今年のお盆も運良く生き伸びた。

おまけにダメで元々と始めたブログまで一年続いたから驚いた。恥を捨てれば文を書くのも又楽しからずや。ついでにもう一つ、始めたのが歌声サークル。昔、新宿にあった歌声喫茶「灯」や「山小屋」のロシア民謡や「沖縄を返せ」を歌う仲間を運良く見つけた。長生きもまんざら捨てたものじゃない。なんとこのサークル、会費は無料。お盆に神様からこれまたご褒美が降って来た。こうなったらこのご縁に乗らにゃソンソング。タダの神様の思し召しか、はたまたドツボにはまったのか、老いの血をたぎらせて歌うロシア民謡は俄然闘志がむくむくと湧き上がって来たから、なにかと忙しいお盆になった。

 

 

 ロシア民謡は貧しい農民や労働者、行商人の働く汗と歓喜、嘆きや悲哀がストレートに伝わって来る.。「仕事の歌」は「死んだ親が後に残す宝物はなにぞ、力強く男らしいそれは仕事の歌」だ。働く事の誇らしさがどーんと真ん中に座った人間賛歌である。働く汗には人間の魂が凝縮されている。私にはこのわかりやすさがたまらない。お金ではない豊かに受け継ぐ「不屈の闘志」と「健やかな身体機能」の財産がある。

半世紀前、よく口づずさんだのが「若者よ」だ。「若者よ、体を鍛えておけ、美しい心が逞しい体にからくも、支えられる、その日がいつかは来る、その日のために体を鍛えておけ」である。

今の私にはこの歌がどうしても「年寄りよ、体を鍛えておけ」になる。「革命歌インターナショナル」の「立て飢えたる者よいまぞ日は近し、覚めよ我がはらから暁は来ぬ」は「立て老いたる者よ、今ぞ日は近し」に代わってしまう。

 

 

 「いざ戦わんいざ、奮い立ていざ、ああインターナショナル我等がもの」を声高に勇ましく歌いながら、団塊の世代の一員として、私は老いの未来がどうしても気かかる。今後続々と高齢化するこの世代は「日本人の老い方の実験モデル」になっていくことだろう。

先々高齢者の逞しい身体が美しい心を支えるような日本になるのか、それとも介護難民の溢れる貧しい国になるのかが各人に問われているように思えるのだ。逞しい身体を支える良質な筋肉はどんなに大金を積んでもまだ買うことは出来ない。自ら奮起して運動や働く汗でつくるしかない。今も昔も変わらぬ生命力の根源をとらえた「仕事の歌」は男であれ女であれ人間力を底上げする誇らしい筋肉の躍動するリズムがある。汗と黄金に輝く宝が見えてくる。