・「魔女」が世界中に存在するのはなぜなのか?(Gigazine 2024年10月09日)

https://gigazine.net/news/20241009-universal-belief-witches-reveals-fears/

※西洋文明の社会で暮らしているほとんどの人は、誰かに「空を飛んだり動物に変身したりする魔女を信じているか?」と聞かれた場合、「信じていない」と答えるはず。しかし、実際のところインドネシアの島々からアメリカの都市まで、ありとあらゆる場所に「魔女が存在する」という信念が根付いているとのこと。魔女とはどういう存在なのか、一体なぜ魔女の信仰が世界中に存在するのかといった疑問について、カナダ・アルバータ大学の元人類学教授で世界中の魔術について研究しているグレゴリー・フォース氏が解説しています。

一口に「魔女」といわれている存在であっても、その形態は文化や地域によってさまざまです。たとえばヨーロッパの魔女は、道具を使って空を飛んだり、自分自身を動物に変身させたり、夜に仲間で集会を開いたりする存在と考えられています。一方、フォース氏が50年前にフィールドワークを行ったインドネシアのスンバ島では、人々の魂を動物に変え、その動物を食べることで病気や死を引き起こす存在が魔女だとされていました。

魔女への信仰について検討するにはまず、「魔女とは何なのか」を定義する必要があります。そこで人類学者や歴史家らは、「悪意によって突き動かされ、物理的な手段を用いることなく、人に隠れて目に見えない神秘的な手段で、故意に人を傷つける人間」として魔女を定義しています。儀式的な殺人やカニバリズム(食人)など、基本的に人間を動物のように扱う行為は、魔女を構成する典型的な要素だとのこと。

これにより、アメリカ南西部のナバホ族やニューギニアの魔女と、ヨーロッパの魔女を一緒に扱うことができます。また、1980年~1990年代にアメリカで発生した「デイケアセンターで悪魔的儀式が行われ、子どもが食べられていた」というパニックや、2016年に広まった「ワシントン D.C.のピザ屋が秘密の悪魔崇拝儀式の拠点となっていた」とするピザゲートといった事例でも、その背後に魔女がいるとみなせるとのこと。

なお、伝説や物語に登場する魔女の中には「善良な魔女」も存在しますが、これはアングロサクソン語(古英語)の歴史的に「魔女(witch)」をヒーラーや慈悲深い魔術師にも適用したことで生まれたものです。そのため、フォース氏やその他の学者らは「魔女」について、人に害をなす邪悪な存在として考察しています。

魔女にまつわる信念が普遍的だからといって、地球上のすべての文化で魔女が記録されているわけではなく、魔女が信じられているからといって魔女狩りやパニックが起きているわけでもありません。ピザゲートなどの西洋における悪魔崇拝の事例は、公に魔女を告発するものでしたが、アリゾナ州のホピ族は報復を恐れて誰かを魔女として公然と非難することはありません。その代わり、ホピ族の人々は魔女が死後に罰せられると信じているそうです。

また、一部の文化では魔女がまったく根付いていないか、たとえ魔女になじみがあってもそれを脅威に感じていませんでした。たとえばガーナのタレンシ族は、不幸は他人の邪悪さによって発生するとは信じておらず、その代わり公正で全能な先祖によって生じると考えています。このタレンシ族の社会では、病気や死は人間の行為に対する正当な報いとして解釈されるとのこと。

しかし、多くの地理的・文化的・時間的に断絶した社会で魔女が普遍的に存在するということは、「どこかに超自然的な手段で自分たちを傷つけようとする邪悪な人間がいる」という想像が、人間にとって執拗(しつよう)で永続的なものであることを示唆しています。つまり、善良な人々に起きた因果関係がわからない不幸や不運が起きた際、「これは邪悪な魔女がやったこと」だと説明するために、魔女の存在が信じられてきた可能性があるとフォース氏は主張しました。

こうした事例の最も有名なものとして、17世紀にマサチューセッツ州で起きた「セイラム魔女裁判」が挙げられます。当時のセイラム村は、多くの住人がイギリスから移民したピューリタンであり、時には敵対的な先住民やフランス人入植者との争いが発生する厳しい環境で暮らしていました。そんな中で成功者と失敗者が生まれ、時には不運に襲われるという状況を説明するために、魔女の信念が強化された可能性があるとのこと。

魔女について研究している人類学者らは、社会システムに焦点を当てて魔女の信念を説明しようと試みています。中央アフリカのアザンデ族について研究した人類学者のエドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャードは、1937年の著書「Witchcraft, Oracles, and Magic Among the Azande(アザンデ族の魔術、神託、魔法)」で、魔女の告発と自白はアザンデ族の宇宙論の本質的な要素であると共に、秩序ある社会生活を維持する方法として説明しました。

アザンデ族の魔女は、意識的または無意識的に人を傷つける超自然的な力を持っており、単に「誰かに悪意を持つ」だけで害をなす存在とみなされていました。そして、アザンデ族の誰かが病気やその他の不幸に苦しめられた時、占い師の助けを借りて魔女の正体を明かし、魔女であることの自白を求めたとのこと。多くの場合、魔女として告白された人物は「危害を加えるつもりはなかった」と弁明しつつ魔女であることを自白し、その後両者は和解して魔女の騒動に決着が着くという流れになっていました。

エヴァンズ=プリチャードは、アザンデ族の魔女は善良な人に悪いことが起きることの説明であると同時に、人々の間の社会的緊張や対立を明らかにして、社会的調和を促進・維持する方法としても機能していると主張しました。その後の人類学者もエヴァンズ=プリチャードのように、魔女を社会システムを安定させるのに役立つものとして解釈しました。たとえば、誰かを魔女として非難することで破綻している家族関係や友人関係を解消したり、魔女に害を加えられるのを恐れて善良な行動を心がけたりすることは、社会の安定につながります。

しかし、歴史学者や人類学者は単一の社会に焦点を当てていたため、魔女の信念を異なる社会に一般化することはできませんでした。実際、魔女とみなされるのが主に女性の地域もあれば、アメリカのナバホ族やアフリカの一部では男性が魔女の正体とされており、男女いずれも魔女として非難される社会もあります。また、同様のばらつきは年齢・社会的地位・富に関してもみられるほか、農耕民族だけでなく狩猟採集民族でも魔女の信念が確認されているとのこと。

魔女についての社会学的アプローチの欠陥を認識し、新たな視点を提案したのが、オックスフォード大学でフォース氏の指導教官だったロドニー・ニーダムです。ニーダムは1978年の著書「Primordial Characters(原初のキャラクター)」で、魔女を正しく理解するには異なる文化や歴史的背景の魔女について調査するべきだと主張しました。

ニーダムは魔女の広範なイメージの一部を「道徳的要素」と呼び、魔女は「道徳的な人間の絶対的な反対に位置する存在」とみなされていると主張しました。たとえば、ガーナの魔女は女性の子宮を逆さまにして妊娠しないようにするほか、近世ヨーロッパや西アフリカのヨルバ人、チリのマプチェ族などは魔女が男性のペニスを盗んだり、精液を壊したりするとされています。これは、人間の生殖という正常なプロセスを打ち消すものであり、道徳的要素のイメージに顕著な表現のひとつです。

また、「夜に活動する」「空を飛ぶ」「動物になる」「夜になると光る」といった要素も、文化を超えて魔女の特徴として挙げられます。特に「夜になると光る」という要素は南北アメリカ大陸からヨーロッパ、アフリカ、アジア、太平洋の島々まで幅広くみられ、インドネシア東部のスンバ島では魔女を「夜に光り、輝き、明滅する人々」と呼ぶほか、ガーナのトウィ語では魔術の実践を「輝く」という意味の言葉で呼ぶそうです。

魔女が適切あるいは正常なことと反対の方法で物事を行う「逆転現象」も、普遍的にみられる要素です。たとえばヨーロッパの魔女は十字架を逆さまに構え、儀式を反対に行い、不吉とされる反時計回りに踊り、右手で行うべきことを左手で行います。フォース氏がフィールドワークをしたインドネシア・フローレス島のナゲ族でも、魔女は人を食べた供宴で「間違った方向に踊る」と表現されています。

ニーダムはこれらの要素が一緒に発生する必要はないとしており、フォース氏もそれに同意しています。実際、近年のアメリカで悪魔崇拝に関与されていたとされる人々は、いずれも空を飛んだり、動物に変身したりするとは指摘されていません。これらの要素は現代物理学によって実現不可能だとされているため、近代的な教育を受けた人々は、これらの要素を捨て去っていると考えられます。しかし、依然として「儀式的な殺人」「カニバリズム」「生殖の妨害(子どもをいけにえにしたり中絶を促進したりする)」といった要素は、悪魔崇拝を非難する際の要素として残されています。

神や幽霊といった存在も人間と逆のことを行ったり、動物の姿になったり、主に夜に活動したりするものとして描かれますが、魔女はそれと同時に「欠陥のある人間」であるとされる点が異なります。多くの場合、魔女とされるのは同じ言語を話す村や家族の一員ですが、道徳的に異質で非人間的なものとみなすことで、「私たちのような普通の人」と正反対の人物として表現されるとのこと。

一部の認知科学者は、魔女や魔術を狩猟採集民族に由来する進化心理学の産物と見なしています。「目に見えない方法で、悪意を持って振る舞う内部または外部の敵が存在する」という信念は、小規模な石器時代のコミュニティで生き抜く心理的メカニズムとして進化した可能性があるそうです。

たとえ魔女が生まれた究極的な原因を切り分けたとしても、魔女の告発が引き起こしうる社会的な混乱や不公正を直ちに解決できるわけではありません。しかしフォース氏は、魔女の信念の理解が深まれば深まるほど、その最悪の影響を抑制して打ち消すチャンスが増えると主張しました。


・ヨーロッパにおける「魔女や魔術」の概念は中世の権力者が作って民衆に布教したものだと研究者が指摘(Gigazine 2020年07月07日)

https://gigazine.net/news/20200707-invention-satanic-witchcraft-initially-skepticism/

※魔女であるとされた人々を裁判にかけて迫害や処刑を行う魔女狩りは、中世ヨーロッパの末期である15世紀ごろから大規模化したといわれています。魔女を迫害する主な原動力となったのは民衆でしたが、アイオワ州立大学のMichael D. Bailey教授は、「『体系的な魔女や魔術のアイデア』はキリスト教の教会などの権力者が作り上げたものであり、15世紀になるまで民衆の間に定着していなかった」と指摘しています。

5世紀~15世紀に当たる中世ヨーロッパは民衆の間で広く魔法や怪物、妖精といった存在が信じられていた時代です。「邪悪な人々が魔法を実行する」という概念は古代ギリシャや古代ローマの時点で存在していたそうですが、中世半ばまでの教会は、魔法や魔術についてほぼ無関心だったとBailey教授は指摘しています。

たとえば10世紀初頭に記された教会の文書は、「魔法や魔術」は本当かもしれないと認めているものの、「魔女の集団が悪魔と一緒に夜空を飛んでいる」といったアイデアは妄想だと主張しています。権力者が魔術に対する信念を変え始めたのは12世紀~13世紀のことであり、「教育を受けたエリート層」の拡大がこれに寄与していたとのこと。

ヨーロッパの都市が発展した12世紀ごろ、ヨーロッパ全土に影響力を及ぼす教会は多くの学識ある知識人を必要としたため、都市部に大学が作られるようになりました。大学では古代のテキストやイスラム圏からもたらされた書物の研究が行われましたが、その中には星の力を引き出したり、精神の力を呼び覚ます複雑な魔術の体系について記したものも含まれていました。その結果、体系的な魔術の影響力が徐々にエリート層に広まったそうです。

後の魔女狩りで弾圧された人々は、当然ながらイスラム圏からもたらされた書物などを参考にしたわけではありません。民衆の中で「魔術を使う」とされていた人々は、何世代にもわたって伝えられてきた方法でハーブを集め、薬を作り、時には短い呪文を唱えましたが、これは誰かの病気を治療したり害悪から保護したりする目的が主でした。こうした魔術的な民間療法は、初歩的な医療システムしかない時代には重要だったとのこと。

教会は当初、こうした「魔術」を単なる迷信として切り捨てていましたが、エリート層の間で魔術に関する概念が広まるにつれて、より真剣に魔術の問題を捉え始めました。その過程で教会は、民間の呪術者らは教会と対立する悪魔崇拝者ではないかと考え始めたそうです。

Bailey教授によると、1430年代には教会の異端審問官や神学者、判事、歴史家などが集まり、「大勢で集まって悪魔を崇拝し、乱交し、殺した赤ちゃんを食べる」といった魔女の恐ろしい行為について述べる会合も開かれたとのこと。魔女や魔術について体系的にまとめる動きは、13世紀ごろから管轄権の拡大を目指してきた教会の異端審問官や裁判所にとって、人々への影響力を強化する上で実用的だったかもしれないとBailey教授は指摘しています。

魔女や魔術について権力者側が記した初期のテキストを翻訳したBailey教授は、著者らが「これを読んだ人々が内容を信じないかもしれない」「軽蔑されるかもしれない」という不安を抱いていたと述べています。実際に中世の魔女裁判の記録を見ると、「魔女が悪魔を崇拝している」といった点はあまり関心を向けられず、民衆は病気を引き起こしたり作物を枯らしたりする魔術に関心を向けていたことがわかるそうです。

また、魔女狩りのハンドブックとして強い影響を及ぼした「魔女に与える鉄槌」が1486年に発表された当時、多くの人々は著者のハインリヒ・クラーマーを信用していませんでした。実際に、「魔女に与える鉄槌」の刊行前にクラーマーが魔女狩りを行おうとしたところ、教会からの反発を受けて被疑者らは釈放され、クラーマーは地元の司教から「もうろくした」と非難されています。

しかし、結果として魔術や魔女に関する考えは広く民衆に浸透し、恐怖やヒステリーから大規模な魔女狩りが行われるようになりました。この理由についてBailey教授は、15世紀にはペストや戦争、教会の分裂といった問題が収まりを見せて社会が落ち着き、活版印刷も発明されたことから新しいアイデアが広まりやすい土壌があったと指摘。教会内の改革派も、精神的なリフレッシュを求めるために魔女や魔術の概念を利用したとのこと。

教会が魔女の概念を広めた結果、15世紀~18世紀にかけて5万人もの人々が魔女狩りによって処刑され、大規模なものでは一度に数百人が処刑されたとされています。やがてヨーロッパの魔女狩りは収束して魔女や魔術は再び迷信となりましたが、当初は権力者側が魔女や魔術を民衆に信じさせるためにさまざまな試みを行ったという点は、覚えておく価値があるとBailey教授は述べました。



・女性解放のために悪魔信仰が重要な役割を果たしていた(Gigazine 2019年10月28日)

https://gigazine.net/news/20191028-women-under-the-spell/

※19世紀から20世紀にかけては女性の参政権が認められるなど、女性の社会的地位が大きく変化しました。この時代のフェミニズムには、実は悪魔信仰が大きく関わっていたと、歴史学者のPer Faxneld氏の調査で示されています。

Faxneld氏によると、1880~1930年頃、フェミニストたちはサタン(悪魔)を「キリスト教的家父長制の排除」の象徴として使用していました。サタンを崇拝する信仰をサタニズムと呼びますが、悪魔的フェミニズムは女性解放運動にサタニズムを組み合わせたもの。

Faxneld氏によると、「女性参政権の母」と呼ばれるエリザベス・キャディ・スタントン、女優のサラ・ベルナール、詩人のルネ・ヴィヴィアンは初期のフェミニズムを率いた人物として知られていますが、彼女たちは神を家父長制の前身、サタンをこれと戦う存在だとみなしました。当時、神秘的直観や瞑想(めいそう)を通じて神と結び付く神智学が広まっており、悪魔的フェミニズムはこれにインスピレーションを受けたものとみられています。

悪魔的フェミニズムにおいて、サタンは女性を解放する存在でした。聖書の中でイブは禁断の果実を食べたことで楽園を追放されますが、悪魔的フェミニズムでこの行為は「神とアダムによる抑圧への反乱」と見なされます。このため、サタンはイブの行為を支援する存在になるとのこと。当時のフェミニストたちは「キリスト教が理想とする結婚や妻」が、「女性の権利」とは相いれず、女性が解放されるためにはキリスト教の排除が必要と考えたのです。

特に1890年代に出版されたスタントンの著書「The Women’s Bible」は悪魔的フェミニズムの色合いが濃い本で、創世記第3章について言及し、禁断の果実を食べたイブを「男性社会からの解放者」として称賛すると共に、「最初にサタンに耳を傾けた」という点で女性は男性よりも優れていると述べました。

スタントンの主張は、フェミニストの世界では珍しいものではありません。近代神智学の創唱者であるヘレナ・P・ブラヴァツキーもまた「神の敵であるサタンは、現実には、高位の神霊である」と主張。ブラヴァツキーの著書である「The Secret Doctrine」や「Isis Unveiled」はベストセラーとなりました。その後、ブラヴァツキーは1887年に「ルシファー」という雑誌を出版し、「女性権のための戦い」と「象徴としてのサタン」との繋がりを広めていきました。

また19世紀から20世紀にかけて絶大な人気を誇ったフランスの舞台女優であるサラ・ベルナールは、自分自身を悪魔として描いた彫像を持っていたことで知られています。ベルナールはしばしば男装しており、性役割の概念の破壊者としてもみなされています。

詩人・作家であったシルヴィア・タウンセンド・ワーナーも悪魔的フェミニズムの提唱者の1人として知られています。ワーナーは無神論者の父から教育を受け、幼い頃から聖書について考えてきました。

ワーナーのデビュー作である「Lolly Willowes」という本は、「サタンから力を与えられ、解放され、魔女になる少女」について書かれた小説。この本は最も顕著な悪魔的フェミニズムの例であるとFaxneld氏は述べています。本の中でサタンは良心的で思いやりのある解放者として描かれており、Faxneld氏は「ワーナーは本の中でサタンを明確な女性の解放者として描いており、男性に対するサタンの援助は重要ではないとしています」と解説しています。