
※123便=(日本にとっての)バビロンの大淫婦
「(略)「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。」そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒瀆する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。この女を見て、わたしは大いに驚いた。すると、天使がわたしにこう言った。「なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前いて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。ここに、知恵のある考えが必要である。七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことである。そして、ここに七人の王がいる。五人は既に倒れたが、一人は今王の位についている。他の一人は、まだ現れていないが、この王が現れても、位にとどまるのはごく短い期間だけである。以前いて、今はいない獣は、第八の者で、またそれは先の七人の中の一人なのだが、やがて滅びる。また、あなたが見た十本の角は、十人の王である。彼らはまだ国を治めていないが、ひとときの間、獣と共に王の権威を受けるであろう。この者どもは、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣にゆだねる。この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」天使はまた、わたしに言った。「あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民である。また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。」」
— ヨハネの黙示録17:1-18、新共同訳聖書
「その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の商人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いたからである。」わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである。彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ、彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、その倍も注いでやれ。彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立ってこう言う。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン、お前は、ひとときの間に裁かれた。」地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。その商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻の布、紫の布、絹地、赤い布、あらゆる香ばしい木と象牙細工、そして、高価な木材や、青銅、鉄、大理石などでできたあらゆる器、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間である。お前の望んでやまない果物は、お前から遠のいて行き、華美な物、きらびやかな物はみな、お前のところから消えうせて、もはや決して見られない。このような商品を扱って、彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立って、泣き悲しんで、こう言う。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、/麻の布、また、紫の布や赤い布をまとい、金と宝石と真珠の飾りを着けた都。あれほどの富が、ひとときの間に、みな荒れ果ててしまうとは。」また、すべての船長、沿岸を航海するすべての者、船乗りたち、海で働いているすべての者たちは、遠くに立ち、彼女が焼かれる煙を見て、「これほど大きい都がほかにあっただろうか」と叫んだ。彼らは頭に塵をかぶり、泣き悲しんで、こう叫んだ。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、海に船を持つ者が皆、この都で、高価な物を取り引きし、豊かになったのに、ひとときの間に荒れ果ててしまうとは。」天よ、この都のゆえに喜べ。聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。神は、あなたがたのためにこの都を裁かれたからである。」
— ヨハネの黙示録18:1-20、新共同訳聖書
・「マスコミ3大タブーに命賭す」(金融ファクシミリ新聞社 2024年04月01日)
森永卓郎 経済アナリスト・獨協大学経済学部教授
※日本経済が大転落してしまった背景には、財務省の緊縮財政に加え、日本航空123便を契機とした対米全面服従路線に走ってしまったことがあると、世に残したい。
――日本経済が財務省の財政均衡主義で悪くなっていると…。
森永 1980年代半ばまで日本のGDPは世界の18%を占めていたが、今はたった4%と、4分の1以下に大転落してしまった。消費税が導入される前の1988年と現状のサラリーマンの手取り収入を消費税の影響込みで計算すると、1988年よりも今の方が低い。日本以外にそんな国はどこにもないし、これからも増税・増負担が繰り返されようとしている。今はまだどう考えてもデフレだが、そのなかで日銀は3月~4月に金融引き締めに向かい、財務省は異次元少子化対策増税や防衛増税などの負担増を行い、さらに手取りを減らそうとしている。この背景には、財務省が熱心に「布教」する、「ザイム真理教」がある。ザイム真理教の教義は「財政均衡主義」だが、経済学では景気が悪化したときに財政出動を行って需要を喚起するのは当たり前で、短期的な財政均衡主義は誤っていることは自明だ。さらに、長期的にも財政均衡主義は誤っていることも説明できる。財政の穴埋めのために発行した国債の元本は借り換えによって日銀が永続的に保有することで政府の返済の必要がなくなり、利払いについても政府が日銀に支払った利息はほぼ全額国庫納付金として戻ってくるため、実質的に利子負担はない。一方、このやり方を続けるとハイパーインフレが訪れることになるが、日本の場合、このやり方での財政資金調達の天井が相当高いことをアベノミクスが証明している。この点、経済学的にも説明が可能なこの理論がなぜ世の中に浸透しないかというと、財務省が政治家と国民を洗脳し、大手新聞社をも強力なサポーターとする宗教的メカニズムが働いているためだ。実質賃金が低迷するなか物価は上がり続け、国民生活は厳しくなる一方だが、これを打開するには財政均衡主義から脱し、大幅な減税と財政出動を行わなければならない。
――日本航空123便の墜落事故については…。
森永 新刊で最も世に訴えたかったことが、この日本航空123便の墜落事故の真相についてだ。当時は、中曽根内閣が打ち出した防衛力増強に対して野党や国民がかみついていた時代だった。今と時代が全く異なっていて、社会党は自衛隊が憲法違反だと訴えていたし、大多数の国民は防衛費を増やすなんてとんでもないと考えていた。
日本航空123便の墜落事故についての公式発表では、1985年8月12日の午後5時12分に羽田空港から伊丹空港に向けて飛び立った日本航空123便は、伊豆半島に差し掛かった時に米ボーイング社の修理ミスで圧力隔壁が破断し、そこから噴き出した空気が油圧系統を破壊して、コントロール不能に陥ったとされている。ただ、当時からおかしな点が何点もあると考えていた。
まず、123便はエベレストの頂上に近い高度を飛行していたので、圧力隔壁に穴が空いたなら急減圧が起こり、搭乗者は目や耳を痛めてしまうはずだが、生存者の目や耳にそんな外傷はなく、ボイスレコーダーを聞くと操縦士や副操縦士、航空機関士が酸素マスクをしていないことが明らかになっているが、急減圧が起きた場合そんなことはありえない。
さらに、墜落現場についての情報が二転三転し、翌日の朝まで分からなかったことも不可解だ。レーダーは墜落直前まで123便を追尾していたはずだし、目撃証言によると、123便を自衛隊のファントム機・二機が墜落直前まで追いかけていたという。自衛隊機が目の前で墜落する瞬間を見ているはずなので、政府がそれを把握できないということはあり得ない。
加えて、今回調べて分かったことだが、メディアも当日に墜落現場を把握していたことが明らかになっている。最初に墜落現場を発見したのはラジオ局の文化放送の報道記者だった。たまたま休暇を取って近くに滞在していて、本社からの情報提供を受けて事故現場に近い長野県北相木村に行ったが、彼が書いた回顧録を読むと、「現場に着いたが、実際は山の向こうの御巣鷹方向に赤い炎が上がり、空が真っ赤になっていて、心が痛んだ」と書いてある。文化放送にお願いして社内報を見せてもらったが、彼は実際にそのことを書いていた。メディアも当日の夕方にはおおよその場所を把握していたにもかかわらず、翌日朝まで事故現場の報道をしなかったということだ。
さらに、ニュースステーションが1995年に報道しているのだが、米軍はC130という輸送機で墜落現場を墜落直後に発見して、当日のうちに横須賀基地から救援用のヘリコプターを飛ばしていた。ロープをおろして救援に入ろうとした時点で、日本政府からの帰還要請を受けて、米軍は被害者を救援できたにもかかわらず帰らざるを得なかった。この告発をニュースステーションがしたが、その後にテレビや新聞が取り上げることはなく、一切無視されている。
――墜落事故現場で何が起こっていたのか…。
森永 現場では実に恐ろしいことが起こっていた。公表された飛行ルートでは何らかの形で事故が発生した123便は羽田空港に戻ることを目指し、山梨県大月市の上空を一周したとされたが、それを見た私は最初、日航123便は迷走状態に入ったと考えた。
ところが、高度も含めて正確にルートをたどると、米軍の横田基地に着陸するための正確な高度を下げるルートを辿っていて、もう少しで横田基地への着陸態勢に入り、米軍も横田基地に着陸許可を出していたという証拠がある。そこで、機長のボイスレコーダーの記録では、「このままでお願いします」との記録が残され、つまり、このまま横田基地に着陸させてくれという依頼だと思うが、その後123便は北に向かう。123便の機長のボイスレコーダーの情報はその部分が消され、北に向かった原因は全く分かっていないが、日本政府からの指令なのか、日本航空からの指令なのか、追尾していた自衛隊機からの指令なのか、目指す方向を横田基地から北に変更したが、高濱機長は「これはだめかもしれないね」と弱気のコメントを残している。
それでも123便はあきらめなかったことが明らかになっており、公表されている飛行ルートには入っていないが、地上からの目撃情報で長野県の川上村のレタス畑に不時着しようとしたことが明らかになっている。そこでもなぜか不時着が許可されず、山間を縫って御巣鷹山の尾根に向かい、第4エンジンが粉々になった姿で見つかる。公式見解では、墜落するときに立木に当たってエンジンが木っ端みじんになったとされているが、ジャンボ機のエンジンは7トンあり、バードアタックなど強い衝撃を普段から受けることが想定されているため、木に当たったくらいで粉々になることはない。自衛隊がミサイルを撃ち込んで撃墜させた以外の原因が見当たらない。
――なぜ自衛隊は日航123便を墜落させたのか…。
森永 それには2つの説がある。1つ目は相模湾で新たに引き渡しを受け、訓練を行っていた護衛艦に爆薬を積んでいないミサイルを搭載していて、何らかのミスでそれが上空に飛び、それが123便に当たってしまったという説だ。2つ目は、無人標的機を狙ってミサイルを撃ち込むという訓練をしていたが、何らかの事故で無人標的機が行き先を失い、123便に当たってしまったという説だ。私は軍事の専門家ではないので、どちらが正しいかどうかはわからないが、いずれにせよ自衛隊のミスで123便を撃墜してしまったと考えている。
――自衛隊への反対論が強い当時の世論では、政府は自衛隊機が民間機を撃墜したなんて言えなかった…。
森永 そこで当時の政府は、圧力隔壁の修理ミスが原因で墜落したことにして、米ボーイング社に泥をかぶってもらったのだ。しかし、そのツケは大きかった。墜落からわずか40日後の1985年9月にニューヨークで結ばれたプラザ合意によってドル円は約2倍の円高になり、日本のすべての輸出商品に100%の関税を掛けるのと同じ効果を示す。それにより戦後絶好調だった日本経済は大転換を迎えることとなった。また、1986年に日米半導体協定が結ばれ、それまで5割だった日本の半導体シェアは1割まで縮小した。1989年の日米構造協議に始まる、日米包括経済協議、年次改革要望書、米経済調和対話といった日米の貿易不均衡を是正する名目で行われてきた会議では、日本はすべて米国の言いなりになっていたし、年次改革要望書では表向き日本も米国の構造改革を要求できることになっているが、日本の要求で米国が動いたことは一度もない。米国は要望を出すだけでどうにでも日本を動かすことができる状態に陥り、日本は米国の完全な植民地と化している。この原点は、日本航空123便の墜落事故だ。
――ここまでの話が本当ならば、とんでもないことだ…。
森永 私は、今からでも遅くないと思う。日本政府は日本航空123便の墜落事故の真相を明らかにし、すべて認めるべきだと考えている。幸か不幸か、ボイスレコーダーとフライトレコーダーは日本航空本社が所持しており、そのデータを公表してしまえばすべてが明らかになる。遺族側も戦っていて、墜落事故の遺族の吉備素子氏が日本航空に開示請求を求める裁判を起こしており、現在は最高裁に上告されている。この事件の真相を開示することが、日本が独立国として主権を取り戻す第1歩になるだろう。
今の日本が本当に情けないのは、さまざまな政策に表れている。防衛費倍増では、米国から購入したトマホーク400発のうち、200発は新品だが、もう200発は型落ちの在庫処分品を押し付けられたなど、米軍のための自衛隊を作ろうとしている。また、熊本にTSMCという台湾の半導体企業を誘致したが、米国の工場では回路幅が3ナノという最先端の半導体を製造するが、熊本の工場では回路幅が十数ナノという相当遅れた汎用品を作ろうとしている。何で日本は型落ちの生産を行わなければならないのか。最後に、米国が郵政民営化を要求してきたとき、郵便事業の民営化ではなくゆうちょの民営化を要求し、200兆円の預金をゆうちょから吐き出せと言ってきた。これについて証拠はないものの、岸田総理の貯蓄から投資への移行や新NISA制度は、世界中で起こっている株価バブルの最後のババを日本人に引かせようということだと思う。新NISAのタイミングは最悪だというのは、金融資本市場の人間なら分かるが、素人はそんなことわからない。米国のS&P500やオールカントリーを買えば、ほったらかしで金が増えていくという神話を信じてしまっている。
日本が主権を取り戻し、自分の国のことは自分で決められる国にならなければ、転落は継続する一方だ。
・「日本航空123便墜落事故」裁判終結に、夫を亡くした81歳の遺族が期す「真相究明」次なる一手とは(女性自身 2024年5月24日)
※1985年に発生した「日本航空123便墜落事故」のボイスレコーダー等開示請求裁判で、最高裁判所が上告棄却および上告受理申立の不受理を決定したことがわかった。
最愛の夫・雅男さん(享年45)を同事故で失った原告・吉備素子さん(81)が、5月23日午後に東京で行われた記者会見で明らかにした。
「最高裁の結果は、とても残念な形になってしまいました。しかし、夫を失った39年前には、このように真実を追求するために裁判できるなどと思ってもみませんでした。
上告棄却となりましたが、これではあきらめきれません。なぜ、あのような事故が起きて、なぜ、夫を含む520人もの尊い命が犠牲になったのか、その事故原因を、これからも追究していきたいと思います」
1985年8月12日18時56分に、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した羽田発大阪行き(ボーイング747)には乗員・乗客524人が登場していたが、生存者はわずか4人。
犠牲者520人という単独機世界最大の大惨事にもかかわらず、発生から36年間、日本では一度も裁判が行われてこなかった。
そんななか吉備さんは2021年3月、日航に対して民事訴訟を東京地裁に起こしたが、同年10月13日に地裁は請求を棄却。
その一審判決を不服として控訴するも、’23年6月1日に棄却。
そして、その控訴審判決を不服として、上告および上告受理申立を行っていたのだが、最高裁は今年3月28日付で上告棄却および上告受理申立の不受理を決定したのだ。
「これによって、本件訴訟は終結しました。『なぜ夫がこの事故で命を失わなければならなかったのか、納得できる原因を追究したい』という吉備さんの望みに、司法が応えることはありませんでした」
代理人の三宅弘弁護士は、苦渋の表情でそう語った。
同事故は発生直後から、日航による事故原因の説明はなく、運輸省(当時)事故調査委員会による’87年の事故調査報告書で《ボーイング社の修理ミスが原因で後部圧力隔壁が破壊、急減圧が発生し、垂直尾翼が吹き飛ばされたことが原因》とされ、以後の調査は打ち切られていた。
他の遺族も含めて何度も訴訟が準備されたが、刑事事件としての告訴は不起訴処分に終わり、32件あった損害賠償請求はすべて和解となり、真相究明から遠ざかるばかりだった。
しかし事故調査報告書には「付録」があり、それが2013年に国土交通省ホームページで公開されていたことが、のちにわかった。

その116ページには事故機の垂直尾翼の部分に「異常外力の着力点」として黒丸がマークされており、報告書で結論された原因「圧力隔壁の破壊」に対して疑問が広がったのだ。
吉備さんは憤りを隠さない。
「日航や国の対応は当初から辻褄が合わず、おかしな点ばかり。国も日航も、何か隠している気がして、疑問を持ち続けていました。真相を追究するためには、日航が保管しているボイスレコーダー、フライトレコーダーの音声を聞くしかないと」
股関節に持病があり、車椅子が必要なほどの吉備さんが、齢80にして立ち上がった裁判だったが、2023年の控訴審判決の棄却理由を要約すると、
(1)ボイスレコーダー等の内容は、事故調査報告書に添付され公開されているため、開示の必要はない(編集部註=同報告書で公開されたのはボイスレコーダーの全部分ではなく、抜粋と思われる書き起こしのみで、音声はなし)
(2)かつて吉備さんと日航等とのあいだで成立した和解(前述)は、同事故についてのすべての請求権を消滅させるものだから、ボイスレコーダーの請求権もない
そして今回、最高裁で上告棄却と上告受理申立の不受理が決定したのである。
「異常外力着力点(前述)に加えて、上野小学校の児童の文集など新証拠が続々見つかり、報告書の矛盾が多く出てきています。それなのに、裁判では『報告書に書いてあるからボイスレコーダーの開示は不要』とされてきたんです」
そもそも「異常外力着力点」という表記が注目されたのは、報告書の付録の存在を指摘した青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』(河出書房新社)が出版された2020年以後であり、吉備さんたちが請求権を放棄したとされる「和解」は20年以上も前に結ばれていたものである。
最近になって新しい証拠が、しかも報告書から出てきたわけで、本来、報告書は再検証されてしかるべきなのだが、裁判所は新しい証拠より20年も前に結ばれた取り決めを優先させたということになろう。
しかしいま、吉備さんは、気丈に前を向こうとしている。
「今月6日に転倒してしまい、主治医から『2週間の安静』と言われていたんです。でも『今日はなんとしても』と起き上がって、みなさまへの報告に上京しました。
天国の夫には、今日の時点では『残念な形でした』と報告するしかありません。なんだか、夫に頭をコツンとされたような気もするんですが、できるだけのことを、これからも頑張りたいと思います。そのとき初めて『もういいよ』と言ってくれる気がして……」
次なる策は「これから考えていきたい」としながらも、以下のような思いを抱いている。
「みなさんのご協力でここまで来たけれど、これであきらめきれません。本当の事故原因を明らかにしてほしい。私は、生後3カ月のときに父がニューギニアで戦死しておりますので、顔も覚えておりません。戦争で父を奪われ、夫があのような形で奪われ、今度は、子や孫たちを奪われてしまうかもしれないという恐れを持っています。
それを防ぐために、孫たちの未来のためにも、国に訴えるのか、事故調(国土交通省)に原因究明を願い出るのか、できる限りの方法で、事故原因を明らかにしたいです」