・“裏金発覚→増税”デスループの罠に要注意!「政治にはカネがかかる」にだまされるな(DIAMOND ONLINE 2023年12月15日)
ノンフィクションライター 窪田順生
※「裏金」は日本の政治家の常識?
日本の政治史を冷静に振り返ってみれば、政治家が「表にならないカネ」をそっと懐に入れるというのは、80年以上前から継続している現象で特に驚くような話ではない。
つまり、安倍派がどうとか、自民党が腐っているとかいう話以前に、日本の政治家にとっては「裏金づくり」は基本中の基本というか、「平常運転」なのだ。
なぜそんなことになってしまったのかというと、実はあの「戦争」が関係している。
「政治家になる」ための“注射”は脈々と続いている
戦争というのは「国家有事」なので「カネ」についてゴチャゴチャ細かいチェックが働かない。「表に出さなくていいカネ」が山ほどできる。その一部が「裏金」として、一部の政治家の懐に入ったのだ。
読売新聞は、敗戦から20年を経て、「政党はこれでよいのか」という連載の中で、戦時日本の「裏金づくり」についてこう触れている。
《戦争が進展すると“臨軍費”という名の機密費が、軍から政界に流し込まれ、政党解消ー翼賛政治体制へと進んだ。臨時軍事費とは、昭和十二年九月に公布された「臨時軍事特別会計法」によって支出された経費で“軍事機密”の名のもとに、その支出内容は会計検査を受けず、当時の“親軍派”国会議員のドル箱とされた》(読売新聞1966年1月16日)
人間は一度、美味しい思いをしてしまうとなかなかそれがやめられない生き物だ。「表に出さなくていいカネ」のうまみを知ってしまった日本の政治家は、戦後もせっせっと「裏金づくり」にいそしむようになる。
戦後の焼け野原から日本を復興させようと政治家になった志のある人がなぜそんなことに夢中になるのかというと、「政治家になる」ためだ。そう、選挙で勝つための軍資金として「裏金づくり」が常態化していくのだ。
例えば、岸田文雄首相と同じ広島出身で、宏池会を立ち上げた池田勇人が首相となった1960年、「裏金」は、社会人の一般教養として新聞紙面で紹介されるほど「ありきたり」のものだった。
《警視庁の「選挙違反取締本部」の係り官たちは、正式の帳簿に載せられない選挙事務所の金の使い方を“うら金”と呼んで、流れて行く先にきびしい取り締まりの目を光らせている。うら金の行くえはかならずしも有権者の方向にばかり向けられていない。たとえば長い選挙運動の途中で“注射”と称して候補者が運動員たちに威勢づけのためにふるまう金品がそれである》(読売新聞1960年11月14日)
そんな昔の話を持ち出すな、と不愉快になる政治家センセイもいらっしゃるかもしれないが、「運動員の買収」と言える“注射”は、令和の今も定期的にバレている。
最近では、自民党衆院議員の柿沢未途前法務副大臣が、木村弥生・前江東区長の陣営スタッフら10人以上に約90万円の報酬を支払ったと報道されている。
もちろん、「威勢づけのため」に金品がふるまわれるのは、運動員だけではない。わかりやすいのは、2019年の参院選・広島選挙区で河井克行元法相が、妻を当選させようと、地元議員ら100人に計約2870万円を配ったことだ。このようなカネは選挙の世界では、“実弾”と呼ばれている。
このことからもわかるように、日本の政治家の「選挙の戦い方」というのは、実は戦後80年でほとんど変わっていない。それはつまり、選挙に勝つためには、運動員への“注射”や地元議員たちへの“実弾”も必要ということだ。
となると、その「原資」はどこからもってくるのか。
それが今回の「裏金」問題の本質である。
なぜ「安倍派」の裏金が突出して多いのか
政治資金パーティでノルマを超えた分をキックバックすること自体はまったく問題ない。問題はそれを「収支報告書に記載をしない」ということだ。
では、なぜ記載をしないのかというと、普通に考えれば、後ろめたいことに使うカネだからだろう。では、政治家として後ろめたいカネとは何か。
まず思い浮かぶのが“注射”や“実弾”というのは、半世紀前から現在に至るまでの政治の常識だということだ。
そう考えると、なぜ「安倍派」の裏金が突出して多いのかということも納得ではないか。
清和研究会(安倍派)にこれほど国会議員が集まったのは、「安倍晋三」という絶大な人気を誇るスター政治家と近しいことをアピールすれば、選挙に当選を果たすことができるからだ。つまり、表向きは、安倍氏と政策が近いとか理念を共にするとかなんとか言っているが、本音の部分は「安倍人気でどうにか政治家としての地位を守りたい」という人も多く集まってきてしまうのが、安倍派なのだ。
さて、そこで冷静に考えていただきたい。安倍氏の力に頼りたいというくらいの候補者なので当然、選挙はそれほど強くない。いや、弱い。
今回の裏金で額が突出して高い議員たちの「戦績」を見てみるといい。それほど選挙に強い人はいないはずだ。中には毎回、選挙区では負けて、どうにか比例復活を果たして再選している議員もいる。
では、こういう「弱い候補者」が当選するためになりふり構わず力を注ぎ込むことは何か。
もうお分かりだろう。それが“注射”であり”実弾”であり、そのための「裏金づくり」である可能性があるのだ。
しかし本件は、安倍派だけを粛清したり、亡くなった安倍元首相に死人に口なしだからと言って、すべての罪を着せたところで何も解決できない。
日本の「選挙制度」にまで手を突っ込まない限り、喉元過ぎればなんとやら……で、また違うスキームが編み出されて続けられていくだろう。
「政治にはカネがかかる」と言う詐欺師にだまされるな
では、このような根深い問題に対して、我々国民はどうすべきか。
まず大切なのは、相手は政治家ではなく、「詐欺師」だと認識することだ。例えば、よく政治評論家とかマスコミが「政治にはカネがかかる」というが、実はこれは振り込み詐欺グループが高齢者に電話をかけて、「おばあちゃん、会社のお金を使い込んじゃって今日中にお金を返さないとクビなっちゃう」とささやくのと同じで、パクリの常套句だ。
政治活動に関しては、すでに多額の税金によるサポートがある。にもかかわらず、「政治にはカネがかかる」と白々しいうそをつくのは、「選挙の弱い私が再選を果たして政治家の座に居座り続けるのには、いろんなところにバラまくためにカネがかかる」という本音を隠すためなのだ。
実際に、国民は「政治」という、なんとなく偉そうで、立派な響きのするワードでコロッとだまされてしまう。そしいて、「そっか、政治ってカネがかかるんだ、じゃあ、しょうがないか」と許してしまうどころか、しまいには自分たちの血税をプレゼントしてしまう。
事実、1990年代に汚職が続いた後、この主張を繰り返した政治家たちはこんなことを詐欺的なことを言い始める。
「国民がコーヒー1杯分の税金を払って政治活動を支えれば、今後は汚職のないクリーンな政治が実現される」
これが今の「政党助成金」である。これが真っ赤なうそだったということは、今回の裏金疑惑でもよくわかるだろう。
今回の裏金騒動もひと段落すれば、必ずどこからともなく「政治にはカネがかかる」「裏金をつくらなくても済むような政治改革が必要だ」とか言い始める輩があらわれる。
そして、ここがもっとも悪質なのだが、政治家というのは自分たちで法律をつくれるということだ。それはつまり、「裏金をなくすぞ」と新しい制度や法律をつくりながら、しれっと「裏金づくり」ができる抜け道もつくれるということだ。このマッチポンプが、80年以上も、「政治とカネ」の問題が延々と繰り返されたことが、一番の元凶でもある。
「政治にはカネがかかる」と言い出したら、「ああ、また国民のカネをパクリにきたな」と思うべきだ。
政党助成金の反省を胸に、今度こそたちの悪い詐欺集団にだまし取られないように気をつけたい。
ノンフィクションライター 窪田順生
※「裏金」は日本の政治家の常識?
日本の政治史を冷静に振り返ってみれば、政治家が「表にならないカネ」をそっと懐に入れるというのは、80年以上前から継続している現象で特に驚くような話ではない。
つまり、安倍派がどうとか、自民党が腐っているとかいう話以前に、日本の政治家にとっては「裏金づくり」は基本中の基本というか、「平常運転」なのだ。
なぜそんなことになってしまったのかというと、実はあの「戦争」が関係している。
「政治家になる」ための“注射”は脈々と続いている
戦争というのは「国家有事」なので「カネ」についてゴチャゴチャ細かいチェックが働かない。「表に出さなくていいカネ」が山ほどできる。その一部が「裏金」として、一部の政治家の懐に入ったのだ。
読売新聞は、敗戦から20年を経て、「政党はこれでよいのか」という連載の中で、戦時日本の「裏金づくり」についてこう触れている。
《戦争が進展すると“臨軍費”という名の機密費が、軍から政界に流し込まれ、政党解消ー翼賛政治体制へと進んだ。臨時軍事費とは、昭和十二年九月に公布された「臨時軍事特別会計法」によって支出された経費で“軍事機密”の名のもとに、その支出内容は会計検査を受けず、当時の“親軍派”国会議員のドル箱とされた》(読売新聞1966年1月16日)
人間は一度、美味しい思いをしてしまうとなかなかそれがやめられない生き物だ。「表に出さなくていいカネ」のうまみを知ってしまった日本の政治家は、戦後もせっせっと「裏金づくり」にいそしむようになる。
戦後の焼け野原から日本を復興させようと政治家になった志のある人がなぜそんなことに夢中になるのかというと、「政治家になる」ためだ。そう、選挙で勝つための軍資金として「裏金づくり」が常態化していくのだ。
例えば、岸田文雄首相と同じ広島出身で、宏池会を立ち上げた池田勇人が首相となった1960年、「裏金」は、社会人の一般教養として新聞紙面で紹介されるほど「ありきたり」のものだった。
《警視庁の「選挙違反取締本部」の係り官たちは、正式の帳簿に載せられない選挙事務所の金の使い方を“うら金”と呼んで、流れて行く先にきびしい取り締まりの目を光らせている。うら金の行くえはかならずしも有権者の方向にばかり向けられていない。たとえば長い選挙運動の途中で“注射”と称して候補者が運動員たちに威勢づけのためにふるまう金品がそれである》(読売新聞1960年11月14日)
そんな昔の話を持ち出すな、と不愉快になる政治家センセイもいらっしゃるかもしれないが、「運動員の買収」と言える“注射”は、令和の今も定期的にバレている。
最近では、自民党衆院議員の柿沢未途前法務副大臣が、木村弥生・前江東区長の陣営スタッフら10人以上に約90万円の報酬を支払ったと報道されている。
もちろん、「威勢づけのため」に金品がふるまわれるのは、運動員だけではない。わかりやすいのは、2019年の参院選・広島選挙区で河井克行元法相が、妻を当選させようと、地元議員ら100人に計約2870万円を配ったことだ。このようなカネは選挙の世界では、“実弾”と呼ばれている。
このことからもわかるように、日本の政治家の「選挙の戦い方」というのは、実は戦後80年でほとんど変わっていない。それはつまり、選挙に勝つためには、運動員への“注射”や地元議員たちへの“実弾”も必要ということだ。
となると、その「原資」はどこからもってくるのか。
それが今回の「裏金」問題の本質である。
なぜ「安倍派」の裏金が突出して多いのか
政治資金パーティでノルマを超えた分をキックバックすること自体はまったく問題ない。問題はそれを「収支報告書に記載をしない」ということだ。
では、なぜ記載をしないのかというと、普通に考えれば、後ろめたいことに使うカネだからだろう。では、政治家として後ろめたいカネとは何か。
まず思い浮かぶのが“注射”や“実弾”というのは、半世紀前から現在に至るまでの政治の常識だということだ。
そう考えると、なぜ「安倍派」の裏金が突出して多いのかということも納得ではないか。
清和研究会(安倍派)にこれほど国会議員が集まったのは、「安倍晋三」という絶大な人気を誇るスター政治家と近しいことをアピールすれば、選挙に当選を果たすことができるからだ。つまり、表向きは、安倍氏と政策が近いとか理念を共にするとかなんとか言っているが、本音の部分は「安倍人気でどうにか政治家としての地位を守りたい」という人も多く集まってきてしまうのが、安倍派なのだ。
さて、そこで冷静に考えていただきたい。安倍氏の力に頼りたいというくらいの候補者なので当然、選挙はそれほど強くない。いや、弱い。
今回の裏金で額が突出して高い議員たちの「戦績」を見てみるといい。それほど選挙に強い人はいないはずだ。中には毎回、選挙区では負けて、どうにか比例復活を果たして再選している議員もいる。
では、こういう「弱い候補者」が当選するためになりふり構わず力を注ぎ込むことは何か。
もうお分かりだろう。それが“注射”であり”実弾”であり、そのための「裏金づくり」である可能性があるのだ。
しかし本件は、安倍派だけを粛清したり、亡くなった安倍元首相に死人に口なしだからと言って、すべての罪を着せたところで何も解決できない。
日本の「選挙制度」にまで手を突っ込まない限り、喉元過ぎればなんとやら……で、また違うスキームが編み出されて続けられていくだろう。
「政治にはカネがかかる」と言う詐欺師にだまされるな
では、このような根深い問題に対して、我々国民はどうすべきか。
まず大切なのは、相手は政治家ではなく、「詐欺師」だと認識することだ。例えば、よく政治評論家とかマスコミが「政治にはカネがかかる」というが、実はこれは振り込み詐欺グループが高齢者に電話をかけて、「おばあちゃん、会社のお金を使い込んじゃって今日中にお金を返さないとクビなっちゃう」とささやくのと同じで、パクリの常套句だ。
政治活動に関しては、すでに多額の税金によるサポートがある。にもかかわらず、「政治にはカネがかかる」と白々しいうそをつくのは、「選挙の弱い私が再選を果たして政治家の座に居座り続けるのには、いろんなところにバラまくためにカネがかかる」という本音を隠すためなのだ。
実際に、国民は「政治」という、なんとなく偉そうで、立派な響きのするワードでコロッとだまされてしまう。そしいて、「そっか、政治ってカネがかかるんだ、じゃあ、しょうがないか」と許してしまうどころか、しまいには自分たちの血税をプレゼントしてしまう。
事実、1990年代に汚職が続いた後、この主張を繰り返した政治家たちはこんなことを詐欺的なことを言い始める。
「国民がコーヒー1杯分の税金を払って政治活動を支えれば、今後は汚職のないクリーンな政治が実現される」
これが今の「政党助成金」である。これが真っ赤なうそだったということは、今回の裏金疑惑でもよくわかるだろう。
今回の裏金騒動もひと段落すれば、必ずどこからともなく「政治にはカネがかかる」「裏金をつくらなくても済むような政治改革が必要だ」とか言い始める輩があらわれる。
そして、ここがもっとも悪質なのだが、政治家というのは自分たちで法律をつくれるということだ。それはつまり、「裏金をなくすぞ」と新しい制度や法律をつくりながら、しれっと「裏金づくり」ができる抜け道もつくれるということだ。このマッチポンプが、80年以上も、「政治とカネ」の問題が延々と繰り返されたことが、一番の元凶でもある。
「政治にはカネがかかる」と言い出したら、「ああ、また国民のカネをパクリにきたな」と思うべきだ。
政党助成金の反省を胸に、今度こそたちの悪い詐欺集団にだまし取られないように気をつけたい。