https://x.com/kikuchi_8/status/1429183059983626242
菊池@kikuchi_8
2021年8月6日
コロナ・惑沈関連のスレッドが長くなったので、新しいものを作ります。
毎年この時期になると儀礼的な「平和の誓い」が為されるが、歴史の学びが真に身になっているか否かは当時と同じような状況になった時に初めて分かる。今はまさに戦時。全体主義化の危機が迫っている。自称平和主義者の多くは惑沈強制接種も惑沈パスも批判しない。残念ながら大半が「偽物」と判明した。
昭和戦前期には時局に便乗する自称愛国者が大量にいたという事を話には聞いていたが、事実上の惑沈強制接種や惑沈パスポートによる管理統制策に賛同し惑沈非接種者を差別する連中がいるのを見ると実感的に理解出来る気がする。歴史を学ぶ事は年表の記憶だけでなく現代と照らし合わせる事が大事と思う。
そうした時局便乗者の中には戦後に「リベラル」として知られる知識人らもいた。「曲学阿世」とはまさにこういう連中の事。これも今と照らし合わせられる。惑沈の長期的安全性が不明なのに「安全」であるかの如く言う学者はまさに曲学阿世の輩と言える。時局便乗者がデカい顔をするのは戦前戦中と同じ。
世に暗雲が漂い恥知らずな時局便乗者が跋扈する現今の情勢を見るに、歴史を実感的に理解出来る気がする。今は「非国民」の代わりに「デマ」や「陰謀論者」などの言葉を使う。レッテルを貼って公論から排除するやり方だ。軽薄な時局便乗者の背後でほくそ笑む連中がいるであろう事もかつてと同じである。
某メディアの記事にて「市長がメダルをかんだ問題で」みたいな一文を見かけた。「かんだ問題」という何とも間の抜けた滑稽な響き。滑稽が日常化し多くの人が滑稽を滑稽とも思わなくなった悲惨で理不尽な世相を象徴する一文に思えた。惑沈接種後の死亡を問題とせず、「かんだ問題」を強調するメディア。
mRNA惑沈の長期的安全性などの情報が限られている為、政府は国民に大規模接種しながらデータを収集している。つまり、国民を対象とする治験を行っている。治験に関する倫理規定をまとめた「ニュルンベルク綱領」というものがある。その第一条は「被験者の自発的な同意が絶対に必要である」というもの。
圧力をかけて惑沈治験参加を事実上強制する事はニュルンベルク綱領の第一条に明確に反する。こういう非人道が罷り通っているのが日本を含む世界の現状である。人権屋は沈黙。引用:圧力や詐欺、欺瞞、脅迫、陰謀、その他の隠された強制や威圧による干渉を少しも受けることなく
https://med.kyushu-u.ac.jp/recnet_fukuoka/houki-rinri/nuremberg.html
スポーツ観戦という趣味を否定しないが、「勇気と感動を」という電通以下マスコミの常套句は胡散臭い。メディアがスポーツ行事を喧伝する時は、重要問題に立ち向かう「勇気」を奪い、そこから目を逸らす事も狙いだと見る。「感動」とは自発的に沸き起こるもの。誰かに押し売りされるべきものではない。
メディアは「デマ」「フェイク」「誤情報」などネガキャンを張る(これが本当のデマゴギー)が、「安全性等に係る情報は限られている」「コロナは風邪の一種」「惑沈の感染予防効果を実証する事はほぼ不可能」「インフル惑沈の集団免疫効果は未実証」「接種は任意」等々、全て厚労省のHPに書いてある。
厚労省HPに「正しい情報」が書いてあるのは、悪徳業者の分厚い契約書に似る。契約後にトラブルになっても「契約書に書いてあるでしょ」で済ませる。mRNA惑沈の安全性が不明で事実上の治験を行っているが、後で何かあっても「ちゃんと接種は任意だと書いてあるでしょ。自己責任です。」と言わんが為の。
接種後に何かあっても「自己責任」「因果関係は不明」で片付けられるのは目に見えている。「接種後」とは数日・数週間だけではない。10年は考慮すべき。他者に思考を預ける者は自分と周りの人の身を守れない。もはや世は乱世である。平時の常識は通用しない。自分で調べ、考える事が護身の要訣なり。
歴史や個人の経験の積み重ねで培われた道義観や人道感覚というものは、コンピュータのプログラム更新のようにお手軽に「アップデート」するようなものではない。「人権」を掲げて強調される「価値観のアップデート」には人の尊厳を軽んじる発想が潜んでいる。現に人権屋は非道な人体実験を批判しない。
新WTOやSDGsの達成目標年を2030年に定めているように、裏権力は2030年にNWO化を完成させる事を狙っていると見る。彼らは2030年までの今後10年間で増々攻勢をかけてくると思われる。その手始めが2020年に開始した“コロナ禍”工作である。今の世の乱れはその直接的影響である。実に狂った世の中になった。
2030年で工程表が終わりかと言うとそうではない。政府が掲げるムーンショット目標は2050年に目標を置いている。「脳・身体・時間・空間からの解放」というグノーシス主義的なビジョンを謳っている。公的機関の発想とは思えない程オカルト的な計画である。“コロナ禍”工作はこれらの計画の一部だと見る。
厚労省のHPに「新型コロナワクチンによって、集団免疫の効果があるかどうかは分かっておらず、分かるまでには、時間を要すると考えられています。」と書いてある。「時間を要する」とは治験の時間だろう。事実上の治験をしているのは明らかである。
https://cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0019.html
「昭和元禄」は歴史の彼方に過ぎ去った。異常な事が常態化した。もはや「戦国乱世」と捉えるべきである。己の思考を研ぎ澄まさなければ自分や周りの人の身が脅かされる世の中になってしまった。思考を預ければ身が危うい。根底は元々そうだったと思うが、最近はいよいよそれが露骨になってきたと思う。
倫理観も崩壊の危機。社会的圧力をかけて治験に事実上の強制参加をさせるという非道が罷り通っている。最近は「価値観のアップデート」という言葉をよく聞く。「アップデート」とは、「非道な人体実験を絶対に許さない」というまっとうな倫理観や人道感覚を溶解させるには実に都合の良い言葉である。
歴史や個人の経験の積み重ねで培われた道義観や人道感覚というものは、コンピュータのプログラム更新のようにお手軽に「アップデート」するようなものではない。「人権」を掲げて強調される「価値観のアップデート」には人の尊厳を軽んじる発想が潜んでいる。現に人権屋は非道な人体実験を批判しない。
新WTOやSDGsの達成目標年を2030年に定めているように、裏権力は2030年にNWO化を完成させる事を狙っていると見る。彼らは2030年までの今後10年間で増々攻勢をかけてくると思われる。その手始めが2020年に開始した“コロナ禍”工作である。今の世の乱れはその直接的影響である。実に狂った世の中になった。
2030年で工程表が終わりかと言うとそうではない。政府が掲げるムーンショット目標は2050年に目標を置いている。「脳・身体・時間・空間からの解放」というグノーシス主義的なビジョンを謳っている。公的機関の発想とは思えない程オカルト的な計画である。“コロナ禍”工作はこれらの計画の一部だと見る。
こうやって何度も惑沈を打たせて「定期接種」にもっていく狙いだろう。【接種後のコロナ感染、各国拡大 ワクチン頼みに警鐘、3回目も】
https://nordot.app/797000021171191808?c=39550187727945729
読み。【1、2回打ったくらいでは効かない→3回目を→4、5、6回目を...→定期接種を→定期接種を定着させる(製薬会社が常時儲けられるシステムの構築+惑沈接種後の惑沈パスポートの発行による管理体制の完成)→PCR検査の件数を減らして「惑沈の効果が出てきた」と喧伝する】という目論見を予想する。
裏権力が惑沈騒動の次に目論んでいるのが「気候変動ネタ」だと見る。その兆候が国連のIPCC(気候変動政府間パネル)が「地球温暖化の原因は人間の活動」と断定する報告書を出した事である。以前にビル・ゲイツが「コロナウイルスより危険な気候関連の大災害」を“予言”していた事とも符合する。要警戒!
「地球温暖化の原因は人間の活動」と「異常気象の原因は人間の活動」では大違いである。前者は原発利権の推進やSDGsの正当化など裏権力に都合がよく、後者は「気象操作」そのものなので当然裏権力には都合が悪い。気候工学や気象操作の研究が世界中で為されている昨今、真に注目すべきは後者である。
最近何故か「映像の世紀」を再放送中。20世紀の貴重な記録映像を収めた「映像の世紀」はドキュメンタリー番組としては名作だと思うが、
かつてその番組で「世界は地獄を見た」と言いつつ、今や惑沈批判をしきりに「デマ」「フェイク」と罵倒し「地獄の世界」を作る事に加担しているNHK。恥を知るべし!
「惑沈教の予言者」ビル・ゲイツは「コロナウイルスよりも危険な大災害」を“予言”している。
sputniknews.jpから
「予言者」と「預言者」は異なる。「予言者」は「未来を予知して発言する者」。「預言者」は「言葉を預かる者」。後者は猶太一神教に特有な宗教概念である。予め「計画」を聞いて、それを仄めかす連中がいるとしたら、それは「予言者」というより「預言者」であろう。「予言」とは「予告」と見るべき。
裏権力及びその走狗は未来に起こる事象について「予言」をする事があるが、実際には「予告」だと見るべきである。例えば、ブレジンスキーは1970年代に既に今目論まれているような高度な情報管理支配体制を「予言」していた。勿論「予言」ではなく、計画の仄めかし、「予告」だったと見るべきだろう。
両建を見抜くポイントの一つは「共通して推進する事は何か」という事。「コロナ禍は危機的だ!」と言う自称リベラルも「コロナは所詮さざ波だ」と言うネオリベも「惑沈接種を推進する」という点は共通する。どんな新手が来ても「両建の見抜き方」はあらゆる場面で活用出来る。
両建を構成する両対立陣営は➀「共通して何かを論じない」➁「共通して何かを推進する」といういずれかの方法又は両方を組み合わせて情勢をコントロールする。目下の情勢に当てはめるならば、➀「惑沈接種後の死亡を論じない」➁「惑沈接種を推進する」というように物の見事に両方当てはまっている。
返信先: @kikuchi_8さん
カルトは宗教系カルトと科学系カルトがいる。「カルト」と言うと、一般的には前者のイメージであるが、後者も前者と何ら変わらない性質を持っている。特定の見解をドグマとして絶対視し盛んに宣伝活動を行うという点で宗教系も科学系も変わらない。近年では科学系カルトの動きが目立ってきたと感じる。
「地球温暖化」論とは単なる「地球が温暖化している」という論ではない。「人間の活動で地球が温暖化し人類が滅亡の危機に瀕している。滅亡を避けるには各国が国連を中心にCO2削減目標に取り組み、2030年までにSDGsを達成しなければならない。ついては火力発電を廃止し、原発を推進する必要がある。」
「CO2排出権取引も大いに進めよう。云々...」という、単なる科学論ではない政治的経済的思惑が絡まる政治的主張である。吾人の温暖化論への懐疑は「科学的真理」を断定的に把握しているという前提からではなく、「温暖化」論を取り巻く怪しい人脈や利権の動きという政治経済論的観点からのものである。
かかる「温暖化」論を懐疑するには「温暖化」論に群がる怪しい連中のツラを見れば十分である。科学プロパーで論じても素人には真偽を断定的に判断する事は難しい。だが、アル・ゴアがウラン鉱山のオーナーという指摘があるように原発利権などにとって好都合な“説”なのは一般常識があれば誰でも分かる。
重要な「裏権力案件」には必ず攻撃的な妨害工作員が登場する。「温暖化」論も然り。彼らは科学を論じる者とはかけ離れたドグマティックな態度が顕著である。カルトたる所以である。じっくりと論じて科学的事実を明らかにしようとするのではなく、ひたすら「専門家」の言を「権威」として引用するのみ。
「温暖化」論を肯定する科学者は多い。だが、科学者と言えども人間。利権や権力が絡めば特定の説になびく事も考えられる。一般市民としては、それを科学的に「間違い」と断定的に証明する専門知識は無いが、間違いなく「正しい」と肯定的に判断する事もまた出来ない。一般人の科学的認識の限界である。
だが、様々な科学関連の問題は一般市民の生活にも密接に関わってくるので、専門知識が無いからと言って無関心で済ませる事は出来ない。「専門知識がない素人が専門家に対して懐疑するなどおこがましい」みたいに科学カルトは言うが、もし懐疑しなければ知識を独占する教会の支配のようになりかねない。
断定出来ない事を断定しない態度と自分で断定出来ない事をあたかも断定したかのように思い込む態度では、どちらが愚かだろうか。ドグマティスト(独断論者)は「無記(判断停止)」の態度を愚かだと見なすが、専門知識無き故に断定を控える態度をバカ扱いする科学カルトはこれと全く同質だと言えよう。
異常災害の連続。これを以て「ビル・ゲイツは慧眼だ」と思う程お人好しではない。現地の皆様はどうかお気を付けください。
https://x.com/kikuchi_8/status/1425213987352760321 https://news.yahoo.co.jp/articles/bc9467c0349d889c4e90e85c92ea2817582ed09c
42万年前からの南極の気温の変化を表したグラフ。このように地球は氷期(寒冷化)と間氷期(温暖化)を繰り返しているとされる。今は間氷期に当たる。現在の気温は今の間氷期のピークの気温より低い状態で上下しているように見える。氷期の方が人類にとって脅威だと思う。※Skeptical Scienceより引用

今の間氷期のピーク時の気温は前回の間氷期のピーク時の気温より低い事が見て取れる。今の気温まで上昇したのは、どう考えても地球の自律的サイクルによるものとしか思えない。ただ、間氷期の期間が長いように見える。これがCO2の効果かは判断出来ない。氷期に入るより温暖化の方がよいように思える。
CO2の効果で氷期に入るのがキャンセルされたと主張する学者もいる。もしそれが事実だとすると、氷期(所謂氷河期)になると地球上で人類が住める場所が限られてくるので結構な事ではなかろうか。氷期になる方がはるかに「人口削減」はやり易いだろう。CO2を削減するのは氷期到来の為?と一瞬妄想した。
CO2量と気温の関係は、単なる相関関係とする説・CO2量増加が気温上昇の原因とする説・気温上昇がCO2量増加の原因とする説がある。素人にどれが正しいかを断定的に判断しろと言うのが無理である。結局信じる・信じないの話になる。こういう議論をベースにすると温暖化利権の批判は一生出来ないだろう。
氷期が終わり温暖化する時は一気に気温が上昇するようである。この意味での「温暖化」が人類の仕業で無い事は明らかである。そもそも温暖でなければ今の文明が築かれていたかも怪しい。元々温暖な時期なのだから温暖化も何もないと思えるが。今の気温は今回と前回の間氷期のピーク気温に達していない。
「温暖化」という言葉自体に注意が必要であろう。気温の上下は相対的。「温暖」「寒冷」なる概念も然り。ある時点を基準にして「温暖化した」「寒冷化した」などと言われる。今の間氷期のピーク時の気温に比べると、今は明らかに寒冷化している。だが、氷期に比べると遥かに温暖化しているとも言える。
現在の気温は間氷期のピークの気温から漸減しつつ温暖な気候を何とか維持しているように見える。巨視的に見ると気温が下がっているが、微視的に見ると上下している。どこに視点を置くかで「温暖化」にも「寒冷化」にも見える。あくまでこの図表から言える事であるが。※画像はSkeptical Scienceより

巨視的に見ると今の間氷期に入った1万年余前の気温上昇はそれ以前の間氷期に於けるそれと異質なようには見えない。間氷期に入る際の大幅な気温上昇と間氷期の最中の微視的な気温上昇を比べられないのは当たり前で、それを殊更「今の気温上昇は急激なのでかつてとは違う」と言うのも変な話ではないか。
科学問題は専門家と素人では知識面で非対称な構造なので、何か誤魔化しをされても気付けず「そんなものか」と受け入れてしまい易いと思う。反証は中々難しくとも、「判断出来ない事は判断しない」という「無記(判断停止)」の応用で対処したい。さもなくば「知識の独占による支配」を許しかねない。
様々な意見がある事自体が争いや軋轢に直接結びつく訳ではない。他の意見を許さず黙らせようとする事が争いや軋轢を生みだすのである。そういう態度を取るのは往々にしてメディアなどを鵜呑みにする者の側から為される事が多い。実際、政府発表を懐疑する人より信じる人の方が攻撃的とする研究がある。
例えば「陰謀論」という簡単な言葉で特定の意見を否定した気になり「思考停止」(実際には思考誘導)している者ほど独善的だったり攻撃的だったりする。自分が「多数派」だとか「強者の側」だとかいう意識があるから異論を述べる者に対して居丈高に振る舞うのであろう。魔女狩りに狂奔する心理と同じ。
科学信者には科学的人物は皆無だと思う。科学信者は自分で考えたり、自分の理解力の限界を見極めて判断を控えるという慎重さがない。単に誰かが言う意見や理論を盲信して自分の考えだと思い込んでいるだけである。ドグマを盲信しているのと変わらない。こういう愚物は科学にとってもマイナスだろう。
科学的真理を「見てきたように語れる」のはほんの少数である。「専門家」とされる者すら大半が近代学問として学んだ伝聞知識として語っているに過ぎないだろう。だとすると、科学的真理を語る際には控えめで謙虚で慎重な姿勢を要する。「絶対的真理」として語る「資格」を持つ者はいないのであるから。
例えば「温暖化」論を声高に語るのは、アル・ゴア、ビル・ゲイツ、グレタ・トゥンベリ等科学の非専門家が中心である。「科学に耳を傾けてください」と言うが、彼ら自身が科学的真理を直接認識した訳ではない。彼らに科学者の言の真偽を判断する能力はない。知らざるを知らざると為せない傲慢さである。
誰にでも個人としてどんな意見も持つ自由があると思うが、人が持つ知識の多くが伝聞である以上、絶対的真理を「見てきた如く」「頭ごなしに」語る姿勢を改めれば少しは意見の相違による争いや軋轢を減らせるのではなかろうか。「見てきた如く」「頭ごなしに」語るのは、往々にしてメディア等の盲信者。
先述の「温暖化」論者らはCO2が増え続けると気温が上がり続けて今すぐにでも人類が滅亡するかのように言う。下の図を見る限りではCO2量の変化と気温の変化には相関関係があるようにも見えるが、右端(現在の時点)ではCO2量程に気温が上がってない事が見て取れる。※John Englanderより引用

前回の間氷期のピーク時のCO2量よりも今のCO2量の方が多い(とされる)のに、気温の方は前回の間氷期のピーク時の気温の方が今の気温より高い。CO2量と気温上昇に因果関係があるとすると、前回の間氷期より今の方がCO2量が多いとされるので、気温も今の方が高くなってないとおかしいのではなかろうか。
「科学的真理を「見てきたように語れる」のはほんの少数」と書いたが、この「少数」ですら絶対ではない。現象を観察するだけでは「科学」にならない。現象を観察して、言葉を当てはめて概念化し記述するという過程が必要である。この過程で恣意や主観が入り込む余地がある。何事も絶対視するのは危険。
印度論理学(因明)を大成したディグナーガは物事の確実な認識手段を「現量(直接知覚)」と「比量(概念的思考・推理」の二種に限定した。特に前者を最も確実な認識手段とし、後者は前者より確実性で劣るとした。概念的思考には恣意や主観が入り込む余地があるからだろう。科学理論も実はこれである。
要するに「絶対的真理の独占者」として振る舞える者は一人もいない。「真理の独占者」という存在を許せば、即ち「支配」に直結する。地中海オリエントの密儀宗教に由来すると推測される西洋秘密結社のシステムとはまさにこれである。「真理の独占者」の存在を許さない態度は世界支配の拒否に直結する。
米国CDCで「すら」一般向け(免疫力が低下してない人)の3回目の追加接種は必要ないと言っているのに(いずれ打たせる狙いだろう)、既に3回目の接種を既定路線化させているデマ太郎らを見るに「とにかく惑沈接種しろ」というノルマをこなす事自体が目的なのは明らかだろう。
CDCは人心の動向を見極めながら惑沈強制接種を推し進めていると思われる。故に一時的には「3回目の接種は必要ない」などと言う。だが、デマ太郎ら日本国内の走狗は既に3回目接種を宣言している。「全員接種しろ」というノルマをこなす事しか頭にない。駆け引きもクソも無くとにかくゴリ押しする手口。
これで素直に従う人がいる我が国の惨状。長期安全性が確認されてない代物を体内に入れろと強要する政治屋、惑沈批判者を「陰謀論者」と決めつけるメディア、「惑沈の副反応よりコロナの方が怖い」等々と旗振りをする有名人ら、それらを真に受けて惑沈批判者を攻撃する大衆。映像の世紀で見た如き世界。
映像の世紀で見た如き世界→全体主義が蔓延する狂気の世界。生きている内にこんな世界が見られるとは思っても見なかった..という方は多いのではなかろうか。仏蘭西や米国ニューヨークでは惑沈接種証明の提示義務を定めた。日本でも真似をしろと言う馬鹿が出てくるだろう。世界がかつてなく危険な状態。
「惑沈を2回接種すると感染が17分の1に下がった」などと言うが、「どこで」「どの年齢層に」「誰に(未接種者か接種者か)」「いか程の人数で」PCR検査をするかでそのような比率は変わってくると思われるので当てにならない。メディアらが言う「感染者」とは所詮「PCR検査の陽性者」の事だからである。
「政府やメディアの言う事を大人しく聞く人」は「惑沈接種したらもう安心」と思っているはずなのでPCR検査を受けようとする誘因が下がるはずである。すると「感染者」扱いされるPCR検査陽性者の中で惑沈接種者の割合が下がるのも必定。それを以て「惑沈の効果だ」と言う数字のマジックも可能だろう。
「誰に(未接種者か接種者か)」という表現はまずかった。「未」だと「未だ接種していない→いつか接種する」という含意に取られかねない。「未接種者」ではなく「非接種者」に訂正する。僅かな言葉のニュアンスで大きく印象が変化する。語の遣い方はくれぐれも慎重にすべきである。そう痛感する次第。
真に狡猾な悪党は簡単に言質を取らせない。論理的な誤りを極力犯さずに漠然とした雰囲気を演出する印象操作によって思考を操ってくる。「因果関係が有るのか無いのか分からない」という意味でしかない「因果関係は不明」なる言葉を「因果関係は無い」という“イメージ”で使って幻惑するのが典型である。
言葉の意味は使われる文脈やその場の雰囲気などによって微妙に意味が異なってくる場合がある。これを意図的に行って意味をすり替えたら人の思考を操る事も可能。人間は言葉を用いて思考を行っているので、言葉、特に単語の意味=概念(思考の原子的単位)をいじられると思考自体が操られる事になる。
PCR検査を今ほどの規模で実施すれば、2019年以前から実在するとされる風邪の原因ウイルスが対象でも今のようなパニック状況を作れると思う。2019年以前は具合が悪いからと言って一々PCR検査など受けなかった。大規模なPCR検査を実施して逐一陽性者を隔離等すれば、いつでもパニックを起こせるだろう。
WHOがパンデミックの定義から死亡者数を外した事も大きいだろう。むしろ、この前提があるからこそPCR検査でパニックを作り出す事が出来るとも言える。別に2020年からでなくても、やろうと思えばいつでもパニックを作れたはずである。「2020年から」なのは、そういう計画だからとしか言えないだろう。
人為的パニックで医療機関のキャパシティが限界を迎え、基礎疾患のある人が自宅療養を強いられて適切な治療を受けられずに亡くなるケースが出ている。惑沈接種後の死亡は因果関係不明で済まされ、B級パニック映画の如き騒動の為に人命が奪われているという状況に言葉にならない程の強い憤りを感じる。
コロナ騒動が開始されたのが2020年。2019年には「パンデミック」のシミュレーションが行われた。何故、「本番」が2020年なのか?2020年は新WTOやSDGsなどワンワールド計画の実現目標年と思われる2030年まで10年という年である。この年である必要があったのだろう。FTAAPも当初は2020年の予定だった。
裏権力及びその走狗にとって「2030年」が特別な年であるのは明らか。WTO再編とSDGs完成の目標年が2030年であるし、NHKが何故か「2030年」を冠する特別番組を定期的に放送するなど各所で「2030年」が喧伝されている。「特別な2030年」から10年前が2020年。新WTOの前提のFTAAPも2020年実現の予定だった。
要するに。「特別な2030年」にNWO・ワンワールドを実現する為に、その丁度10年前の2020年に“コロナ禍”工作を開始した、という構図だと分析する。旧ソ連で「5ヵ年計画」というのがあった。目標を立てて年限を区切って実現を図る手法である。2020年は裏権力の「10ヵ年計画」が始動した年だと推測する。
“コロナ禍”を口実として惑沈パス提示義務化などこれまで考えられなかったような事を強行している。2020年に開始した“コロナ禍”と2030年に目論まれ(ていると思われ)るNWO・ワンワールドとは「手段」と「目的」の関係にあると見る。もはや「陰謀論」なる言葉ではかき消せない圧倒的現実が眼前にある。
「全人類への予防接種計画」とか「個人情報を番号で紐付けして管理する」などと言えば、20年前~10年前なら一笑に付された事だろう(この程度の事は所謂「陰謀本」に書かれていたのだが)。だが、今や「コロナ惑沈の全員接種」が叫ばれ、「惑沈パスの導入・提示義務化」なる狂気の施策が為されている。
かつて「陰謀論」ネタとされていた事が次々に現実化又は現実的計画として表面化したのが昨今の情勢である。この点に触れない時事解説は無価値と言ってもよいであろう。何十年も前から密かに進められてきた事だろうが、“コロナ禍”という手段を得た事によって一気に実行・実現を図っているように見える。
惑沈批判者を嘲笑するのに5Gやチップの事ばかりを言う手口がある。「惑沈接種したけど磁石が体に付くなんて事は無かったわ(笑)」という訳である。哀れなり。そんな事を言っても5年後10年後の事は言っている本人にも全く分かっていない。長期安全性が不明で今現在事実上の治験をやっているのである。
すぐそうやってメディアの口真似をする。レッテル貼りは思考停止の証。異論があるなら「長期的に安全」と証明すればよいだけの話。ここでは単に事実を述べているのみ。厚労省が公開している資料に基き「長期的安全性は不明」という事実を指摘すると「陰謀論者」と言われる。
メディアが多用する「陰謀論」「陰謀論者」という言葉は思考のブレーカーみたいなものである。この言葉が出た途端にそれ以上調べたり考えたりしなくなる。あたかも条件付けされた犬の如く根拠なく特定の言説を否定する。「陰謀論者」とメディアの口真似をする前に公開資料くらいには当たった方がよい。
厚労省の公開資料に「本剤は、承認時において長期安定性等に係る情報は限られている」「本邦における安全性等に係る情報が限られている」と書かれている。「本邦」以外や特例承認時から現在までの時間経過を加味しても、5年10年の長期安全性は不明と見るのが妥当である。
https://mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T210216I0030.pdf
前掲資料に「現時点での知見が限られていることから、製造販売後、副作用情報等の本剤の安全性に関するデータを、あらかじめ定めた計画に基づき早期に収集する」とも書かれている。要するに「国民に接種しながら安全性に関するデータを収集する」と。「(事実上の)治験をする」と言っているに等しい。
異物混入で接種停止になったモデルナ製の惑沈を既に接種した2人の30代男性が死亡した。基礎疾患はなく接種3日後に死亡の由。これでも「因果関係は不明」としか言わない。基礎疾患が無い人が事件事故など特殊な状況も無く接種3日後に死亡したのなら、少なくとも「可能性がある」くらいは言えるだろう。
抑々惑沈への金属片混入は「たまたま」なのか?「惑沈に金属片が入っていると考えている」と証言しデマゴギー扱いされた医師もいた。後にモデルナ惑沈への異物混入が露呈。仮説の提示をすぐに「デマ」扱いする危険性はここにある。反証も無く1つの可能性を否定すれば思考の盲点を作る事になるからだ。
惑沈接種後の死亡は既に1000人を超えた。惑沈教徒は死亡の確率を言うのが常だが。高橋徳医師が会見で示した厚労省のデータによると、2018年のインフルエンザ惑沈接種後の死亡者数は5000万人中3人、2021年(会見の時点まで)のコロナ惑沈は5000万人中740人の割合との事。単純計算でこの時点で約250倍。
高橋医師らの会見の時点でもコロナ惑沈接種後の死者割合はインフルエンザ惑沈の約250倍だったが、今はさらに死者が増えている。しかも、惑沈接種の社会的圧力がかかり多くの人が接種を事実上強いられる中で1000人以上の接種後死亡者が出ている状況である。既に薬害だと捉える。即刻接種を中止すべし!
惑沈批判者を嘲笑するのに5Gやチップの事ばかりを言う手口がある。「惑沈接種したけど磁石が体に付くなんて事は無かったわ(笑)」という訳である。哀れなり。そんな事を言っても5年後10年後の事は言っている本人にも全く分かっていない。長期安全性が不明で今現在事実上の治験をやっているのである。
5Gやチップの説を否定した訳ではない。ここでは単に惑沈教信者の「手口」について書いたのみ。如何なる説も反証が無い限り否定しない。否定すれば思考の盲点を作る事になる。「陰謀論者の程度」などと愚かな事を言う者がいたが、そんな基準はない。判断基準は事実か否かのみ。
どんな被害が生じても賠償責任は政府にあるので、製薬会社は余裕綽々だろう。政府とて「因果関係は不明」で押し通すつもりである。仮に惑沈接種が原因で死亡しても誰も責任を取らないどころか、因果関係の解明すらされない。惑沈接種を受けるという事はそういう「闇」の中に自ら入るという事である。
顕彰される事もある「戦死」とは異なり、「惑沈死」は全て闇の中に消されるので戦死以上に残酷だと思う。既に4回目を打ち5回目を打ちたがっている者やルールに違反してまで3回目の接種をしたがる医療関係者がいるそうだが、気が知れない。「物好き」というより単に自分で物を考えていないだけだろう。
戦死は何十年経っても、戦勝国の場合は「英雄」として、敗戦国の場合は「犠牲者」として扱われる。だが、「惑沈死」の場合は今の権力構造が続く限りは「惑沈接種後に偶然死亡した」だけとされ、歴史の闇の中に消されていく。これ程残酷な事があろうか。惑沈接種はかかる危険を受け入れる事を意味する。
メディアもそのエピゴーネンも「陰謀論」「デマ」の一点張り。こうした簡単な言葉で何事かを否定した気になる。実に安易。こうした風潮は、情報を隠蔽したがる権力者に好都合なばかりか日本人の知的な退化を招くであろう。増々自分で考えなくなるからである。支配したい者には“一石二鳥”の効果である。
何事かを「デマ=虚偽」と言うには、それなりの証拠立てや論証が要る。これはごく当然の道理である。また、何かを調べたり学んだり、論証しようとする過程で思考が鍛えられる。メディアの真似をして「陰謀論」「デマ」という安い言葉で「分かった気」になれば、こうした知的鍛錬の機会を失う事になる。
物事の判断は得た情報の質と量で変わる。そもそも、本当に賢明な人は自分が持っている情報が乏しければ「判断」自体を控える。だから、反証出来る程の材料が無ければ根拠なく「デマ」などと決めつけずに判断を保留するのが知的態度である。調べてない=情報を得てないならば安易に否定せず保留すべし。
メディアは確信犯だが、自分で調べもせずに「陰謀論」「デマ」などと言い否定した気になる連中が増殖中。嘆かわしき乱世の世相なり。以前「近代大衆社会では皆自分が一番賢いと思っている」という風な論評を読んだ記憶がある。調べずに論証抜きで根拠無く物事を否定するのは非常に傲慢な態度である。
「皆自分が一番賢いと思っている」というのは共時的(同時代的に。「あいつより私が賢い」など)だけでなく通時的(歴史的に)にもである。戦争や全体主義の時代を生きた人々に対して上から目線で「なんて愚かな事を」などと言う者が今目の前で進行している全体主義化に無批判なばかりか加担さえする。
自分が賢いと思っているからと言って実際に賢いとは限らない。簡単な言葉で分かった気にさせる詐術に嵌ってメディアに思考を同調させている者は、身も蓋も無く言うと「自分が一番賢いと思っている思考奴隷」である。かつて「近代大衆社会」を批判した批評家が見たら気絶するような世相が展開している。
菊池
@kikuchi_8
·
2021年8月31日
定義ではなく自分の考えを述べたのみ。「大体バカほど〇〇しだす」「非論理的な思考の典型例」云々と独断を交え勝手に“定義”しているのはそちら。前提が事実か否かは論理的か否かに関係無い。論理は形式。“論理”を誇る割にはあまり論理的とは言えない感情的な悪文と言える。
https://x.com/LivesSithean/status/1432270715789533186
超一流の詐欺師より巧みだと思います。何せ全世界をペテンにかけている訳ですからね。「大きな嘘は目立つところに隠す」と言いますが、「分かり易い嘘はつかない」「言葉で嘘はつかずにイメージや雰囲気で騙す」という手口もこれに通じると思います。実に狡猾な連中です。
菊池@kikuchi_8
2021年8月6日
コロナ・惑沈関連のスレッドが長くなったので、新しいものを作ります。
毎年この時期になると儀礼的な「平和の誓い」が為されるが、歴史の学びが真に身になっているか否かは当時と同じような状況になった時に初めて分かる。今はまさに戦時。全体主義化の危機が迫っている。自称平和主義者の多くは惑沈強制接種も惑沈パスも批判しない。残念ながら大半が「偽物」と判明した。
昭和戦前期には時局に便乗する自称愛国者が大量にいたという事を話には聞いていたが、事実上の惑沈強制接種や惑沈パスポートによる管理統制策に賛同し惑沈非接種者を差別する連中がいるのを見ると実感的に理解出来る気がする。歴史を学ぶ事は年表の記憶だけでなく現代と照らし合わせる事が大事と思う。
そうした時局便乗者の中には戦後に「リベラル」として知られる知識人らもいた。「曲学阿世」とはまさにこういう連中の事。これも今と照らし合わせられる。惑沈の長期的安全性が不明なのに「安全」であるかの如く言う学者はまさに曲学阿世の輩と言える。時局便乗者がデカい顔をするのは戦前戦中と同じ。
世に暗雲が漂い恥知らずな時局便乗者が跋扈する現今の情勢を見るに、歴史を実感的に理解出来る気がする。今は「非国民」の代わりに「デマ」や「陰謀論者」などの言葉を使う。レッテルを貼って公論から排除するやり方だ。軽薄な時局便乗者の背後でほくそ笑む連中がいるであろう事もかつてと同じである。
某メディアの記事にて「市長がメダルをかんだ問題で」みたいな一文を見かけた。「かんだ問題」という何とも間の抜けた滑稽な響き。滑稽が日常化し多くの人が滑稽を滑稽とも思わなくなった悲惨で理不尽な世相を象徴する一文に思えた。惑沈接種後の死亡を問題とせず、「かんだ問題」を強調するメディア。
mRNA惑沈の長期的安全性などの情報が限られている為、政府は国民に大規模接種しながらデータを収集している。つまり、国民を対象とする治験を行っている。治験に関する倫理規定をまとめた「ニュルンベルク綱領」というものがある。その第一条は「被験者の自発的な同意が絶対に必要である」というもの。
圧力をかけて惑沈治験参加を事実上強制する事はニュルンベルク綱領の第一条に明確に反する。こういう非人道が罷り通っているのが日本を含む世界の現状である。人権屋は沈黙。引用:圧力や詐欺、欺瞞、脅迫、陰謀、その他の隠された強制や威圧による干渉を少しも受けることなく
https://med.kyushu-u.ac.jp/recnet_fukuoka/houki-rinri/nuremberg.html
スポーツ観戦という趣味を否定しないが、「勇気と感動を」という電通以下マスコミの常套句は胡散臭い。メディアがスポーツ行事を喧伝する時は、重要問題に立ち向かう「勇気」を奪い、そこから目を逸らす事も狙いだと見る。「感動」とは自発的に沸き起こるもの。誰かに押し売りされるべきものではない。
メディアは「デマ」「フェイク」「誤情報」などネガキャンを張る(これが本当のデマゴギー)が、「安全性等に係る情報は限られている」「コロナは風邪の一種」「惑沈の感染予防効果を実証する事はほぼ不可能」「インフル惑沈の集団免疫効果は未実証」「接種は任意」等々、全て厚労省のHPに書いてある。
厚労省HPに「正しい情報」が書いてあるのは、悪徳業者の分厚い契約書に似る。契約後にトラブルになっても「契約書に書いてあるでしょ」で済ませる。mRNA惑沈の安全性が不明で事実上の治験を行っているが、後で何かあっても「ちゃんと接種は任意だと書いてあるでしょ。自己責任です。」と言わんが為の。
接種後に何かあっても「自己責任」「因果関係は不明」で片付けられるのは目に見えている。「接種後」とは数日・数週間だけではない。10年は考慮すべき。他者に思考を預ける者は自分と周りの人の身を守れない。もはや世は乱世である。平時の常識は通用しない。自分で調べ、考える事が護身の要訣なり。
歴史や個人の経験の積み重ねで培われた道義観や人道感覚というものは、コンピュータのプログラム更新のようにお手軽に「アップデート」するようなものではない。「人権」を掲げて強調される「価値観のアップデート」には人の尊厳を軽んじる発想が潜んでいる。現に人権屋は非道な人体実験を批判しない。
新WTOやSDGsの達成目標年を2030年に定めているように、裏権力は2030年にNWO化を完成させる事を狙っていると見る。彼らは2030年までの今後10年間で増々攻勢をかけてくると思われる。その手始めが2020年に開始した“コロナ禍”工作である。今の世の乱れはその直接的影響である。実に狂った世の中になった。
2030年で工程表が終わりかと言うとそうではない。政府が掲げるムーンショット目標は2050年に目標を置いている。「脳・身体・時間・空間からの解放」というグノーシス主義的なビジョンを謳っている。公的機関の発想とは思えない程オカルト的な計画である。“コロナ禍”工作はこれらの計画の一部だと見る。
厚労省のHPに「新型コロナワクチンによって、集団免疫の効果があるかどうかは分かっておらず、分かるまでには、時間を要すると考えられています。」と書いてある。「時間を要する」とは治験の時間だろう。事実上の治験をしているのは明らかである。
https://cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0019.html
「昭和元禄」は歴史の彼方に過ぎ去った。異常な事が常態化した。もはや「戦国乱世」と捉えるべきである。己の思考を研ぎ澄まさなければ自分や周りの人の身が脅かされる世の中になってしまった。思考を預ければ身が危うい。根底は元々そうだったと思うが、最近はいよいよそれが露骨になってきたと思う。
倫理観も崩壊の危機。社会的圧力をかけて治験に事実上の強制参加をさせるという非道が罷り通っている。最近は「価値観のアップデート」という言葉をよく聞く。「アップデート」とは、「非道な人体実験を絶対に許さない」というまっとうな倫理観や人道感覚を溶解させるには実に都合の良い言葉である。
歴史や個人の経験の積み重ねで培われた道義観や人道感覚というものは、コンピュータのプログラム更新のようにお手軽に「アップデート」するようなものではない。「人権」を掲げて強調される「価値観のアップデート」には人の尊厳を軽んじる発想が潜んでいる。現に人権屋は非道な人体実験を批判しない。
新WTOやSDGsの達成目標年を2030年に定めているように、裏権力は2030年にNWO化を完成させる事を狙っていると見る。彼らは2030年までの今後10年間で増々攻勢をかけてくると思われる。その手始めが2020年に開始した“コロナ禍”工作である。今の世の乱れはその直接的影響である。実に狂った世の中になった。
2030年で工程表が終わりかと言うとそうではない。政府が掲げるムーンショット目標は2050年に目標を置いている。「脳・身体・時間・空間からの解放」というグノーシス主義的なビジョンを謳っている。公的機関の発想とは思えない程オカルト的な計画である。“コロナ禍”工作はこれらの計画の一部だと見る。
こうやって何度も惑沈を打たせて「定期接種」にもっていく狙いだろう。【接種後のコロナ感染、各国拡大 ワクチン頼みに警鐘、3回目も】
https://nordot.app/797000021171191808?c=39550187727945729
読み。【1、2回打ったくらいでは効かない→3回目を→4、5、6回目を...→定期接種を→定期接種を定着させる(製薬会社が常時儲けられるシステムの構築+惑沈接種後の惑沈パスポートの発行による管理体制の完成)→PCR検査の件数を減らして「惑沈の効果が出てきた」と喧伝する】という目論見を予想する。
裏権力が惑沈騒動の次に目論んでいるのが「気候変動ネタ」だと見る。その兆候が国連のIPCC(気候変動政府間パネル)が「地球温暖化の原因は人間の活動」と断定する報告書を出した事である。以前にビル・ゲイツが「コロナウイルスより危険な気候関連の大災害」を“予言”していた事とも符合する。要警戒!
「地球温暖化の原因は人間の活動」と「異常気象の原因は人間の活動」では大違いである。前者は原発利権の推進やSDGsの正当化など裏権力に都合がよく、後者は「気象操作」そのものなので当然裏権力には都合が悪い。気候工学や気象操作の研究が世界中で為されている昨今、真に注目すべきは後者である。
最近何故か「映像の世紀」を再放送中。20世紀の貴重な記録映像を収めた「映像の世紀」はドキュメンタリー番組としては名作だと思うが、
かつてその番組で「世界は地獄を見た」と言いつつ、今や惑沈批判をしきりに「デマ」「フェイク」と罵倒し「地獄の世界」を作る事に加担しているNHK。恥を知るべし!
「惑沈教の予言者」ビル・ゲイツは「コロナウイルスよりも危険な大災害」を“予言”している。
sputniknews.jpから
「予言者」と「預言者」は異なる。「予言者」は「未来を予知して発言する者」。「預言者」は「言葉を預かる者」。後者は猶太一神教に特有な宗教概念である。予め「計画」を聞いて、それを仄めかす連中がいるとしたら、それは「予言者」というより「預言者」であろう。「予言」とは「予告」と見るべき。
裏権力及びその走狗は未来に起こる事象について「予言」をする事があるが、実際には「予告」だと見るべきである。例えば、ブレジンスキーは1970年代に既に今目論まれているような高度な情報管理支配体制を「予言」していた。勿論「予言」ではなく、計画の仄めかし、「予告」だったと見るべきだろう。
両建を見抜くポイントの一つは「共通して推進する事は何か」という事。「コロナ禍は危機的だ!」と言う自称リベラルも「コロナは所詮さざ波だ」と言うネオリベも「惑沈接種を推進する」という点は共通する。どんな新手が来ても「両建の見抜き方」はあらゆる場面で活用出来る。
両建を構成する両対立陣営は➀「共通して何かを論じない」➁「共通して何かを推進する」といういずれかの方法又は両方を組み合わせて情勢をコントロールする。目下の情勢に当てはめるならば、➀「惑沈接種後の死亡を論じない」➁「惑沈接種を推進する」というように物の見事に両方当てはまっている。
返信先: @kikuchi_8さん
カルトは宗教系カルトと科学系カルトがいる。「カルト」と言うと、一般的には前者のイメージであるが、後者も前者と何ら変わらない性質を持っている。特定の見解をドグマとして絶対視し盛んに宣伝活動を行うという点で宗教系も科学系も変わらない。近年では科学系カルトの動きが目立ってきたと感じる。
「地球温暖化」論とは単なる「地球が温暖化している」という論ではない。「人間の活動で地球が温暖化し人類が滅亡の危機に瀕している。滅亡を避けるには各国が国連を中心にCO2削減目標に取り組み、2030年までにSDGsを達成しなければならない。ついては火力発電を廃止し、原発を推進する必要がある。」
「CO2排出権取引も大いに進めよう。云々...」という、単なる科学論ではない政治的経済的思惑が絡まる政治的主張である。吾人の温暖化論への懐疑は「科学的真理」を断定的に把握しているという前提からではなく、「温暖化」論を取り巻く怪しい人脈や利権の動きという政治経済論的観点からのものである。
かかる「温暖化」論を懐疑するには「温暖化」論に群がる怪しい連中のツラを見れば十分である。科学プロパーで論じても素人には真偽を断定的に判断する事は難しい。だが、アル・ゴアがウラン鉱山のオーナーという指摘があるように原発利権などにとって好都合な“説”なのは一般常識があれば誰でも分かる。
重要な「裏権力案件」には必ず攻撃的な妨害工作員が登場する。「温暖化」論も然り。彼らは科学を論じる者とはかけ離れたドグマティックな態度が顕著である。カルトたる所以である。じっくりと論じて科学的事実を明らかにしようとするのではなく、ひたすら「専門家」の言を「権威」として引用するのみ。
「温暖化」論を肯定する科学者は多い。だが、科学者と言えども人間。利権や権力が絡めば特定の説になびく事も考えられる。一般市民としては、それを科学的に「間違い」と断定的に証明する専門知識は無いが、間違いなく「正しい」と肯定的に判断する事もまた出来ない。一般人の科学的認識の限界である。
だが、様々な科学関連の問題は一般市民の生活にも密接に関わってくるので、専門知識が無いからと言って無関心で済ませる事は出来ない。「専門知識がない素人が専門家に対して懐疑するなどおこがましい」みたいに科学カルトは言うが、もし懐疑しなければ知識を独占する教会の支配のようになりかねない。
断定出来ない事を断定しない態度と自分で断定出来ない事をあたかも断定したかのように思い込む態度では、どちらが愚かだろうか。ドグマティスト(独断論者)は「無記(判断停止)」の態度を愚かだと見なすが、専門知識無き故に断定を控える態度をバカ扱いする科学カルトはこれと全く同質だと言えよう。
異常災害の連続。これを以て「ビル・ゲイツは慧眼だ」と思う程お人好しではない。現地の皆様はどうかお気を付けください。
https://x.com/kikuchi_8/status/1425213987352760321 https://news.yahoo.co.jp/articles/bc9467c0349d889c4e90e85c92ea2817582ed09c
42万年前からの南極の気温の変化を表したグラフ。このように地球は氷期(寒冷化)と間氷期(温暖化)を繰り返しているとされる。今は間氷期に当たる。現在の気温は今の間氷期のピークの気温より低い状態で上下しているように見える。氷期の方が人類にとって脅威だと思う。※Skeptical Scienceより引用

今の間氷期のピーク時の気温は前回の間氷期のピーク時の気温より低い事が見て取れる。今の気温まで上昇したのは、どう考えても地球の自律的サイクルによるものとしか思えない。ただ、間氷期の期間が長いように見える。これがCO2の効果かは判断出来ない。氷期に入るより温暖化の方がよいように思える。
CO2の効果で氷期に入るのがキャンセルされたと主張する学者もいる。もしそれが事実だとすると、氷期(所謂氷河期)になると地球上で人類が住める場所が限られてくるので結構な事ではなかろうか。氷期になる方がはるかに「人口削減」はやり易いだろう。CO2を削減するのは氷期到来の為?と一瞬妄想した。
CO2量と気温の関係は、単なる相関関係とする説・CO2量増加が気温上昇の原因とする説・気温上昇がCO2量増加の原因とする説がある。素人にどれが正しいかを断定的に判断しろと言うのが無理である。結局信じる・信じないの話になる。こういう議論をベースにすると温暖化利権の批判は一生出来ないだろう。
氷期が終わり温暖化する時は一気に気温が上昇するようである。この意味での「温暖化」が人類の仕業で無い事は明らかである。そもそも温暖でなければ今の文明が築かれていたかも怪しい。元々温暖な時期なのだから温暖化も何もないと思えるが。今の気温は今回と前回の間氷期のピーク気温に達していない。
「温暖化」という言葉自体に注意が必要であろう。気温の上下は相対的。「温暖」「寒冷」なる概念も然り。ある時点を基準にして「温暖化した」「寒冷化した」などと言われる。今の間氷期のピーク時の気温に比べると、今は明らかに寒冷化している。だが、氷期に比べると遥かに温暖化しているとも言える。
現在の気温は間氷期のピークの気温から漸減しつつ温暖な気候を何とか維持しているように見える。巨視的に見ると気温が下がっているが、微視的に見ると上下している。どこに視点を置くかで「温暖化」にも「寒冷化」にも見える。あくまでこの図表から言える事であるが。※画像はSkeptical Scienceより

巨視的に見ると今の間氷期に入った1万年余前の気温上昇はそれ以前の間氷期に於けるそれと異質なようには見えない。間氷期に入る際の大幅な気温上昇と間氷期の最中の微視的な気温上昇を比べられないのは当たり前で、それを殊更「今の気温上昇は急激なのでかつてとは違う」と言うのも変な話ではないか。
科学問題は専門家と素人では知識面で非対称な構造なので、何か誤魔化しをされても気付けず「そんなものか」と受け入れてしまい易いと思う。反証は中々難しくとも、「判断出来ない事は判断しない」という「無記(判断停止)」の応用で対処したい。さもなくば「知識の独占による支配」を許しかねない。
様々な意見がある事自体が争いや軋轢に直接結びつく訳ではない。他の意見を許さず黙らせようとする事が争いや軋轢を生みだすのである。そういう態度を取るのは往々にしてメディアなどを鵜呑みにする者の側から為される事が多い。実際、政府発表を懐疑する人より信じる人の方が攻撃的とする研究がある。
例えば「陰謀論」という簡単な言葉で特定の意見を否定した気になり「思考停止」(実際には思考誘導)している者ほど独善的だったり攻撃的だったりする。自分が「多数派」だとか「強者の側」だとかいう意識があるから異論を述べる者に対して居丈高に振る舞うのであろう。魔女狩りに狂奔する心理と同じ。
科学信者には科学的人物は皆無だと思う。科学信者は自分で考えたり、自分の理解力の限界を見極めて判断を控えるという慎重さがない。単に誰かが言う意見や理論を盲信して自分の考えだと思い込んでいるだけである。ドグマを盲信しているのと変わらない。こういう愚物は科学にとってもマイナスだろう。
科学的真理を「見てきたように語れる」のはほんの少数である。「専門家」とされる者すら大半が近代学問として学んだ伝聞知識として語っているに過ぎないだろう。だとすると、科学的真理を語る際には控えめで謙虚で慎重な姿勢を要する。「絶対的真理」として語る「資格」を持つ者はいないのであるから。
例えば「温暖化」論を声高に語るのは、アル・ゴア、ビル・ゲイツ、グレタ・トゥンベリ等科学の非専門家が中心である。「科学に耳を傾けてください」と言うが、彼ら自身が科学的真理を直接認識した訳ではない。彼らに科学者の言の真偽を判断する能力はない。知らざるを知らざると為せない傲慢さである。
誰にでも個人としてどんな意見も持つ自由があると思うが、人が持つ知識の多くが伝聞である以上、絶対的真理を「見てきた如く」「頭ごなしに」語る姿勢を改めれば少しは意見の相違による争いや軋轢を減らせるのではなかろうか。「見てきた如く」「頭ごなしに」語るのは、往々にしてメディア等の盲信者。
先述の「温暖化」論者らはCO2が増え続けると気温が上がり続けて今すぐにでも人類が滅亡するかのように言う。下の図を見る限りではCO2量の変化と気温の変化には相関関係があるようにも見えるが、右端(現在の時点)ではCO2量程に気温が上がってない事が見て取れる。※John Englanderより引用

前回の間氷期のピーク時のCO2量よりも今のCO2量の方が多い(とされる)のに、気温の方は前回の間氷期のピーク時の気温の方が今の気温より高い。CO2量と気温上昇に因果関係があるとすると、前回の間氷期より今の方がCO2量が多いとされるので、気温も今の方が高くなってないとおかしいのではなかろうか。
「科学的真理を「見てきたように語れる」のはほんの少数」と書いたが、この「少数」ですら絶対ではない。現象を観察するだけでは「科学」にならない。現象を観察して、言葉を当てはめて概念化し記述するという過程が必要である。この過程で恣意や主観が入り込む余地がある。何事も絶対視するのは危険。
印度論理学(因明)を大成したディグナーガは物事の確実な認識手段を「現量(直接知覚)」と「比量(概念的思考・推理」の二種に限定した。特に前者を最も確実な認識手段とし、後者は前者より確実性で劣るとした。概念的思考には恣意や主観が入り込む余地があるからだろう。科学理論も実はこれである。
要するに「絶対的真理の独占者」として振る舞える者は一人もいない。「真理の独占者」という存在を許せば、即ち「支配」に直結する。地中海オリエントの密儀宗教に由来すると推測される西洋秘密結社のシステムとはまさにこれである。「真理の独占者」の存在を許さない態度は世界支配の拒否に直結する。
米国CDCで「すら」一般向け(免疫力が低下してない人)の3回目の追加接種は必要ないと言っているのに(いずれ打たせる狙いだろう)、既に3回目の接種を既定路線化させているデマ太郎らを見るに「とにかく惑沈接種しろ」というノルマをこなす事自体が目的なのは明らかだろう。
CDCは人心の動向を見極めながら惑沈強制接種を推し進めていると思われる。故に一時的には「3回目の接種は必要ない」などと言う。だが、デマ太郎ら日本国内の走狗は既に3回目接種を宣言している。「全員接種しろ」というノルマをこなす事しか頭にない。駆け引きもクソも無くとにかくゴリ押しする手口。
これで素直に従う人がいる我が国の惨状。長期安全性が確認されてない代物を体内に入れろと強要する政治屋、惑沈批判者を「陰謀論者」と決めつけるメディア、「惑沈の副反応よりコロナの方が怖い」等々と旗振りをする有名人ら、それらを真に受けて惑沈批判者を攻撃する大衆。映像の世紀で見た如き世界。
映像の世紀で見た如き世界→全体主義が蔓延する狂気の世界。生きている内にこんな世界が見られるとは思っても見なかった..という方は多いのではなかろうか。仏蘭西や米国ニューヨークでは惑沈接種証明の提示義務を定めた。日本でも真似をしろと言う馬鹿が出てくるだろう。世界がかつてなく危険な状態。
「惑沈を2回接種すると感染が17分の1に下がった」などと言うが、「どこで」「どの年齢層に」「誰に(未接種者か接種者か)」「いか程の人数で」PCR検査をするかでそのような比率は変わってくると思われるので当てにならない。メディアらが言う「感染者」とは所詮「PCR検査の陽性者」の事だからである。
「政府やメディアの言う事を大人しく聞く人」は「惑沈接種したらもう安心」と思っているはずなのでPCR検査を受けようとする誘因が下がるはずである。すると「感染者」扱いされるPCR検査陽性者の中で惑沈接種者の割合が下がるのも必定。それを以て「惑沈の効果だ」と言う数字のマジックも可能だろう。
「誰に(未接種者か接種者か)」という表現はまずかった。「未」だと「未だ接種していない→いつか接種する」という含意に取られかねない。「未接種者」ではなく「非接種者」に訂正する。僅かな言葉のニュアンスで大きく印象が変化する。語の遣い方はくれぐれも慎重にすべきである。そう痛感する次第。
真に狡猾な悪党は簡単に言質を取らせない。論理的な誤りを極力犯さずに漠然とした雰囲気を演出する印象操作によって思考を操ってくる。「因果関係が有るのか無いのか分からない」という意味でしかない「因果関係は不明」なる言葉を「因果関係は無い」という“イメージ”で使って幻惑するのが典型である。
言葉の意味は使われる文脈やその場の雰囲気などによって微妙に意味が異なってくる場合がある。これを意図的に行って意味をすり替えたら人の思考を操る事も可能。人間は言葉を用いて思考を行っているので、言葉、特に単語の意味=概念(思考の原子的単位)をいじられると思考自体が操られる事になる。
PCR検査を今ほどの規模で実施すれば、2019年以前から実在するとされる風邪の原因ウイルスが対象でも今のようなパニック状況を作れると思う。2019年以前は具合が悪いからと言って一々PCR検査など受けなかった。大規模なPCR検査を実施して逐一陽性者を隔離等すれば、いつでもパニックを起こせるだろう。
WHOがパンデミックの定義から死亡者数を外した事も大きいだろう。むしろ、この前提があるからこそPCR検査でパニックを作り出す事が出来るとも言える。別に2020年からでなくても、やろうと思えばいつでもパニックを作れたはずである。「2020年から」なのは、そういう計画だからとしか言えないだろう。
人為的パニックで医療機関のキャパシティが限界を迎え、基礎疾患のある人が自宅療養を強いられて適切な治療を受けられずに亡くなるケースが出ている。惑沈接種後の死亡は因果関係不明で済まされ、B級パニック映画の如き騒動の為に人命が奪われているという状況に言葉にならない程の強い憤りを感じる。
コロナ騒動が開始されたのが2020年。2019年には「パンデミック」のシミュレーションが行われた。何故、「本番」が2020年なのか?2020年は新WTOやSDGsなどワンワールド計画の実現目標年と思われる2030年まで10年という年である。この年である必要があったのだろう。FTAAPも当初は2020年の予定だった。
裏権力及びその走狗にとって「2030年」が特別な年であるのは明らか。WTO再編とSDGs完成の目標年が2030年であるし、NHKが何故か「2030年」を冠する特別番組を定期的に放送するなど各所で「2030年」が喧伝されている。「特別な2030年」から10年前が2020年。新WTOの前提のFTAAPも2020年実現の予定だった。
要するに。「特別な2030年」にNWO・ワンワールドを実現する為に、その丁度10年前の2020年に“コロナ禍”工作を開始した、という構図だと分析する。旧ソ連で「5ヵ年計画」というのがあった。目標を立てて年限を区切って実現を図る手法である。2020年は裏権力の「10ヵ年計画」が始動した年だと推測する。
“コロナ禍”を口実として惑沈パス提示義務化などこれまで考えられなかったような事を強行している。2020年に開始した“コロナ禍”と2030年に目論まれ(ていると思われ)るNWO・ワンワールドとは「手段」と「目的」の関係にあると見る。もはや「陰謀論」なる言葉ではかき消せない圧倒的現実が眼前にある。
「全人類への予防接種計画」とか「個人情報を番号で紐付けして管理する」などと言えば、20年前~10年前なら一笑に付された事だろう(この程度の事は所謂「陰謀本」に書かれていたのだが)。だが、今や「コロナ惑沈の全員接種」が叫ばれ、「惑沈パスの導入・提示義務化」なる狂気の施策が為されている。
かつて「陰謀論」ネタとされていた事が次々に現実化又は現実的計画として表面化したのが昨今の情勢である。この点に触れない時事解説は無価値と言ってもよいであろう。何十年も前から密かに進められてきた事だろうが、“コロナ禍”という手段を得た事によって一気に実行・実現を図っているように見える。
惑沈批判者を嘲笑するのに5Gやチップの事ばかりを言う手口がある。「惑沈接種したけど磁石が体に付くなんて事は無かったわ(笑)」という訳である。哀れなり。そんな事を言っても5年後10年後の事は言っている本人にも全く分かっていない。長期安全性が不明で今現在事実上の治験をやっているのである。
すぐそうやってメディアの口真似をする。レッテル貼りは思考停止の証。異論があるなら「長期的に安全」と証明すればよいだけの話。ここでは単に事実を述べているのみ。厚労省が公開している資料に基き「長期的安全性は不明」という事実を指摘すると「陰謀論者」と言われる。
メディアが多用する「陰謀論」「陰謀論者」という言葉は思考のブレーカーみたいなものである。この言葉が出た途端にそれ以上調べたり考えたりしなくなる。あたかも条件付けされた犬の如く根拠なく特定の言説を否定する。「陰謀論者」とメディアの口真似をする前に公開資料くらいには当たった方がよい。
厚労省の公開資料に「本剤は、承認時において長期安定性等に係る情報は限られている」「本邦における安全性等に係る情報が限られている」と書かれている。「本邦」以外や特例承認時から現在までの時間経過を加味しても、5年10年の長期安全性は不明と見るのが妥当である。
https://mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T210216I0030.pdf
前掲資料に「現時点での知見が限られていることから、製造販売後、副作用情報等の本剤の安全性に関するデータを、あらかじめ定めた計画に基づき早期に収集する」とも書かれている。要するに「国民に接種しながら安全性に関するデータを収集する」と。「(事実上の)治験をする」と言っているに等しい。
異物混入で接種停止になったモデルナ製の惑沈を既に接種した2人の30代男性が死亡した。基礎疾患はなく接種3日後に死亡の由。これでも「因果関係は不明」としか言わない。基礎疾患が無い人が事件事故など特殊な状況も無く接種3日後に死亡したのなら、少なくとも「可能性がある」くらいは言えるだろう。
抑々惑沈への金属片混入は「たまたま」なのか?「惑沈に金属片が入っていると考えている」と証言しデマゴギー扱いされた医師もいた。後にモデルナ惑沈への異物混入が露呈。仮説の提示をすぐに「デマ」扱いする危険性はここにある。反証も無く1つの可能性を否定すれば思考の盲点を作る事になるからだ。
惑沈接種後の死亡は既に1000人を超えた。惑沈教徒は死亡の確率を言うのが常だが。高橋徳医師が会見で示した厚労省のデータによると、2018年のインフルエンザ惑沈接種後の死亡者数は5000万人中3人、2021年(会見の時点まで)のコロナ惑沈は5000万人中740人の割合との事。単純計算でこの時点で約250倍。
高橋医師らの会見の時点でもコロナ惑沈接種後の死者割合はインフルエンザ惑沈の約250倍だったが、今はさらに死者が増えている。しかも、惑沈接種の社会的圧力がかかり多くの人が接種を事実上強いられる中で1000人以上の接種後死亡者が出ている状況である。既に薬害だと捉える。即刻接種を中止すべし!
惑沈批判者を嘲笑するのに5Gやチップの事ばかりを言う手口がある。「惑沈接種したけど磁石が体に付くなんて事は無かったわ(笑)」という訳である。哀れなり。そんな事を言っても5年後10年後の事は言っている本人にも全く分かっていない。長期安全性が不明で今現在事実上の治験をやっているのである。
5Gやチップの説を否定した訳ではない。ここでは単に惑沈教信者の「手口」について書いたのみ。如何なる説も反証が無い限り否定しない。否定すれば思考の盲点を作る事になる。「陰謀論者の程度」などと愚かな事を言う者がいたが、そんな基準はない。判断基準は事実か否かのみ。
どんな被害が生じても賠償責任は政府にあるので、製薬会社は余裕綽々だろう。政府とて「因果関係は不明」で押し通すつもりである。仮に惑沈接種が原因で死亡しても誰も責任を取らないどころか、因果関係の解明すらされない。惑沈接種を受けるという事はそういう「闇」の中に自ら入るという事である。
顕彰される事もある「戦死」とは異なり、「惑沈死」は全て闇の中に消されるので戦死以上に残酷だと思う。既に4回目を打ち5回目を打ちたがっている者やルールに違反してまで3回目の接種をしたがる医療関係者がいるそうだが、気が知れない。「物好き」というより単に自分で物を考えていないだけだろう。
戦死は何十年経っても、戦勝国の場合は「英雄」として、敗戦国の場合は「犠牲者」として扱われる。だが、「惑沈死」の場合は今の権力構造が続く限りは「惑沈接種後に偶然死亡した」だけとされ、歴史の闇の中に消されていく。これ程残酷な事があろうか。惑沈接種はかかる危険を受け入れる事を意味する。
メディアもそのエピゴーネンも「陰謀論」「デマ」の一点張り。こうした簡単な言葉で何事かを否定した気になる。実に安易。こうした風潮は、情報を隠蔽したがる権力者に好都合なばかりか日本人の知的な退化を招くであろう。増々自分で考えなくなるからである。支配したい者には“一石二鳥”の効果である。
何事かを「デマ=虚偽」と言うには、それなりの証拠立てや論証が要る。これはごく当然の道理である。また、何かを調べたり学んだり、論証しようとする過程で思考が鍛えられる。メディアの真似をして「陰謀論」「デマ」という安い言葉で「分かった気」になれば、こうした知的鍛錬の機会を失う事になる。
物事の判断は得た情報の質と量で変わる。そもそも、本当に賢明な人は自分が持っている情報が乏しければ「判断」自体を控える。だから、反証出来る程の材料が無ければ根拠なく「デマ」などと決めつけずに判断を保留するのが知的態度である。調べてない=情報を得てないならば安易に否定せず保留すべし。
メディアは確信犯だが、自分で調べもせずに「陰謀論」「デマ」などと言い否定した気になる連中が増殖中。嘆かわしき乱世の世相なり。以前「近代大衆社会では皆自分が一番賢いと思っている」という風な論評を読んだ記憶がある。調べずに論証抜きで根拠無く物事を否定するのは非常に傲慢な態度である。
「皆自分が一番賢いと思っている」というのは共時的(同時代的に。「あいつより私が賢い」など)だけでなく通時的(歴史的に)にもである。戦争や全体主義の時代を生きた人々に対して上から目線で「なんて愚かな事を」などと言う者が今目の前で進行している全体主義化に無批判なばかりか加担さえする。
自分が賢いと思っているからと言って実際に賢いとは限らない。簡単な言葉で分かった気にさせる詐術に嵌ってメディアに思考を同調させている者は、身も蓋も無く言うと「自分が一番賢いと思っている思考奴隷」である。かつて「近代大衆社会」を批判した批評家が見たら気絶するような世相が展開している。
菊池
@kikuchi_8
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2021年8月31日
定義ではなく自分の考えを述べたのみ。「大体バカほど〇〇しだす」「非論理的な思考の典型例」云々と独断を交え勝手に“定義”しているのはそちら。前提が事実か否かは論理的か否かに関係無い。論理は形式。“論理”を誇る割にはあまり論理的とは言えない感情的な悪文と言える。
https://x.com/LivesSithean/status/1432270715789533186
超一流の詐欺師より巧みだと思います。何せ全世界をペテンにかけている訳ですからね。「大きな嘘は目立つところに隠す」と言いますが、「分かり易い嘘はつかない」「言葉で嘘はつかずにイメージや雰囲気で騙す」という手口もこれに通じると思います。実に狡猾な連中です。