両腕と右足はどこへ?


・「四肢がなく両胸が抉り取られたほか、内臓もなくなっていた」島根の女子大生(19)が無惨に殺害された「元・未解決事件」が“迷宮入り”しなかった意外なきっかけ(文春オンライン 2024年12月1日)

島根女子大生殺人の7年後#1

※広島県の山中で発見された女性の“変死体”。四肢が切断され、両胸が抉り取られただけでなく、内臓もなくなるという異常な状況で発見されたのは、19歳の女子大生だった。

警察の楽観的な見通しとは裏腹に一度は“迷宮入り”し、7年後の再捜査によって衝撃の結末を迎えるまで、「未解決事件」として影を落としつづけていた。

意外なきっかけで真相が明らかになった“元・未解決事件”を追う。

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広島県と島根県の県境に近い標高1223メートルの臥龍山(広島県山県郡北広島町)は自然が豊かで、地元の人にとってはキノコ狩りの名所であった。

2009年11月6日、臥龍山にキノコ狩りに訪れていた男性が、切断された女性の頭部を発見する。DNA鑑定の結果、被害者は島根県浜田市で10月26日から行方不明になっていた19歳の女子大生・平岡都さんであることが確認された。

都さんと連絡が取れなくなって不審に思った家族が大学寮に問い合わせたところ、寮にも戻っていないことが確認され、家族は10月28日に警察に捜索願を提出。警察は11月2日にMさんの写真を公開して公開捜査に踏み切ったが、遺体が発見されるまでには4日の時間を要した。


「胴体は四肢がなく、一部が焼けていた。両胸が抉り取られたほか…」
 
島根・広島両県警の合同捜査本部による大規模な捜索が行われ、臥龍山では四肢が切断された胴体と大腿骨、左足首が発見される。

さらに11月19日までには周辺や野生動物の排泄物から、右足の親指の爪1点と、爪と見られる破片4点、約1.5センチメートル大の肉と骨片が見つかった。司法解剖の結果、都さんは首を絞められて窒息死したあとにバラバラにされたことがわかった。

遺体を損壊するバラバラ殺人はただでさえ猟奇性が高いが、本件は輪をかけて残忍性が滲み出る。

顔には殴打痕、首の後ろには殺害時に付いたとみられる紐の跡があったばかりか、当時の捜査関係者の証言によると「胴体は四肢がなく、一部が焼けていた。両胸が抉り取られたほか、鋭利な小型の刃物で執拗に傷つけられ、内臓もなくなっていた」という。胴体は性別がわからないほどの損壊であった。


被害者の平岡都さんは香川県坂出市の出身。

地元の県立高松商業高校を卒業後、島根県立大学総合政策学部への進学を機に、この年4月から親元を離れて島根県浜田市内にある大学の女子寮で生活していた。

高校2年生の夏にはアメリカにホームステイした経験があり、将来は英語を活かした仕事に就きたいとの希望を持っていたようだ。

大学では発展途上国の貧困や飢餓問題に取り組む国際ボランティアサークル「ユース・エンディング・ハンガー」に所属し、9月末に同大学でPGL(地球語としての平和国際会合)という国際学会が開催された際には、1年生ながら英語でのプレゼンテーションを行った。

このときの発表テーマは、畜産業に関わる「アニマル・ライツ(動物の権利)」について。それに先立って9月中旬には地元に帰省し、高校時代の英語の先生に原稿を添削してもらっていたという。いま風に言えば「意識が高い」タイプであり、当時の彼女を知る者は「明るくて真面目」と口を揃える。


女子寮からアルバイト先までの街灯も少なく坂道が続く道を徒歩で…
 
事件発生当日、都さんはショッピングセンター「ゆめタウン浜田」(浜田市)内のアイスクリーム店でアルバイトをしていた。「ゆめタウン浜田」の従業員用通用口にある防犯カメラの映像には、10月26日の午後9時15分頃、白と黒のボーダーのワンピースと黒のレギンスを着用した都さんの姿が残されている。

女子寮から同店舗までは約2.5キロメートルほど離れており、街灯も少なく坂道が続く。成人女性でも30分から40分はかかる道のりで、タクシーを何人かで相乗りする学生も多かったが、都さんは留学費用を稼ぐために徒歩で通勤していた。

じつは都さんは、アルバイト先をアイスクリーム店から居酒屋へと変更する予定だった。時給も立地も良く、28日から居酒屋で働くつもりだったが、アイスクリーム店の店長が代わりが見つかるまで待ってほしいと頼み込んで期間を延長していたようだ。その矢先、都さんは犯人に目をつけられ、アルバイトからの帰り道で被害に遭ってしまう。


異例のスピードで「捜査特別報奨金制度」が適用されたワケ

事件発生当初、警察は早期に犯人を逮捕できると楽観視していたフシがある。遺体の損傷具合からは強い殺意が感じられ、怨恨の可能性を考慮すれば都さんの身近な存在が疑わしい。そもそも都さんは香川県から引っ越してきてから半年しか経っていない。交友関係も限られており、重要参考人の絞り込みは容易と思われた。

ところが捜査は難航した。

わずかな目撃情報は得られたものの、犯人に繋がる決定的な情報や証拠は見つからない。物的証拠といえるのは、都さんの遺体に付着していた小さなビニール片のみ。2010年2月26日、警察庁は本件に捜査特別報奨金制度を適用した。事件発生からわずか3カ月でのスピード適用である。

捜査特別報奨金制度は、現在でこそ浸透し、凶悪犯罪が起きた際には目にする機会も増えた。だが、この制度が導入されたのは2007年。都さんの事件は制度開始から16例目の適用だった。

千葉県市川市で市橋達也が英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した事件で適用(告示日は2007年6月29日)されて制度の知名度は飛躍的に上がったものの、事件発生から半年以上経過したケースが対象となることが多かった。都さんが殺害された事件でスピード適用されたのは、それだけ世間の注目を集めていたということになる。

また、警察も相当焦っていたのだろう。事件解決や被疑者検挙に直接つながる有力情報の提供者には、最大300万円が支払われることが発表された。

制度適用の効果もあってか、合同捜査本部には1690件もの情報が寄せられた。動員された捜査員はのべ6万人以上を超えた。それでも、犯人は見つからない。そのまま、なんと7年が経過してしまうのである。

完全に“迷宮入り”したかに思われた。だが、事件は意外なかたちで解決を見る。



・19歳の“陽キャ”女子大生を惨殺した元バンドマン(33)のカメラから復元された「残酷すぎる」57枚の写真の中身

島根女子大生殺人の7年後#2

※2009年に島根の女子大生・平岡都さんが遺体で発見された事件は、捜査特別報奨金制度が適用されたものの、犯人に繋がる情報が得られないまま7年が経過してしまった。被害者のMさんを殺害して臥龍山に遺体を遺棄した犯人はどこに潜んでいるのか。

事件から7年後の2016年12月20日、警察は被疑者を特定したと発表した。

性犯罪の前歴のある人物を洗い直したところ、島根県益田市に住んでいた男が捜査線上に浮上した。益田市は、都さんが入居していた女子寮のある浜田市の隣の市である。

被疑者は矢野富栄(よしはる)。事件当時33歳の会社員だった。

福岡県北九州市や東京都杉並区などで、面識のない女性に刃物を突きつけ猥褻な行為をしようとして怪我をさせるなど3件の事件を起こし、懲役3年6カ月の実刑判決を受けていた。矢野を担当したことのある弁護士は、メディアの取材に対して「非常に神経質な人に見えたんですよ。逆上して何をやるかわからないというタイプの人でしたね」と答えている。


「最近まであきらめモードに入っておりましたが…」
 
刑期を終えた矢野は、2009年に山口県下関市の実家に戻り、アルバイト生活を送っていた。この時期に矢野はmixiに次のように記している。

「Dr.よしゆき 2009年04月15日 05:23

はじめまして。7年前から左手にジストニアを患っています。書痙と診断されておりましたが、こちらのコミュを見て、フォーカルジストニアって言うんだなと思いました。症状はドラムを叩くとき、ピアノを弾くときなどに現れ、左手を使う楽器全般の演奏が困難な状態です。最近まであきらめモードに入っておりましたが、思うところがあり、治療(まずは病院探しから)を再開しようかなと考えております。よろしくお願いします。」

ハンドルネームの「Dr.よしゆき」とは、バンドをやっていたときの「ドラム担当(ドラマー)」を意味する。バンド活動を病気で断念したあとに上京し、性犯罪を犯して懲役刑に服し、出所して実家に戻った……という来歴が見えてくる。

その直後の4月末から5月にかけての時期に、ハローワークの紹介で地元の住宅設備会社に就職し、ソーラーパネルを販売する営業職として益田市に派遣された。彼の営業範囲には、被害者都さんの勤める「ゆめタウン」があった。

また、矢野が益田市で住んでいたのは、会社が借り上げた二階建ての一軒家の社宅。この家の風呂場で、都さんの遺体を解体していた。

事件発生日(10月26日)以降も、矢野は普段と変わらず出勤していた。矢野によるmixiへの書き込みは、11月1日19時28分のものが最後となる。

「一般家庭の消費電力の実態について調べています」との見出しで、外出中に各家庭のソーラーパネルの設置状況を自然と見るようになったと、当時の仕事をするようになってから身についた習慣についてしか書かれていない。だがこの頃、勤め先に「営業先を変えて欲しい」との連絡を入れていたようだ。


「用事があるので、明日から2日間、代休がほしい」
 
11月2日には警察が公開捜査に踏み切り、遺体が発見される前日(11月5日)、矢野は故郷の山口を訪れて知人に「大変なことをしてしまった」「交際している女性の関係で暴力団に追われている」と漏らしていたとの証言もある。性犯罪を繰り返してきた、卑劣で小心な犯人像が浮かぶ。

なお、11月4日未明には、臥龍山の山頂付近を見渡せる場所に住む女性が、午前1時から午前4時頃にかけて、長々とヘッドライトを灯していた車があったのを目撃したと証言している(証言の公開は2014年10月26日)。

そして都さんの遺体が発見された11月6日の夜、住宅設備会社の社長のもとに「用事があるので、明日から2日間、代休がほしい」と矢野から電話があった。この社長によると、矢野は勤務態度が真面目で、休みの申請はこれが初めてだったそうだ。

また、2016年の容疑者洗い直しの際、都さんの遺体に付着していたビニール片が、1995年にNTTが電話帳を配布するために用意した取っ手付きのビニール袋であることが判明し、同じものが広島県だけでなく山口県にも流通していることがわかり、捜査範囲を拡大してNシステムの映像も調べ直していた。

Nシステムとは「自動車ナンバー自動読取装置」のことで、走行車両のナンバーを記録したり、車種や同乗者の顔まで映像で確認できたりする装置のことを指す。Nシステムの映像を確認した際に不審な動きをしていた車両を見つけ、それが矢野のものであったとされる。


カメラには解体に用いたであろう文化包丁や自宅風呂場の写真が…
 
これらの情報を元に、警察は2016年の夏頃から矢野の実家や勤務先本社に捜査員を派遣し、同年10月には益田市で矢野が住んでいた一軒家を家宅捜索する。同10月28日には関係先から矢野が所持していたUSBメモリを押収し、さらに11月22日には同じくデジタルカメラを押収した。

USBメモリとデジタルカメラはデータが消去されていたが、警察は合計57枚もの写真のデータの復元に成功。そこには被害者の遺体や、解体に用いたであろう文化包丁、益田市内の自宅風呂場、自室などを写した写真が確認された。

だがこれだけの証拠を得ても、警察は矢野を逮捕することはできなかった。

なぜなら、矢野はすでに死亡していたからだ。



・女子大生(19)の遺体を解体した男(33)は母親とともに交通事故死していた…迷宮入りから7年目に判明した衝撃の事実と「残った謎」

島根女子大生殺人の7年後#3

※2009年に発生した島根女子大生死体遺棄事件。警察は7年の歳月をかけて被疑者を矢野富栄(よしはる)と特定した。だが、矢野はすでに死亡していた。卑劣で小心な犯人は、どのような最期を迎えたのだろうか。

本件被害者の平岡都さんの遺体が臥龍山の山頂付近で発見されたのが2009年11月6日。その夜、被疑者の矢野は勤め先の社長に「用事があるので、明日から2日間、代休がほしい」と申請していた。その「用事」とは、前年に亡くなった父親の墓参りに行くと告げていたとの証言もある。

そして11月8日の午後3時過ぎ、山口県美祢市の伊佐パーキングエリア付近、中国自動車道下り車線において単独事故を起こし、ガードレールに三度衝突。車は路側帯で炎上し、矢野は運転席で死亡し、同乗の母親は外に投げ出されて車外で死亡した。ともに焼死である。

現場にブレーキ痕やスリップ痕がなかったことから、矢野が自殺を図ったとの見方もある。父の墓前に手を合わせたのち、捜査の手が自分に及ぶ前に母親と無理心中した、と。


桜塚やっくんも亡くなった、有名な「事故多発地帯」

「墓参り」に行くという矢野の言葉を信じるなら、その可能性もあるだろう。ただ、11月に入ってからの矢野の足跡を追うと、不自然なほど頻繁に地元と勤務地を行き来している様子がうかがえるので、何かを画策していたのではないかという印象も抱く。

また、山口へと向かう下り線に母親が同乗していた点にも不自然さがある。実家に暮らす母の元を訪れて一緒に墓参りに行く、という状況とは違ったようだ。

なお、遺書が見つかっていないことから、警察は事故死と断定している。そもそも美祢インターチェンジ~伊佐パーキングエリア~美祢西インターチェンジの区間は、以前から“運転の難所”とされ、地元では事故多発地帯として有名だ。2013年10月5日には、タレントの桜塚やっくんもこの区間で事故死している。

2016年12月20日、島根・広島両県警合同捜査本部は被疑者死亡のまま松江地方検察庁へ書類送検し、翌2017年1月31日、松江地検は被疑者死亡で不起訴処分とした。

ちなみに2017年3月16日には、島根県警は被疑者に繋がる有力な情報を提供した3人に捜査特別報奨金として合計300万円を支払うことを発表した。しかしながら、実際にどのような情報が提供されたのか、その内容については公表を差し控えられた。


解決に至ったが、それにしても7年の歳月は長い
 
それにしても目撃証言の少なさを考えると、近い場所にバラバラにした遺体をまとめて遺棄せずに少しずつ処分していたら、この事件は完全に“迷宮入り”になっていた可能性が高い。

事件発生の2009年から、島根県益田市では可燃ごみを出す際には記名制になっていたので、遺体の処分方法が限定されていたことは推測できる。また、公開捜査が犯人を焦らせて遺体遺棄に向かわせ、それが結果として発見につながった……と考えることもできよう。

いずれにせよ、警察の執念が実るかたちで事件は解決に至ったのだが、それにしても7年の歳月は長い。再捜査からのスピード感を考えると、もっと早く前歴のある被疑者を洗い出すことはできなかったのだろうか。犯人が事故死していた事実は動かしようがないが、遺族が心を痛めた時間を考えると、やり切れない気持ちになる。

ともあれ、Nシステムや画像復元といった先端技術が、“未解決事件”を解決へと導くこともあるのだ。