宇宙飛行士が地球に戻ってきたら、まずは重力のある世界に慣れるトレーニングだと言う。

宇宙船の中で筋トレをしていても無重力の世界では筋肉や関節のなかにある重力を感知する感覚器は働けない。地球で真直ぐ立つための筋肉を抗重力筋群といい、重力を感知するセンサーが数多く存在している。宇宙飛行士はこの抗重力筋群の感覚再生が必要になる。

地球の暮らしは重力に逆らって立つ、歩く、片足で支える等の巧みなバランス感覚が日々働いている。よちよち歩きの赤ん坊からよぼよぼ歩きに至るまで続く。動くという漢字は二つに分ければ重いと力である。スムーズに動くために頭や腕、胴体の重さを背筋や殿筋や太ももの抗重力筋肉群が絶えずおもんばかって黙々と働いている。ところが慮り(おもんばかり)の苦労もいずれ限界がくる。年と共にこれらの筋肉群が萎縮したり、硬くなったりして弱くなると支えるのもいっぱいいっぱいになる。歩くのが億劫になったり、すぐ疲れたりする。こうなると脚は重りのよう、楽が一番とすぐ座りたくなる。脚の苦労を慮り、分かち合うのか否かの正念場がどの人にもいつか必ずやってくる。

 

 

 姿勢を支える抗重力筋群の中に大腰筋がある。背骨の両脇を走り、上半身と下半身を繋いでいる大事な立役者だ。深層筋なのでお尻の大殿筋のように外からは見えない。高齢者は運動嫌いのままいくと、この筋肉が若い時の半分以下になる事もある。筋肉の衰えを自分では見えない、分からない、もしくは分かりたくないのないないずくしで育児放棄ならぬ、自己放棄すると怖いことになる。腰が曲がり、歩幅は狭くなり、ヨボヨボともたつく。長い時間歩けない。階段は手すりが欠かせないし何でもない所でつまずく。これらは全て抗重力筋群の衰えであり、股間節を動かす大御所の大腰筋と大殿筋の弱りに他ならない。水の中で泳ぐ魚は重力に逆らう筋肉や骨格ではないし、四足動物は四本足のテーブルのように安定力があるが、人間は二本足で不安定がベースだ。実に危なっかしい宿命の地球生命体である。歩くのだって片方づつ使い、片足バランスの交互操作ともいえるし、走るのときたら両足が浮くという離れ技も使う。この不安定を巧みに舵取りしているのが抗重力筋群である。大腰筋、大殿筋はそのなかでも最強、最大のコンビだ。今は走ることも、飛ぶことも放棄した人も、昔育ち盛りの頃は軽やかに弾けて跳ねていたのだ。宇宙飛行士の抗重力筋群感覚受容器の再生リフォームはピンピンコロリの生涯現役歩行のテーマでもある。

 

 

 軽やかに宙を舞うバレリーナ。手足を鞭のようにしなやかに動かし、腕は鳥の翼のよう、脚も羽のよう。重力のある世界で人間離れした最高難度の身体感覚と機能だ。以前バレリーナはお尻に靴を履くイメージで踊るというのを読んだことがある。踊る時股関節で地面を押さえる意識で動くのだと現役の女性が語っていた。バレエの軽やかな脚の運びは体幹と股関節周りの抗重力筋群の究極の美技だったのだ。その時高齢者の脚の運びを少しは軽くするヒントがバレエにあると私は気づいた。あえてお尻を意識して使うことだと。日頃漠然と歩いている人でもお尻を思い、お尻が意識出来て、おもんばかって使う事が出来ればもっと軽やかな歩き方になるだろう。もちろんこの提案は高齢者には無理と始めから受け付けない人がほとんどかもしれないが挑戦する価値はあると思う。自分のお尻という逞しくも愛すべき現物に思いをかけて、思う力で重い身体を軽く美しく運ぶのはさぞや痛快な事ではないだろうか。意識も覚悟もお金はかからなし人にも迷惑はかからない。黙って実行すれば別に他人にも気づかれない。好都合な事にお尻は自分で実物を掴めるし触って確かめることも出来る。スクワットや、片足立ちの時意識や体感でチェックしながら筋トレすればお尻が使えているという思いが育つ。これぞおもんばかりである。わざわざジムに行って機械を使わなくとも自分の重さ、自体重でいいのだ。股関節を動かす抗重力筋筆頭重役の大腰筋、大殿筋、大腿四頭筋の御三家が目覚めて甦えれば、いつでもどこでもわかって自由に身体を使いこなせるようになる。もちろん最後の日まで歩けること請け合いだ。

一たびお尻に火が点けば重力に逆らって次々とその美しい波及効果は導火線のように全身に繫がり、軽くてしなやかな動きが再生される。

この美しい地球という星にはおもんばかりという優れた抗重力筋感覚といつでも真直ぐ立ち上がる、立ち直れる筋肉群の誇りがある。