・「逆ワクチン」は自己免疫疾患の治療を根本から変えるか?

一般的なワクチンは免疫システムに反応を促すが、免疫反応の抑制を目的とした「逆ワクチン」の研究が進んでいる。自己免疫疾患の治療に革命をもたらすかもしれない。

Cassandra Willyard

2023.09.25

https://www.technologyreview.jp/s/317904/how-inverse-vaccines-might-tackle-diseases-like-multiple-sclerosis/

※私は長年、ワクチンに関する記事を書いてきたが、最近、初めて耳にする概念に出くわした。一般的なワクチンは、免疫システムに反応を促すものだ。しかし、免疫システムに反応をやめるよう教える「逆ワクチン」も研究されている。シカゴ大学のジェフリー・ハベル教授らの研究チームは9月11日に、開発した逆ワクチンによってマウスの多発性硬化症に似た病気の回復に成功したと報告した。ハベル教授は以前にもこの方法をテストしたことがあるが、病気を予防する方法としてだけであり、病気を治す方法としてではなかった。ハベル教授はプレスリリースで、「今回の研究で非常に興味深い点は、多発性硬化症などの病気を、すでに炎症が進行している状態でも治療できると示したことです。これは現実的な状況でより役立ちます」と述べた。

このような免疫抑制ワクチンは、自己免疫疾患を治療するための多くの治療法につながる可能性がある。実際、ハベル教授が共同創業したアノキオン(Anokion)は、この種の逆ワクチンが多発性硬化症やセリアック病の患者に効果があるかどうかをテストする臨床試験をすでに開始している。この記事では、今後の展望が楽しみな「逆ワクチン」を取り上げよう。

逆ワクチンとはどのように機能するのか? まずは免疫学の基本事項の説明から始めよう。免疫システムは、私たちの身体に危害を加えようとする病原体を撃退する屈強なボディーガードのように思われがちだ。しかし、免疫システムにはそれと同じくらい重要な役割がもう一つある。「私たちの免疫システムは、常にさらされているものを無視することが多いのです」とバンクーバーにあるブリティッシュコロンビア小児病院研究所(BC Children’s Hospital Research Institute)のミーガン・レヴィングス博士は説明する(同博士はアノキオンの科学諮問委員会メンバーでもある)。その中には、「私たちが口にするすべての食品、私たちの体に生息するすべてのバクテリア、環境に存在するすべての真菌やカビ」が含まれるという。その無視する能力は「免疫寛容」と呼ばれ、受動的なものではない。免疫システムは、どのようなものが危険で、どのようなものが危険でないかを学習し、その記憶を特殊な細胞に保存する。免疫システムが間違いを犯し、無害なタンパク質を危険なものと判断してしまうと、その取り違えにより、アレルギー、自己免疫疾患、その他の種類の免疫疾患などの深刻な問題が発生する可能性がある。

従来のワクチンの目的は、警報を発する異物を送り込むことである。そのため、ワクチンには免疫反応を高める「アジュバント」と呼ばれる物質が配合されることが多い(mRNAワクチンでは、免疫システムがすでに遺伝物質を脅威と見なしているため、アジュバントは必要ない)。逆ワクチンの目的は、特定の標的が無害であることを認識するように免疫システムを訓練することである。寛容を誘発することから「寛容原性ワクチン」とも呼ばれる。

寛容原性ワクチンの考え方は新しいものではないことを指摘しておくべきだろう。寛容原性ワクチンの研究は数十年前から実施されている。免疫反応を誘発することなく、「抗原」と呼ばれる目的のワクチン標的を送り込むためのさまざまな方法が試されてきた。しかし、これまではほとんど成功していなかった。

ハベル教授の研究チームは、抗原に糖類を添加することで、抗原が確実に肝臓に到達する手法を開発した。なぜ肝臓なのかというと、肝臓には分子に「無害」のラベル付けをする能力があるからだ。レヴィングス博士は「実のところ、正常な生物学の仕組みを利用しているのです」という(この論文についてもっと深く知りたい方は、エリック・トポルのニュースレター『グラウンド・トゥルース(Ground Truths)』を読んでほしい) 。

しかし、糖類の添加が逆ワクチンを開発する唯一の方法ではない。2021年にバイオンテック(BioNTech)とヨハネス・グーテンベルク大学の研究チームは、多発性硬化症の複数のモデル生物で症状を抑えることができる寛容原性mRNAワクチンを開発したと報告した。mRNAが免疫応答を促すのに非常に優れている傾向があることを考えると、これは特に目を引く成果だ。研究チームは、mRNAを運ぶ脂質ナノ粒子を変えることでこれを達成したが、その正確な仕組みは、その研究論文にコメントを寄せたレヴィングス博士でさえもでさえ、明確に理解できるものではなかった。

このような逆ワクチンの基礎研究を臨床に持ち込むのは容易ではない。難しい理由はいくつかあると語るのは、スタンフォード大学の神経免疫学者、ローレンス・スタインマン教授だ。第一に、多発性硬化症のような複雑な疾患では、その原因は単一の抗原ではない。したがって、抗原を一つ選ぶのか、それとも、「多くの抗原から構成される複雑な混合物を作るのでしょうか?」とスタインマン教授は問う。

さらに、ワクチンの効果を証明しなければならないという問題もある。多くの自己免疫疾患の治療法は、ここ数年で格段に進歩している。約15年前、スタインマン教授は多発性硬化症患者を対象とした寛容原性DNAワクチンの臨床試験を指揮した。ワクチンに効果はあったが、最先端の治療法を上回る効果はなかった。「脳の炎症を軽減するという点では、ある程度有効でした。しかし、市場に出始めたばかりのいくつかの医薬品にはかないませんでした」とスタインマン教授は言う。同教授は現在、パシシア・セラピューティクス(Pasithea Therapeutics)という会社の会長を務めており、多発性硬化症に対する新しい逆DNAワクチンの開発に取り組んでいる。このワクチンは、多発性硬化症を引き起こす可能性が指摘されているEBウイルス(エプスタイン・バールウイルス)の一部を模倣する脳内のタンパク質を標的とする。

安全性の懸念もある。特にこれらのワクチンが免疫反応を抑制するのではなく、むしろ免疫反応を誘発し、病気を悪化させるリスクが懸念されている。スタインマン教授が以前、指揮した治験では、その懸念で夜も眠れなかったという。

だが、このような逆ワクチンが実用化されれば、その見返りは計り知れない。自己免疫疾患の患者の多くは、免疫系全体を弱める免疫抑制剤を服用しているため、感染症やがんにかかりやすくなる。しかし、特定の抗原に対する免疫反応を抑制するワクチンであれば、そのような影響は出ない。「多くの研究者が、ブレークスルーを起こして輝かしいワクチン接種の歴史の新たな時代を開きたいと思っている分野です」とスタインマン教授は言う。