人の筋肉は最後の日まで働き続ける。
呼吸、歩く、食べる、しゃべる、排泄、寝返りを打つなどはすべて筋肉のお陰だ。お天道様と筋肉は、すべての生きとし生ける者の生命力の源になっている。お天道様はいくら有難いと拝んでも、自分でどうこう出来るわけではないが、筋肉は実に好都合である。自分で直に関わって、どんどん良くしていける。誰もが筋肉とは一生離れられない仲なのだ。それこそ今流行の「筋肉の気持に寄り添って」深く、親密に付き合えば「生涯変わることなき味方」になってくれるはずだ。筋肉は嘘つかないと言っている。
 
 筋肉はいくつになっても成長する。
高齢者にも成長出来る未来があるというのはなんという救いだろうか。90歳過ぎても毎日スクワットを欠かさない方が、「今日やらないと明日出来なくなるかもしれないから」と語っていた。若い人にとっての未来と違って、老い先短い高齢者には明日の足腰への仕込みがいる。筋肉の賞味期限を何とか先延ばしする「未来」だ。ただそのスクワットも形だけ、回数だけでは三日坊主になる事が多い。筋肉にも心がある。筋肉が自分から進んで、喜んで、動かないと本当の味方にはなってくれない。身内という親しき仲にも礼儀あり。子育てや人育ての極意と同じだと思う。愛しく育てるには、そのぼやきや呟き、ささやきや言い分を良く聴いてみるのはどうだろうか?一生涯の親友との「本気のつき合い」ならば、筋肉は決して裏切らないと言っている。