歩き始めの赤ちゃんは、危なっかしいながらも胸を張って姿勢もいい。愛らしく初々しいその姿から歩く喜びが真直ぐに伝わってくる。

人間の歩行動作は見慣れてしまうと当たり前の事だが、歩くのに片足づつ使う片足バランスの交互操作は大したものである。赤ちゃんは生物界でも最高難度の曲芸のような不自然な二足歩行をしながら、グングン成長する。何時見てもなかなか絶妙な離れ技だと関心してしまう。

 

 

 世界の平均座る時間が5時間。日本人は平均7時間だそうだ。座る時間トップクラスである。座りすぎ大国ニッポン。肩こり、腰痛、便秘や

むくみなどの不調の9割は座り方とまで言う人もいる。座る姿勢はどうしても背もたれに寄りかかる依存癖が出る。「顎だし」「猫背」「へそ折れ」の癖も出やすい。もたれかかりが続くと立つのがどんどん億劫になりがちだ。「座りすぎ病」で筋肉がサボルると内臓の筋肉も右に習え。消化不良、便秘、浅い呼吸などの不調のダブルパンチとくる。改善には「30分に一回は立って少し歩く」を薦めていた。「貧乏ゆすり」もよいそうだ。当たり前の事だが生身の肉体は動かないと廃れる。筋肉は程よい負荷が無ければ強くなりようがない。赤ちゃんの時、進化のはからいで習得した二足歩行の既得権も怠ければ除々に危うくなってしまうのだ。数百万年前から続いてきた一般大衆の歴史に、「座りすぎ病」はない。テレビも車も無い、粗食働きづめの時代には、「少しでも歩かなければ歩けなくなる」などという掛け声も生まれてなかった。

 

 

  「歩かなければ廃れていく」宿命。座りすぎたら、まずは立つ。微妙に左右や前後に揺れる。そこから片足を出し、交互に足を浮かせて歩く。歩くというのは不安定の繰り返しだ。この不安定さが二足歩行の原点である。不安定だからこそ絶えず動かし続けることで、巧妙な二足歩行の練達技術が身につく。歩行の身体感覚も底力も着実に記憶され生き続ける。誰にもこういう歩ける既得権があり、本当は毎日沢山の恩恵を受けているのに、当たり前すぎて、多くの人はあまりこの特権を意識していない。歩行運動というのは無料なので、多分有難みが実感しにくいのだろう。もし筋肉や関節から、多額の使用金額を請求されたら、少しは筋肉を見直すかも知れない。今の時代、何故かタダは人気がない。椅子に依存するように、テレビや車の時代はモノや金に依存する仕掛けが花盛りだ。疲れがとれる椅子とか。腰膝楽々サポーターとか。座りすぎスマホ日本にはいずれ「体幹筋肉AIスーツで格好良く歩こう」なんてCMが流れることだろう。だが赤ちゃんは今日も嬉々として歩いている。最後まで歩きたいと願う高齢者にも「歩ける喜び」という尽きせぬ思いがある。「歩ける底力」を育て来た経験値もタダである。