・昔話かぐや姫のあらすじを簡単に紹介! 正体や教訓、竹取物語との違いとは

2022/10/31

東あきえ

https://news.mynavi.jp/article/20220804-2407800/

※かぐや姫の原作は『竹取物語』であるといわれています。竹取物語は平安時代初期に作られた、日本でもっとも古いとされる物語です。

竹取物語が最初に書かれた明確な時期や作者は不明です。しかし、紫式部が平安時代中期に書いた『源氏物語』の中に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあることからも、竹取物語は平安初期に成立したと推定されているのです。


かぐや姫にはモデルとなる人物が実在する?

かぐや姫は、奈良時代の歴史書である『古事記』に登場する、迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)がモデルとして有力だといわれています。迦具夜比売命は、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の妃(きさき)です。

迦具夜比売命の父は、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)といいます。竹は筒状の木であることから「筒木」と関わりがあるとも考えられるでしょう。

さらに、迦具夜比売命の曾祖母は丹波竹野媛(たにわのたかのひめ)、叔父は讃岐垂根王(さぬきたりねのみこ)です。

かぐや姫に登場するおじいさんは「竹取翁」と呼ばれていますが、竹取物語によると名は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」とあり、叔父の名前と縁が深い名前と考えることもできます。

古事記に登場していることが根拠のため、彼らが実在したのか確認はできません。しかし、成立時期や竹と関わりが深い名前の関係性から、かぐや姫のモデルは迦具夜比売命ではないかといわれているのです。


かぐや姫に登場する貴族は実在する?

かぐや姫に登場する5人の男性について、江戸時代の国学者・加納諸平(かのうもろひら)は著書「竹取物語考」にて、以下の実在する5人をモデルとしていたのではないかと指摘しました。

石作皇子
飛鳥時代の貴族である、多治比嶋(たじひのしま)。左大臣正二位まで昇る

車持皇子
飛鳥時代から奈良時代に活躍した貴族の藤原不比羅(ふじわらのふひと)。母が車持氏

右大臣阿倍御主人
飛鳥時代の貴族である阿倍御主人(あべのみうし)。もとは布勢御主人(ふせのみうし)だったが、694年に阿倍氏の氏上となった以降は阿倍氏を称した。

大納言大伴御行
飛鳥時代の貴族である、大伴御行(おおとものみゆき)。壬申の乱で天武天皇を助けた功臣とされる

中納言石上麻呂
飛鳥時代から奈良時代の貴族である石上麻呂(いそのかみのまろ)。中納言から大納言、最後は左大臣になった

かぐや姫は飛鳥時代から奈良時代にかけての物語といわれており、この5人はいずれも飛鳥時代に起こった「壬申の乱」に関係のある人々です。


かぐや姫のふるさと・ゆかりの地はどこ?

かぐや姫のふるさとは諸説ありますが、有名なのは現在の奈良県北葛城郡広陵町といわれています。

かぐや姫に登場するおじいさんは、竹取物語で「讃岐造」と呼ばれています。つまりおじいさんは讃岐村を治めていた人物である可能性があるのです。讃岐村を治めていたのは豪族の讃岐氏と考えられますが、前述のように古事記には讃岐垂根王という人物の記載があります。そして、讃岐垂根王をはじめとする讃岐氏を祀ったとされる讃岐神社が、奈良県北葛城郡広陵町に存在するのです。

また前述した、かぐや姫のモデルとされる迦具夜比売命の夫・第11代垂仁天皇の御陵(皇室の墓)は、同じく奈良県内、現在の奈良市尼辻西町にあります。さらに叔父である讃岐垂根王は第9代開化天皇の孫にあたりますが、その開化天皇の御陵は、現在の奈良市油阪町にあります。

さらに、同じく前述のかぐや姫に求婚した5人の男性のモデルが住んでいたのは、当時の都があった飛鳥京(現在の奈良県高市郡明日香村)か、藤原京(現在の奈良県橿原市醍醐町)が有力です。

電車や自動車といった交通機関がない時代に、頻繁にかぐや姫のもとへ行くのであれば、自分たちとかぐや姫の住んでいる場所が近場である必要があります。これらのことから、奈良県北葛城郡広陵町がかぐや姫のふるさとではないかといわれているのです。


・大乗経典「月上女経」との類似

幸田露伴は明治44年(1911年)4月の竹柏会大会講話において、大乗経典「月上女経」と「竹取物語」の類似性について詳しく述べている。

幸田は両者の類似点として、「主人公の成長の異常な速さ」「主人公の光り輝く属性とそれに由来した名」「屋内が光に満ちた事」「主人公の父が富者である事」「主人公の美しさと、多くの求婚者が殺到した事」「その事に父が苦慮した事」「主人公が結婚相手を選ぼうとした事」「決定機が十五夜である事」「決定機に主人公が空中に浮遊した事」「決定機に人々の欲望が消失した事」「決定機に主人公が地上の人でなくなる事」等を列挙し、「只一つ二つの似て居ると云ふ事とは違ひます、全体の話の調子が似て居るのであります」と両者の全体的類似性をも指摘している。