先だって古いファイルを整理したら「荒野に叫ぶ」という本のコピーが見つかった。多分20~30年前のものだと思う。著書は雫石とみ。極貧のなかで中学校から土方や日雇い労働で生活を支え、戦後はモク拾いなどの過酷な労働と栄養失調で眼を痛め、婦人収容施設に入る。救いを求めて入った施設で雫石とみは人間性を無視され、地を這う虫ケラのような体験をすることになる。だがここでの体験のなかで、はらわたの煮えくりかえるような怒りや屈辱、胸に湧き上がる悲しさ、悔しさを捨てられる紙やチラシの裏に書き 続けた。施設での日々を赤裸々に綴り、日記をつけ始めてから11年目の55歳の時、労働者の原稿募集に応募して労働大臣賞を受けて、話題になった本である。  


 図書館から借りた後、この本に圧倒されて何故か約300ページある本をせっせとコピーした。何という見事な自己救済、自分育ての歴史だろうか。45歳から書き始めたと言うが、平仮名を思い出すことから始め漢字は拾ってきた

辞書から覚えたという。もちろん独学の自力頼み。「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重苦のヘレンケラーにはサリバン先生がいたが、極貧のとみは自分が自分の厳しい教師となるしかなかった。自分を信じて、自分を励まし、神頼みでなく紙に書く日々が続いたのである。それにはどれほど困難で血の滲むような努力と沢山の試行錯誤があったことだろう。でも一方では筋トレと同じで書く筋力が毎日少しづつ育つ喜びがあったと思う。自分で自分を褒めて、良くなっていく確かな手ごたえが、生きる張り合いだったに違いない。


 神も仏もないこの世の不公平。いつの世も、今後も変わることなく続くかもしれないが、虐げられ、踏みつけられた側もドッコイ黙ってはいない。書くことで自分の頭を育て、心 を磨いて、自分を最高の友達にして書き上げた雫石とみは世間をあった言わせた。貧乏だろうが、不器量だろうが、学歴がなかろうが決して他人の思惑に動じる事のない「自由で誇らしい存在になれる」ということを見事にやりきった。「生きることは書くこと」と後世の日々に自分の言葉を残した雫石とみ。日雇いや土方仕事で働いた私財2800万円を「雫石とみ文芸基金」に寄付し「銀の雫文芸賞」を創設したのである。当の本人は91歳でその生涯を閉じるまで六畳一間の貸家で暮らした。ペンは裏切らなかった。奇跡を起こしたのである。書き始めてからの輝かしい後半生は、書くことで自らを愛し、最も人間らしい「高貴な品性」を実らせていった。近来稀なる女性の一人だと思う。