澤エマ
千代の新しい母。
父、テルヲが連れてきた千代の新しい母親。
料理屋の仲居をしていた栗子をテルヲが口説き落としたらしい。
美人で粋な女性だが、テルヲ以上に朝寝坊で、家事もしない。
千代とは次第に対立していきます。
※因みに宮澤エマさんの祖父は、元総理大臣の宮澤喜一氏だそうです✴

岡田シズ
演:篠原涼子
芝居茶屋の女将。
千代が女中奉公することになる芝居茶屋「岡安」を取り仕切る女将。
仕事には大変厳しいが、芝居の街「道頓堀」を深く愛しています。
千代を厳しくも温かく見守り、千代にとってもう一人の母親といえる 存在となっていきます。
※もう47歳だそうですが、私のなかでは篠原涼子20歳の頃、小室哲哉がプロデュースしたこの曲がとても印象的でした🎶

岡田宗助
演:名倉潤
芝居茶屋「岡安」の主人。
シズに一目ぼれし、婿養子として岡田家に入ったため、シズには頭が上がらない。
温和でやさしい性格で、シズや千代を後ろから優しく支えています。
※名倉の嫁さんは、おニャン子クラブ会員番号36番渡辺満里奈✴
彼女はもう49歳、時の流れを感じますね😅

富川菊
演:いしのようこ
ライバル芝居茶屋の女将。
老舗の芝居茶屋「福富」の女将。芝居茶屋「岡安」は「福富」からのれん分けした店である。
そのため、この二つの芝居茶屋はライバル関係にあり、シズと菊はことあるごとに張り合っています。

天海一平
演:成田凌
喜劇界のプリンス。
人気喜劇一座の座長、天海天海の息子。
幼い頃から子役として、いやいや役者をやっていましたが、やがて自分が目指す新しい喜劇を作ることに目覚めていきます。
千代とともに新しく生まれた「鶴亀家庭劇」に参加し、
やがて二人は結婚。二人三脚で奮闘します。
※モテモテの成田凌の元カノは・・

※後の朝ドラヒロイン広瀬すずと戸田恵梨香が2017年当時、成田凌を奪い合っていた⁉️
※しかし、戸田恵梨香とは2018年9月に破局😭💔
その後、戸田は松坂桃李と交際し、先日電撃婚💥
恋多き女優は芝居が上手い‼️

【モデル】
松竹新喜劇を創立した
2代目渋谷天外
楽天会の主宰者、初代渋谷天外の長男として京都市で生まれ、8歳で同劇団で初舞台を踏みます。

父の死去(10歳で死別)後、楽天会は解散。
しばらく舞台から離れますが、1922年(大正11年) 「志賀廼家淡海一座」
に加わり、1923年(大正12年)から、曾我廼家十郎のすすめで劇作にも意欲的に取り組みました。

1928年(昭和3年)、曾我廼家十吾石河薫らと松竹家庭劇を結成し、角座で旗揚げ公演を行います。
翌1929年(昭和4年)、
2代目渋谷天外
を襲名し、全国的に活躍することになります。

1930年、松竹家庭劇の女優の浪花千栄子と結婚
戦後、1946年(昭和21年)松竹家庭劇を脱退し、1948年(昭和23年)
「松竹新喜劇」
を結成し、中座で初公演を行います。

1951年ごろ、新喜劇の新人女優の九重京子との間に子供が生れたのをきっかけに、浪花と離婚し、九重と再婚。

1956年(昭和31年)に十吾は退団しますが、自身の弟子的存在で、以後、人気俳優となる藤山寛美とのコンビ
※この藤山寬美の物語は後日に・・

で人気を呼びます。
その後、看板俳優兼作家として大活躍。
執筆した作品は556篇にのぼり、代表作に「親バカ子バカ」「桂春団治」などがあります。

1965年(昭和40年)、松竹新喜劇の人気が急上昇する中、公演中に倒れ、回復後は麻痺が残るも1967年(昭和42年)舞台に復帰します。

その入院中に寛美が多額の借金問題で当時の(株)松竹新喜劇の勝忠男社長に解雇されています。
1983年(昭和58年)3月18日、逝去。76歳没。

須賀廼家千之助
(すがのや せんのすけ) 演:星田英利
※ほっしゃんは旧芸名、星田英利は本名です✨

喜劇界のアドリブ王。
一平の父、天海天海とともに喜劇一座を率いていましたが、日本で一番面白いのは自分であるとの自負を持っていました。
とっぴな行動で周囲を振り回す破天荒な男。
千代と一平にとっては、師匠であり、ライバルであり、トラブルメーカーでもあります。
※1991年ほっしゃんは「チュッパチャプス」というコンビを組んでおり、吉本興業の若手芸人グループ「吉本天然素材」のメンバーでした✴
※相方(右)は・・誰でしょうか⁉️
なんと宮川大輔さんです‼️
二人とも若💥

【モデル】
喜劇俳優の
曽我廼家十吾
1906年に曾我廼家十郎に再入門し曾我廼家文福と改名、1924年に永井茶釜とのコンビで文福茶釜一座を結成し主に九州一体で活動、1927年に曾我廼家十吾と改名し、翌1928年に松竹家庭劇を設立しました。
1948年には松竹新喜劇の設立に参加。

その後は一度再び松竹家庭劇を結成しますが解散、その後松竹新喜劇にゲスト出演しています。
1974年4月7日、82歳で死去。

大山鶴蔵
演:中村鴈治郎
上方演劇界のドン。
道頓堀の芝居小屋を一手に牛耳る鶴亀株式会社の社長。
冷徹な経営者の顔と、無類の芝居好きの顔を持つ、敵とも味方ともつかぬ大物。
女優の道を歩んでいく千代の転機に大きく関わっていきます。
※42年前に放送された朝ドラ21作目「おていちゃん」1978年に、ヒロインの弟役で出演していました✴

【モデル】
「松竹」の創業者、
白井松次郎
松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。
興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られます。
また上方歌舞伎をはじめ人形浄瑠璃などの古典芸能の保護振興につとめ、その経済的な基盤を支えた面でも功績は大きく、千日土地建物社長、新興キネマ相談役なども務めています。

高城百合子
演:井川遥
千代の憧れの女優。
千代が道頓堀の芝居小屋で目撃して以来、憧れ続けるスター女優。
その美貌と情熱的な演技で観客を魅了する。
芸術のために自由な人生を突き進む姿に、千代は大きな影響を受けます。
※昨年、カバーガール大賞ファッション部門で受賞しています✨
妖艶な44歳ですね🔥

【モデル】
女優の岡田嘉子
1919年、有楽座「カルメン」の端役で初舞台を踏みます。

1921年(大正10年)舞台協会帝劇公演での「出家とその弟子」において一躍新劇のスター女優となります。
映画女優として、日活京都撮影所と契約し、1925年「街の手品師」に主演。
この作品の嘉子の演技は高い評価を得て、続く「大地は微笑む」は日活、松竹、東亜キネマの三社競作となったメロドラマの大作でしたが、嘉子の日活版に軍配が上がり、この年10月の映画女優人気投票でトップとなっています。

1927年、大作映画「椿姫」
のヒロインに抜擢されますが・・
私生活の悩みを抱えそれを相手役の美男俳優竹内良一に相談したところ、衝動的に駆け落ちし失踪します。

新聞は「情死をなす恐れあり」などと書きたて、スキャンダルとして大騒ぎになり、まもなく結婚。
映画界から閉め出されます。1932年(昭和7年)に日活時代の借金を肩代わりするとの条件で松竹蒲田撮影所と契約しますが、栗島すみ子田中絹代川崎弘子ら人気スターの華やかさには及ばず、役にも恵まれませんでした。

1年前から竹内との仲は冷え切り別居状態になっていた1936年(昭和11年)8月、嘉子の舞台を演出したロシア式演技メソッド指導者で、共産主義者の演出家杉本良吉と激しい恋におちます。
過去にプロレタリア運動に関わった杉本は執行猶予中で、召集令状を受ければ刑務所に送られるであろう事を恐れ、ソ連への亡命を決意。
二人は上野駅を出発。北海道を経て翌1938年(昭和13年)1月3日、樺太国境を超えてソ連に越境します。
駆落ち事件として連日新聞に報じられ日本中を驚かせました。

この事件を機に日本では1939年(昭和14年)に特別な理由なく樺太国境に近づくこと等を禁じた国境取締法が制定されたほどです。

しかし、日本を潜在的脅威と見ていた当時のソ連当局は、思想信条に関わらず彼らにスパイの疑いを着せます。

1939年(昭和14年)9月27日、二人に対する裁判がモスクワで行われ、岡田は起訴事実を全面的に認め、自由剥奪10年の刑が言い渡されました。

杉本は容疑を全面的に否認、無罪を主張しましたが、銃殺刑の判決が下され、10月20日、杉本は処刑されました。
岡田は約5年後の1947年12月4日収容先から釈放された後も日本へは帰国はしませんでした。

戦後は、モスクワ放送局(後のロシアの声)に入局。
日本語放送のアナウンサーを務め、11歳下の日本人の同僚で、戦前日活の人気俳優だった滝口新太郎と結婚、穏やかに暮らします。
戦後の1952年(昭和27年)、訪ソした参議院議員の高良とみが嘉子の生存を確認。
1967年(昭和42年)4月に日本のテレビ番組のモスクワからの中継に登場し、またも日本中を驚かせました。
そして、東京都知事の美濃部亮吉ら国を挙げての働き掛けで、1972年(昭和47年)、亡くなった夫の滝口の遺骨を抱いて35年ぶりに帰国。
気丈な彼女もさすがに涙々の帰国記者会見となっています。

その後は映画
「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」

彼女に山田洋次監督は、人生に後悔はつきものじゃないかしらってと言わせます・・
「ああすりゃよかったなあという後悔と、もう一つは、どうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔・・」
この女性の運命を知っている人には、この台詞の強烈な破壊力が存分に伝わりました✴

に出演、「クイズ面白ゼミナール」「徹子の部屋」などのトーク・バラエティ番組にも出演しています。

ソ連でペレストロイカによる改革が始まり、落ち着いて向こうで暮らしたいと再び1986年にソ連へ戻り、以降、死去まで日本へは2度と帰国しませんでした。
1992年、モスクワの病院で死去。89歳没。

山村千鳥
演:若村麻由美
千代の最初の師匠。
京都の小さな芝居小屋で、「山村千鳥一座」
を率いる女座長。
役者の世界に飛び込んだ千代にとって最初の師匠となります。
わがままでクセの強い性格ですが、芝居へのすさまじい情熱で、千代に演じることの基礎をたたきこみます。
※若村さんは、33年前の朝ドラ「はっさい先生」でデビューしています✨
【モデル】
村田栄子
村田栄子は、女優の道に進んで演出家・小山内薫に師事し、松井須磨子の芸術座や武田正憲の新日本劇などを経て一座を立ち上げています。

そして、村田栄子一座が京都の三友劇場を根城にして活動していたとき、浪花千栄子が一座に入ってきました。

その後、浪花千栄子は一気に看板女優へと躍進します。
しかし、村田栄子は癇癪持ちで気性が激しく浪花千栄子に厳しく当たり、千栄子は生傷の絶えない日々を過ごします。
そのような中、千栄子は村田栄子に3階の階段から突き落とされます。
三友劇場の場主は、さすがに可愛そうだと思い、浪花千栄子に映画の「東亜キネマ」
に紹介したのです。


岡田ハナ 
演:宮田圭子
「岡安」の先代の女将でシズの母。
千代や一平のことを気にかけ、時に優しく、時に厳しく助言しながら見守っています。
※2016年の朝ドラ「べっぴんさん」にも女中頭の役で出演しています✨

須賀廼家万太郎
(すがのや まんたろう) 演:板尾創路
「須賀廼家万太郎一座」を率い、ずば抜けた観客動員数を誇る、喜劇王。
大阪だけでなく東京でも人気は抜群で、千代や一平たちは、万太郎を超えることを目標に奮闘することになります。

【モデル】
「喜劇王」「日本のチャップリン」と呼ばれた 
曽我廼家五郎
15歳の時、歌舞伎俳優・中村珊瑚郎の弟子となり中村珊之助として、翌年の1893年浪花座で初舞台を踏みます。

渡欧し欧州の芝居・喜劇を学び、帰国後五郎劇を結成。
1920年頃から社会劇に移行。
1937年自らが選んだ脚本を、三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納。
1938年には両国国技館で横綱の土俵入りのお笑い芝居を演じ、喉頭癌で声が出なくなっても道頓堀中座の舞台に立ち続けました。

日本の近代喜劇の第一人者として、榎本健一古川ロッパら喜劇人の尊敬を集めていました。
死後の1948年12月、中座で松竹新喜劇が結成されています。

天海天海
演:茂山宗彦
天海一平の父。
酒好き、女好きで型破りな性格のため息子からは嫌われていました。
須賀廼家千之助とともに、天海天海一座を率いて、万太郎一座を超えるために格闘しますが、道半ばで倒れます。

【モデル】
初代渋谷天外
明治-大正時代の喜劇俳優。
明治15年生まれ。俄師、鶴屋団十郎に入門し鶴屋団治を名のり、のちに曾我廼家一座を経て、明治40年中島楽翁(らくおう)と喜劇劇団を結成します。
※初代渋谷天外と中島楽翁

天外と改名し二人の名にちなみ楽天会と名づけます。
淡々とした芸風で人気をあつめますが、大正5年12月17日死去。35歳。

小暮真治
演:若葉竜也
鶴亀撮影所の助監督として走り回りながら、いつか監督をしたいと願っています。
撮影所の大部屋女優となったものの、右も左もわからない千代を助けます。千代の初恋の相手?!
※若葉竜也といえば、2008年の「ごくせん第3シリーズ」かな⁉️

【モデル】
映画監督溝口健二
女性映画の巨匠と呼ばれ、サイレント期は下町情緒を下敷きとした作品で声価を高め、戦中・戦後は芸道ものや文芸映画でも独自の境地を作り出しています。

完璧主義ゆえの妥協を許さない演出と、長回しの手法を用いた撮影が特徴的でした。
黒澤明小津安二郎、成瀬巳喜男らと共に国際的に高い評価を受けた監督であり、ヴェネツィア国際映画祭では作品が3年連続で受賞しています。
代表作に
『祇園の姉妹』『西鶴一代女』『雨月物語』など。
日本映画監督協会会員。

片金平八
演:六角精児
鶴亀撮影所の所長、通称カタキン所長。
所長室では、いつもフンドシ姿で空手の型をしています。
普段えらそうに振る舞っていますが、大山鶴蔵社長には頭が上がりません。

【モデル】
日活の所長だった
池永浩久
※『大久保彦左衛門』(1927年)。左から池永浩久、山本嘉一、池田富保監督。
この年12月池永は、日活太秦撮影所を開業し取締役所長に就任。この写真からも伝わりますが、人情家の池永は所員に人気があり名物所長でした。

日本の映画プロデューサー、実業家、元俳優。
日活向島撮影所長を皮切りに撮影所長を歴任し、やがて太秦発声映画を設立、現在の東宝の創成期に関わった人物として知られます。

守屋 
演:三代目渋谷天外
三代目 渋谷 天外は、日本の喜劇俳優。
本名、渋谷 喜作。
旧芸名、初代 渋谷 天笑。 
大阪府出身、現在
「松竹新喜劇」
の代表を務めます。
父は喜劇俳優、劇作家の
二代目 渋谷天外。


ドラマ内での役どころは、鶴亀撮影所の守衛。
特に何をしているというわけではありませんが、撮影所の門をくぐる数多くの女優を見続けています。
女優としての千代を、温かく見守っていきます。


それでは、「おちょやん」の
これまでのあらすじ
をご紹介致します。

第一週
「うちは、かわいそやない」
大正5年。竹井千代(毎田暖乃)は大阪の南河内で、飲んだくれの父テルヲ(トータス松本)と弟ヨシヲと暮らしていました。
千代は口が達者な元気な女の子でしたが、弟や鶏の世話などで忙しく、小学校にも通えずにいました。
そんなとき、テルヲが新しい母親、栗子(宮澤エマ)を連れて帰ります。
これで小学校に通えると喜ぶ千代でしたが、栗子は家事を何もしない。
千代が栗子に次第に反発していく中で、ヨシヲが突然家からいなくなってしまいます。

第二週
「道頓堀、ええとこや〜」
奉公に出された、竹井千代(毎田暖乃)は、道頓堀にある芝居茶屋「岡安」にやってきます。
「岡安」を取り仕切るのは、女将の岡田シズ(篠原涼子)でした。
千代はひと月の間に女中の仕事を覚えるという条件で、女中として働き出します。
ある日、道頓堀に喜劇の天海一座がやってきて、千代はその一座の子役、一平と出会います。
一平は芝居が嫌いで酒飲みの父の天海の事も大嫌いだと話すのです。
そんなとき、天海が突然、亡くなってしまいます。

第三週
「うちのやりたいことて、なんやろ」
大正13年、秋。千代(杉咲花)が道頓堀の芝居茶屋、岡安に来て約8年、まもなく18歳になろうとしていました。
千代は岡安の女将シズ(篠原涼子)に言われ、生まれて初めて自分のやりたいことを考え始めます。
ある日、千代は憧れの女優、高城百合子(井川遥)と再会。
一方、シズもかつて深い因縁のあった歌舞伎役者、早川延四郎と20年ぶりに再会していました。
しかし、二人の仲がうわさとなり、道頓堀に悪い評判が広がってしまいます。

第四週
「どこにも行きとうない」
千代(杉咲花)が芝居茶屋
「岡安」で奉公して8年が経ち、年季が明けた千代は、そのまま岡安で働くことを決めました。
その矢先、父テルヲ(トータス松本)が突然、千代の前に現れ、千代に一緒に暮らそうと持ちかけるのですが、千代は父親を追い返してしまいます。
その頃、天海一平(成田凌)と須賀廼家千之助(星田英利)の天海一座が久しぶりに道頓堀に戻ってきました。
翌日にもテルヲがやってきます。

今度はヨシヲが病気だと言われて千代は迷いますが、実はそれはテルヲの嘘だったのです。

千代の身売りの相談をしているヨシヲを一平が目撃していたのでした。


テルヲをふたたび追い返した日の次の日になって、『岡安』の千代のもとにテルヲの借金取りが男たちを連れてやってきて、千代への嫌がらせが始まったのです・・

 

ここまでが本日までのあらすじです✴

 
せっかくですから、今週分の残りのあらすじを・・


千代はこれ以上『岡安』に迷惑はかけれないと、父親のテルヲが背負った借金の肩代わりとして、自分の身売りを覚悟して店を出ていく決心をしますが・・


その頃、天海一座では千秋楽だというのに座長の須賀廼家千之助は失踪するし、女形の役者も腰を痛めて舞台に立てなくなってしまい、一座は窮地に追い込まれてしまいました。


その時に一平はとっさに芝居好きな千代に目をつけ、有無を言う時間もなく無理やり舞台に引っ張り出します・・


そして、シズは千代に『岡安』に恩返ししたいなら自分が幸せになれと告げ、船で逃がしてやります・・


朝ドラ「おちょやん」の最終回・結末は?


「おちょやん」では、モデルとなる浪花千栄子さんの人生のどこまで描かれるのでしょうか⁉️

彼女は結婚生活破綻後に、芝居の世界から一度は去っていきますが・・
ラジオドラマへの出演をきっかけに、女優として不死鳥のように復活していますので、この辺りまでは描かれるのではないかと思われますね✴

今後の展開に目が離せません👀💦
期待しましょう🎵

本日はこれまで🙇




次回は、
松竹新喜劇と吉本新喜劇について記事にしたいと思います✨