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Kumi@Kumi_japonesa

メキシコ人が解説する
【イスラエルと中南米🌎】

イスラエルがラテンアメリカの独裁国家で果たした役割について話そう。
数十年にわたり、イスラエルはラテンアメリカのいくつかの独裁国、独裁者の武力紛争を支援した。

何をしたか?
主に、武器の供給、軍事的助言、軍の戦闘訓練、監視とその他のテクノロジーを提供してきた。
ちょっと待って。
少し言い訳したいんだけど、この研究によるとイスラエルの軍事力は米国、中国、ロシアに次いで世界で4番目だ。国際的地政学上、友好国の中で役割を果たしてきたんだ。

その上、1948年にイスラエルがパレスチナの領土を不法に占領し始めてから、この国は何の反発も受けずに新たな武器と軍事戦略を開発し、経験を積んできた。それが軍事のプロ化と強化を促し、世界の中で強大な軍事力を持った武器の最大の供給国の一つとなるに至った。

さて、話をラテンアメリカとイスラエルに戻そう。
今、言ったように、80年代、イスラエルは独裁者を支援した。
チリのアウグスト・ピノチェトにミサイル、戦車、軍用車、放水車、その他、抗議行動や反政府行動を鎮圧する機材を提供した。

CIAのレポートによれば、イスラエルはピノチェトのための最も重要な武器の提供者になった。ピノチェトはこの隠された取引がアラブ社会との関係を危険にさらすとは思っていなかった。ピノチェト独裁は死者と行方不明者で4万人の犠牲者を生んだ。

同じ80年代、軍事独裁国アルゼンチンは、明らかに反ユダヤ主義の国だったが、イスラエルは武器の供給と軍事顧問の派遣で貢献した。
この合意に先立ち、フォークランド紛争があったが、その後、イスラエルはアルゼンチン軍の訓練と武装強化を担った。

ラテンアメリカの独裁リストはほぼすべてイスラエルと関係が深い極右政権で、ブラジル、エルサルバドル、ニカラグアと続く。
80年代、「沈黙のホロコースト」として知られるグアテマラ軍事独裁下でのマヤ族虐殺でのイスラエルの共謀を忘れてはならない。ここでは少なくとも20万人が殺害された。

軍事独裁政権でなくとも、ラテンアメリカのほぼ全ての国でイスラエルは武器商売と軍事訓練を行ってきた。特に人民蜂起やゲリラ活動があるところ、例えばコロンビアでは80年代から長くイスラエルとの関係が続いてきた。
以上のことは、パレスチナの違法な占領と同時に行われてきたことである。

🔻血が流されるところ、イスラエルあり(本物のろくでなし💢)
🔻ニカラグア、コロンビア、ブラジルからのイスラエル非難の声が特に強いのは歴史的な背景があるようだ

※ブログ主コメント:こういうのはCIAの仕事だが・・・イスラエルとCIAは一体なのだな。
※ブログ主コメント:新自由主義者は、極右ではなく売国奴です。



・世界史の窓

https://www.y-history.net/appendix/wh1703-075.html


ピノチェト/ピノチェト独裁政権

1973年、チリのアジェンデ社会主義政権を倒して権力を握り、1990年まで独裁政治を行い、新自由主義経済政策を実施した。しかし格差の増大など社会問題が深刻となり、民政移管後のチリは経済の方向転換と民主化が進められている。



(上)ピノチェト

ピノチェト Pinochet 1915-2006 はチリの軍人で、1973年のチリ軍部クーデターによって軍事政権を樹立した。権力を握ったピノチェトは、前大統領のアジェンデ政権が推進した国有化政策からの180度の転換を図り、公営企業体の民営化、森林・漁業資源の私有化、さらに社会保障の民営化、外国資本の直接投資の促進などを推進した。


新自由主義による経済政策

この民営化と外国資本の流入は一時的な経済の活況を見せ、「チリの奇跡」と言われるたが、この経済政策は新自由主義経済を主張するアメリカのシカゴ大学のミルトン=フリードマンの下で訓練を受けた「シカゴ・ボーイズ」という経済学者たちが、アメリカ政府の意を受けて行ったものであった。
 
また、この改革は労働市場の自由化と労働組合運動の破壊を通じて短期雇用と流動化を強制していった。結果的に、貧富の差が拡大し、1980年代には停滞に逆戻りしてしまった。


戒厳令下のチリ

一方で、軍事独裁政権のもとで、言論の自由が抑えられ、多くの左派系の人々が誘拐され「行方不明」となった。この間のチリの実情は、ガルシア=マルケスの『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書)に記録されている。
 
1983年以降は、全国ストライキを初め、独裁反対運動が激化し、84年には戒厳令が出された。1988年の大統領選挙ではピノチェトが民主政党連合の候補者に敗れ、ようやく1990年に民政移管が実現、16年半にわたる軍事独裁政治が終わった。


Episode ピノチェト裁判

ピノチェト将軍は1998年病気療養のためイギリスに渡ったが、そこでスペインの要請で拘束された。理由は在職中にチリ在住のスペイン人に対する人権抑圧を行った容疑があると言うことだった。しかし、病気を理由に釈放され、帰国が許された。その後も、チリ本国で、在職中の人権抑圧、不正蓄財などが明らかになり、2001年、2004年にも告発されたが、痴呆状態であると言う理由で罪に問われなかった。しかしかつての独裁者の権威はなく、その財産のすべては現在差し押さえられているという。


ピノチェト元大統領死去

元チリ大統領ピノチェトは2006年12月10日、急性心不全で死去。91歳だった。その軍事独裁政権下の反政府活動弾圧で3000人以上の犠牲者を出した責任を問われ裁判中であった。10月の裁判では、特に秘密収容所ビジャ・グリマルディでの拷問や殺人への関与が問われたが、元大統領は「記憶にない」と答えていた。元大統領の死去に伴い、国葬にすべきか問題となったが、国民の55%が反対だという。ピノチェト政権の人権抑圧には反発が強く、バチェレ大統領もかつて民主化運動に関わり、ビジャ・グリマルディで拷問を受けたことがある。一方で元大統領が「新自由主義」をいち早く取り入れ、チリの経済を立て直したことを評価する支持者もまだいるということである。<朝日新聞 2006年10月20日、同年12月11日の記事による>


映画 コロニア

ドイツの映画監督フローリアン・ガレンベルガーが2015年に製作し、2017年には日本でも公開された映画『コロニア』はハリー・ポッターで人気の出た女優エマ・ワトソンが主演するスリラー、ということで注目されたようだが、実はピノチェト政権下の暗部を告発する、相当シリアスなドラマだ。映画は1973年のピノチェトによる軍事クーデターでアジェンデ政権が倒されるところから始まる。ルフトハンザ機のCAのレナ(エマ・ワトソン)はたまたまフライトでチリに来ていて、恋人のカメラマン、ダニエルと束の間の逢瀬を楽しんだ。そこでクーデターに遭遇し、ダニエルがクーデターの写真を撮ったため軍に捕らえられ、どこかに連れ去られる。レナが人権擁護団体に相談すると、「コロニア・ディグニタ」に送られたのではないか言う。コロニア・ディグニタ(尊厳のコロニーの意味)とはドイツ人移民を率いるパウル・シェーファーを「教皇」とよぶキリスト教の宗教団体だが、外部との接触をいっさい断っているという。レナは恋人を救おうと決心し、自ら信者を装って教団に潜入する。そこで拷問を受け顔も変形した恋人をみつけ、脱出を図るが・・・。ここからはスリルとサスペンスという展開になるが、明らかになるのは、この教団はシェーファーを「教皇」と呼んで絶対服従し、性欲を否定して男女別の集団で自給自足の生活を送るという表の顔と同時に、ピノチェト政権に協力し、反政府活動家を拷問にかけ、武器や猛毒サリンを製造して政権に提供するという、まさにどこかで見たようなカルト教団だった。映画では触れていないが、実はシェーファーはもとナチスで、教団にはアウシュビッツのユダヤ人虐殺に関わっていた幹部もいた。反共産主義の一点でピノチェト政権と密接な関係を結んでいたのだった。映画は二人の脱出行を描いていくが、最後の方になって、ドイツ大使館がピノチェト政権と通じていたことも明らかになって緊張が一気にましていく。
 
この映画で描かれた「コロニア・ディグニタ」は実在の教団で、現在も「ビジャ・バビエラ」という名で存続しているという。さすがにピノチェト失脚後、シェーファーは告発されたが、その罪名は幼児に対する性的虐待ということだけで、政治犯拷問や行方不明についてはまだ真相は全面的には明らかにされていない。ナチスの残党がもともとドイツ系移民の多いラテンアメリカ各地に逃れたことは、有名なアイヒマンなどでよく知られているが、元ナチスがピノチェトに協力していたという話は日本ではあまり知られていない。この映画の監督は現代のチリにおける非人道的な政治弾圧とカルトの結びつきに焦点を当て、ナチス問題を敢えてさけているが、この映画はドイツ公開でも相当反響があったようだ。ピノチェト失脚後、ドイツ大統領がチリを訪れ、ドイツ大使館の行動について謝罪したという報道もあった。インターネットの情報に拠ればシェーファーはアルゼンチンに逃れ、既に亡くなったようだが、独裁政権とカルトの結びつきは日本でも人ごとではないかもしれない。