物心ついた頃から大晦日の風物詩として、紅白歌合戦とセットで観ていたものです🎵
今回からシリーズとして、当時の
受賞曲やエピソードをご紹介したいと思います🎶
今回は、レコード大賞の経緯や受賞した大賞曲を中心に見ていきましょう✴
らの主導で作曲家による親睦団体
『日本作曲家協会』
が設立されます。
また、古賀、服部らは、ジャンルを問わずにその年の日本を代表する歌を選出するグランプリを開催することを目指します。
模範としたのは、前年に米国で始まったグラミー賞でした。
しかし古賀らの動きは、共催を申し込んだ社団法人日本蓄音機レコード文化協会(現・日本レコード協会)には断られ、レコード会社はビクター以外の協力は得られませんでした。
テレビ各社はラジオ東京テレビ(現・TBS)のみが賛意を示し、これが縁で、レコード大賞の放送はTBSで行われることになります。
運営委員長を引き受けた古賀は参加者の不安を抑えるために赤字分を個人負担せざるを得ませんでした。
草創期
古賀の自腹によってどうにか開催された第1回レコード大賞で大賞を受賞したのは、ロカビリー系の「黒い花びら」
歌手は本作でデビューの
水原弘
作詞は放送作家の
永六輔
作曲はジャズ奏者として一世を風靡した
中村八大
という、主流の歌謡曲とはかけ離れた組み合わせでした。
後に永六輔は後年、第1回の大賞を権威ある作品ではなく全く無名人の作品にしたことを、
「審査員の良識だったと思う」
と述懐しています。
以降も新ジャンルからの受賞が相次ぎ、受賞曲がヒット、受賞者が売れっ子のヒットメーカーになるにしたがって、日本の音楽界のボーダーレス化が進んでゆきました。
黄金期
1969年、第11回から大晦日の
『NHK紅白歌合戦』
が始まる前の19:00-21:00に本選を開催・生中継する様になり、カラーでの全国放送を開始します。更に会場を帝国劇場に移し、司会には高橋圭三を起用しました。
また伴奏にはストリング・オーケストラ(弦楽合奏団)、各種管打楽器(オーボエ、ホルン、ティンパニなど)、それに合唱団が並び、長洲忠彦が永らく指揮者を務めています。
更に国民的番組であった紅白歌合戦と時間帯が連続することにより、賞のネームバリューが上昇、視聴率も紅白と肩を並べるほどになりました。
衰退期
1980年代には賞レースに左右されない音楽活動を理由に、受賞そのものを辞退する有力アーティストが増えるようになり、賞の権威は低下し始めます。
第27回(1985年)から会場を日本武道館に移し、授賞式の華やかさを増すことでテコ入れを図るも視聴者離れの歯止めが効かず、第28回(1986年)で視聴率が30%を割り込みます。
1989年、紅白歌合戦が放送開始時刻を19時台に引き上げることによって紅白が裏番組になり、この年を境に視聴率は一気に20%を割り込みます。
第32回(1990年)から大賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」に分割し、視聴者による電話投票の導入するなど打開策を講じましたが、大賞のジャンル分けでレコード会社の認識との食い違いが生じるなど問題が生じ、第35回(1993年)で廃止されました。
第36回(1994年)では、大賞を受賞したMr.Childrenが欠席する
という異例の事態になります。
大賞受賞者が欠席したのはこの1回のみです。
第46回(2004年)からは紅白歌合戦や『年忘れにっぽんの歌』の出演でNHKホールや新宿コマ劇場とを移動する出演者への配慮で、会場を新国立劇場に移しましたが、第47回(2005年)には視聴率が過去最低の10.0%を記録します。
また、常連だったスポンサーの多くが降板し、スポンサー枠自体が縮小されることになりました。
第48回(2006年)から裏番組とのバッティングの弊害を解消すべく、開催日を1日繰り上げて12月30日に変更しました。
同時に放送時間を拡大し、過去の受賞曲で構成される事前番組が放送されるようになりました。
過去の同大賞受賞者と曲は次のとおりです🎶
歴代の日本レコード大賞受賞者と受賞曲
第1回 1959年
水原弘 黒い花びら
第2回 1960年
松尾和子、和田弘とマヒナスターズ
誰よりも君を愛す
第3回 1961年
フランク永井 君恋し
第4回 1962年
橋幸夫・吉永小百合
いつでも夢を
第5回 1963年
梓みちよ こんにちは赤ちゃん
第6回 1964年
青山和子 愛と死をみつめて
第7回 1965年
美空ひばり 柔
第8回 1966年
橋幸夫 霧氷
第9回 1967年
ジャッキー吉川とブルー・コメット
ブルー・シャトウ
第10回 1968年
黛ジュン 天使の誘惑
第11回 1969年
佐良直美
いいじゃないの幸せならば
第12回 1970年
菅原洋一 今日でお別れ
第13回 1971年
尾崎紀世彦 また逢う日まで
第14回 1972年
ちあきなおみ 喝采
第15回 1973年
五木ひろし 夜空
第16回 1974年
森進一 襟裳岬
第17回 1975年
布施明 シクラメンのかほり
第18回 1976年
都はるみ 北の宿から
第19回 1977年
沢田研二 勝手にしやがれ
第20回 1978年
ピンク・レディー UFO
第21回 1979年
ジュディ・オング 魅せられて
第22回 1980年
八代亜紀 雨の慕情
第23回 1981年
寺尾聡 ルビーの指環
第24回 1982年
細川たかし 北酒場
第25回 1983年
細川たかし 矢切の渡し
第26回 1984年
五木ひろし 長良川艶歌
第27回 1985年
中森明菜 ミ・アモーレ
第28回 1986年
中森明菜 DESIRE
第29回 1987年
近藤真彦 愚か者
第30回 1988年
光GENJI パラダイス銀河
第31回 1989年
Wink 淋しい熱帯魚
第32回 1990年
堀内孝雄 恋唄綴り(演歌)
B.B.クイーンズ
おどるポンポコリン(ポップス)
第33回 1991年
北島三郎 北の大地(演歌)
KAN 愛は勝つ(ポップス)
第34回 1992年
大月みやこ 白い海峡(演歌)
米米CLUB
君がいるだけで(ポップス)
第35回 1993年
香西かおり 無言坂
第36回 1994年
Mr.Children
innocent world
第37回 1995年
trf Overnight Sensation
第38回 1996年
安室奈美恵
Don’t wanna cry
第39回 1997年
安室奈美恵
CAN YOU CELEBRATE?
第40回 1998年
globe
wanna Be A Dreammaker
第41回 1999年
GLAY Winter again
第42回 2000年
サザンオールスターズ
TSUNAMI
第43回 2001年
浜崎あゆみ Dearest
第44回 2002年
浜崎あゆみ Voyage
第45回 2003年
浜崎あゆみ
No way to say
第46回 2004年
Mr.Children Sign
第47回 2005年
倖田来未 Butterfly
第48回 2006年
氷川きよし 一剣
第49回 2007年
コブクロ 蕾
第50回 2008年
EXILE Ti Amo
第51回 2009年
EXILE Someday
第52回 2010年
EXILE I Wish For You
第53回 2011年
AKB48 フライングゲット
第54回 2012年
AKB48
真夏のSounds good!
第55回 2013年
EXILE
EXILE PRIDE~こんな世界を愛するため~
第56回 2014年
三代目J Soul Brothers
R.Y.U.S.E.I.
第57回 2015回
三代目J Soul Brothers
Unfair World
第58回 2016年
西野カナ
あなたの好きなところ
第59回 2017年
乃木坂46 インフルエンサー
第60回 2018年
乃木坂46 シンクロニシティ
第61回 2019年
Foorin パプリカ
三冠達成者
レコード大賞の主要な賞であるますレコード大賞、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞の3賞をすべて獲得している歌手は以下の5人となっています。
都はるみ
第6回新人賞
アンコ椿は恋の花
第18回大賞
北の宿から
第22回最優秀歌唱賞
大阪しぐれ
細川たかし
第17回最優秀新人賞
心のこり
第24回大賞
北酒場
第26回最優秀歌唱賞
浪花節だよ人生は
北島三郎
第4回新人賞
なみだ船
第28回最優秀歌唱賞
北の漁場
第33回大賞
北の大地
氷川きよし
第42回最優秀新人賞
箱根八里の半次郎
第45回最優秀歌唱賞
白雲の城
第48回大賞
一剣
近藤真彦
第23回最優秀新人賞
ギンギラギンにさりげなく
第29回大賞
愚か者
第52回最優秀歌唱賞
心 ざんばら
たしかに、大賞を受賞したAKB48の
「真夏のSounds good !」
は、累計売上枚数182万枚を数える大ヒットとなり、12年オリコン年間シングルランキングで堂々の1位となっています。
しかし、AKB選抜総選挙の投票権付きなので1人で何枚も購入するため「売上枚数」に違和感を持っている人も多かったのも事実でした😣
それでも、そんなAKBを上回るレコード大賞に相応しい曲がなかった・・・😓
その現実が今の日本の音楽業界だと服部克久氏は言いたかったのだと思います😩
その服部克久氏も先日亡くなりました。享年83歳
次回からは、レコード大賞第1回大会からヒット曲とその年の簡単に世相も見ていきたいと思います🎵
本日はこれまで🙇
今回ご紹介する歌手は・・
















































