以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412080000/
・西側メディアの偽報道が押し付けるイメージが世界を破滅へ向かわせる
2024.12.08
※シリアの戦乱は2011年3月から始まった。その翌年の6月、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教は現地を調査、ローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語れば、シリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。西側有力メディアの情報操作を批判したのだ。
クロス大主教も反シリア政府軍の戦闘員はサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)とムスリム同胞団であり、出身国はリビア、レバノン、ペルシャ湾岸諸国、アフガニスタン、トルコなどだと指摘、イスラム教徒とキリスト教徒の間に伝統的に存在した友愛関係を破壊しようとしているとも語っている。
こうした戦闘集団は事実上の傭兵で、雇い主はアメリカ、サイクス・ピコ協定コンビのイギリスやフランス、トルコやカタールといったムスリム同胞団と関係の深い国など。こうした構図は現在のシリアでも基本的に変化していない。
現地の住民を含め、現実を知っている人びとは西側の有力メディアを信頼しなくなっているが、西側諸国では今でもこうしたメディアの流す話を信じている人が少なくない。こうしたメディアは人びとに刷り込まれたイメージをたくみに利用し、彼らが心地よく感じる物語を語るからだろう。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、西側の有力メディアは富豪たちのプロパガンダ機関として機能してきた。例えば、1860年代にニューヨーク・タイムズ紙の主任論説委員を務めたジョン・スウィントンは83年4月12日にニューヨークのトワイライト・クラブで次のように語っている:「アメリカには、田舎町にでもない限り、独立した報道機関など存在しない。君たちはみな奴隷だ。君たちはそれを知っているし、私も知っている。君たちの中で正直な意見を表明する勇気のある人はひとりもいない。もし表明したとしても、それが印刷物に載ることはないことを知っているはずだ。」
第1次世界大戦に参戦したアメリカでは1917年6月に「1917年スパイ活動法」を制定したが、この法律の矛先は当初からスパイだけでなく反戦平和を訴える人びとにも向けられていた。CIAの元オフィサーで内部告発者のジェフリー・スターリングや内部告発を支援する活動をしていたジュリアン・アッサンジに対する攻撃にもこの法律が使われている。
アメリカの場合、1948年頃から情報機関が「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトを開始、ウォーターゲート事件でワシントン・ポスト紙の記者として活躍したカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いている。
その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
それでも1970年代までは気骨あるジャーナリストが活動する余地は存在していたが、1980年代以降、そうした余地は消えていく。規制緩和でメディアの集中支配が容認され、支配者にとって目障りなジャーナリストが排除されていったのだ。
「規制緩和」によってメディアは寡占化が進み、メディアの9割程度が6つのグループに支配されている。つまりCOMCAST(NBCなど)、FOXコーポレーション(FOXグループなど)、ウォルト・ディズニー(ABCなど)、VIACOM(MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、CBSだ。日本では電通をはじめとする巨大広告会社によるメディア支配が指摘されている。
寡占化が進んでいた当時、経営の苦しいメディアになぜ資本を投入するのかと言う人がいたが、大企業にとってメディアの赤字は広報費としては安く、その効果を考えると問題はない。
その一方、ロナルド・レーガン大統領は1983年1月にNSDD11へ署名して「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」がスタートした。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊し、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めた。
こうして強化された言論統制システムは21世紀に入ってからフル稼働状態。シリアなど中東の戦乱だけでなく、ウクライナに対する西側の侵略、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動でも人びとを操るために使われているのだが、「やりすぎ」でシステムが疲労、崩壊の危機にある。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412090000/
・ウクライナで敗北した米/NATOがシリアでアサド体制を倒し、多元社会は窮地
2024.12.09
※イドリブに立てこもっていたイスラム教スンニ派の武装集団ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)がダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権は倒されたようだ。崩壊するスピードの速さに驚いている人が少なくないが、現地からの情報によると、シリア軍が負けたのではなく戦わなかったと見られている。
HTSは11月27日、レバノンでの停戦開始に合わせてシリア軍を奇襲攻撃した。HTSはカタールからの支援で購入した最新の兵器とウクライナのオペレーターが操作する多数のドローンを保有、アレッポを制圧した後、支配地域を広げていると伝えられている。ウクライナ本国ではアメリカ/NATOに支援されたネオ・ナチ政権が風前の灯だが、シリアではロシアにダメージを与えることに成功したと言えるかもしれない。

こうした攻撃の際、シリア軍の一部は戦わずに逃亡したと伝えられているが、2011年からバラク・オバマ政権が始めた侵略戦争の際にもシリア軍は兵士の3分の2は逃げたとされている。シリア軍の大半がスンニ派だということも影響しているのだろう。
HTSが攻撃を始める前、イスラエル軍はレバノンのヒズボラを激しく攻撃するだけでなく、シリアを攻撃していてバシャール・アル・アサド政権を揺さぶっていた。イスラエルはイランも攻撃していたが、イランの現政権はガーセム・ソレイマーニーの「抵抗の枢軸」戦略を放棄したもと言われている。その背後では、アメリカ、イスラエル、イランは秘密協定を結んでいたのではないかと考える人もいる。イスラエルがHTSやその背後にいるトルコと連携している可能性も高い。
ソレイマーニーはイスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われるコッズ軍を指揮していたイラン国民の英雄だが、2020年1月3日にイラクのバグダッド国際空港でアメリカ軍に暗殺された。この暗殺にはイスラエルが協力したと言われている。イラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディによると、その日、ソレイマーニーは緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。
今年5月19日にはエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らを載せたアメリカ製のベル212ヘリコプターがアゼルバイジャンとイランの国境近くで墜落し、全員が死亡したと伝えられている。ダムの落成式に参加した後、タブリーズへ戻る途中だった。濃い霧で視界が悪かったというが、同行していた他のロシア製ヘリコプター2機は問題なく戻った。7月28日から大統領を務めているマスード・ペゼシュキヤーンは親欧米派だと言われている。
植民地化に反対するすべての独立武装グループを支援し、調整するという戦略をソレイマーニーは立てていたが、今のイランはそれを放棄しているようだ。イスラエルがガザやレバノンを攻撃している際、イランはレバノンやパレスチナを支援していたようには見えない。それだけでなく、7月31日にはハマスのイスマイル・ハニヤがテヘランで殺害された。この人物はイスラエルとの交渉で中心的な役割を果たしていた。その後、ハッサン・ナスララを含むヒズボラの指導者が立て続けに暗殺されたが、そうした人物の居場所をイスラエルへ知らせた人物、あるいはグループがイラン政府の中枢にいると見られている。
イギリスの元外交官、クレイグ・ジョン・マレーの推測によると、トルコとペルシャ湾岸諸国はシリアとレバノンのシーア派を根絶し、サラフィ主義者をアラブ世界の東部への展開と引き換えに、パレスチナ国家の消滅と大イスラエルの創設を受け入れた。その結果としてレバノンとシリアのキリスト教コミュニティも終焉を迎えると懸念されている。


アサド体制はスンニ派、シーア派、アラウィー派、キリスト教徒が伝統、文化、宗教を生かして共存できる多元主義国家を維持してきたが、それも終焉を迎える可能性がある。アメリカは中東から多元的な社会を消し去ろうとしている。
イスラエルによるシリア攻撃はヒズボラへの補給にダメージを与えた可能性があるが、ヒズボラへの攻撃はシリアにおけるHTSの軍事作戦を助けたはずだ。
アメリカは傭兵組織を利用し、2011年から15年にかけてもシリアのアサド政権に対する軍事作戦を展開していた。この時は2015年9月末にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、航空兵力でムスリム同胞団やアル・カイダ系武装勢力を攻撃し、アメリカの目論見を潰した。シリアような地域では制空権を誰が握っているかで勝敗は決まる。
今回はロシア軍による空からの攻撃があまり伝えられていない。ウクライナでの戦闘にロシア軍は航空戦力を集中させているため、シリアに割けなかったのか、別の事情でロシア軍が空爆しなかったのか、明確ではない。有効性が確認されているロシア製防空システムの配備が足りなかったことは推測できる。
HTSに反撃するため、イラクからカタイブ・ヒズボラ、ファテミユーン旅団、ハシュド・アル・シャアビなどの戦闘員数万人がシリアへ入り、イランの軍事顧問がシリアに戻るとも伝えられていたが、イラクからの援軍はアメリカ軍の空対地ミサイルで阻止されたと言われている。12月3日にイスラム革命防衛隊の幹部、ジャバド・ガファリがダマスカスへ入ったとも伝えられたが、手遅れだった可能性があり、イランはシリアから撤退しているとも伝えられている。
欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)のウェズリー・クラーク元最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たという。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていた。(3月、10月)
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412120000/
・ソ連と同じように西側を信じてシリアのアサド政権は崩壊したという見方
2024.12.12
※イランでは国政全般にわたる最終決定権を持っている人物は大統領でなく「最高指導者」だ。現在の最高指導者であるアリ・ハメネイ師はシリアのバシャール・アル・アサド政権の崩壊について、アメリカとシオニストが共同して企てたものだと語っている。常識的な見方だと言えるだろう。
シリア側はイランがガーセム・ソレイマーニーが打ち出した「抵抗の枢軸」戦略を放棄したと考え、イランはイスラエルやアメリカと秘密協定を結び、クルドとの関係を修復させようとしているという疑いの声も聞こえてきた。親欧米派のマスード・ペゼシュキヤーンが大統領になったことも不信を高める一因になったかも知れない。アサド政権はトルコも信用できなくなっていたという。
アサド政権を倒したハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)はアル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線を改名した組織で、そのアル・ヌスラはシリアで活動を始める前はAQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。
アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだとイギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは05年7月8日付けガーディアン紙で説明している。その仕組みを作り上げたのがズビグネフ・ブレジンスキーだ。戦闘員はサウジアラビアの協力で集められたが、その中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だった。ちなみに、クックは2005年8月6日、休暇先のスコットランドで散歩中に心臓発作で急死している。
HTSを含むアル・カイダ系武装集団はジハード(聖戦)なる看板を掲げる傭兵で、現在、HTSを雇っているのはトルコ政府だとされているのだが、そもそもアル・カイダの仕組みを作ったのはアメリカ。こうしたジハード傭兵はこれまでイスラム教徒やキリスト教徒を大量殺戮してきたが、イスラエルを攻撃していない。ムスリム同胞団は歴史的にイギリスとの関係が深く、ムスリム同胞団から派生したハマスをイスラエルが支えていたことも知られている。HTSについてもイスラエルから好意的な発言が聞こえてくる。
2001年9月11日に何者かがニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃した。それから10日ほど後、統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語っている。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていたという。そのリスト通りに破壊されてきた。残るはイランだ。(3月、10月)
この予定表に従い、ジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月、イラクが「大量破壊兵器」を保有しているという偽情報を主張しながらアメリカ主導軍にイラクを侵略させ、破壊した。イラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を築いてシリアとイランを分断するという計画はネオコンが1980年代から主張していたことだ。
バラク・オバマ政権はリビアとシリアを含む地中海沿岸諸国の政権をムスリム同胞団やサラフィ主義者を利用して倒し始める。シリアに対する攻撃は2011年3月に開始された。
その年の10月にアメリカなど侵略の黒幕国はムアンマル・アル・カダフィを惨殺、リビアの体制転覆に成功したが、その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)の連携が明白になっている。ちなみに、「アル・カイダ」のアイコン的な存在だったオサマ・ビン・ラディンの殺害をオバマ政権が宣伝したのは2011年5月のこと。それ以降、2001年9月11日の出来事は忘れられた。
シリアの体制を倒すことに手間取ったオバマ政権は反シリア政府軍に対する支援を強化するだけでなく、新たな戦闘集団を編成するのだが、そうしたオバマ政権の方針を危険だとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年に報告書を提出した。反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
この警告通り、2014年には新たな武装集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が登場する。この武装集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。ロシアがアサド政権の要請で軍事介入したのは翌年の9月だった。
こうしたジハード傭兵を使った侵略戦争をアメリカは1970年代にアフガニスタンで始めている。その矛先は中東だけでなく、チェチェンや新疆ウイグル自治区へも向けられてきた。オバマがシリアに対する軍事侵略を始めた時、ロシアはイスラム系カルトの政権ができることを恐れていたと言われているが、その恐れが現実になる可能性がある。
それに対し、トルコとイランはロシアとシリア情勢についてドーハで話し合っていた。ダマスカスを守り、トルコにHTSを管理させようとしていたというが、アサドは「アラブの指導者」を介してNATOの約束を間に受け、トルコ、イラン、ロシアのプランに乗らなかったとも伝えられている。アサド大統領は「新たなアラブ同盟国」が自分を守ってくれると信じたというのだ。シリア政府は闘い気力をなくし、イランやロシアからの警告を無視していたとも言われている。
HTSがイスラエルと友好的な関係を結ぶとしても、アメリカを後ろ盾とするクルドを放置することはないだろう。アフガニスタンではアメリカがジハード傭兵を使ってソ連軍と戦い、ソ連軍が撤退して数年後、傀儡政権を作らせるためにタリバーンを作ったのだが、アメリカの傀儡にはならなかった。
タリバーン政権が成立する前からアフガニスタンに食い込んでいたアメリカの石油会社UNOCALは1995年10月にトルクメニスタン政府とパイプライン敷設計画に合意、調印した。タリバーンがカブールを制圧したのは1996年9月のことだ。
タリバーン政権は1998年1月、トルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設を計画するのだが、UNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選び、アメリカと対立する。それ以降、アメリカとタリバーンは敵同士だ。HTSがアメリカ、トルコ、ウクライナ、イスラエルなどと友好的な関係を維持するかどうかわからない。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412160000/
・CIAが作った仕組みから生まれたHTSはシリアを攻撃してもイスラエルには友好的
2024.12.16
※シリアのバシャール・アル・アサド政権は11月27日、ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の奇襲攻撃を切っ掛けにして崩壊した。
HTSはアル・カイダ系の武装集団であり、傭兵の集まりだ。ロビン・クック元英外相が説明したように、アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストにほかならない。つまり、アル・カイダという組織は存在しない。現在、HTSと呼ばれる傭兵を雇っているのはトルコ政府だと言われている。いわばHTSはトルコ政府の操り人形だが、一般的にはアブ・ムハンマド・アル・ジュラニが率いているとされている。しかもCIAの影響を受けているはずだ。
事実上、CIAはウォール街、MI6はシティの情報機関であり、ウォール街とシティが緊密な関係にあることを考えれば、CIAとMI6が緊密な関係にあることも必然だ。
これまでもイスラエルはシリアを執拗に空爆してきたが、HTSがダマスカスを制圧して以来、イスラエルはシリアを300回以上にわたって空爆、さらに地上部隊を侵攻させているのだが、こうしたことについてHTSは沈黙している。ガザでの大虐殺を怒っているようにも思えない。
そして12月14日、ジュラニはイスラエルとの紛争に巻き込まれたくないと語った。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)と同じように、イスラム諸国を荒らしまわる一方、イスラエルの「三光作戦(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)」を容認しているが、HTSの背景を考えれば必然である。
これまでアサド政権を攻撃してきた勢力の背景は概ね同じなのだが、団結しているわけではない。アメリカを背景にし、トルコに雇われているHTSはアメリカやイスラエルの手先になっているクルドと対立関係にあり、そこにトルコ、イスラエル、アメリカ、そしてシリア軍の残党が絡んで内乱が始まる可能性もある。
シリアに住む人びとにとってこうした「バルカン化」は好ましくないが、イスラエル、イギリス、アメリカをはじめとする欧米諸国にとっては好都合だ。小国、小集団が互いに殺し合ってくれれば支配しやすい。イスラエル、イギリス、アメリカはそうしたプランを持っていた。
そもそも、パレスチナに「ユダヤ人の国」を作るというシオニズムはイギリスで生まれたカルトだ。そのためには、パレスチナに住むアラブ系の住民を「浄化」する必要があり、「三光作戦」が始まったのは必然だった。
イギリスにシオニズムが登場したのは、エリザベス1世が統治していた16世紀後半のことのようだ。イギリスではアングロ-サクソン-ケルトが「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰がこの時期に出現した。ブリティッシュ・イスラエル主義とも呼ばれている。
17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世は自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルなどピューリタンもそうした話を信じていたようだ。
イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出す。いわゆる「バルフォア宣言」だ。
イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。
そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。
この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。
1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。
反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃した。イスラエルによるパレスチナ人虐殺はこの延長線上にある。
こうした殺戮、破壊、略奪を「経済活動」として行うのが帝国主義。19世紀のイギリスで帝国主義の中心にいたのはシティの支配者だったナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナーたちがいる。
世界支配の戦略を立てたのはローズだと言われているが、この人物は1877年にオックスフォード大学を拠点とする秘密結社「アポロ・ユニバーシティ・ロッジNo.357」へ入会、その直後に「信仰告白」を書いた。その中でローズはアングロ・サクソンが「世界で最も優れた種族」だと主張、アングロ・サクソンが住む地域が広くなればなるほど人類にとって良いと主張、そうした戦略を実現するために秘密結社は必要だとしている。シリアを破壊したのもローズの後継者たちだ。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412170000/
・アサド政権崩壊直後に始まった西側有力メディアのイメージ工作
2024.12.17
※アル・カイダ系武装集団ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)が12月8日にダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権は倒された。その直後にCNN記者のクラリッサ・ワードはシリア空軍情報部が運営していたという刑務所へ入る。彼女はそこを秘密刑務所のひとつだと主張、そこで囚人を救出したと伝えたが、その刑務所は12月6日にHTSが占拠したと報じられている。しかもその人物は政治犯でなく、汚職と虐待の罪で投獄されたシリア空軍の中尉だった。
西側の有力メディアはHTSによるアサド政権打倒を「自由の戦士による独裁体制の打倒」として描いているが、イメージ操作のために作り上げたドラマだったと言える。要するにいつものでっち上げであり、CNNが反省しているようには見えない。西側の有力メディアはプロパガンダ機関に過ぎないが、CNNも例外ではない。
CNNが1999年にアメリカ陸軍の第4心理作戦群の隊員を2週間ほど社内で活動させている。「産業訓練」というプログラムの一環だった。この事実はフランスのインテリジェンス・ニューズレターやオランダのトロウ紙が明るみに出している。アメリカ軍の広報担当だったトーマス・コリンズ少佐によると、派遣された軍人はCNNの社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。これ以降、CNNはプロパガンダ機関色を強めていった。(Trouw, 21 February 2000)
アメリカのバラク・オバマ政権がアル・カイダ系武装集団を使ってシリアに対する軍事侵略を始めたのは2011年3月のことだ。それ以来、シリアでの戦闘で30万人以上が殺されたと言われている。そうした戦争の直接的な被害だけでなく、経済制裁、アメリカによる石油の略奪、イスラエルによる攻撃などで疲弊、それに伴って体制の腐敗が進んだ。
そうした中、アサド大統領はロシアとイランの助言に耳を傾けず、サウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦)へ近づいてアメリカとの関係を正常化しようとしていた。アメリカ側の甘言に乗ったということだ。そうしたアサド政権の行動を知っていたロシアとイランは最後の場面で動かなかったのだという。新たな戦乱に巻き込まれることを嫌ったのかもしれない。
4月1日にイスラエル軍はシリアのイラン領事館を攻撃、IRGC(イスラム革命防衛隊)の上級司令官や副官を含む将校7名を殺害したが、その裏でシリアの情報機関がイスラエルのモサドと手を組み、情報を流していたとする話も流れ始めている。
アサド政権が倒れてからイスラエルはシリアを激しく攻撃、そのイスラエルと友好的な関係を築こうとしているHTSはトルコの意向でクルドとは戦おうとするのだろうが、クルドはアメリカやイスラエルが後ろ盾だ。アサド政権が存在している間はこうした勢力のバランスは取れていたようだが、アサド政権が消滅したため、「バトル-ロイヤル」が始まるかもしれないと言われている。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412220000/
・シリア情勢の急変で米は「テロリスト」のタグと「自由の戦士」のタグを付け替え
2024.12.22
※アメリカ国防総省報道官のパトリック・ライダー空軍少将は12月19日の記者会見で、シリアに派遣されているアメリカ軍の兵士は約900人でなく約2000人だと述べたが、驚きではない。油田地帯を含み、クルドが支配しているシリア北部、あるいは戦略的に重要なアル・タンフにアメリカ軍は基地を保有、約900人という公式発表は実態を反映していないと言われていた。勿論、こうした基地はシリア政府の許可を受けて建設されたものではない。またシリアには非公開の米国民間請負業者も存在する。
バラク・オバマは大統領として2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けた。いわゆる「アラブの春」だが、そのターゲットになった国のひとつがシリアだ。ロラン・デュマ元仏外相によると、2009年にイギリスを訪問した際、イギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたというので、遅くともその段階でアメリカやイギリスでは侵略計画ができていたのだろう。
2011年3月にシリアではムスリム同胞団やアル・カイダ系武装勢力による侵略戦争が始まるものの、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。その年の10月にNATOとアル・カイダ系武装集団LIFG(リビア・イスラム戦闘団)の連合軍はリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒してカダフィを惨殺、その後、戦闘員や兵器をシリアへ運んでアサド政権を打倒しようとする。それでもアサド政権が倒れないため、反シリア政府軍に対する支援を強化した。
そうしたオバマ政権の政策を危険だとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は危険だと判断、2012年に報告書を提出している。反シリア政府軍の主力はAQI(イラクのアル・カイダ)であり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘。さらに、そうした政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告している。
アサド政権を倒せないこともあり、アメリカ軍をシリアへ侵略させるのではないかと懸念する声が出てくるのだが、オバマ大統領は2013年からシリアに地上軍は派遣しないと繰り返し発言していた。2014年になるとDIAが警告したようにサラフィ主義者の新たな戦闘集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が出現。
この集団は残虐さをアピール、アメリカ軍が介入しなければならないという雰囲気が作られ、2015年までに戦争体制が整えられていった。そうした中、シリア政府の要請でロシア軍が2015年9月末に軍事介入、アメリカ軍が公然と軍事介入できない状況になった。そこでアメリカ軍は秘密裏に部隊を侵入させ、基地を建設していったわけである。
ロシア軍の攻撃でダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団は敗走し、その支配地域は縮小していった。そこでアメリカはクルドと手を組むのだが、そのクルドと対立関係にあったトルコとの関係が悪化してしまう。
そして11月27日にハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)がシリア軍を奇襲攻撃、バシャール・アル・アサド政権は倒された。HTSもアル・カイダ系武装集団だが、アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」と呼ばれる傭兵の登録リスト。現在、HTSはトルコ政府に雇われていると言われているのだが、その指導者とされているアブ・ムハンマド・アル・ジュラニはかつてダーイッシュの幹部で、アメリカ政府は1000万ドルの懸賞金をかけている。そのお尋ね者とバーバラ・リーフ国務次官補が率いるアメリカの代表団がダマスカスで会談した。
そもそもアル・カイダなる仕組みやダーイッシュなる戦闘集団はアメリカ政府の都合で作られたものであり、「自由の戦士」や「テロリスト」を演じてきた。今回、アサド政権が予想外のスピードで倒れたため、アメリカ政府はHTSを短時間にタグを「テロリスト」から「自由の戦士」へ付け替えようとしている。国連はHTSとの貿易を認可した。
すでにジュラニはイスラエルに対して恭順の意を表しているが、そのイスラエルはシリア軍の兵器庫を爆撃、アメリカ政府を怒らせていると指摘されている。アメリカ政府は武器弾薬をシリア軍の兵器庫からウクライナへ運ぼうとしていたと言われているのだ。イスラエルとアメリカの関係も盤石ではない。トルコを後ろ盾とするHTSがクルドと友好的な関係を結べるかどうかは不明だ。
12月2日にベイルートへ入ったアメリカの特殊部隊はトルコの動向を監視する役割を負っていると考える人もいる。12月9日にはアメリカ中央軍のマイケル・クリラ司令官はアンマンを訪問、ヨルダン統合参謀本部のユセフ・アル・ハナイティ議長と会談、シリアから脅威が生じた場合、アメリカがヨルダンを支援するという約束を再確認したという。クリラは精力的に動いた。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412260000/
・残虐なテロリストをシリアの傀儡政権にしようと必死の西側の政府とメディア
2024.12.26
※バシャール・アル・アサド政権が崩壊した後のシリアで最も注目されているのはハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)とその指導者とされているモハメド・アル・ジュラニだろう。アメリカをはじめとする西側諸国はHTSを傀儡として利用、シリアを乗っ取ろうとしている。アル・ジュラニは2011年から12年にかけての期間、アブ・バクル・アル-バグダディと連携していた。
アル-バグダディはMSC(ムジャヒディーン・シュラ評議会)に参加していたが、この組織が2006年10月に解散すると、新たに設立されたISI(イラクのイスラム国)へ入り、10年には最高指導者に選ばれたとされている。この集団は2013年3月からISIL(イラクとレバントのイスラム国)を名乗るようになり、翌年の6月には「イスラム首長国」、つまりダーイッシュになった。
しかし、こうした武装集団の始まりは1970年代に考えだされたズビグネフ・ブレジンスキーの対ロシア戦略。パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカはブレジンスキーの戦略に基づき、73年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。1973年1月にアメリカはパリ和平協定に調印しているが、これはアメリカが北ベトナムに敗北したことを意味する。自国軍を投入して敗北したアメリカはアフガニスタンで傭兵を使うことにしたわけだ。
そこで目をつけたのがクルブディン・ヘクマチアルだが、その選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに基づくとされている。ヘクマチアルはカブール大学で学んだ後、ムスリム青年団のリーダーになったが、この組織はCIAから支援を受けていた。戦闘員はサウジアラビアの協力でサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団の協力で集められた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
この工作を進めるため、CIAやISIは政治的な障害になっていたズルフィカル・アリ・ブット政権を倒すことにする。ズルフィカルはベナジルの父親にほかならない。
ズルフィカル・アリ・ブット政権は1977年に軍事クーデターで排除され、ブット自身は79年に処刑された。クーデターを主導したのはムハンマド・ジア・ウル・ハク陸軍参謀長だ。
ハクはムスリム同胞団系の団体に所属、ノースカロライナ州のフォート・ブラグで訓練を受けた経験がある。その一方、イギリスはソ連の中央アジア地域を混乱させ、イスラエルのために中東をバルカン化、つまり分割して対立させようと活動していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)
そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダの犯行だ」と断定、それを口実にしてイラクを先制攻撃、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたサダム・フセイン体制を倒した。その段階でネオコンはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを攻撃、破壊する計画が作成されていた。(3月、10月)
ブレジンスキーのコロンビア大学における弟子だとされているオバマは2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けた。いわゆる「アラブの春」である。
バラク・オバマ政権は2011年春、リビアやシリアを含む地中海沿岸諸国で体制転覆工作を始めた。同年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ政権を倒したが、そこでNATO軍がアル・カイダ系武装集団と手を組んでいることが発覚してしまう。アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンをオバマ政権は2011年5月2日に暗殺したとされている。
オバマ政権がシリアのアサド政権を倒す工作を始められたのは2011年3月。同年2月にアメリカなどが軍事介入したリビアでは10月に体制が崩壊、そこからシリアへ戦闘員や兵器が運ばれている。そこからオバマ政権はシリアの反政府軍に対する支援を強化。CIAはイギリスやサウジアラビアなどの情報機関からの協力を得て兵器の供給と戦闘員の訓練を本格的に始める。ティンバー・シカモア作戦だ。2017年まで続いたとされている。
現在、国家安全保障大統領補佐官を務めているジェイク・サリバンはオバマ政権でも要職についていた。2011年2月から13年2月にかけて政策企画本部長、13年2月から14年8月まで国家安全保障問題担当副大統領補佐官だ。サリバンは2012年2月、ヒラリー・クリントン宛電子メールで「AQ(アル・カイダ)はシリアで我々の味方だ」と書いている。
オバマ政権は軍事支援している相手を「穏健派」だと主張していたのだが、そうしたオバマ政権の方針を危険だと警告する報告書が2012年8月に同政権へ提出された。反シリア政府の武装集団に「穏健派」などは存在しない。
報告書を作成したのはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)。反シリア政府軍の主力はAQI(イラクのアル・カイダ)であり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
DIAの警告通り、シリアでは2014年に新たな武装集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が出現。この年の1月にこの武装集団はイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。そして8月にフリン中将は解任された。
HTSはかつてアル・ヌスラ戦線と呼ばれていたが、この集団がそれ以前に使っていたタグはAQI。いずれもアル・カイダ系武装集団だ。故ロビン・クック元英外相は2005年7月、アル・カイダはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだと説明している。アル・カイダは組織ではなく、傭兵の登録リストにすぎない。活動の目的は雇い主次第だと言える。
これまでの歴史を振り返ればHTSやモハメド・アル・ジュラニが穏健派だという主張が嘘だということは明白だが、有力メディアはシリアの刑務所に関する怪しげな話も盛んに流している。そうした有力メディアの情報操作に関する報告も発表されている。
CIAの元分析官、ラリー・ジョンソンも偽情報の流布を懸念しているひとり。情報機関が政治指導者に嘘をつき、その指導者がその嘘に基づいて間違ったことをするとしているが、その通りだろう。有力メディアの嘘は人びとの判断を誤らせる。
シリアの戦乱が始まった翌年の2012年6月、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はシリアを調査、ローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語れば、シリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。西側有力メディアの情報操作を批判したのだ。こうした状況は今でも変化していない。
クロス大主教も反シリア政府軍の戦闘員はサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)とムスリム同胞団であり、出身国はリビア、レバノン、ペルシャ湾岸諸国、アフガニスタン、トルコなどだと指摘、イスラム教徒とキリスト教徒の間に伝統的に存在した友愛関係を破壊しようとしているとも語っている。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412290000/
・HTS戦闘員がシリア人を処刑する映像が流れる一方、住民の抵抗運動が始まった
2024.12.29
※シリアのダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権を倒したアル・カイダ系武装集団、ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の戦闘員がアラウィー派の人びとを拉致、処刑しはじめた。キリスト教徒も攻撃の対象になっていると伝えられている。
こうした殺戮は「散発的」でなく、頻発しているようで、首を切る様子を撮影した映像など、殺戮の場面がインターネット上に流れ始めた。クリスマス・ツリーを焼き払う行為もキリスト教徒を怒らせる一因になっているようだ。
アサド政権が自国民を殺害しているという偽情報の流布、繰り返された偽旗作戦などを利用してアメリカをはじめとする外国勢力は2011年春以来、シリアへ武装集団を送り込んできた。その実態は本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。そしてアサド政権は倒された。
西側諸国は自分たちが流してきた偽情報に合わせ、アサド政権を悪魔化して描く一方、HTSの指導者とされるアブ・ムハンマド・アル・ジュラニのイメージを良くしようと必死だ。事実の裏付けのない物語でアサド政権の打倒を正当化する一方、事実を無視してHTS支援を納得させようとしている。
そうしたプロパガンダが展開される中、アメリカはジュラニにかけられた1000万ドルの懸賞金を取り消した。バラク・オバマ政権がアル・カイダ系武装集団を利用してシリアに対する軍事侵略を始めた直後に発覚した残虐行為を忘れた人が少なくないかもしれないが、この武装集団は今でも似たようなことを行なっている。
イギリス人のダニー・デイエムが「現地の情報」として発信、西側の有力メディアが垂れ流していた作り話を忘れた人も少なくないだろう。彼や彼の仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子を撮影した映像が2012年3月1日に流出、彼の「現地報告」がヤラセだということが発覚している。
そこで登場してくるのは「化学兵器話」だ。そうした作り話を有力メディアへ発信する役割を演じることになった団体のひとつがSCD(シリア市民防衛)、通称「白いヘルメット」にほかならない。
この団体は2013年3月にジェームズ・ル・ムズリエというイギリス人が編成、訓練してきた。シリアのアレッポで化学兵器が使われた頃だ。後にSCDの活動を紹介する映像が公開されるのだが、医療行為の訓練を受けていないことが指摘されている。
ル・ムズリエはイギリスの対外情報機関MI6の「元」オフィサーだとされている。「退役」後、オリーブ・グループという傭兵組織の特別プロジェクトの幹部になるが、この組織は後にアカデミ(ブラックウォーターとして創設)に吸収されている。
2008年に彼はここを離れてグッド・ハーバー・コンサルティングへ入り、アブダビを拠点として活動し始めるのだが、この段階でもイギリス軍の情報機関と緊密な関係を維持している。そしてSCDをトルコで創設したが、アメリカ国務省の副スポークスパーソンを務めていたマーク・トナーは2016年4月、SCDがUSAIDから2300万ドル受け取っていることを認めた。言うまでもなく、USAIDはCIAの資金を流すパイプのひとつ。そのほかジョージ・ソロス、あるいはオランダやイギリスの外務省も資金を提供していた。
SCDはシリア政府軍が化学兵器を使ったとする話の発信源になったことでも知られている。そのSCDのメンバーがアル・カイダ系武装集団と重複していることを示す動画や写真の存在、被害者を救出している場面を演技者を使って撮影している様子、アル・カイダ系武装集団が撤退した後の建造物でSCDと隣り合わせで活動していたことを示す証拠などが確認されている。
現地に入って地道な取材を続けているバネッサ・ビーリーやエバ・バートレットなどがこうした事実を明らかにしてきたが、ほかにも現地を取材していたジャーナリストがいる。そのひとりがイギリスで発行されているインディペンデント紙のロバート・フィスク特派員だ。
フィスクは攻撃があったとされる地域へ入って治療に当たった医師らに取材、患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。(Independent, 17 April 2018)アメリカのケーブル・テレビ局、OANの記者も同じ内容の報告をしている。
2013年12月19日には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがイギリスの書評誌「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」に記事でも、オバマ政権が化学兵器に関する情報操作を行なったとする情報があるとしている。
国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表した。
その一方、アル・カイダ系武装集団だけではシリア政府軍を倒せなかったアメリカのバラク・オバマ政権は軍事介入を正当化する口実作りを始めた。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の編成だ。2014年から残虐さで売り出し、それを利用してアメリカ軍はシリアの施設を空爆で破壊しはじめている。
しかし、その段階でも統合参謀本部はオバマが支援しているサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を危険だと認識していた。そこで2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、同年9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへというように好戦派へ交代させている。
アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)もオバマ政権のジハード傭兵を利用した計画を危険だと考え、2012年に報告書を提出している。反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
この警告通り、2014年には新たな武装集団ダーイッシュが登場、この集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。
過去を人びとが忘れても、現実がプロパガンダの前に立ちはだかる。自分たちやその配下の人間が行った残虐行為を相手が行ったように宣伝するのはアメリカ支配層の「癖」らしく、それを西側の有力メディアが拡散するのだが、それでも現実は彼らを追い詰める。
アサド政権の崩壊は政府軍の幹部将校たちが戦わずに逃走したところから始めるが、残された兵士たちはアサド政権の支持者が編成した部隊に加わり、ダマスカスの北部ではHTS体制に対する武装抵抗が始められたとも伝えられている。
アサド政権は西側諸国による経済封鎖で人びとの生活は厳しく、政府軍兵士の給与はHTS戦闘員が得ている報酬の十数分の1だったと言われている。そうしたことも政府軍を弱体化させる一因だったようだが、これからは状況が変化するだろう。
CIAが作り上げたアル・カイダと呼ばれる傭兵システムから派生したHTSは現在、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権が雇い主になっていると言われている。2015年9月末にアサド政権の要請で軍事介入したロシア軍がダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を含むアル・カイダ系武装集団を一掃した後、アメリカはクルドを手先として利用し始めるが、エルドアン大統領はクルドを敵と認識している。こうした状況は今でも同じで、エルドアン大統領に近いトルコの政治家はBBCに対し、クルド人を根絶すると発言していた。クルド側はトルコと戦争する準備を進めていると伝えられている。
HTSはアラウィー派、キリスト教徒、クルドを殺戮するだけでなく、アレッポにあるアラフィ派の聖地を冒涜したことで抗議行動を誘発することになった。アレッポにあるシェイク・アブ・アブドラ・アル・フセイン・アル・ハシビの聖堂内で火災が発生、武装集団が聖堂内へ侵入して警備員を殺害する様子を映した動画が流れた後、抗議活動が激化したと伝えられている。12月25日にはラタキア、タルトゥース、ホムス、ハマ、カルダハでは数万人が街頭でHTS側と衝突したという。
抗議活動を激化させる切っ掛けになった映像は過去のものだとHTS側は主張しているが、アル・カイダ系武装集団やイスラエル軍は歴史的な建造物の破壊を繰り返してきたことは事実だ。欧米の私的権力はシリアの資源を略奪を推進するために新自由主義の導入を目論んでいるが、そのためにもHTS体制への抵抗を鎮静化させる必要がある。
アメリカをはじめとする外国勢力に侵略される前のシリアでは医療が無料で、就学年齢に達した児童の推定97%が学校へ通い、識字率は男女とも90%を超え、中東地域で食糧生産を自給自足していた唯一の国でもあった。IMFの融資を拒否していたことも欧米諸国を怒らせただろう。
そのシリアが軍事侵略によって破壊され、略奪されつつある。リビアと同じことがシリアでも引き起こされつつあるのだが、ユーゴスラビアも国が破壊された上で分割され、略奪されている。帝国主義国が行なってきたことが繰り返されようとしていると言えるかもしれない。
そうした現実を隠蔽し、遂行するため、西側の有力メディアは荒唐無稽な話を、勿論根拠を示すことなく、盛んに流している。そうした話が有効な理由は、おそらく、そうした話を好む人が少なくないからだろう。そこに事実は存在しない。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412310000/
・HTS指導者:シリアとの関係を損なう形で露国が撤退することを望まない
2024.12.31
※バシャール・アル・アサド政権を倒し、シリアで実権を握ったハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の指導者とされるアブ・ムハンマド・アル・ジュラニは12月29日、アル・アラビヤ・ニュースのインタビューで、シリアとの関係を損なう形でロシアが撤退することは望んでいないと語った。ロシアは世界で2番目に強力な国であり、戦略的な利益があるというのだ。ジュラニ体制はロシアの軍事施設を撤退するように求めていないと受け取られている。
ロシアはシリアの地中海沿岸にフメイミム空軍基地とタルトゥースにある兵站支援センターを保有しているが、現在、アメリカやイギリスに雇われているRCA(革命コマンド軍)に占拠されているようだ。
ロシアとシリアは2017年、ロシア軍を49年間駐留させることで合意している。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は12月29日、ロシア軍のシリア駐留を規定する協定は有効であり、国際法の規範に基づいて締結されたと述べ、移行期間が終了した後、ロシアはダマスカスの新当局と軍事施設の将来について協議する用意があると語った。
それに対し、HTSがダマスカスを制圧した後、オランダのカスパー・フェルドカンプ外相はシリアに対する制裁解除の条件としてロシア軍の撤退を求めていた。ロシアのメディアは、アメリカやイギリスがシリア領内のロシア軍基地に対するテロ攻撃を準備、ダーイッシュに攻撃用のドローンを供給していると報じている。HTS側は西側諸国の要求を呑んでいないようだ。
HTSはアル・カイダ系武装集団であり、アル・カイダとはロビン・クック元英外相が2005年7月に説明したように、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストにほかならない。つまり共通の政治的な目的を持つ集団ではなく、傭兵だ。
この傭兵登録システムは1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーが作り上げた。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、そのソ連軍と戦わせる戦闘集団を編成するためだ。コロンビア大学でブレジンスキーの教え子だったというバラク・オバマは2010年8月に「PSD(大統領研究指針)11」を承認して「アラブの春」を開始、翌年の3月、シリアに対する軍事侵攻を始めた。
シリアより一足先、2011年2月にアメリカなどはリビアへ軍事介入、同国のムアンマル・アル・カダフィ体制は同年10月に崩壊、そこからシリアへ戦闘員や兵器が運ばれている。
こうしたオバマ政権の政策は危険だとアメリカ軍の情報機関DIAが警告した2012年夏、そのオバマ政権は10億ドル以上を投入し、サラフィ主義者やムスリム同胞団を主体とする戦闘員を訓練を始めた。その際、CIAだけでなくイギリスやサウジアラビアなどの情報機関からの協力を得ている。これが「ティンバー・シカモア作戦」だ。2017年まで続いたとされている。
アサド政権の打倒に手間取ったオバマ政権は2014年にNATO軍を軍事介入させる動きを見せる。そこで新たな傭兵集団として作り出されたのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)だが、2015年9月末にロシア軍がバシャール・アル・アサド政権の要請で介入、アメリカが使っていたジハード傭兵は敗走。NATO軍の介入は難しくなった。そこでアメリカ軍を秘密裏にシリアへ侵入させ、クルドを支援、石油を盗掘し始めている。
その一方、ジハード傭兵の一部はトルコに隣接するイドリブへ逃げ込み、そこを拠点にして活動し始めるが、その時点で雇い主はアメリカでなくトルコになったと言われている。「シリアとの関係を損なう形でロシアが撤退することは望んでいない」というジュラニの発言にはトルコとロシアとの関係が反映されているのだろう。
一方、アメリカは新たな手先としてクルドを選んだのだが、HTSを支援していたとも伝えられている。イギリスのテレグラフ紙によると、アサド政権打倒でHTSと協力関係にあったRCAの戦闘員はイギリスとアメリカに訓練されていた。
そうした繋がりがあるため、アメリカ政府は「攻撃についてかなり前から知っていた」だけでなく、「その規模に関する正確な情報」も持っていたという。雇い主が別々の武装集団が連携していたということなのだろう。
また、ウクライナの支援も受けていたとされている。ワシントン・ポスト紙によると、ウクライナの情報機関GURは4、5週間前、イドリブにあるHTSにドローン約150機を供与、その本部に熟練したドローン操縦士約20人を派遣した。
HTSがダマスカスを制圧した後、新たな戦乱の兆候がある。戦闘員がアラウィー派の人びとを拉致、処刑しはじめた。首を切る様子を撮影した映像など、殺戮の場面がインターネット上に流れ始め、キリスト教徒も攻撃の対象にしていると伝えられている。これまで反アサド政権でまとまっていた傭兵集団の内部で対立が激化する可能性もある。そうした混乱にアメリカやイギリスが巻き込まれるかもしれない。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501100000/
・混乱の様相を強めているシリア
2025.01.10
※バシャール・アル・アサド政権が倒れた後、シリアではアラウィー派住民の虐殺が伝えられているが、それだけではなく、混乱の度合いが高まっているようだ。反アサド勢力にはいくつかの勢力が存在、それらをまとめる存在が今のところ見当たらないことが大きい。
反アサド勢力の中核だったHTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)はトルコを後ろ盾とする武装勢力で、アル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線を改名した組織。そのアル・ヌスラはシリアで活動を始める前、AQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。そのほかアメリカやイギリスを後ろ盾とするRCA(革命コマンド軍)、アメリカが手先として利用してきたクルド、さらにバシャール・アル・アサド政権の残党やイスラエルが活動している。こうした反アサド勢力による内乱が起こると予想する人は少なくない。
シリアの北部ではHTSとクルドの戦闘が激しくなっているようだが、これはトルコとアメリカの対立とも言えるが、両国はNATOの加盟国であり、状況によってはNATO加盟国同士の戦闘もありえる。南部ではレバノンへ侵入したHTSの戦闘員が逮捕されるという出来事もあったようだ。アサド政権が倒される前からシリアへ入っていたイスラエルはダマスカスの近くまで侵攻している。
アメリカの外交や安全保障の分野を支配してきたネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランを制圧する計画を立てていたが、欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たという。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていた。(3月、10月)
イラクは2003年3月にジョージ・W・ブッシュ政権がアメリカ主導軍で先制攻撃して破壊、シリアやリビアは2011年春から軍事侵略を受けている。このリストで侵略されていないのはイランだけだ。
ブッシュ政権は自国軍を動かしたが、バラク・オバマ政権はサラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とする傭兵を使った。そのため、オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆プロジェクトを始めた。いわゆる「アラブの春」だ。2011年2月にはリビア、そして同年3月にはシリアを傭兵に攻撃させている。HTSもそうしたジハード傭兵の流れに属す。
2011年3月からシリアで政府軍と戦っていたジハード傭兵の雇い主はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟にイギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、パイプラインの建設をシリアに拒否されたカタール、そしてトルコなどだ。
ジハード傭兵はシリア東部の油田地帯を制圧、2015年になるとオバマ政権は政府を好戦的な布陣に変える。2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、同年9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへといった具合だが、デンプシーが解任された直後の9月末にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、アル・カイダ系武装勢力や新たに出現したダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を敗走させた。
そこでアメリカはクルドと手を組み、地上部隊を油田地帯のデリゾールへ入れて基地を建設した。2016年9月には2機のF-16戦闘機と2機のA10対地攻撃機で政府軍部隊を攻撃、80名以上の兵士を殺害している。アメリカ軍は交通の要衝、アル・タンフにも基地があり、戦闘員の訓練などにも使われてきた。
シリアの混乱はイスラム諸国の西側に対する信頼、あるいは信仰の結果だったようだ。イランの経済分野には親米勢力がまだ存在していると見られている。反帝国主義を掲げるマフムード・アフマディネジャドを2005年に攻撃したのもそうした勢力だった。その際、ロイターはアフマディネジャド大統領の発言を捏造している。2009年にはカラー革命も試みられ、13年に彼は排除された。そして登場したのがハッサン・ロウハニだ。
経済分野に巣食う親米派や大統領の交代も問題だが、防諜部門の問題も深刻。2011年に任命された防諜の責任者は21年までその職にあったが、この人物はイスラエルのスパイだった。2021年に彼は約20名のチームを率いてイスラエルへ亡命している。こうしたイスラエルのネットワークが消えたとは思えない。
2024年5月19日にエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らを乗せたベル212ヘリコプターがイラン北西部で墜落、全員が死亡。7月31日にはハマスのイスマイル・ハニヤがテヘランで暗殺され、ハッサン・ナスララを含むヒズボラの指導者が立て続けに殺されたが、イランの情報機関から漏れた可能性もある。ライシの次の大統領、マスウード・ペゼシュキヤーンは親欧米派だ。
また、シリアのアサドは数年前からエジプト、アラブ首長国連邦、サウジアラビアなど親欧米派の影響下にあったとする情報もある。その親欧米派はアサドに対し、イランとロシアとの関係を断ち切るよう促していたというのだ。アサド政権は収入源である石油や農業をアメリカ軍に抑えられ、しかもアメリカ主導の経済制裁で苦しんでいた。そこで「経済制裁の解除」という餌に食いついたのかもしれない。HTSがアレッポを制圧するまでアサドは楽観していたとする情報もある。
かつてリビアに君臨していたムアンマル・アル・カダフィは欧米諸国やイスラエルの計画を見抜いていた。まずレバノンとシリアを破壊し、イスラエルとトルコが国境で面することになり、シリアは5つの小国になると語っていた。大イスラエル構想とオスマン帝国構想の衝突とも言える。また、2008年のアラブ首脳会議でカダフィは、サダム・フセインと同じように処刑の順番が回ってくると各国の首脳に語った。「サダムに起こったことはあなた方にも起こるだろう」というわけだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412080000/
・西側メディアの偽報道が押し付けるイメージが世界を破滅へ向かわせる
2024.12.08
※シリアの戦乱は2011年3月から始まった。その翌年の6月、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教は現地を調査、ローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語れば、シリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。西側有力メディアの情報操作を批判したのだ。
クロス大主教も反シリア政府軍の戦闘員はサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)とムスリム同胞団であり、出身国はリビア、レバノン、ペルシャ湾岸諸国、アフガニスタン、トルコなどだと指摘、イスラム教徒とキリスト教徒の間に伝統的に存在した友愛関係を破壊しようとしているとも語っている。
こうした戦闘集団は事実上の傭兵で、雇い主はアメリカ、サイクス・ピコ協定コンビのイギリスやフランス、トルコやカタールといったムスリム同胞団と関係の深い国など。こうした構図は現在のシリアでも基本的に変化していない。
現地の住民を含め、現実を知っている人びとは西側の有力メディアを信頼しなくなっているが、西側諸国では今でもこうしたメディアの流す話を信じている人が少なくない。こうしたメディアは人びとに刷り込まれたイメージをたくみに利用し、彼らが心地よく感じる物語を語るからだろう。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、西側の有力メディアは富豪たちのプロパガンダ機関として機能してきた。例えば、1860年代にニューヨーク・タイムズ紙の主任論説委員を務めたジョン・スウィントンは83年4月12日にニューヨークのトワイライト・クラブで次のように語っている:「アメリカには、田舎町にでもない限り、独立した報道機関など存在しない。君たちはみな奴隷だ。君たちはそれを知っているし、私も知っている。君たちの中で正直な意見を表明する勇気のある人はひとりもいない。もし表明したとしても、それが印刷物に載ることはないことを知っているはずだ。」
第1次世界大戦に参戦したアメリカでは1917年6月に「1917年スパイ活動法」を制定したが、この法律の矛先は当初からスパイだけでなく反戦平和を訴える人びとにも向けられていた。CIAの元オフィサーで内部告発者のジェフリー・スターリングや内部告発を支援する活動をしていたジュリアン・アッサンジに対する攻撃にもこの法律が使われている。
アメリカの場合、1948年頃から情報機関が「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトを開始、ウォーターゲート事件でワシントン・ポスト紙の記者として活躍したカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いている。
その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
それでも1970年代までは気骨あるジャーナリストが活動する余地は存在していたが、1980年代以降、そうした余地は消えていく。規制緩和でメディアの集中支配が容認され、支配者にとって目障りなジャーナリストが排除されていったのだ。
「規制緩和」によってメディアは寡占化が進み、メディアの9割程度が6つのグループに支配されている。つまりCOMCAST(NBCなど)、FOXコーポレーション(FOXグループなど)、ウォルト・ディズニー(ABCなど)、VIACOM(MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、CBSだ。日本では電通をはじめとする巨大広告会社によるメディア支配が指摘されている。
寡占化が進んでいた当時、経営の苦しいメディアになぜ資本を投入するのかと言う人がいたが、大企業にとってメディアの赤字は広報費としては安く、その効果を考えると問題はない。
その一方、ロナルド・レーガン大統領は1983年1月にNSDD11へ署名して「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」がスタートした。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊し、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めた。
こうして強化された言論統制システムは21世紀に入ってからフル稼働状態。シリアなど中東の戦乱だけでなく、ウクライナに対する西側の侵略、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動でも人びとを操るために使われているのだが、「やりすぎ」でシステムが疲労、崩壊の危機にある。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412090000/
・ウクライナで敗北した米/NATOがシリアでアサド体制を倒し、多元社会は窮地
2024.12.09
※イドリブに立てこもっていたイスラム教スンニ派の武装集団ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)がダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権は倒されたようだ。崩壊するスピードの速さに驚いている人が少なくないが、現地からの情報によると、シリア軍が負けたのではなく戦わなかったと見られている。
HTSは11月27日、レバノンでの停戦開始に合わせてシリア軍を奇襲攻撃した。HTSはカタールからの支援で購入した最新の兵器とウクライナのオペレーターが操作する多数のドローンを保有、アレッポを制圧した後、支配地域を広げていると伝えられている。ウクライナ本国ではアメリカ/NATOに支援されたネオ・ナチ政権が風前の灯だが、シリアではロシアにダメージを与えることに成功したと言えるかもしれない。

こうした攻撃の際、シリア軍の一部は戦わずに逃亡したと伝えられているが、2011年からバラク・オバマ政権が始めた侵略戦争の際にもシリア軍は兵士の3分の2は逃げたとされている。シリア軍の大半がスンニ派だということも影響しているのだろう。
HTSが攻撃を始める前、イスラエル軍はレバノンのヒズボラを激しく攻撃するだけでなく、シリアを攻撃していてバシャール・アル・アサド政権を揺さぶっていた。イスラエルはイランも攻撃していたが、イランの現政権はガーセム・ソレイマーニーの「抵抗の枢軸」戦略を放棄したもと言われている。その背後では、アメリカ、イスラエル、イランは秘密協定を結んでいたのではないかと考える人もいる。イスラエルがHTSやその背後にいるトルコと連携している可能性も高い。
ソレイマーニーはイスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われるコッズ軍を指揮していたイラン国民の英雄だが、2020年1月3日にイラクのバグダッド国際空港でアメリカ軍に暗殺された。この暗殺にはイスラエルが協力したと言われている。イラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディによると、その日、ソレイマーニーは緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。
今年5月19日にはエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らを載せたアメリカ製のベル212ヘリコプターがアゼルバイジャンとイランの国境近くで墜落し、全員が死亡したと伝えられている。ダムの落成式に参加した後、タブリーズへ戻る途中だった。濃い霧で視界が悪かったというが、同行していた他のロシア製ヘリコプター2機は問題なく戻った。7月28日から大統領を務めているマスード・ペゼシュキヤーンは親欧米派だと言われている。
植民地化に反対するすべての独立武装グループを支援し、調整するという戦略をソレイマーニーは立てていたが、今のイランはそれを放棄しているようだ。イスラエルがガザやレバノンを攻撃している際、イランはレバノンやパレスチナを支援していたようには見えない。それだけでなく、7月31日にはハマスのイスマイル・ハニヤがテヘランで殺害された。この人物はイスラエルとの交渉で中心的な役割を果たしていた。その後、ハッサン・ナスララを含むヒズボラの指導者が立て続けに暗殺されたが、そうした人物の居場所をイスラエルへ知らせた人物、あるいはグループがイラン政府の中枢にいると見られている。
イギリスの元外交官、クレイグ・ジョン・マレーの推測によると、トルコとペルシャ湾岸諸国はシリアとレバノンのシーア派を根絶し、サラフィ主義者をアラブ世界の東部への展開と引き換えに、パレスチナ国家の消滅と大イスラエルの創設を受け入れた。その結果としてレバノンとシリアのキリスト教コミュニティも終焉を迎えると懸念されている。


アサド体制はスンニ派、シーア派、アラウィー派、キリスト教徒が伝統、文化、宗教を生かして共存できる多元主義国家を維持してきたが、それも終焉を迎える可能性がある。アメリカは中東から多元的な社会を消し去ろうとしている。
イスラエルによるシリア攻撃はヒズボラへの補給にダメージを与えた可能性があるが、ヒズボラへの攻撃はシリアにおけるHTSの軍事作戦を助けたはずだ。
アメリカは傭兵組織を利用し、2011年から15年にかけてもシリアのアサド政権に対する軍事作戦を展開していた。この時は2015年9月末にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、航空兵力でムスリム同胞団やアル・カイダ系武装勢力を攻撃し、アメリカの目論見を潰した。シリアような地域では制空権を誰が握っているかで勝敗は決まる。
今回はロシア軍による空からの攻撃があまり伝えられていない。ウクライナでの戦闘にロシア軍は航空戦力を集中させているため、シリアに割けなかったのか、別の事情でロシア軍が空爆しなかったのか、明確ではない。有効性が確認されているロシア製防空システムの配備が足りなかったことは推測できる。
HTSに反撃するため、イラクからカタイブ・ヒズボラ、ファテミユーン旅団、ハシュド・アル・シャアビなどの戦闘員数万人がシリアへ入り、イランの軍事顧問がシリアに戻るとも伝えられていたが、イラクからの援軍はアメリカ軍の空対地ミサイルで阻止されたと言われている。12月3日にイスラム革命防衛隊の幹部、ジャバド・ガファリがダマスカスへ入ったとも伝えられたが、手遅れだった可能性があり、イランはシリアから撤退しているとも伝えられている。
欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)のウェズリー・クラーク元最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たという。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていた。(3月、10月)
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412120000/
・ソ連と同じように西側を信じてシリアのアサド政権は崩壊したという見方
2024.12.12
※イランでは国政全般にわたる最終決定権を持っている人物は大統領でなく「最高指導者」だ。現在の最高指導者であるアリ・ハメネイ師はシリアのバシャール・アル・アサド政権の崩壊について、アメリカとシオニストが共同して企てたものだと語っている。常識的な見方だと言えるだろう。
シリア側はイランがガーセム・ソレイマーニーが打ち出した「抵抗の枢軸」戦略を放棄したと考え、イランはイスラエルやアメリカと秘密協定を結び、クルドとの関係を修復させようとしているという疑いの声も聞こえてきた。親欧米派のマスード・ペゼシュキヤーンが大統領になったことも不信を高める一因になったかも知れない。アサド政権はトルコも信用できなくなっていたという。
アサド政権を倒したハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)はアル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線を改名した組織で、そのアル・ヌスラはシリアで活動を始める前はAQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。
アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだとイギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは05年7月8日付けガーディアン紙で説明している。その仕組みを作り上げたのがズビグネフ・ブレジンスキーだ。戦闘員はサウジアラビアの協力で集められたが、その中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だった。ちなみに、クックは2005年8月6日、休暇先のスコットランドで散歩中に心臓発作で急死している。
HTSを含むアル・カイダ系武装集団はジハード(聖戦)なる看板を掲げる傭兵で、現在、HTSを雇っているのはトルコ政府だとされているのだが、そもそもアル・カイダの仕組みを作ったのはアメリカ。こうしたジハード傭兵はこれまでイスラム教徒やキリスト教徒を大量殺戮してきたが、イスラエルを攻撃していない。ムスリム同胞団は歴史的にイギリスとの関係が深く、ムスリム同胞団から派生したハマスをイスラエルが支えていたことも知られている。HTSについてもイスラエルから好意的な発言が聞こえてくる。
2001年9月11日に何者かがニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃した。それから10日ほど後、統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語っている。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていたという。そのリスト通りに破壊されてきた。残るはイランだ。(3月、10月)
この予定表に従い、ジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月、イラクが「大量破壊兵器」を保有しているという偽情報を主張しながらアメリカ主導軍にイラクを侵略させ、破壊した。イラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を築いてシリアとイランを分断するという計画はネオコンが1980年代から主張していたことだ。
バラク・オバマ政権はリビアとシリアを含む地中海沿岸諸国の政権をムスリム同胞団やサラフィ主義者を利用して倒し始める。シリアに対する攻撃は2011年3月に開始された。
その年の10月にアメリカなど侵略の黒幕国はムアンマル・アル・カダフィを惨殺、リビアの体制転覆に成功したが、その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)の連携が明白になっている。ちなみに、「アル・カイダ」のアイコン的な存在だったオサマ・ビン・ラディンの殺害をオバマ政権が宣伝したのは2011年5月のこと。それ以降、2001年9月11日の出来事は忘れられた。
シリアの体制を倒すことに手間取ったオバマ政権は反シリア政府軍に対する支援を強化するだけでなく、新たな戦闘集団を編成するのだが、そうしたオバマ政権の方針を危険だとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年に報告書を提出した。反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
この警告通り、2014年には新たな武装集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が登場する。この武装集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。ロシアがアサド政権の要請で軍事介入したのは翌年の9月だった。
こうしたジハード傭兵を使った侵略戦争をアメリカは1970年代にアフガニスタンで始めている。その矛先は中東だけでなく、チェチェンや新疆ウイグル自治区へも向けられてきた。オバマがシリアに対する軍事侵略を始めた時、ロシアはイスラム系カルトの政権ができることを恐れていたと言われているが、その恐れが現実になる可能性がある。
それに対し、トルコとイランはロシアとシリア情勢についてドーハで話し合っていた。ダマスカスを守り、トルコにHTSを管理させようとしていたというが、アサドは「アラブの指導者」を介してNATOの約束を間に受け、トルコ、イラン、ロシアのプランに乗らなかったとも伝えられている。アサド大統領は「新たなアラブ同盟国」が自分を守ってくれると信じたというのだ。シリア政府は闘い気力をなくし、イランやロシアからの警告を無視していたとも言われている。
HTSがイスラエルと友好的な関係を結ぶとしても、アメリカを後ろ盾とするクルドを放置することはないだろう。アフガニスタンではアメリカがジハード傭兵を使ってソ連軍と戦い、ソ連軍が撤退して数年後、傀儡政権を作らせるためにタリバーンを作ったのだが、アメリカの傀儡にはならなかった。
タリバーン政権が成立する前からアフガニスタンに食い込んでいたアメリカの石油会社UNOCALは1995年10月にトルクメニスタン政府とパイプライン敷設計画に合意、調印した。タリバーンがカブールを制圧したのは1996年9月のことだ。
タリバーン政権は1998年1月、トルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設を計画するのだが、UNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選び、アメリカと対立する。それ以降、アメリカとタリバーンは敵同士だ。HTSがアメリカ、トルコ、ウクライナ、イスラエルなどと友好的な関係を維持するかどうかわからない。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412160000/
・CIAが作った仕組みから生まれたHTSはシリアを攻撃してもイスラエルには友好的
2024.12.16
※シリアのバシャール・アル・アサド政権は11月27日、ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の奇襲攻撃を切っ掛けにして崩壊した。
HTSはアル・カイダ系の武装集団であり、傭兵の集まりだ。ロビン・クック元英外相が説明したように、アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストにほかならない。つまり、アル・カイダという組織は存在しない。現在、HTSと呼ばれる傭兵を雇っているのはトルコ政府だと言われている。いわばHTSはトルコ政府の操り人形だが、一般的にはアブ・ムハンマド・アル・ジュラニが率いているとされている。しかもCIAの影響を受けているはずだ。
事実上、CIAはウォール街、MI6はシティの情報機関であり、ウォール街とシティが緊密な関係にあることを考えれば、CIAとMI6が緊密な関係にあることも必然だ。
これまでもイスラエルはシリアを執拗に空爆してきたが、HTSがダマスカスを制圧して以来、イスラエルはシリアを300回以上にわたって空爆、さらに地上部隊を侵攻させているのだが、こうしたことについてHTSは沈黙している。ガザでの大虐殺を怒っているようにも思えない。
そして12月14日、ジュラニはイスラエルとの紛争に巻き込まれたくないと語った。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)と同じように、イスラム諸国を荒らしまわる一方、イスラエルの「三光作戦(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)」を容認しているが、HTSの背景を考えれば必然である。
これまでアサド政権を攻撃してきた勢力の背景は概ね同じなのだが、団結しているわけではない。アメリカを背景にし、トルコに雇われているHTSはアメリカやイスラエルの手先になっているクルドと対立関係にあり、そこにトルコ、イスラエル、アメリカ、そしてシリア軍の残党が絡んで内乱が始まる可能性もある。
シリアに住む人びとにとってこうした「バルカン化」は好ましくないが、イスラエル、イギリス、アメリカをはじめとする欧米諸国にとっては好都合だ。小国、小集団が互いに殺し合ってくれれば支配しやすい。イスラエル、イギリス、アメリカはそうしたプランを持っていた。
そもそも、パレスチナに「ユダヤ人の国」を作るというシオニズムはイギリスで生まれたカルトだ。そのためには、パレスチナに住むアラブ系の住民を「浄化」する必要があり、「三光作戦」が始まったのは必然だった。
イギリスにシオニズムが登場したのは、エリザベス1世が統治していた16世紀後半のことのようだ。イギリスではアングロ-サクソン-ケルトが「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰がこの時期に出現した。ブリティッシュ・イスラエル主義とも呼ばれている。
17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世は自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルなどピューリタンもそうした話を信じていたようだ。
イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出す。いわゆる「バルフォア宣言」だ。
イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。
そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。
この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。
1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。
反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃した。イスラエルによるパレスチナ人虐殺はこの延長線上にある。
こうした殺戮、破壊、略奪を「経済活動」として行うのが帝国主義。19世紀のイギリスで帝国主義の中心にいたのはシティの支配者だったナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナーたちがいる。
世界支配の戦略を立てたのはローズだと言われているが、この人物は1877年にオックスフォード大学を拠点とする秘密結社「アポロ・ユニバーシティ・ロッジNo.357」へ入会、その直後に「信仰告白」を書いた。その中でローズはアングロ・サクソンが「世界で最も優れた種族」だと主張、アングロ・サクソンが住む地域が広くなればなるほど人類にとって良いと主張、そうした戦略を実現するために秘密結社は必要だとしている。シリアを破壊したのもローズの後継者たちだ。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412170000/
・アサド政権崩壊直後に始まった西側有力メディアのイメージ工作
2024.12.17
※アル・カイダ系武装集団ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)が12月8日にダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権は倒された。その直後にCNN記者のクラリッサ・ワードはシリア空軍情報部が運営していたという刑務所へ入る。彼女はそこを秘密刑務所のひとつだと主張、そこで囚人を救出したと伝えたが、その刑務所は12月6日にHTSが占拠したと報じられている。しかもその人物は政治犯でなく、汚職と虐待の罪で投獄されたシリア空軍の中尉だった。
西側の有力メディアはHTSによるアサド政権打倒を「自由の戦士による独裁体制の打倒」として描いているが、イメージ操作のために作り上げたドラマだったと言える。要するにいつものでっち上げであり、CNNが反省しているようには見えない。西側の有力メディアはプロパガンダ機関に過ぎないが、CNNも例外ではない。
CNNが1999年にアメリカ陸軍の第4心理作戦群の隊員を2週間ほど社内で活動させている。「産業訓練」というプログラムの一環だった。この事実はフランスのインテリジェンス・ニューズレターやオランダのトロウ紙が明るみに出している。アメリカ軍の広報担当だったトーマス・コリンズ少佐によると、派遣された軍人はCNNの社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。これ以降、CNNはプロパガンダ機関色を強めていった。(Trouw, 21 February 2000)
アメリカのバラク・オバマ政権がアル・カイダ系武装集団を使ってシリアに対する軍事侵略を始めたのは2011年3月のことだ。それ以来、シリアでの戦闘で30万人以上が殺されたと言われている。そうした戦争の直接的な被害だけでなく、経済制裁、アメリカによる石油の略奪、イスラエルによる攻撃などで疲弊、それに伴って体制の腐敗が進んだ。
そうした中、アサド大統領はロシアとイランの助言に耳を傾けず、サウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦)へ近づいてアメリカとの関係を正常化しようとしていた。アメリカ側の甘言に乗ったということだ。そうしたアサド政権の行動を知っていたロシアとイランは最後の場面で動かなかったのだという。新たな戦乱に巻き込まれることを嫌ったのかもしれない。
4月1日にイスラエル軍はシリアのイラン領事館を攻撃、IRGC(イスラム革命防衛隊)の上級司令官や副官を含む将校7名を殺害したが、その裏でシリアの情報機関がイスラエルのモサドと手を組み、情報を流していたとする話も流れ始めている。
アサド政権が倒れてからイスラエルはシリアを激しく攻撃、そのイスラエルと友好的な関係を築こうとしているHTSはトルコの意向でクルドとは戦おうとするのだろうが、クルドはアメリカやイスラエルが後ろ盾だ。アサド政権が存在している間はこうした勢力のバランスは取れていたようだが、アサド政権が消滅したため、「バトル-ロイヤル」が始まるかもしれないと言われている。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412220000/
・シリア情勢の急変で米は「テロリスト」のタグと「自由の戦士」のタグを付け替え
2024.12.22
※アメリカ国防総省報道官のパトリック・ライダー空軍少将は12月19日の記者会見で、シリアに派遣されているアメリカ軍の兵士は約900人でなく約2000人だと述べたが、驚きではない。油田地帯を含み、クルドが支配しているシリア北部、あるいは戦略的に重要なアル・タンフにアメリカ軍は基地を保有、約900人という公式発表は実態を反映していないと言われていた。勿論、こうした基地はシリア政府の許可を受けて建設されたものではない。またシリアには非公開の米国民間請負業者も存在する。
バラク・オバマは大統領として2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けた。いわゆる「アラブの春」だが、そのターゲットになった国のひとつがシリアだ。ロラン・デュマ元仏外相によると、2009年にイギリスを訪問した際、イギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたというので、遅くともその段階でアメリカやイギリスでは侵略計画ができていたのだろう。
2011年3月にシリアではムスリム同胞団やアル・カイダ系武装勢力による侵略戦争が始まるものの、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。その年の10月にNATOとアル・カイダ系武装集団LIFG(リビア・イスラム戦闘団)の連合軍はリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒してカダフィを惨殺、その後、戦闘員や兵器をシリアへ運んでアサド政権を打倒しようとする。それでもアサド政権が倒れないため、反シリア政府軍に対する支援を強化した。
そうしたオバマ政権の政策を危険だとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は危険だと判断、2012年に報告書を提出している。反シリア政府軍の主力はAQI(イラクのアル・カイダ)であり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘。さらに、そうした政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告している。
アサド政権を倒せないこともあり、アメリカ軍をシリアへ侵略させるのではないかと懸念する声が出てくるのだが、オバマ大統領は2013年からシリアに地上軍は派遣しないと繰り返し発言していた。2014年になるとDIAが警告したようにサラフィ主義者の新たな戦闘集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が出現。
この集団は残虐さをアピール、アメリカ軍が介入しなければならないという雰囲気が作られ、2015年までに戦争体制が整えられていった。そうした中、シリア政府の要請でロシア軍が2015年9月末に軍事介入、アメリカ軍が公然と軍事介入できない状況になった。そこでアメリカ軍は秘密裏に部隊を侵入させ、基地を建設していったわけである。
ロシア軍の攻撃でダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団は敗走し、その支配地域は縮小していった。そこでアメリカはクルドと手を組むのだが、そのクルドと対立関係にあったトルコとの関係が悪化してしまう。
そして11月27日にハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)がシリア軍を奇襲攻撃、バシャール・アル・アサド政権は倒された。HTSもアル・カイダ系武装集団だが、アル・カイダとはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」と呼ばれる傭兵の登録リスト。現在、HTSはトルコ政府に雇われていると言われているのだが、その指導者とされているアブ・ムハンマド・アル・ジュラニはかつてダーイッシュの幹部で、アメリカ政府は1000万ドルの懸賞金をかけている。そのお尋ね者とバーバラ・リーフ国務次官補が率いるアメリカの代表団がダマスカスで会談した。
そもそもアル・カイダなる仕組みやダーイッシュなる戦闘集団はアメリカ政府の都合で作られたものであり、「自由の戦士」や「テロリスト」を演じてきた。今回、アサド政権が予想外のスピードで倒れたため、アメリカ政府はHTSを短時間にタグを「テロリスト」から「自由の戦士」へ付け替えようとしている。国連はHTSとの貿易を認可した。
すでにジュラニはイスラエルに対して恭順の意を表しているが、そのイスラエルはシリア軍の兵器庫を爆撃、アメリカ政府を怒らせていると指摘されている。アメリカ政府は武器弾薬をシリア軍の兵器庫からウクライナへ運ぼうとしていたと言われているのだ。イスラエルとアメリカの関係も盤石ではない。トルコを後ろ盾とするHTSがクルドと友好的な関係を結べるかどうかは不明だ。
12月2日にベイルートへ入ったアメリカの特殊部隊はトルコの動向を監視する役割を負っていると考える人もいる。12月9日にはアメリカ中央軍のマイケル・クリラ司令官はアンマンを訪問、ヨルダン統合参謀本部のユセフ・アル・ハナイティ議長と会談、シリアから脅威が生じた場合、アメリカがヨルダンを支援するという約束を再確認したという。クリラは精力的に動いた。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412260000/
・残虐なテロリストをシリアの傀儡政権にしようと必死の西側の政府とメディア
2024.12.26
※バシャール・アル・アサド政権が崩壊した後のシリアで最も注目されているのはハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)とその指導者とされているモハメド・アル・ジュラニだろう。アメリカをはじめとする西側諸国はHTSを傀儡として利用、シリアを乗っ取ろうとしている。アル・ジュラニは2011年から12年にかけての期間、アブ・バクル・アル-バグダディと連携していた。
アル-バグダディはMSC(ムジャヒディーン・シュラ評議会)に参加していたが、この組織が2006年10月に解散すると、新たに設立されたISI(イラクのイスラム国)へ入り、10年には最高指導者に選ばれたとされている。この集団は2013年3月からISIL(イラクとレバントのイスラム国)を名乗るようになり、翌年の6月には「イスラム首長国」、つまりダーイッシュになった。
しかし、こうした武装集団の始まりは1970年代に考えだされたズビグネフ・ブレジンスキーの対ロシア戦略。パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカはブレジンスキーの戦略に基づき、73年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。1973年1月にアメリカはパリ和平協定に調印しているが、これはアメリカが北ベトナムに敗北したことを意味する。自国軍を投入して敗北したアメリカはアフガニスタンで傭兵を使うことにしたわけだ。
そこで目をつけたのがクルブディン・ヘクマチアルだが、その選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに基づくとされている。ヘクマチアルはカブール大学で学んだ後、ムスリム青年団のリーダーになったが、この組織はCIAから支援を受けていた。戦闘員はサウジアラビアの協力でサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団の協力で集められた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
この工作を進めるため、CIAやISIは政治的な障害になっていたズルフィカル・アリ・ブット政権を倒すことにする。ズルフィカルはベナジルの父親にほかならない。
ズルフィカル・アリ・ブット政権は1977年に軍事クーデターで排除され、ブット自身は79年に処刑された。クーデターを主導したのはムハンマド・ジア・ウル・ハク陸軍参謀長だ。
ハクはムスリム同胞団系の団体に所属、ノースカロライナ州のフォート・ブラグで訓練を受けた経験がある。その一方、イギリスはソ連の中央アジア地域を混乱させ、イスラエルのために中東をバルカン化、つまり分割して対立させようと活動していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)
そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダの犯行だ」と断定、それを口実にしてイラクを先制攻撃、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたサダム・フセイン体制を倒した。その段階でネオコンはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを攻撃、破壊する計画が作成されていた。(3月、10月)
ブレジンスキーのコロンビア大学における弟子だとされているオバマは2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けた。いわゆる「アラブの春」である。
バラク・オバマ政権は2011年春、リビアやシリアを含む地中海沿岸諸国で体制転覆工作を始めた。同年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ政権を倒したが、そこでNATO軍がアル・カイダ系武装集団と手を組んでいることが発覚してしまう。アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンをオバマ政権は2011年5月2日に暗殺したとされている。
オバマ政権がシリアのアサド政権を倒す工作を始められたのは2011年3月。同年2月にアメリカなどが軍事介入したリビアでは10月に体制が崩壊、そこからシリアへ戦闘員や兵器が運ばれている。そこからオバマ政権はシリアの反政府軍に対する支援を強化。CIAはイギリスやサウジアラビアなどの情報機関からの協力を得て兵器の供給と戦闘員の訓練を本格的に始める。ティンバー・シカモア作戦だ。2017年まで続いたとされている。
現在、国家安全保障大統領補佐官を務めているジェイク・サリバンはオバマ政権でも要職についていた。2011年2月から13年2月にかけて政策企画本部長、13年2月から14年8月まで国家安全保障問題担当副大統領補佐官だ。サリバンは2012年2月、ヒラリー・クリントン宛電子メールで「AQ(アル・カイダ)はシリアで我々の味方だ」と書いている。
オバマ政権は軍事支援している相手を「穏健派」だと主張していたのだが、そうしたオバマ政権の方針を危険だと警告する報告書が2012年8月に同政権へ提出された。反シリア政府の武装集団に「穏健派」などは存在しない。
報告書を作成したのはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)。反シリア政府軍の主力はAQI(イラクのアル・カイダ)であり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
DIAの警告通り、シリアでは2014年に新たな武装集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が出現。この年の1月にこの武装集団はイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。そして8月にフリン中将は解任された。
HTSはかつてアル・ヌスラ戦線と呼ばれていたが、この集団がそれ以前に使っていたタグはAQI。いずれもアル・カイダ系武装集団だ。故ロビン・クック元英外相は2005年7月、アル・カイダはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだと説明している。アル・カイダは組織ではなく、傭兵の登録リストにすぎない。活動の目的は雇い主次第だと言える。
これまでの歴史を振り返ればHTSやモハメド・アル・ジュラニが穏健派だという主張が嘘だということは明白だが、有力メディアはシリアの刑務所に関する怪しげな話も盛んに流している。そうした有力メディアの情報操作に関する報告も発表されている。
CIAの元分析官、ラリー・ジョンソンも偽情報の流布を懸念しているひとり。情報機関が政治指導者に嘘をつき、その指導者がその嘘に基づいて間違ったことをするとしているが、その通りだろう。有力メディアの嘘は人びとの判断を誤らせる。
シリアの戦乱が始まった翌年の2012年6月、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はシリアを調査、ローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語れば、シリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。西側有力メディアの情報操作を批判したのだ。こうした状況は今でも変化していない。
クロス大主教も反シリア政府軍の戦闘員はサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)とムスリム同胞団であり、出身国はリビア、レバノン、ペルシャ湾岸諸国、アフガニスタン、トルコなどだと指摘、イスラム教徒とキリスト教徒の間に伝統的に存在した友愛関係を破壊しようとしているとも語っている。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412290000/
・HTS戦闘員がシリア人を処刑する映像が流れる一方、住民の抵抗運動が始まった
2024.12.29
※シリアのダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権を倒したアル・カイダ系武装集団、ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の戦闘員がアラウィー派の人びとを拉致、処刑しはじめた。キリスト教徒も攻撃の対象になっていると伝えられている。
こうした殺戮は「散発的」でなく、頻発しているようで、首を切る様子を撮影した映像など、殺戮の場面がインターネット上に流れ始めた。クリスマス・ツリーを焼き払う行為もキリスト教徒を怒らせる一因になっているようだ。
アサド政権が自国民を殺害しているという偽情報の流布、繰り返された偽旗作戦などを利用してアメリカをはじめとする外国勢力は2011年春以来、シリアへ武装集団を送り込んできた。その実態は本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。そしてアサド政権は倒された。
西側諸国は自分たちが流してきた偽情報に合わせ、アサド政権を悪魔化して描く一方、HTSの指導者とされるアブ・ムハンマド・アル・ジュラニのイメージを良くしようと必死だ。事実の裏付けのない物語でアサド政権の打倒を正当化する一方、事実を無視してHTS支援を納得させようとしている。
そうしたプロパガンダが展開される中、アメリカはジュラニにかけられた1000万ドルの懸賞金を取り消した。バラク・オバマ政権がアル・カイダ系武装集団を利用してシリアに対する軍事侵略を始めた直後に発覚した残虐行為を忘れた人が少なくないかもしれないが、この武装集団は今でも似たようなことを行なっている。
イギリス人のダニー・デイエムが「現地の情報」として発信、西側の有力メディアが垂れ流していた作り話を忘れた人も少なくないだろう。彼や彼の仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子を撮影した映像が2012年3月1日に流出、彼の「現地報告」がヤラセだということが発覚している。
そこで登場してくるのは「化学兵器話」だ。そうした作り話を有力メディアへ発信する役割を演じることになった団体のひとつがSCD(シリア市民防衛)、通称「白いヘルメット」にほかならない。
この団体は2013年3月にジェームズ・ル・ムズリエというイギリス人が編成、訓練してきた。シリアのアレッポで化学兵器が使われた頃だ。後にSCDの活動を紹介する映像が公開されるのだが、医療行為の訓練を受けていないことが指摘されている。
ル・ムズリエはイギリスの対外情報機関MI6の「元」オフィサーだとされている。「退役」後、オリーブ・グループという傭兵組織の特別プロジェクトの幹部になるが、この組織は後にアカデミ(ブラックウォーターとして創設)に吸収されている。
2008年に彼はここを離れてグッド・ハーバー・コンサルティングへ入り、アブダビを拠点として活動し始めるのだが、この段階でもイギリス軍の情報機関と緊密な関係を維持している。そしてSCDをトルコで創設したが、アメリカ国務省の副スポークスパーソンを務めていたマーク・トナーは2016年4月、SCDがUSAIDから2300万ドル受け取っていることを認めた。言うまでもなく、USAIDはCIAの資金を流すパイプのひとつ。そのほかジョージ・ソロス、あるいはオランダやイギリスの外務省も資金を提供していた。
SCDはシリア政府軍が化学兵器を使ったとする話の発信源になったことでも知られている。そのSCDのメンバーがアル・カイダ系武装集団と重複していることを示す動画や写真の存在、被害者を救出している場面を演技者を使って撮影している様子、アル・カイダ系武装集団が撤退した後の建造物でSCDと隣り合わせで活動していたことを示す証拠などが確認されている。
現地に入って地道な取材を続けているバネッサ・ビーリーやエバ・バートレットなどがこうした事実を明らかにしてきたが、ほかにも現地を取材していたジャーナリストがいる。そのひとりがイギリスで発行されているインディペンデント紙のロバート・フィスク特派員だ。
フィスクは攻撃があったとされる地域へ入って治療に当たった医師らに取材、患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。(Independent, 17 April 2018)アメリカのケーブル・テレビ局、OANの記者も同じ内容の報告をしている。
2013年12月19日には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがイギリスの書評誌「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」に記事でも、オバマ政権が化学兵器に関する情報操作を行なったとする情報があるとしている。
国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表した。
その一方、アル・カイダ系武装集団だけではシリア政府軍を倒せなかったアメリカのバラク・オバマ政権は軍事介入を正当化する口実作りを始めた。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の編成だ。2014年から残虐さで売り出し、それを利用してアメリカ軍はシリアの施設を空爆で破壊しはじめている。
しかし、その段階でも統合参謀本部はオバマが支援しているサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を危険だと認識していた。そこで2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、同年9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへというように好戦派へ交代させている。
アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)もオバマ政権のジハード傭兵を利用した計画を危険だと考え、2012年に報告書を提出している。反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。
この警告通り、2014年には新たな武装集団ダーイッシュが登場、この集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。
過去を人びとが忘れても、現実がプロパガンダの前に立ちはだかる。自分たちやその配下の人間が行った残虐行為を相手が行ったように宣伝するのはアメリカ支配層の「癖」らしく、それを西側の有力メディアが拡散するのだが、それでも現実は彼らを追い詰める。
アサド政権の崩壊は政府軍の幹部将校たちが戦わずに逃走したところから始めるが、残された兵士たちはアサド政権の支持者が編成した部隊に加わり、ダマスカスの北部ではHTS体制に対する武装抵抗が始められたとも伝えられている。
アサド政権は西側諸国による経済封鎖で人びとの生活は厳しく、政府軍兵士の給与はHTS戦闘員が得ている報酬の十数分の1だったと言われている。そうしたことも政府軍を弱体化させる一因だったようだが、これからは状況が変化するだろう。
CIAが作り上げたアル・カイダと呼ばれる傭兵システムから派生したHTSは現在、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権が雇い主になっていると言われている。2015年9月末にアサド政権の要請で軍事介入したロシア軍がダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を含むアル・カイダ系武装集団を一掃した後、アメリカはクルドを手先として利用し始めるが、エルドアン大統領はクルドを敵と認識している。こうした状況は今でも同じで、エルドアン大統領に近いトルコの政治家はBBCに対し、クルド人を根絶すると発言していた。クルド側はトルコと戦争する準備を進めていると伝えられている。
HTSはアラウィー派、キリスト教徒、クルドを殺戮するだけでなく、アレッポにあるアラフィ派の聖地を冒涜したことで抗議行動を誘発することになった。アレッポにあるシェイク・アブ・アブドラ・アル・フセイン・アル・ハシビの聖堂内で火災が発生、武装集団が聖堂内へ侵入して警備員を殺害する様子を映した動画が流れた後、抗議活動が激化したと伝えられている。12月25日にはラタキア、タルトゥース、ホムス、ハマ、カルダハでは数万人が街頭でHTS側と衝突したという。
抗議活動を激化させる切っ掛けになった映像は過去のものだとHTS側は主張しているが、アル・カイダ系武装集団やイスラエル軍は歴史的な建造物の破壊を繰り返してきたことは事実だ。欧米の私的権力はシリアの資源を略奪を推進するために新自由主義の導入を目論んでいるが、そのためにもHTS体制への抵抗を鎮静化させる必要がある。
アメリカをはじめとする外国勢力に侵略される前のシリアでは医療が無料で、就学年齢に達した児童の推定97%が学校へ通い、識字率は男女とも90%を超え、中東地域で食糧生産を自給自足していた唯一の国でもあった。IMFの融資を拒否していたことも欧米諸国を怒らせただろう。
そのシリアが軍事侵略によって破壊され、略奪されつつある。リビアと同じことがシリアでも引き起こされつつあるのだが、ユーゴスラビアも国が破壊された上で分割され、略奪されている。帝国主義国が行なってきたことが繰り返されようとしていると言えるかもしれない。
そうした現実を隠蔽し、遂行するため、西側の有力メディアは荒唐無稽な話を、勿論根拠を示すことなく、盛んに流している。そうした話が有効な理由は、おそらく、そうした話を好む人が少なくないからだろう。そこに事実は存在しない。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412310000/
・HTS指導者:シリアとの関係を損なう形で露国が撤退することを望まない
2024.12.31
※バシャール・アル・アサド政権を倒し、シリアで実権を握ったハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の指導者とされるアブ・ムハンマド・アル・ジュラニは12月29日、アル・アラビヤ・ニュースのインタビューで、シリアとの関係を損なう形でロシアが撤退することは望んでいないと語った。ロシアは世界で2番目に強力な国であり、戦略的な利益があるというのだ。ジュラニ体制はロシアの軍事施設を撤退するように求めていないと受け取られている。
ロシアはシリアの地中海沿岸にフメイミム空軍基地とタルトゥースにある兵站支援センターを保有しているが、現在、アメリカやイギリスに雇われているRCA(革命コマンド軍)に占拠されているようだ。
ロシアとシリアは2017年、ロシア軍を49年間駐留させることで合意している。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は12月29日、ロシア軍のシリア駐留を規定する協定は有効であり、国際法の規範に基づいて締結されたと述べ、移行期間が終了した後、ロシアはダマスカスの新当局と軍事施設の将来について協議する用意があると語った。
それに対し、HTSがダマスカスを制圧した後、オランダのカスパー・フェルドカンプ外相はシリアに対する制裁解除の条件としてロシア軍の撤退を求めていた。ロシアのメディアは、アメリカやイギリスがシリア領内のロシア軍基地に対するテロ攻撃を準備、ダーイッシュに攻撃用のドローンを供給していると報じている。HTS側は西側諸国の要求を呑んでいないようだ。
HTSはアル・カイダ系武装集団であり、アル・カイダとはロビン・クック元英外相が2005年7月に説明したように、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストにほかならない。つまり共通の政治的な目的を持つ集団ではなく、傭兵だ。
この傭兵登録システムは1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーが作り上げた。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、そのソ連軍と戦わせる戦闘集団を編成するためだ。コロンビア大学でブレジンスキーの教え子だったというバラク・オバマは2010年8月に「PSD(大統領研究指針)11」を承認して「アラブの春」を開始、翌年の3月、シリアに対する軍事侵攻を始めた。
シリアより一足先、2011年2月にアメリカなどはリビアへ軍事介入、同国のムアンマル・アル・カダフィ体制は同年10月に崩壊、そこからシリアへ戦闘員や兵器が運ばれている。
こうしたオバマ政権の政策は危険だとアメリカ軍の情報機関DIAが警告した2012年夏、そのオバマ政権は10億ドル以上を投入し、サラフィ主義者やムスリム同胞団を主体とする戦闘員を訓練を始めた。その際、CIAだけでなくイギリスやサウジアラビアなどの情報機関からの協力を得ている。これが「ティンバー・シカモア作戦」だ。2017年まで続いたとされている。
アサド政権の打倒に手間取ったオバマ政権は2014年にNATO軍を軍事介入させる動きを見せる。そこで新たな傭兵集団として作り出されたのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)だが、2015年9月末にロシア軍がバシャール・アル・アサド政権の要請で介入、アメリカが使っていたジハード傭兵は敗走。NATO軍の介入は難しくなった。そこでアメリカ軍を秘密裏にシリアへ侵入させ、クルドを支援、石油を盗掘し始めている。
その一方、ジハード傭兵の一部はトルコに隣接するイドリブへ逃げ込み、そこを拠点にして活動し始めるが、その時点で雇い主はアメリカでなくトルコになったと言われている。「シリアとの関係を損なう形でロシアが撤退することは望んでいない」というジュラニの発言にはトルコとロシアとの関係が反映されているのだろう。
一方、アメリカは新たな手先としてクルドを選んだのだが、HTSを支援していたとも伝えられている。イギリスのテレグラフ紙によると、アサド政権打倒でHTSと協力関係にあったRCAの戦闘員はイギリスとアメリカに訓練されていた。
そうした繋がりがあるため、アメリカ政府は「攻撃についてかなり前から知っていた」だけでなく、「その規模に関する正確な情報」も持っていたという。雇い主が別々の武装集団が連携していたということなのだろう。
また、ウクライナの支援も受けていたとされている。ワシントン・ポスト紙によると、ウクライナの情報機関GURは4、5週間前、イドリブにあるHTSにドローン約150機を供与、その本部に熟練したドローン操縦士約20人を派遣した。
HTSがダマスカスを制圧した後、新たな戦乱の兆候がある。戦闘員がアラウィー派の人びとを拉致、処刑しはじめた。首を切る様子を撮影した映像など、殺戮の場面がインターネット上に流れ始め、キリスト教徒も攻撃の対象にしていると伝えられている。これまで反アサド政権でまとまっていた傭兵集団の内部で対立が激化する可能性もある。そうした混乱にアメリカやイギリスが巻き込まれるかもしれない。
以下「櫻井ジャーナル」様より転載
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501100000/
・混乱の様相を強めているシリア
2025.01.10
※バシャール・アル・アサド政権が倒れた後、シリアではアラウィー派住民の虐殺が伝えられているが、それだけではなく、混乱の度合いが高まっているようだ。反アサド勢力にはいくつかの勢力が存在、それらをまとめる存在が今のところ見当たらないことが大きい。
反アサド勢力の中核だったHTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)はトルコを後ろ盾とする武装勢力で、アル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線を改名した組織。そのアル・ヌスラはシリアで活動を始める前、AQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。そのほかアメリカやイギリスを後ろ盾とするRCA(革命コマンド軍)、アメリカが手先として利用してきたクルド、さらにバシャール・アル・アサド政権の残党やイスラエルが活動している。こうした反アサド勢力による内乱が起こると予想する人は少なくない。
シリアの北部ではHTSとクルドの戦闘が激しくなっているようだが、これはトルコとアメリカの対立とも言えるが、両国はNATOの加盟国であり、状況によってはNATO加盟国同士の戦闘もありえる。南部ではレバノンへ侵入したHTSの戦闘員が逮捕されるという出来事もあったようだ。アサド政権が倒される前からシリアへ入っていたイスラエルはダマスカスの近くまで侵攻している。
アメリカの外交や安全保障の分野を支配してきたネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランを制圧する計画を立てていたが、欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見たという。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていた。(3月、10月)
イラクは2003年3月にジョージ・W・ブッシュ政権がアメリカ主導軍で先制攻撃して破壊、シリアやリビアは2011年春から軍事侵略を受けている。このリストで侵略されていないのはイランだけだ。
ブッシュ政権は自国軍を動かしたが、バラク・オバマ政権はサラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とする傭兵を使った。そのため、オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆プロジェクトを始めた。いわゆる「アラブの春」だ。2011年2月にはリビア、そして同年3月にはシリアを傭兵に攻撃させている。HTSもそうしたジハード傭兵の流れに属す。
2011年3月からシリアで政府軍と戦っていたジハード傭兵の雇い主はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟にイギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、パイプラインの建設をシリアに拒否されたカタール、そしてトルコなどだ。
ジハード傭兵はシリア東部の油田地帯を制圧、2015年になるとオバマ政権は政府を好戦的な布陣に変える。2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、同年9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへといった具合だが、デンプシーが解任された直後の9月末にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、アル・カイダ系武装勢力や新たに出現したダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を敗走させた。
そこでアメリカはクルドと手を組み、地上部隊を油田地帯のデリゾールへ入れて基地を建設した。2016年9月には2機のF-16戦闘機と2機のA10対地攻撃機で政府軍部隊を攻撃、80名以上の兵士を殺害している。アメリカ軍は交通の要衝、アル・タンフにも基地があり、戦闘員の訓練などにも使われてきた。
シリアの混乱はイスラム諸国の西側に対する信頼、あるいは信仰の結果だったようだ。イランの経済分野には親米勢力がまだ存在していると見られている。反帝国主義を掲げるマフムード・アフマディネジャドを2005年に攻撃したのもそうした勢力だった。その際、ロイターはアフマディネジャド大統領の発言を捏造している。2009年にはカラー革命も試みられ、13年に彼は排除された。そして登場したのがハッサン・ロウハニだ。
経済分野に巣食う親米派や大統領の交代も問題だが、防諜部門の問題も深刻。2011年に任命された防諜の責任者は21年までその職にあったが、この人物はイスラエルのスパイだった。2021年に彼は約20名のチームを率いてイスラエルへ亡命している。こうしたイスラエルのネットワークが消えたとは思えない。
2024年5月19日にエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らを乗せたベル212ヘリコプターがイラン北西部で墜落、全員が死亡。7月31日にはハマスのイスマイル・ハニヤがテヘランで暗殺され、ハッサン・ナスララを含むヒズボラの指導者が立て続けに殺されたが、イランの情報機関から漏れた可能性もある。ライシの次の大統領、マスウード・ペゼシュキヤーンは親欧米派だ。
また、シリアのアサドは数年前からエジプト、アラブ首長国連邦、サウジアラビアなど親欧米派の影響下にあったとする情報もある。その親欧米派はアサドに対し、イランとロシアとの関係を断ち切るよう促していたというのだ。アサド政権は収入源である石油や農業をアメリカ軍に抑えられ、しかもアメリカ主導の経済制裁で苦しんでいた。そこで「経済制裁の解除」という餌に食いついたのかもしれない。HTSがアレッポを制圧するまでアサドは楽観していたとする情報もある。
かつてリビアに君臨していたムアンマル・アル・カダフィは欧米諸国やイスラエルの計画を見抜いていた。まずレバノンとシリアを破壊し、イスラエルとトルコが国境で面することになり、シリアは5つの小国になると語っていた。大イスラエル構想とオスマン帝国構想の衝突とも言える。また、2008年のアラブ首脳会議でカダフィは、サダム・フセインと同じように処刑の順番が回ってくると各国の首脳に語った。「サダムに起こったことはあなた方にも起こるだろう」というわけだ。