以下「国際秘密力研究」様より転載

https://kokuhiken.exblog.jp/33279421/

・ツイートまとめ テーマ:世界統一支配という「多様性の消滅」の為に「多様性」という言葉を広める裏権力 「言葉の魔術」を打ち破る道とは

〇裏権力は「多様性」なる言葉を広めているが、彼らが嫌うのは「国家の多様性」。多数の国家が併存する状況を終わらせ、「世界単一政府」によって一元支配する事を狙う。逆説的だが、「多様性」を消滅させる為に「多様性」なる言葉を広めていると見る事が出来る。世界統一支配とは多様性の消滅である。

〇裏権力は世界統一の妨げになる「国家の多様性」と「言論の多様性」を特に忌み嫌う。彼らは目下これらの破壊に注力している。国の主権を自称国際機関に移譲(破壊)させる事と言論空間を締め付けて自由な言論を封殺する事に血眼になっている。SDGs・P条約・IHR改定・改憲等は全てそこに収斂する企み。

〇裏権力が「国家の多様性を破壊する」と言っても、現にある日本政府などの各国政府機構を文字通り解体しようとしているのではないだろう。それよりは各国政府機構が完全に裏権力の意のままになるように改変しようとしていると見るのが現実的である。既に各国政府の中枢には裏権力走狗が入り込んでいるので、実質的には主要各国の政府は裏権力の支配下にあると言えるが、制度的に完全な裏権力支配が阻まれている場合がある。日本だと現行憲法がある限り全国民への惑沈強制接種や本格的な戦闘を伴う海外出兵は難しい。前述の「改変」とはこうした裏権力支配にとっての制度的障害を取り除く事を意味する。

〇近代憲法の本質的機能は「政府権力を縛る事」である。緊急事態条項は「政府権力への縛り」を一時的に解除する条項である。それが発動すると、「惑沈の強制接種(同調圧力による実質的強制ではなく権力による強制)」「接種拒否者の逮捕・投獄」など今の憲法秩序下では考えにくい事が起こり得るだろう。

〇憲法問題は思想やイデオロギーとして論じられる事が多い。改憲派=右・護憲派=左や、もう少し高度になると、「人権概念は天賦人権という基督教の産物」「国民主権・国家主権なる概念は西欧近代の産物」などという指摘もあり得るであろう。それは分かるが、個人的には主に制度論として論じたいと思う。

〇というのは、どんな思想やイデオロギーを持っていても、現に我々日本国民は近代憲法が規定する制度の中で生きている事実状態に変わりはないからである。その現実の中で如何に裏権力の横暴から身を守るかを現実問題として考えたいのである。「人権思想とは何か」などという思想問題はそれはそれで重要だが、今は「日本国民への惑沈強制接種や日本人が裏権力によって戦争の手駒にされるのを如何に防ぐか」という喫緊の現実問題として考えたい。例えば、近代民法の源流はナポレオン法典だが、民事紛争に巻き込まれた場合には「ナポレオン主義者」でなくても現行の民法を活用せざるを得ないのと同じである。

〇「各国政府機構が完全に裏権力の意のままになるように改変しようと(する)」企みが目下実行に移されている。改憲・日本版CDC創設など政府機構の改変以外にもCDCやNATOの日本事務所開設等が相関連する企みである。要は政府を名ばかりの「日本政府」とし、実質的に「世界政府日本支部」化するのが狙い。

〇「多様性」は魔語。魔語=マジックワード。マジックワードとは説得や宣伝に効果を持つ言葉。「多様性」と言うと、何かよさげで、抗しがたい語感を生じる。それが狙いと見る。額面通りに受け取らず、流布者が言葉の背後に込めた意図を推察すべき。世に流布される耳障りの良い言葉ほど注意が必要である。

〇「各国政府機構が完全に裏権力の意のままになるように改変しようとしている」と書いたが、最近裏権力走狗がよく使う「〇X(〇トランスフォーメーション)」(DX・GXなど)という表現はまさにそれを暗示する。X=トランスフォーメーション=改変。これもまた「魔語=マジックワード」の類と言えよう。

〇「「多様性」は魔語」と書いたが、これは当然「裏権力及びその走狗が宣伝の意図を以て使用する場合は」という意味である。この語自体はニュートラルなもの。魔語か否かは使う者の意図や文脈などで決まる。これもまた言語の主客連関態である。言葉の意味やニュアンスは様々な条件によって異なってくる。

〇裏権力走狗らがDXだのGXだのと喧しいが、その真の狙いは各国の制度を「世界統一支配体制」仕様に改変する事だと見る。謂わば「OX(ワンワールド・トランスフォーメーション)」である。「OX」は殆ど「マルバツ」にしか見えない。裏権力はマルバツ式の如き二元論で人々を両建に囲い込み、手駒とする。

〇ある一つの単語は単独ではなく文脈や使用者の意図などが込みの「体系」として機能するので、単なる辞書的な意味を額面通りに受け取るのは危うい。例えば、裏権力及びその走狗が多用する「自由」という単語は、文字通り人々を自由にするという意味ではなくて、権力奪取の為の魔語として機能している。

〇「自由」という言葉は江戸時代くらいまでは「好き勝手」というニュアンスが強く、あまり良いイメージの言葉ではなかったようである。だが、現代では良いイメージが強いので、そうした一般の語感を利用して「自由」という言葉を多用する事で、世の中を裏権力に都合の良い方向に動かそうとする訳である。

〇多様性は本来、人・土地・自然・歴史・風土などの結び付き(空間・時間に渡る関係構造)によって成り立つものだと思う。故に地球全体は元から多様である。それに対して裏権力の言う「多様性」とは、人々を祖国の土地から引き離して別の土地に移動させて流民の坩堝と化する事、即ちワンワールドを指す。

〇裏権力の言う多様性は多人数を一緒くたにしてタコ部屋に入れる事に喩える事が出来る。棲み分けない事には「和」というのは中々難しい。「鎖国」時代の日本は対外戦争をしないという意味で平和だった。混ぜこぜにするからこそ起こる衝突や不和もあるであろう。独仏など移民大国は大抵どこも荒れている。

〇「国家主権(特に保健行政)の多様性の根絶」を目指すパンデミック条約は裏権力の思惑通りには事が運んでいない模様である。このまま頓挫すべし。裏権力の「力」は必ずしも絶対的ではない。個々人が屈さずにたゆまず発言を続ける事が世界統一支配計略の打破に繋がると考える。https://jp.reuters.com/world/EGRRGJ4M4RMUZAY3YKHAETDUZ4-2024-01-23/

〇テドロスは「新条約締結とIHR改定を実現できなければ、機会が失われ将来の世代はわれわれを許さないかもしれない」と発言。お為ごかし。お為ごかしとは「表面は人の為にするように見せかけて実は自分(達)の利益を図る事」を言う。P条約・IHR改定=パンデミック対策を口実としたWHOの世界政府化。

〇裏権力は美辞麗句やスローガンを言葉の本来の意味とは逆の意味で使う。例えば「自由を強調しながら言論の自由を抑圧する」「多様性を掲げながら画一化を進める」「民主主義を名乗りながら話し合いや議論を封殺する」「法の支配が大切と言いながら最高法規を停止させる緊急事態条項の創設を狙う」など。

〇裏権力及びその走狗は人々を騙す為に歯の浮くような偽善的な言葉を弄するが、単に偽善的な表現を使うというだけでなく、言葉の本来の意味とは違う意味を込めたり、全く逆の意味で用いたりする事が多いので厄介だ。その事を認識せずに彼らの言葉を額面通りに受け取ると、言葉の魔術に簡単に幻惑される。

〇「自由・民主主義・法の支配」を掲げる権力者は大体逆の志向を持っていると見る。つまり、個々人の自由(特に言論の自由)を軽視し、話し合いや議論を嫌い、出来る限りルールに拘束されずに権力行使する事を好む。「自由・民主主義・法の支配」を掲げる裏権力走狗の本音は言葉とは逆の所にあると見る。

〇裏権力が使う言葉は他の言葉で補足すればその真の意味が浮かび上がる場合も多い。国際金融資本が言う「自由」は「富を独占する自由」、フリーメイソンが言う「友愛」は「結社員同士の友愛」、ネオコンが言う「法の支配」は「恣意的な法の支配」や「無法者の支配(ネオナチ、テロリストが手先)」など。

〇裏権力走狗は、言論の自由を軽視しながら「自由」を騙り、話し合いや議論を軽視しながら「民主主義」を騙り、ルールを軽視して恣意的な権力行使を好むのに「法の支配」を騙る。何故そうするかと言えば、世の中でそれらの語が肯定的な語感を持っているため、それらの語を使えば人を騙し易いからだろう。

〇裏権力及びその走狗の言葉の使い方には異様な違和感を覚える。違和感を大事にしたい。違和感を押し殺して無理に納得しようとしたりせず、自分が感じる違和感を元に批判的思考を働かせ、事象の分析・考察を行ない、違和感の正体を見極める。そうすれば裏権力の言葉の魔術のカラクリが明らかになるはず。

〇言葉は文化・文明の基礎である故に、言葉に介入する事は人間社会の支配に直結する。人間の思考は言語で為されるので、言葉をいじると思考を操る事も出来る。これが裏権力が「言葉の魔術」を多用する動機であると分析する。彼らが使う「魔語」を額面通りに受け取り無批判に使用すると、思考が操られる。

〇人間は言葉で思考するので実態よりも名称に引っ張られ易い。この弱点を突くのが「名付けの魔術」である。例えば、ある対象に肯定的な語感の名称を付ける事で、その対象の実態がどうであれ良い印象を植え付ける事を狙う。ネオナチやテロリストを「自由の戦士」と呼び人々の支持を集める手口などがある。

〇ネオコンは「使える」と見なした手駒であれば、どんな無法者や過激派でも「自由の戦士」「自由と民主主義の闘士」などと印象付けて人々の支持を集めさせる手口をよく使う。これなども「自由」「民主主義」といった旧西側諸国で肯定的なイメージで受け取られる言葉を使った「名付けの魔術」だと言える。

〇名称が実態に合うか吟味する事が重要。古代の儒家に「正名」という思想がある。事物の実態に適合する正しい名称を使う事が世の乱れを正す元になるという考え方である。物事の道理や筋道を表す「道」という語は「道う(言う)」とも読める。言葉を適切に使う事が「言葉の魔術」を破る鍵になると思う。

〇以前読んだ小林秀雄氏の本で「言辞の道」という言葉が頻用されていたと記憶する。これは本居宣長の歌論書「排蘆小船」に出てくる言葉だが、この表現自体が印象に残った。「言辞」は言葉。言辞の道=言葉の道。言葉の道は思考の道。やはり筋道に沿って言葉を適切に使う事が言葉の魔術を破る道だと思う。

〇政治的詐欺師の常套句「自由・平等・博愛(友愛)」「自由・民主主義・法の支配」など。これらの表面的な言葉に引っ張られる事無く、それらの名称が付けられる対象の実質実態を知る事が重要である。実質実態を知れば、それに相応しい名称を付ける。これが「正名」である。これが世を正す基本になる。

〇同じく常套句「多様性」。裏権力走狗が言う「多様性」は、たくさんの文化を尊重する事ではなく、様々な文化的背景を持つ人々を一か所に集めて混合する事にあると見る。特定の文化圏に移民を大量に入れ、当該文化圏に譲歩を迫りその特性を削ぎ落す。その為のスローガンとして唱えられるのが「多様性」。

〇ミックスジュースは多様な食材を混ぜて作られるが、ジュースが一旦出来てしまえば、多様な食材を元の状態に戻す事は出来ない。裏権力及びその走狗が「多様性」という言葉の魔術で狙っているのはこういう事態であろう。多様性が失せたワンワールドを狙う連中が「多様性」を唱える論理矛盾に気付くべき。

〇ハイエクは社会主義者が「自由」という言葉を使う事で知識階級の支持を集めたという趣旨の事を書いているが、これはハイエクを持ち上げる主義者(ネオリベやネオコン)も使っている手口である。「自由」は政治的詐術者が最も多用する常套句と言える。言葉が貼られた対象の実質実態の吟味が肝要である。

〇先述の「言辞の道」は原文では「和歌は言辞の道也」とあり、和歌の制作上で言語表現を工夫する事の重要性を述べた言葉である。そこに文芸評論家の小林秀雄が人生の上で経験される堪え難い心の動揺を直視し言語化する事で己の「所有」と化し生きる道..という人生論を射程に収めた意味合いを読み込んだ。

〇いずれにしても「言辞の道」は日本の古典文芸に於ける言語表現の重要性を示す言葉である。しかし、言語表現の重要性は文学に限らない。政治や社会を含む森羅万象を論じる上で言語表現が重要である。何故なら人間は言葉で物事を認識する故に言語表現が適切でないと認識自体を誤る危険があるからである。

〇陰謀追及に於いても言語表現を含む言語の考察が非常に重要である。これを言わんが為に「言辞の道」という表現を引用した。陰謀分析で言語の考察が重要なのは、裏権力が「言葉の魔術」「言語魔術」を駆使するからである。彼らは言葉の魔術で人々の認識を混乱・錯誤に導く事によって社会を操ろうとする。

〇言葉の魔術が裏権力の支配術の中核である以上、それを打ち破る事は裏権力の陰謀そのものを打ち砕く事に繋がると考える。その為の工夫や営為を追及者の言辞の道あるいは言語の道・言葉の道と呼ぶ事も出来るであろう。やはり国語による批判的思考という一筋の道を行くのが言語魔術を破る正攻法だと思う。

〇「人間は言葉で物事を認識する故に言語表現が適切でないと認識自体を誤る危険」と書いたが、かかる事態を意図的に引き起こすのが裏権力の言葉の魔術である。例えば「陰謀論」なる言葉に込められた意味や意図を深く考えないなど言語表現に注意を向けず言葉を雑に扱う人は言葉の魔術に簡単に引っ掛かる。

〇正名は「名付けの魔術」による認識の混乱や錯誤を正す事が目的であって、認識を誤らない範囲ならその言語表現には幅があって然るべきである。言語表現の豊かさは文化の豊かさに通じる。特定の言語表現を絶対視して言葉狩りをするような態度は思考が硬直しており、言葉の魔術に対してむしろ脆弱である。

〇「正名」は「事物に一対一で対応する唯一絶対の正しい名称を付ける」というような実体論的あるいは道徳規範的なものではなく、事物の実質実態に合う名称を使う事で事物に対する我々の認識を大きく誤らせないようにする事が目的である。明らかな認識の誤りに導かない限りは、どんな名称を使うかは自由。

〇言葉は単に辞書的な定義だけでなく、文脈や使い方でニュアンスが変わってくる点にも注意が必要だろう。その場合、辞書的な意味で受け取ると一見適切に見えるが、文脈や使い方で独特のニュアンスが施されている場合がある。例えば、「陰謀論」は「陰謀を論じる」という一見価値中立的にも見える表現だが、実際には、侮辱的・侮蔑的なニュアンスが含まれている。それはこの言葉が特定の言説を貶める文脈で使用されてきたからである。「反ワク」というのも同様。「惑沈に反対する人」という客観的な描写に見えるが、実際には惑沈に疑問を持ったり批判したりする人を差別し侮辱するニュアンスが含まれている。

〇故に「正名」は辞書的に正しい名称を適用すればよいというものでもなく、文脈をも考慮しつつ認識を誤らせない表現を使う必要がある。これが「特定の言語表現を絶対視して言葉狩りをするような態度は言葉の魔術に対してむしろ脆弱」と述べた理由。「正名」の実践には臨機応変な言語表現力が必要である。

〇和歌に於ける「言辞の道」は「心におもふことを、ほどよく言いつづくる道也」で「よき歌をよまむとおもはば、第一に詞をえらび、優美の辞を以て、うるはしくつづけなすべし」というものだが、陰謀追及に於ける謂わば「言辞の道」(言語表現の道)は、事実に即して極力正確に述べる事が重要だと思う。

〇和歌のような古典文学だとよく詞(言葉)を選んで優美な言語表現を以て心に思う事を程よく言い表す事を重視するのに対し、「陰謀」を含む社会的事象を論ずる場合には極力正確に言語表現する事が重視されるという違いある。しかし、事柄の性質に応じて適切な言語表現を選ぶという点は共通すると言える。

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(了)