歩きはじめた時の記憶はない。1歳過ぎ ていただろうが、歩いた感激も喜びもない。老いた今、「究極の若返りウォーキング」に赤ちゃんの歩き方を真似ている。足指をパッチリ開いて、骨盤をやや前傾させ、少し前のめりでの重心移動。この動作はなかなか理にかなっているのだ。ただし、下手するとちょっと見は、徘徊するボケ老女に間違われるかもしれない。赤ちゃんは上体をやや前傾させ、みぞおちの後ろから次々と足を繰り出す歩行反射が巧みだ。なにしろ一歩踏み出すと次の足も前に繰り出される自動装置が働くのだ。ここがエライ。赤ちゃんは

猫背ではない。赤ちゃんのみぞおちの周りにある太陽神経叢がちゃんと空を見て歩く。その瞳は 歩く喜びそのものだ。 


 赤ちゃんはみぞおちの後ろから長い足が動いて地面を移動し、太陽神経叢が胸を起こし、姿勢も綺麗に進む。「え、みぞおちから足なの」と思う人が多いだろう。一般の人は足と言えば、胴体の下の股関節からと思うかもしれないが、脚を前に運ぶ筋肉はみぞおちの後ろの腰椎から出ているのだ。身体の中にある筋肉なので見えないが、これが長い足の始まりである。赤ちゃんは「大腰筋」歩行の先駆者である。この足が働くと「二足歩行が楽」だし、長い距離も軽々と歩ける。歩いた後疲れない。私は毎日愛用している。この正月も自宅から往復24キロの金御岳という地元の低山に「長い足歩き」を試したところだ。歩くのが楽しくなる奥の手ならぬ「奥の足」が働くから愉快である。  


  厚生労働省が10年ぶりにまとめた「健康づくりのための身体活動の目安」がある。高齢者は一日40分(一日約6000歩)以上、筋トレは週2~3回以上、体操やダンス、ヨガなどもお勧め …これは昨年12月19日の朝日新聞掲載の記事である。日常のちょこまか歩き、だらだら歩きではなく、出来れば15分以上続けて歩く。更に出来れば30~40分続けて歩くと良いのは、二本の足が赤ん坊のころのように交互にリズミカルに働くシステムを復元するからだと私は思う。足本来の機能がよみがえれば身体も心ももっと自由になれる。特に厄介ごとを絶えず抱えがちな脳の気分転換が出来ることだろう。歩く速度は人それぞれの心模様に合わせられるのがいい。気持いいテンポが続けば考えごとも上手くまとまることだろう。金御岳の朝の光、森の匂い、冬枯れした木立のたたずまい、苔むした石垣、光と影、すべてが今を生きている。身体が今生きて、歩いていると思う。今の今を、赤ん坊ではない老婆が歩いてそう思う。