知られざるウクライナ人の一面

2024年04月16日

https://ameblo.jp/12roses/entry-12848136178.html

※ウクライナは1991年に建国された新しい国で、過去100年はソ連やナチスドイツの一部。その前の1650年〜1800年代はロシア帝国の一部で、その前はルース族でモンゴルやオスマントルコや色んな所に侵略支配されてただけの感じの人達。

ここ30年くらいに新しく出来た国なので、高齢者達がロシアとウクライナを区別しないのは理解できます。ロシアの高齢者はこの戦争を「内戦」と呼んでます。72歳のプーチンの歴史観もそこにあると思われます。

民族も言語もスラブ人/スラブ語で、食文化や音楽他の文化的な物も共有してるし、1990年まで同じソ連と言う国だったし、ロシア人は若い人でも小さなロシアとも呼ばれるウクライナを兄弟のように思ってるようです。

実際、侵攻が始まった頃、ロシア軍のバンカーに行って10人くらいのロシア兵にアメリカ人(?)が取材するドキュメンタリーがあって見たんですが、兵士の全員が「僕達はウクライナは兄弟だと思ってるから、戦うことになって辛い。僕達は仲良くしたいと思ってる。でも、彼らはそう思ってないから仕方ない」と言ってたのが印象的でした。ほとんどの人がウクライナに親戚や友人が居て、奥さんがウクライナ人と言う人も居ました。

現在のウクライナの地域の人達が、初めてウクライナと言う意識を持たされたのは、ソ連時代にソビエト共産党がその地域に「ウクライナ」と言う呼称を復活させ、ウクライナ化と言う政策を施し、ウクライナの自治政府を作りウクライナ語を使うよう奨励した事が最初だそうです。

しかし、ウクライナ人と言う自覚というかアイデンティティは薄く、今のウクライナ人達が初めてウクライナ人として心動かされたのは、ステパン・バンデラの登場からだそうです。

現在のウクライナ人はバンデラをヒーローとして讃えてますが、バンデラの思想は実はネオナチなのだそうです。

2021年にバンデラを称え行進するウクライナ人。

ウクライナ西方は当時ポーランド支配下にあり、ポーランド同化政策を強要されウクライナ語の禁止など、色々と弾圧されてたそうです。バンデラのウクライナを弾圧から解放しようとの呼びかけが、ウクライナ人達に支持されたのが始まり。

しかし問題は、バンデラの思想は「ヘイト」が根底にあり、ウクライナを囲む者達を敵視する事でウクライナが自由になれると信じた思想と活動だったそうです。そして誰かを敵にする事でウクライナ人と言うものを結束させようとしたもの。それが、自分達のアイデンティティを探し求めていたウクライナ人の心にめちゃハマったようです。

最初はポーランドを憎む事に始まり、次はその地域で商売して儲かってたユダヤ人を迫害(現在のイスラエルのハザールマフィア/偽ユダヤ人達は、元々キエフ出身でキエフをイスラエルの次に故郷と思っているくらい沢山ユダヤ人が活躍してた)。その次のターゲットがロシア人だったそうです。

この「ヘイト」が根底にあり、自分達以外は迫害すべきと言う思想がピッタリはまったのが、ナチスドイツの思想。バンデラはポーランドに捕まって終身刑となっていたけど、1939年にポーランド第二共和国が滅亡するとドイツ軍に解放され、ウクライナ人にナチス的思想が支持されるようになったようです。

右上矢印当時のウクライナ女性

当時のウクライナの垂れ幕には「ドイツ軍万歳!ウクライナの自由よ万歳!」と書いてあります。

以下では、バンデラは「スボボダ」と言う政党を率いたと書いてあります。

https://cigs.canon/article/20140513_2563.html

一部抜粋:

スボボダ党のスローガンである「ウクライナ人のためのウクライナ」はナチスがソ連に侵入した後にヒトラーに協力したステパン・バンデラのOUN-Bのスローガンであった。

1943年にはベルリンにいたバンデラの指導の下で、民族浄化、大量殺戮のキャンペーンを行い、7万人のポーランド人とユダヤ人を殺害した。現場責任者はOUN-Bの秘密警察組織のトップであったミコラ・レべドである。

バンデラは、1941年のOUN-Bの大会で「戦時の闘争活動」を採択し、その中で「モスクワっ子(ロシア人)、ポーランド人、ユダヤ人は我々に敵対的であり、闘争の中で抹殺されるべきである」と言っている。

MI6の歴史について書かれたステファン・ドリルの著作によれば、大戦後1948年4月にステパン・バンデラは英国の諜報機関であるMI6に採用された。その後彼はソ連邦内における破壊活動に携わり、1959年にKGBにより西ドイツで暗殺されている。

ナチス思想のウクライナ版を支持し、自分達より強い隣国や人達を敵対する事でウクライナ人と言うアイデンティティを確立しようとしたウクライナ人達でしたが、指導者のバンデラを失ったのと、戦後ナチスの思想は世界的に非難されたので、ナチス的ヘイトの思想は下火に。。

でも、折角下火になっていたのにまた火をつけ焚きつけたのは、先日辞任したヌーランド。今ではアメリカも認めているが、2014年からビリオンと言う額のお金を注ぎ込んで、ネオナチ思想を復活させたのはアメリカだと、この教授さんは言ってます。

同じ事をスコット・リッターも言ってました。リッター氏のロシアとウクライナの歴史と文化の理解と知識はとても深いので、彼の話も興味深いです。リッター氏は戦争の専門家ですが、歴史的背景が分からないと、この戦争は読めないと言ってます。

2013年、ウクライナの選挙で国民はネオナチではなく、ロシアとも仲良くしていた大統領を選んでいたにも関わらず、アメリカの工作で民主化運動と言う名の下「マイダン革命」を起こさせ、政権を転覆させ、アメリカの傀儡政権を作り、クリミア侵攻に至ったのは、皆様も記憶に新しいところかなと思います。

その後、アメリカのネオコンによる民主化と言う名のウクライナでのネオナチ思想の復活は、先程のパンデラ思想の熱狂的支持復活と同時に、元々ロシア人が多い以下の地域のロシア人虐待とセットで進んで行きました。ロシア正教会の禁止と焼き討ち、ロシア正教会の牧師の虐殺、ロシア語禁止などなどを含めたこうした事実は、西側の国ではタブーで日本のメディアだけ見てても出ては来ないので知る人ぞ知るでしょうが。。

とは言え、ヘイト=愛国心は、どんなに焚き付けられたとしてもいい結果にはなりませんよね。

例えウクライナ人が深く考えずにロシア人を虐待したとしても、そこに暮らすロシア人達がそもそも兄弟と思ってるウクライナ人に酷い目に遭わされたのは動かしようのない事実。

プーチンがウクライナ侵攻前にした国民への演説では、侵攻の目的はロシア人の平和の為に「ウクライナのネオナチ排除」と「ウクライナの軍事力解体」と言ってました。ネオナチって思想から来るものなので、どうやって排除できるのか分かりませんが、ゼレンスキーがネオナチ政党の復活と位置付けるなら、ゼレンスキー政党を潰すことが1つの目標かもしれません。

スコット・リッターも言ってましたが、ウクライナ文化の根底は「ヘイト」。自分達と違うもの達を排除と言うのがウクライナ人のアイデンティティを支えているので、ウクライナの西側地方は西側文化に近い分、自分達の方が洗練されているとして東側地方のウクライナ人すらも差別して見下し、東側からの徴兵にもっと力を入れてると以前言ってました。なかなか興味深い話です。