プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るようにヘーパイストスに命令した。
ヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物を与えた。アテーナーからは織機や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて甕を持たせ、プロメーテウスの弟であるエピメーテウスの元へ送り込んだ。
美しいパンドーラーを見たエピメーテウスは、プロメーテウスの「ゼウスからの贈り物は受け取るな」という忠告にもかかわらず、彼女と結婚した。そして、ある日パンドーラーは好奇心に負けて甕を開いてしまう。すると、そこから様々な災い(エリスやニュクスの子供たち、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出した。しかし、希望のみは縁の下に残って出て行かず、パンドーラーはその甕を閉めてしまった。こうして世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった。
パンドラの箱(甕・壺)の中身
パンドラの箱(甕・壺)の中には、何が詰まっていたのか。少なくとも、この神話においては、幸福(良き(善き)もの)と、災厄(悪しきもの)は、「一方が増えると、もう一方が減る」という、「反比例」「負の相関関係」にある。
災厄(悪しきもの)が箱(甕・壺)から飛び出た・逃げ出したということは、つまり世界が災厄で満ち溢れたということであり、それまで幸福(良き(善き)もの)であった世界が、(パンドーラーが開けた=明けたことにより)、(徐々にではなく)「突如として」崩壊し、不幸に、悪しき世界になったということである。
これは「昼の世界から夜の世界への転換」と、喩えることもできるし、「夜の世界から昼の世界への転換」とも、喩えることもできる。
では、一体誰が、神々からの贈り物である、この箱(甕・壺)の中に、災厄を詰め込んだのか。また、空になったこの箱(甕・壺)は、その後、どうなる(どうなった)のか。
その答えは、「人間(人類)自身」、である。
つまり、人類の歴史の、人類社会の、初期状態=出発点では、空っぽの箱(甕・壺)の底に、希望がある(残っている)だけの状態である。
しかし、箱(甕・壺)が空であるということは、世界(人類社会)に、災厄(悪しきもの)が、悪が、満ちているということでもある。
故に、人類の活動とは、人類の歴史とは、希望とともに、悪の世界を善の世界へと、変えていく(転換する)ことであるともいえる。
即ち、世界(人類社会)を、無秩序(悪)を秩序(善)へと、秩序を徐々に整えていく(整序していく)ということである。
この営みは、石工(大工)達が、世界の歴史の象徴である、ピラミッド(≒バベルの塔)の石積みを、下から上へと、徐々に積み上げていく行為に、喩えることもできる。
これは即ち、野蛮から文明への変化(進歩)=文明化である。
つまり、この箱(甕・壺)の中身は、こうした人類の歴史の営みによって、人類社会から、排除(疎外)されて(減ら(縮減)されて)きた、「無秩序」「野蛮(barbarism)」「災厄(悪しきもの)」なのである。
さしづめ、それらは地の底の地獄に閉じ込められた、悪鬼・悪霊・悪魔、の類である。箱(甕・壺)の蓋を開けるとは、地獄の窯の蓋が開き、分かたれていたこの世と地獄が繋がり、それらがこの世に解放されることにも似ている。
箱(甕・壺)の中身が、人類の歴史の営みにより、詰め込まれて(押し込まれて=抑圧されて)、満たされるということは、(表面上は)世界(人類社会)から、悪が無くなった(消えた)=善のみになった、状態であるといえる。
これが、人類の歴史の、世界(人類社会)の、終末点である。
しかし、話はここで終わりではない。
なぜなら、ギリシア人(こうした考えはギリシア人に限ったことではないが)の歴史観では、世界の歴史とは、黄金の時代→白銀の時代→青銅の時代→英雄の時代→鉄の時代→?と、段階的に堕落しながらも、破壊と再生が繰り返される、循環史観(堕落史観)だからである。
さしづめ、現在は、人の時代である鉄の時代の延長線上にある。
ゆえに、この堕落した世(現在)は、破壊されなければならない。
なぜなら、人類の歴史とは、人の営みとは、無秩序を整序することであるからである。
無秩序が整序されつくした秩序のみの世界とは、即ち、それ以上の人の営みが行えないことを意味する。人類の歴史が止まってしまったことを意味する。
ゆえに、この世の秩序を破壊し、無秩序へと、人が人らしく生きることができる世界(時代)へと、回帰させなければならない。
パンドーラーは、旧約聖書の創世記における、エヴァに相当する存在である。エヴァも知識の樹の実を食べてしまったために、エデンの園を追放されることになる。
そして、この世を破壊するのは、数多の愚かな女達(パンドーラー)の役目である。
なぜなら、産む性である女こそが、世界を産む(創造する)資格があるからである。
世界を、世界の秩序を、破壊することこそが、即、世界の創造なのである。破壊と創造は同じものである。破壊=創造である。
そして鉄の時代(現世)が終わった(徹底的に破壊された)後に、黄金の時代が再び訪れる(黄金の時代へと回帰する)のである。
ヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物を与えた。アテーナーからは織機や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて甕を持たせ、プロメーテウスの弟であるエピメーテウスの元へ送り込んだ。
美しいパンドーラーを見たエピメーテウスは、プロメーテウスの「ゼウスからの贈り物は受け取るな」という忠告にもかかわらず、彼女と結婚した。そして、ある日パンドーラーは好奇心に負けて甕を開いてしまう。すると、そこから様々な災い(エリスやニュクスの子供たち、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出した。しかし、希望のみは縁の下に残って出て行かず、パンドーラーはその甕を閉めてしまった。こうして世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった。
パンドラの箱(甕・壺)の中身
パンドラの箱(甕・壺)の中には、何が詰まっていたのか。少なくとも、この神話においては、幸福(良き(善き)もの)と、災厄(悪しきもの)は、「一方が増えると、もう一方が減る」という、「反比例」「負の相関関係」にある。
災厄(悪しきもの)が箱(甕・壺)から飛び出た・逃げ出したということは、つまり世界が災厄で満ち溢れたということであり、それまで幸福(良き(善き)もの)であった世界が、(パンドーラーが開けた=明けたことにより)、(徐々にではなく)「突如として」崩壊し、不幸に、悪しき世界になったということである。
これは「昼の世界から夜の世界への転換」と、喩えることもできるし、「夜の世界から昼の世界への転換」とも、喩えることもできる。
では、一体誰が、神々からの贈り物である、この箱(甕・壺)の中に、災厄を詰め込んだのか。また、空になったこの箱(甕・壺)は、その後、どうなる(どうなった)のか。
その答えは、「人間(人類)自身」、である。
つまり、人類の歴史の、人類社会の、初期状態=出発点では、空っぽの箱(甕・壺)の底に、希望がある(残っている)だけの状態である。
しかし、箱(甕・壺)が空であるということは、世界(人類社会)に、災厄(悪しきもの)が、悪が、満ちているということでもある。
故に、人類の活動とは、人類の歴史とは、希望とともに、悪の世界を善の世界へと、変えていく(転換する)ことであるともいえる。
即ち、世界(人類社会)を、無秩序(悪)を秩序(善)へと、秩序を徐々に整えていく(整序していく)ということである。
この営みは、石工(大工)達が、世界の歴史の象徴である、ピラミッド(≒バベルの塔)の石積みを、下から上へと、徐々に積み上げていく行為に、喩えることもできる。
これは即ち、野蛮から文明への変化(進歩)=文明化である。
つまり、この箱(甕・壺)の中身は、こうした人類の歴史の営みによって、人類社会から、排除(疎外)されて(減ら(縮減)されて)きた、「無秩序」「野蛮(barbarism)」「災厄(悪しきもの)」なのである。
さしづめ、それらは地の底の地獄に閉じ込められた、悪鬼・悪霊・悪魔、の類である。箱(甕・壺)の蓋を開けるとは、地獄の窯の蓋が開き、分かたれていたこの世と地獄が繋がり、それらがこの世に解放されることにも似ている。
箱(甕・壺)の中身が、人類の歴史の営みにより、詰め込まれて(押し込まれて=抑圧されて)、満たされるということは、(表面上は)世界(人類社会)から、悪が無くなった(消えた)=善のみになった、状態であるといえる。
これが、人類の歴史の、世界(人類社会)の、終末点である。
しかし、話はここで終わりではない。
なぜなら、ギリシア人(こうした考えはギリシア人に限ったことではないが)の歴史観では、世界の歴史とは、黄金の時代→白銀の時代→青銅の時代→英雄の時代→鉄の時代→?と、段階的に堕落しながらも、破壊と再生が繰り返される、循環史観(堕落史観)だからである。
さしづめ、現在は、人の時代である鉄の時代の延長線上にある。
ゆえに、この堕落した世(現在)は、破壊されなければならない。
なぜなら、人類の歴史とは、人の営みとは、無秩序を整序することであるからである。
無秩序が整序されつくした秩序のみの世界とは、即ち、それ以上の人の営みが行えないことを意味する。人類の歴史が止まってしまったことを意味する。
ゆえに、この世の秩序を破壊し、無秩序へと、人が人らしく生きることができる世界(時代)へと、回帰させなければならない。
パンドーラーは、旧約聖書の創世記における、エヴァに相当する存在である。エヴァも知識の樹の実を食べてしまったために、エデンの園を追放されることになる。
そして、この世を破壊するのは、数多の愚かな女達(パンドーラー)の役目である。
なぜなら、産む性である女こそが、世界を産む(創造する)資格があるからである。
世界を、世界の秩序を、破壊することこそが、即、世界の創造なのである。破壊と創造は同じものである。破壊=創造である。
そして鉄の時代(現世)が終わった(徹底的に破壊された)後に、黄金の時代が再び訪れる(黄金の時代へと回帰する)のである。