・【8日の動き】陸自ヘリ事故10人不明 捜索続く(NHK NEWS web 2023年4月8日)
※ヘリコプターの詳しい飛行経路は

陸上自衛隊が公表した航跡図によりますと、ヘリコプターは午後3時46分に宮古島の中央部にある航空自衛隊の基地を離陸したあと、ほぼ真北へ進み、海上に出るあたりで進路を北西に変え、海岸線に沿うようにして飛行しています。
この途中で宮古島の管制圏を出たとみられています。
その後、ヘリコプターは宮古島の北にある池間島の周囲を反時計回りに周回し、南西の方向に向かっています。
そして進路をほぼ真南に変えたあとの午後3時56分、伊良部島の北端から北東におよそ2キロの場所で、レーダーから航跡が消えたということです。
当時は飛行する上で特に問題ない
陸上自衛隊によりますと、消息を絶ったヘリコプターは宮古島周辺の地形を確認するため目視による飛行を行っていたということです。
当時の気象状況は▽風速7メートルの南よりの風が吹き、▽視界は10キロ以上、▽雲の高さはおよそ600メートルで、飛行するうえで特に問題はなかったということです。
防衛省関係者によりますと、地形を確認するためにヘリコプターが飛行する場合の高度は300メートルから500メートル程度が一般的だということです。
ヘリコプターは1999年製造 飛行時間は約2600時間
陸上自衛隊によりますと、消息を絶ったヘリコプターは1999年2月に製造され、これまでの飛行時間はおよそ2600時間だったということです。
この機体は、50時間飛行するたびに、エンジンや部品の状態のほかオイル漏れの有無などを確認する「特別点検」を先月20日から28日まで実施し、点検後の試験飛行を行った際は異常はなかったということです。
その後、今月4日に熊本県の高遊原分屯地を出発して鹿児島県の奄美駐屯地を経由し、沖縄県の那覇基地に移動しました。
そして事故当日の6日午後、宮古島分屯基地に到着したあと、第8師団長などを乗せて離陸したということです。
2分前に交信した下地島空港では
ヘリコプターがレーダーから消えた位置に近い下地島空港は空からの捜索の拠点の1つにもなっています。
下地島空港の管制塔は、ヘリコプターがレーダーから消える2分前に管制官が交信を行いました。
レーダーから消失の2分前 交信で異常連絡なし その後トラブルか
ヘリコプターは宮古島を離陸したあと、周辺を飛行する予定でしたが、離陸後に宮古島の空港の管制官と無線で複数回交信したあと、隣接する下地島の空港の管制官とも交信を行っていたことが、防衛省や国土交通省の関係者への取材でわかりました。
このうちレーダーから消える2分前には、下地島の空港の管制官が、管轄に入ったら周波数を変更して交信するよう伝えたところ、ヘリコプター側は了解したということで、その際に異常を知らせる連絡はなかったということです。
管制官との交信はこれが最後で、陸上自衛隊はこの交信のあとの2分間で何らかのトラブルが起きた可能性があるとみて、調査を進めるとともに、隊員の捜索を続けています。
※ブログ主コメント:おかしいなあ・・・6日の報道では、ヘリがレーダーから消えたのは、午後4時33分のはずなのに・・・
・陸自ヘリの機体は三つに分裂、横方向に衝撃か 29日にも引き揚げへ(朝日新聞デジタル 2023年4月28日)
※沖縄県の宮古島周辺で陸上自衛隊の隊員10人が乗ったヘリが消息を絶った事故で、現場海域の海底で見つかった機体の主要部が三つに割れているとみられることが、政府関係者への取材でわかった。機体に横方向の強い衝撃が加わった可能性がある。防衛省の委託を受けた民間船舶が28日にも現場海域に着き、早ければ29日にも機体の引き揚げが始まる見通しだ。
ヘリは6日にレーダーから消え、16日、消失地点から北北東に約4・2キロ離れた水深106メートルの海底で海上自衛隊のダイバーが機体と隊員5人を確認。18日にはさらに隊員1人を見つけた。防衛省はこれまで5人を引き揚げて死亡を確認し、身元を公表している。
政府関係者によると、海底で見つかった機体の主要部は大まかに三つに割れていたとみられ、近くにまとまって沈んでいた。近くには機体から外れたとみられる部品も新たに見つかったという。
事故機が3分割している場合、操縦士の乗るコックピットや、客室部分にあたるキャビン、後方部分のテールに分かれている可能性がある。ヘリなどの航空機は縦方向の衝撃には強いが、横方向の衝撃には弱いとされ、事故時、横方向に強い衝撃が加わった結果、機体が3分割し、この衝撃に伴って外れた部品も同時に沈んだ可能性がある。
・陸上自衛隊ヘリ事故 引き揚げ機体は“激しく損傷” 専門家「内部で何かが爆発した可能性も…」フライトレコーダー回収で原因究明へ(TBS NEWS DIG 2023年5月2日)
※4月に陸上自衛隊のヘリが消息を絶った事故。改めて経緯とともに、その原因についてみていきます。
フライトレコーダーの解析が待たれる状況
南波雅俊キャスター:
改めて事故の経緯から見ていきます。
陸上自衛隊のヘリコプターは4月6日午後3時46分、宮古島分屯基地を離陸した約10分後、宮古島付近でレーダーから機影が消失しました。そして5月1日、隊員とみられる6人目の死亡が確認されました。
海難事故などに詳しい東海大学の山田吉彦教授に話を聞き、事故の要因、あるいはどのような状況だったのかを推測していただきました。
まず、「機体が複数に分断されているので、“横倒しの状態”で墜落したのではないか」とのことです。
そのまま垂直に墜落した場合はそれほど大きな分断にはならないそうです。しかし“横に倒れていった”ことによって複数に分断されたのではないかと山田教授はみています。
そして報道では「機体がバラバラになっていた」というような表現もありましたが、山田教授いわく、内部で何かが爆発した可能性もあるとのことです。
そして今回わかった新たなニュースとして、引き揚げた機体からフライトレコーダーが回収されました。これを解析することが、事故原因の究明の鍵になってくるのでは、とみられています。
・元陸将「滅多なことでは、こんなにバラバラにならない」陸自ヘリ引き揚げ “操縦士同士の会話”など音声データ残る可能性も(TBS NEWS DIG 2023年5月2日)

※消息を絶っていた陸上自衛隊のヘリコプター。沖縄県宮古島周辺の海底から、原形をとどめていない状態で引き揚げられました。「滅多なことではバラバラにならない」と陸自の元陸将は話していますが、いったい何が起きたのか。防衛省はフライトレコーダーの分析を進め、事故原因を調べる方針です。
機体の主要部分回収 “自衛隊員のズボンのようなもの”も…
消息を絶ってから約1か月。5月2日の正午前、沖縄県宮古島周辺の海底から陸上自衛隊のヘリコプターが引き揚げられました。
機体は原形をとどめていないほど崩れていますが、日の丸の赤いマークが確認できるほか、燃料タンクとみられるものもあり、機体の主要部分を回収したということです。海底からは機体のほかにも…
記者「自衛隊の隊員がカゴの中を確認しています」
引き揚げられたものの中には、“自衛隊員のズボンのようなもの”も確認できます。
引き揚げ作業は民間の作業船が実施。深さ約106メートルの海底にあった機体は、当初3つに割れているという情報もありましたが、陸上自衛隊は2日夜、“胴体と尾翼部分が一部で繋がっている状態”だったと明らかにしました。
この機体には隊員10人が乗っていて、うち6人が死亡、残り4人が行方不明です。
「滅多なことでこんなにバラバラにならない」
陸上自衛隊でヘリコプターのパイロットを務めた山口氏は、“バラバラになるほどの損傷具合”について…
陸上自衛隊 元陸将 山口昇氏
「滅多なことでこんなにバラバラにならないですよね。これに近いようなバラバラになったもので記憶に残っているのは御巣鷹山のJAL機墜落。それくらいの壊れ方ですよね」
山口氏は機体がバラバラになっていることから、海に不時着できず何らかの強い衝撃が機体に与えられた可能性があると指摘しています。
また、機体の残骸がある程度まとまって見つかったことから「断定はできないが、高度が低いところで事故が起きたか、あるいは海面にぶつかった可能性も考えられる」とも分析しています。
一方、原形が確認できる燃料タンクとみられるものや「陸上自衛隊」と書かれたドアについては…
陸上自衛隊 元陸将 山口氏
「ドアも燃料タンクもある程度、破壊の早い時期で外れている可能性がある。あるいは破壊が始まる前に外れていることも否定はできません。機体の壊れ方、どこから壊れているか、どこの損傷が大きいかをこれから見ていけば、ある程度、事故原因が類推できるかと思う」
さらに陸上自衛隊は、引き揚げられた機体から「フライトレコーダー」も回収したと発表しました。
フライトレコーダーは当時の飛行状況などを記録しているほか、操縦士同士の会話など音声データが残っている可能性もあります。
防衛省は今後、引き揚げられた機体の調査やフライトレコーダーの分析を進め、事故原因を調べる方針です。
・「時速200キロで海面に衝突 脱出不可」との見方も 陸自ヘリ 機体は4日昼にも熊本へ(沖縄テレビ 2023年5月3日)
※宮古島沖で陸上自衛隊のヘリコプターが消息を絶った事故で、引き揚げられた機体は洗浄などといった作業を終え次第熊本県へと運ばれます。
陸上自衛隊の幹部ら10人が乗ったヘリコプターの事故では今も4人が見つかっておらず、現場周辺の海域では3日も朝から無人潜水探査機などによる捜索が行われました。
現場海域周辺で活動していたサルベージ船は午後4時半ごろ港に戻り、ヘリの窓枠のような残骸とみられるものな回収物が積み下ろされました。
一方、2日に深さ106メートルの海底から引き揚げられたヘリの主要部分は港に接岸したサルベージ船の上に留め置かれています。
機体の洗浄などといった処置を終えたあと熊本県の陸上自衛隊高遊原分屯地に運ばれる予定で、サルベージ船はあす昼にも宮古島を離れる見通しです。
*****
陸自ヘリ主要部分を引き揚げ…原形とどめず フライトレコーダー解析へ
引き揚げられた機体の主要部分は原形をとどめないほど壊れていました。
事故による衝撃を解析する専門家は・・・
▽(株)衝撃工学研究所・吉江伸二所長
「ローター(プロペラ)が少しでも回っていれば浮力を稼げるが、例えばヘリコプターの羽が飛んでしまった。そういう状態で海面に叩きつけられたと想定するとバラバラになってもおかしくない」
消息を絶つ数分前のヘリを捉えた映像を防衛省が分析したところ、高度150メートル付近を飛んでいた可能性があることが関係者への取材でわかっています。
吉江所長はヘリがすさまじい速さで海面に衝突し、隊員たちが脱出するのは不可能だったのではないかと指摘します。
▽(株)衝撃工学研究所吉江伸二所長
「落下の高さ150メートルはマンションで例えると60階くらい。落下速度は時速200キロに近く、(海面まで)だいたい2、3秒です。(隊員は)シートベルトをしているはずですからすぐには逃げられない状況だったのではないか」
自衛隊は事故機から回収したフライトレコーダーを解析することにしていて、今後原因の究明が進むかも大きな焦点となります。
・《「空白の40分」の謎》防衛省内部資料『報告』から浮かび上がる、陸自ヘリ事故“当日の混乱”(文春オンライン 2023年5月23日)
麻生 幾
作家・麻生幾氏が事故の謎に迫る「陸自ヘリは中国に撃墜されたか」を、月刊「文藝春秋」2023年6月号より一部転載します。
◆◆◆
※浮かび上がる“異質”な部分
「ナハタワー、デスイズ、UH、106(ワンゼロシックス)、リクエスト、テイクオフ」
陸上自衛隊(陸自)「第8師団」に属する「UH-60JA」ヘリコプター――無線コールサイン《106号》が、沖縄県那覇空港の管制官に離陸(テイクオフ)の許可を求めた。
間もなくして認められた《106号》が、宮古島を目指して那覇空港を飛び立った。その日時は、
4月6日木曜日
〈1253〉(筆者註・午後12時53分。以下同)
この日時は、防衛省が当時、メディアへ行った広報にはない。第8師団の上級部隊である「西部方面隊」を通じて、「東京の防衛省が受けた口頭による逐一の報告」(以下、『報告』)の中に記録されていた。
《106号》がレーダーから「ロスト」(消失)してから2週間後、複数の政府機関の関係者の話を総合して『報告』の中身を知ることとなった。
その結果、『報告』に記されていたものは、これまで防衛省が発表してきたものとは、“異質”だった。
例えば、《106号》がレーダーから消えた時刻について、防衛省がメディアへ発表したのは、
〈午後3時56分〉。
だが『報告』では、
〈1640〉(同4時40分)
と、40分以上も違っている。
“異質”なのはそれだけではない。《106号》がレーダーから消えた「場所」についても、メディアに発表された内容と、『報告』の内容とはまったく違っていた。
しかも《106号》が“事故である”と防衛省が正式に発表するまでの約7時間の間にも、幾つかの“異質”な部分が存在する。
なぜそれら“異質”なことが発生したのか、その「謎」を追ってみた。
“将来の戦場”の最前線を視察
沖縄本島を後にした《106号》を操縦する飛行班長(3等陸佐)は、天候に恵まれたことで爽快な気分のまま東シナ海を一路、南へ向かったことが容易にイメージできる。
しかし同時に、高い緊張感が全身に満ちあふれていたことも想像に難くない。
何しろヘリコプターのキャビンに座る搭乗者(とうじょうしゃ)というのが、約5000名もの隊員を率いる「第8師団長」の坂本雄一(さかもとゆういち)陸将ほか、師団ナンバー3にして師団長の“右腕”たる「幕僚長(ばくりょうちょう)」の1等陸佐、作戦全般を作成する「3(さん)部長」(1等陸佐)、インテリジェンスなどの情報分析責任者「2(に)部長」(2等陸佐)、そして詳細な作戦立案を行うため一番忙しく精力的に働く「防衛班長」(3等陸佐)という、紛れもなく第8師団の“心臓部”そのものであったからだ。
《106号》の搭乗者たちは、那覇を発ってから1時間24分後、コーラルブルーの海とバリアリーフに囲まれた宮古島と隣接し、宮古島市に含まれる五つの島々(大神〔おおがみ〕島、池間島〔いけまじま〕、伊良部島〔いらぶじま〕、下地島〔しもじしま〕、来間〔くりま〕島)が目に飛び込んできたはずだ。
宮古島のほぼ中央に位置する「航空自衛隊・宮古島分屯基地(ぶんとんきち)のヘリポートに、《106号》が着陸した時刻は『報告』によれば、
〈1417〉(2時17分)
出迎えたのは、陸上自衛隊「宮古警備隊」の隊長、伊與田雅一(いよだまさかず)1等陸佐だった。
宮古警備隊は、台湾クライシスが高まる中、2019年に、那覇に駐屯する第15旅団の隷下部隊として創隊した。その任務は、台湾への侵攻を行うのに乗じて宮古列島(宮古島市内の島々を含む)の八つの島々を攻撃する可能性がある中国・人民解放軍の水上艦艇と航空機を撃滅するための、第302地対艦ミサイル中隊と第346高射中隊の警備を行う最前線部隊である。
分屯基地に到着した坂本師団長は、すぐに私服に着替え、地元の支援者たちとの懇談に臨んだ。
西部方面隊関係者は、宮古島の一部で、陸自部隊が駐屯することへの反発が依然としてあることから、宮古島を衛(まも)るための防御と攻撃の作戦を行う上では地元の理解がなにより重要だと、彼は師団長に着任する直前に言っていた――と語った上でこう付け加えた。
「宮古島には陸自の『宮古島駐屯地』があるがそこへ《106号》を着陸させなかったのも地元感情を忖度したからだろう」
そして、4時間の飛行が可能な航空燃料の補給を受けた《106号》のキャビンに、再び坂本師団長以下の“師団の心臓部”である面々の他、伊與田隊長に加え、《106号》の2名の「FE」(航空機関士)の若い隊員なども乗せて宮古島分屯基地を出発した。
その時間は『報告』によれば、
〈1546〉(3時46分)
気温は摂氏25.4℃、天候は晴れ―まさに“自衛隊日(び)より”だった。
空白の40分の謎
宮古島の「東海岸線」を北上した《106号》は、左図のとおり、全長1425メートルもある大きな橋で陸続きとなっている池間島をさらに北へ向かった。
同3時54分、池間島の最北端の先の海上で西へ進路を変え、今度は一転、南下した直後、宮古空港の管制官との通信を行った。その通信には、防衛省の発表どおり、「ロスト」を予見されるものはなかったことが同じく『報告』にも存在した。
《106号》が池間島の北端に達したのは、離陸してから7分後、『報告』では、
〈1553〉(3時53分)
そして、《106号》のコックピット右席に座る機長が、略称「D-NET」、正式名「災害救援航空機情報共有ネットワーク」とリンクするスイッチを稼働。そして機長もしくは左側に座る副操縦士は「1546、宮古、離陸」と入力するのと同時に、通過した座標「北緯245706、東経1251444」(筆者註・池間島北側の海上)を打ち込んだと『報告』にある。
D-NETとは、宇宙空間に数々のミサイルを打ち上げているJAXA(宇宙航空研究開発機構)が運営する、ヘリコプターなど航空機の危機管理情報を共有するシステムだ。
最近では、自衛隊も、飛行機の混雑によって事故を発生させないために、離陸したならば、このシステムにチェックインして飛行するポイントごとの座標を入力するケースが多くなっている。
次に『報告』に登場するのは、
〈1628〉(4時28分)
SNSアプリで、自衛隊側から《106号》の副操縦士へ通話通信を試みたというものだ。その結果は「応答せず」と『報告』にある。
SNS通話発信を行った後で『報告』に登場する記録は、
〈1633〉(4時33分)
《106号》が分屯基地と交信を行ったというものだ。
しかも、その後、
〈1640〉(4時40分)
この時刻になって初めて、分屯基地のレーダーから「ロスト」したとの記録が『報告』に出てくる。
だが、防衛省が発表している「ロスト」時間は、
「3時56分」
『報告』と40分以上も違う。
敢えて言うならば「空白の40分」である。
『報告』には発表とは“異質”な内容がまだ続く。
〈1640〉(4時40分)
陸自側は、「航空救難」を関係機関に最初に流した。
それを受けて航空自衛隊の那覇救難隊が救難機スコットを「ロスト」地点との情報を受けた座標へ向けて緊急離陸させるとともに、
〈1653〉(4時53分)
第8師団司令部に電話を入れ、《106号》の飛行状況の詳細を求めていた。
さらにその4分後、
〈1657〉(4時57分)
西部方面隊司令部から分屯基地に《106号》の状況を確認している。
その時の分屯基地の反応が『報告』にある。
「現在のところ、《106号》の着陸を確認しておりません」
さらに『報告』にはこうある。
〈1702〉(5時2分)
自衛隊側は初めて、国土交通省が管轄する宮古空港管理事務所へ《106号》について把握していることはないか、と照会した。
さらに、
〈1706〉(5時6分)
分屯基地は、《106号》と連絡がとれていないことを西部方面隊に伝えていた。つまり、この段階に至ってもまだ、事態を把握していないような雰囲気なのだ。
大混乱を疑う記録
そしてそれからさらに1時間半ほどした、
〈1822〉(6時22分)
陸上自衛隊の“本部”とも言うべき、東京の陸上幕僚監部(陸幕)に公式に「第一報報告」を行っている。
これらの『報告』から推測されることは、自衛隊は、〈1822〉の「第一報報告」まで、「大混乱」に陥っていた可能性だ。
それを疑うのは、当初の『報告』にあった「消失」の時間である、
〈1640〉
が、さらにその後、
〈1633〉(4時33分)
と訂正されてからまたしても、やっとメディアに広報されたのと同じ、
〈1556〉(3時56分)
と再度の訂正がなされている。
しかも防衛省が「ロスト」した時刻と発表している時間から30分以上も経過した時点での『報告』にある、
〈1628〉
にSNSの通信通話の発信を《106号》に試みていることは、余りにも不可解なことだ。
これら数々の“異質”なことから導かれる「推察」は、自衛隊側は、《106号》が、行方不明になった事実を、〈1822〉の「第一報報告」まで把握できなかったのではないか、ということである。つまり、「ロスト」から約2時間半もの間、中国からの防衛の最前線の「センサー」たる宮古島分屯基地が茫然自失状態になっていたのではないかという疑いだ。
最も奇妙なのは、関係機関への通報が、防衛省発表の「ロスト」時間から3時間以上も経過した19時10分を過ぎて行われていると、『報告』にあることだ。
いったいどういうことが起これば、このような事態に陥るのか――大きな「謎」だ。
(筆者註・肩書きは「ロスト」の時点。事実関係は4月25日現在のものである)
・陸自ヘリ墜落「エンジン出力が急低下」一部全国紙が報道 「謎もある。残る情報はいつ公表か」辛坊治郎が注視(ニッポン放送 2023年5月24日)
※キャスターの辛坊治郎が5月24日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。沖縄県宮古島沖で4月に起きた陸上自衛隊ヘリコプター事故で、回収されたフライトレコーダーの記録から、墜落の直前にエンジンの出力が急激に低下していたことが分かったと読売新聞が報じたことを巡り、「謎もある。残る情報はいつ公表されるか」と注視した。
読売新聞の24日付朝刊によると、沖縄県宮古島沖で4月に起きた陸上自衛隊ヘリコプター事故で、墜落の直前にエンジンの出力が急激に低下していたことが分かった。海底から回収されたフライトレコーダーに録音されていた機長らの音声記録から判明した。
辛坊)このヘリコプターの最後の交信から、機影がレーダーから消えるまでの時間が約2分だったことは既に分かっていました。その2分間に何かが起きたのだろうと考えられています。回収されたフライトレコーダーには、急に変わったローターの回転音や、機長らが事態に対処している会話が録音されていました。これにより、エンジンに急激な不調が起きたことが分かったわけです。ただ、謎もあります。エンジンに不調が起きてから、ヘリがどのくらいの時間、空中にとどまっていたかが分からないのです。
捜索では機体がなかなか見つかりませんでした。ヘリが当時、高度約150メートルという低空を飛んでいたことや、最後の交信から機影がレーダーから消えるまでの時間が約2分間だったことなどから、当初はレーダーから機影が消えた辺りの海域を集中的に捜索していました。ところが、実際に機体が見つかったのは、約4キロも離れた海域でした。ヘリが空中を飛んでそこまで行ったのか、海に墜落してから流されたのかは、いまだに謎です。
その点については、フライトレコーダーの解析により、既に分かっているはずです。しかし、読売新聞の記事には、その時系列が書かれていません。関係者によるリークとみられる情報の対象になっていなかったということかもしれません。
事故を起こしたヘリは、アメリカ軍で「ブラックホーク」と呼ばれています。エンジンが2基搭載され、1基が壊れても残の1基で飛行できるようになっています。それにもかかわらず、墜落しました。2基が同時に壊れることも考えにくく、なぜ墜落したかが分かりません。
事故後、この番組にゲスト出演された海上自衛隊ヘリの元パイロットで笹川平和財団上席研究員の小原凡司氏は、高度約150メートルという低空からでも、惰性で回る主回転翼の力だけで竹とんぼのように徐々に降下するオートローテーションは可能だと解説されていらっしゃいました。しかし、このヘリは墜落しました。
同型ヘリの過去に起きた事故を全世界的にみると、多くは機体の異常ではなく、パイロットの操縦ミスです。今回も当初はそうした見方もありましたが、フライトレコーダーの解析から、その可能性はなさそうで、機体の突然の故障で墜落したという蓋然性がかなり高くなりました。報道されている情報以外に、もっと詳細なデータが既に分かっているはずなので、あとは未公表の情報がいつ公表されるかに注目したいと思います。
※ヘリコプターの詳しい飛行経路は

陸上自衛隊が公表した航跡図によりますと、ヘリコプターは午後3時46分に宮古島の中央部にある航空自衛隊の基地を離陸したあと、ほぼ真北へ進み、海上に出るあたりで進路を北西に変え、海岸線に沿うようにして飛行しています。
この途中で宮古島の管制圏を出たとみられています。
その後、ヘリコプターは宮古島の北にある池間島の周囲を反時計回りに周回し、南西の方向に向かっています。
そして進路をほぼ真南に変えたあとの午後3時56分、伊良部島の北端から北東におよそ2キロの場所で、レーダーから航跡が消えたということです。
当時は飛行する上で特に問題ない
陸上自衛隊によりますと、消息を絶ったヘリコプターは宮古島周辺の地形を確認するため目視による飛行を行っていたということです。
当時の気象状況は▽風速7メートルの南よりの風が吹き、▽視界は10キロ以上、▽雲の高さはおよそ600メートルで、飛行するうえで特に問題はなかったということです。
防衛省関係者によりますと、地形を確認するためにヘリコプターが飛行する場合の高度は300メートルから500メートル程度が一般的だということです。
ヘリコプターは1999年製造 飛行時間は約2600時間
陸上自衛隊によりますと、消息を絶ったヘリコプターは1999年2月に製造され、これまでの飛行時間はおよそ2600時間だったということです。
この機体は、50時間飛行するたびに、エンジンや部品の状態のほかオイル漏れの有無などを確認する「特別点検」を先月20日から28日まで実施し、点検後の試験飛行を行った際は異常はなかったということです。
その後、今月4日に熊本県の高遊原分屯地を出発して鹿児島県の奄美駐屯地を経由し、沖縄県の那覇基地に移動しました。
そして事故当日の6日午後、宮古島分屯基地に到着したあと、第8師団長などを乗せて離陸したということです。
2分前に交信した下地島空港では
ヘリコプターがレーダーから消えた位置に近い下地島空港は空からの捜索の拠点の1つにもなっています。
下地島空港の管制塔は、ヘリコプターがレーダーから消える2分前に管制官が交信を行いました。
レーダーから消失の2分前 交信で異常連絡なし その後トラブルか
ヘリコプターは宮古島を離陸したあと、周辺を飛行する予定でしたが、離陸後に宮古島の空港の管制官と無線で複数回交信したあと、隣接する下地島の空港の管制官とも交信を行っていたことが、防衛省や国土交通省の関係者への取材でわかりました。
このうちレーダーから消える2分前には、下地島の空港の管制官が、管轄に入ったら周波数を変更して交信するよう伝えたところ、ヘリコプター側は了解したということで、その際に異常を知らせる連絡はなかったということです。
管制官との交信はこれが最後で、陸上自衛隊はこの交信のあとの2分間で何らかのトラブルが起きた可能性があるとみて、調査を進めるとともに、隊員の捜索を続けています。
※ブログ主コメント:おかしいなあ・・・6日の報道では、ヘリがレーダーから消えたのは、午後4時33分のはずなのに・・・
・陸自ヘリの機体は三つに分裂、横方向に衝撃か 29日にも引き揚げへ(朝日新聞デジタル 2023年4月28日)
※沖縄県の宮古島周辺で陸上自衛隊の隊員10人が乗ったヘリが消息を絶った事故で、現場海域の海底で見つかった機体の主要部が三つに割れているとみられることが、政府関係者への取材でわかった。機体に横方向の強い衝撃が加わった可能性がある。防衛省の委託を受けた民間船舶が28日にも現場海域に着き、早ければ29日にも機体の引き揚げが始まる見通しだ。
ヘリは6日にレーダーから消え、16日、消失地点から北北東に約4・2キロ離れた水深106メートルの海底で海上自衛隊のダイバーが機体と隊員5人を確認。18日にはさらに隊員1人を見つけた。防衛省はこれまで5人を引き揚げて死亡を確認し、身元を公表している。
政府関係者によると、海底で見つかった機体の主要部は大まかに三つに割れていたとみられ、近くにまとまって沈んでいた。近くには機体から外れたとみられる部品も新たに見つかったという。
事故機が3分割している場合、操縦士の乗るコックピットや、客室部分にあたるキャビン、後方部分のテールに分かれている可能性がある。ヘリなどの航空機は縦方向の衝撃には強いが、横方向の衝撃には弱いとされ、事故時、横方向に強い衝撃が加わった結果、機体が3分割し、この衝撃に伴って外れた部品も同時に沈んだ可能性がある。
・陸上自衛隊ヘリ事故 引き揚げ機体は“激しく損傷” 専門家「内部で何かが爆発した可能性も…」フライトレコーダー回収で原因究明へ(TBS NEWS DIG 2023年5月2日)
※4月に陸上自衛隊のヘリが消息を絶った事故。改めて経緯とともに、その原因についてみていきます。
フライトレコーダーの解析が待たれる状況
南波雅俊キャスター:
改めて事故の経緯から見ていきます。
陸上自衛隊のヘリコプターは4月6日午後3時46分、宮古島分屯基地を離陸した約10分後、宮古島付近でレーダーから機影が消失しました。そして5月1日、隊員とみられる6人目の死亡が確認されました。
海難事故などに詳しい東海大学の山田吉彦教授に話を聞き、事故の要因、あるいはどのような状況だったのかを推測していただきました。
まず、「機体が複数に分断されているので、“横倒しの状態”で墜落したのではないか」とのことです。
そのまま垂直に墜落した場合はそれほど大きな分断にはならないそうです。しかし“横に倒れていった”ことによって複数に分断されたのではないかと山田教授はみています。
そして報道では「機体がバラバラになっていた」というような表現もありましたが、山田教授いわく、内部で何かが爆発した可能性もあるとのことです。
そして今回わかった新たなニュースとして、引き揚げた機体からフライトレコーダーが回収されました。これを解析することが、事故原因の究明の鍵になってくるのでは、とみられています。
・元陸将「滅多なことでは、こんなにバラバラにならない」陸自ヘリ引き揚げ “操縦士同士の会話”など音声データ残る可能性も(TBS NEWS DIG 2023年5月2日)

※消息を絶っていた陸上自衛隊のヘリコプター。沖縄県宮古島周辺の海底から、原形をとどめていない状態で引き揚げられました。「滅多なことではバラバラにならない」と陸自の元陸将は話していますが、いったい何が起きたのか。防衛省はフライトレコーダーの分析を進め、事故原因を調べる方針です。
機体の主要部分回収 “自衛隊員のズボンのようなもの”も…
消息を絶ってから約1か月。5月2日の正午前、沖縄県宮古島周辺の海底から陸上自衛隊のヘリコプターが引き揚げられました。
機体は原形をとどめていないほど崩れていますが、日の丸の赤いマークが確認できるほか、燃料タンクとみられるものもあり、機体の主要部分を回収したということです。海底からは機体のほかにも…
記者「自衛隊の隊員がカゴの中を確認しています」
引き揚げられたものの中には、“自衛隊員のズボンのようなもの”も確認できます。
引き揚げ作業は民間の作業船が実施。深さ約106メートルの海底にあった機体は、当初3つに割れているという情報もありましたが、陸上自衛隊は2日夜、“胴体と尾翼部分が一部で繋がっている状態”だったと明らかにしました。
この機体には隊員10人が乗っていて、うち6人が死亡、残り4人が行方不明です。
「滅多なことでこんなにバラバラにならない」
陸上自衛隊でヘリコプターのパイロットを務めた山口氏は、“バラバラになるほどの損傷具合”について…
陸上自衛隊 元陸将 山口昇氏
「滅多なことでこんなにバラバラにならないですよね。これに近いようなバラバラになったもので記憶に残っているのは御巣鷹山のJAL機墜落。それくらいの壊れ方ですよね」
山口氏は機体がバラバラになっていることから、海に不時着できず何らかの強い衝撃が機体に与えられた可能性があると指摘しています。
また、機体の残骸がある程度まとまって見つかったことから「断定はできないが、高度が低いところで事故が起きたか、あるいは海面にぶつかった可能性も考えられる」とも分析しています。
一方、原形が確認できる燃料タンクとみられるものや「陸上自衛隊」と書かれたドアについては…
陸上自衛隊 元陸将 山口氏
「ドアも燃料タンクもある程度、破壊の早い時期で外れている可能性がある。あるいは破壊が始まる前に外れていることも否定はできません。機体の壊れ方、どこから壊れているか、どこの損傷が大きいかをこれから見ていけば、ある程度、事故原因が類推できるかと思う」
さらに陸上自衛隊は、引き揚げられた機体から「フライトレコーダー」も回収したと発表しました。
フライトレコーダーは当時の飛行状況などを記録しているほか、操縦士同士の会話など音声データが残っている可能性もあります。
防衛省は今後、引き揚げられた機体の調査やフライトレコーダーの分析を進め、事故原因を調べる方針です。
・「時速200キロで海面に衝突 脱出不可」との見方も 陸自ヘリ 機体は4日昼にも熊本へ(沖縄テレビ 2023年5月3日)
※宮古島沖で陸上自衛隊のヘリコプターが消息を絶った事故で、引き揚げられた機体は洗浄などといった作業を終え次第熊本県へと運ばれます。
陸上自衛隊の幹部ら10人が乗ったヘリコプターの事故では今も4人が見つかっておらず、現場周辺の海域では3日も朝から無人潜水探査機などによる捜索が行われました。
現場海域周辺で活動していたサルベージ船は午後4時半ごろ港に戻り、ヘリの窓枠のような残骸とみられるものな回収物が積み下ろされました。
一方、2日に深さ106メートルの海底から引き揚げられたヘリの主要部分は港に接岸したサルベージ船の上に留め置かれています。
機体の洗浄などといった処置を終えたあと熊本県の陸上自衛隊高遊原分屯地に運ばれる予定で、サルベージ船はあす昼にも宮古島を離れる見通しです。
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陸自ヘリ主要部分を引き揚げ…原形とどめず フライトレコーダー解析へ
引き揚げられた機体の主要部分は原形をとどめないほど壊れていました。
事故による衝撃を解析する専門家は・・・
▽(株)衝撃工学研究所・吉江伸二所長
「ローター(プロペラ)が少しでも回っていれば浮力を稼げるが、例えばヘリコプターの羽が飛んでしまった。そういう状態で海面に叩きつけられたと想定するとバラバラになってもおかしくない」
消息を絶つ数分前のヘリを捉えた映像を防衛省が分析したところ、高度150メートル付近を飛んでいた可能性があることが関係者への取材でわかっています。
吉江所長はヘリがすさまじい速さで海面に衝突し、隊員たちが脱出するのは不可能だったのではないかと指摘します。
▽(株)衝撃工学研究所吉江伸二所長
「落下の高さ150メートルはマンションで例えると60階くらい。落下速度は時速200キロに近く、(海面まで)だいたい2、3秒です。(隊員は)シートベルトをしているはずですからすぐには逃げられない状況だったのではないか」
自衛隊は事故機から回収したフライトレコーダーを解析することにしていて、今後原因の究明が進むかも大きな焦点となります。
・《「空白の40分」の謎》防衛省内部資料『報告』から浮かび上がる、陸自ヘリ事故“当日の混乱”(文春オンライン 2023年5月23日)
麻生 幾
作家・麻生幾氏が事故の謎に迫る「陸自ヘリは中国に撃墜されたか」を、月刊「文藝春秋」2023年6月号より一部転載します。
◆◆◆
※浮かび上がる“異質”な部分
「ナハタワー、デスイズ、UH、106(ワンゼロシックス)、リクエスト、テイクオフ」
陸上自衛隊(陸自)「第8師団」に属する「UH-60JA」ヘリコプター――無線コールサイン《106号》が、沖縄県那覇空港の管制官に離陸(テイクオフ)の許可を求めた。
間もなくして認められた《106号》が、宮古島を目指して那覇空港を飛び立った。その日時は、
4月6日木曜日
〈1253〉(筆者註・午後12時53分。以下同)
この日時は、防衛省が当時、メディアへ行った広報にはない。第8師団の上級部隊である「西部方面隊」を通じて、「東京の防衛省が受けた口頭による逐一の報告」(以下、『報告』)の中に記録されていた。
《106号》がレーダーから「ロスト」(消失)してから2週間後、複数の政府機関の関係者の話を総合して『報告』の中身を知ることとなった。
その結果、『報告』に記されていたものは、これまで防衛省が発表してきたものとは、“異質”だった。
例えば、《106号》がレーダーから消えた時刻について、防衛省がメディアへ発表したのは、
〈午後3時56分〉。
だが『報告』では、
〈1640〉(同4時40分)
と、40分以上も違っている。
“異質”なのはそれだけではない。《106号》がレーダーから消えた「場所」についても、メディアに発表された内容と、『報告』の内容とはまったく違っていた。
しかも《106号》が“事故である”と防衛省が正式に発表するまでの約7時間の間にも、幾つかの“異質”な部分が存在する。
なぜそれら“異質”なことが発生したのか、その「謎」を追ってみた。
“将来の戦場”の最前線を視察
沖縄本島を後にした《106号》を操縦する飛行班長(3等陸佐)は、天候に恵まれたことで爽快な気分のまま東シナ海を一路、南へ向かったことが容易にイメージできる。
しかし同時に、高い緊張感が全身に満ちあふれていたことも想像に難くない。
何しろヘリコプターのキャビンに座る搭乗者(とうじょうしゃ)というのが、約5000名もの隊員を率いる「第8師団長」の坂本雄一(さかもとゆういち)陸将ほか、師団ナンバー3にして師団長の“右腕”たる「幕僚長(ばくりょうちょう)」の1等陸佐、作戦全般を作成する「3(さん)部長」(1等陸佐)、インテリジェンスなどの情報分析責任者「2(に)部長」(2等陸佐)、そして詳細な作戦立案を行うため一番忙しく精力的に働く「防衛班長」(3等陸佐)という、紛れもなく第8師団の“心臓部”そのものであったからだ。
《106号》の搭乗者たちは、那覇を発ってから1時間24分後、コーラルブルーの海とバリアリーフに囲まれた宮古島と隣接し、宮古島市に含まれる五つの島々(大神〔おおがみ〕島、池間島〔いけまじま〕、伊良部島〔いらぶじま〕、下地島〔しもじしま〕、来間〔くりま〕島)が目に飛び込んできたはずだ。
宮古島のほぼ中央に位置する「航空自衛隊・宮古島分屯基地(ぶんとんきち)のヘリポートに、《106号》が着陸した時刻は『報告』によれば、
〈1417〉(2時17分)
出迎えたのは、陸上自衛隊「宮古警備隊」の隊長、伊與田雅一(いよだまさかず)1等陸佐だった。
宮古警備隊は、台湾クライシスが高まる中、2019年に、那覇に駐屯する第15旅団の隷下部隊として創隊した。その任務は、台湾への侵攻を行うのに乗じて宮古列島(宮古島市内の島々を含む)の八つの島々を攻撃する可能性がある中国・人民解放軍の水上艦艇と航空機を撃滅するための、第302地対艦ミサイル中隊と第346高射中隊の警備を行う最前線部隊である。
分屯基地に到着した坂本師団長は、すぐに私服に着替え、地元の支援者たちとの懇談に臨んだ。
西部方面隊関係者は、宮古島の一部で、陸自部隊が駐屯することへの反発が依然としてあることから、宮古島を衛(まも)るための防御と攻撃の作戦を行う上では地元の理解がなにより重要だと、彼は師団長に着任する直前に言っていた――と語った上でこう付け加えた。
「宮古島には陸自の『宮古島駐屯地』があるがそこへ《106号》を着陸させなかったのも地元感情を忖度したからだろう」
そして、4時間の飛行が可能な航空燃料の補給を受けた《106号》のキャビンに、再び坂本師団長以下の“師団の心臓部”である面々の他、伊與田隊長に加え、《106号》の2名の「FE」(航空機関士)の若い隊員なども乗せて宮古島分屯基地を出発した。
その時間は『報告』によれば、
〈1546〉(3時46分)
気温は摂氏25.4℃、天候は晴れ―まさに“自衛隊日(び)より”だった。
空白の40分の謎
宮古島の「東海岸線」を北上した《106号》は、左図のとおり、全長1425メートルもある大きな橋で陸続きとなっている池間島をさらに北へ向かった。
同3時54分、池間島の最北端の先の海上で西へ進路を変え、今度は一転、南下した直後、宮古空港の管制官との通信を行った。その通信には、防衛省の発表どおり、「ロスト」を予見されるものはなかったことが同じく『報告』にも存在した。
《106号》が池間島の北端に達したのは、離陸してから7分後、『報告』では、
〈1553〉(3時53分)
そして、《106号》のコックピット右席に座る機長が、略称「D-NET」、正式名「災害救援航空機情報共有ネットワーク」とリンクするスイッチを稼働。そして機長もしくは左側に座る副操縦士は「1546、宮古、離陸」と入力するのと同時に、通過した座標「北緯245706、東経1251444」(筆者註・池間島北側の海上)を打ち込んだと『報告』にある。
D-NETとは、宇宙空間に数々のミサイルを打ち上げているJAXA(宇宙航空研究開発機構)が運営する、ヘリコプターなど航空機の危機管理情報を共有するシステムだ。
最近では、自衛隊も、飛行機の混雑によって事故を発生させないために、離陸したならば、このシステムにチェックインして飛行するポイントごとの座標を入力するケースが多くなっている。
次に『報告』に登場するのは、
〈1628〉(4時28分)
SNSアプリで、自衛隊側から《106号》の副操縦士へ通話通信を試みたというものだ。その結果は「応答せず」と『報告』にある。
SNS通話発信を行った後で『報告』に登場する記録は、
〈1633〉(4時33分)
《106号》が分屯基地と交信を行ったというものだ。
しかも、その後、
〈1640〉(4時40分)
この時刻になって初めて、分屯基地のレーダーから「ロスト」したとの記録が『報告』に出てくる。
だが、防衛省が発表している「ロスト」時間は、
「3時56分」
『報告』と40分以上も違う。
敢えて言うならば「空白の40分」である。
『報告』には発表とは“異質”な内容がまだ続く。
〈1640〉(4時40分)
陸自側は、「航空救難」を関係機関に最初に流した。
それを受けて航空自衛隊の那覇救難隊が救難機スコットを「ロスト」地点との情報を受けた座標へ向けて緊急離陸させるとともに、
〈1653〉(4時53分)
第8師団司令部に電話を入れ、《106号》の飛行状況の詳細を求めていた。
さらにその4分後、
〈1657〉(4時57分)
西部方面隊司令部から分屯基地に《106号》の状況を確認している。
その時の分屯基地の反応が『報告』にある。
「現在のところ、《106号》の着陸を確認しておりません」
さらに『報告』にはこうある。
〈1702〉(5時2分)
自衛隊側は初めて、国土交通省が管轄する宮古空港管理事務所へ《106号》について把握していることはないか、と照会した。
さらに、
〈1706〉(5時6分)
分屯基地は、《106号》と連絡がとれていないことを西部方面隊に伝えていた。つまり、この段階に至ってもまだ、事態を把握していないような雰囲気なのだ。
大混乱を疑う記録
そしてそれからさらに1時間半ほどした、
〈1822〉(6時22分)
陸上自衛隊の“本部”とも言うべき、東京の陸上幕僚監部(陸幕)に公式に「第一報報告」を行っている。
これらの『報告』から推測されることは、自衛隊は、〈1822〉の「第一報報告」まで、「大混乱」に陥っていた可能性だ。
それを疑うのは、当初の『報告』にあった「消失」の時間である、
〈1640〉
が、さらにその後、
〈1633〉(4時33分)
と訂正されてからまたしても、やっとメディアに広報されたのと同じ、
〈1556〉(3時56分)
と再度の訂正がなされている。
しかも防衛省が「ロスト」した時刻と発表している時間から30分以上も経過した時点での『報告』にある、
〈1628〉
にSNSの通信通話の発信を《106号》に試みていることは、余りにも不可解なことだ。
これら数々の“異質”なことから導かれる「推察」は、自衛隊側は、《106号》が、行方不明になった事実を、〈1822〉の「第一報報告」まで把握できなかったのではないか、ということである。つまり、「ロスト」から約2時間半もの間、中国からの防衛の最前線の「センサー」たる宮古島分屯基地が茫然自失状態になっていたのではないかという疑いだ。
最も奇妙なのは、関係機関への通報が、防衛省発表の「ロスト」時間から3時間以上も経過した19時10分を過ぎて行われていると、『報告』にあることだ。
いったいどういうことが起これば、このような事態に陥るのか――大きな「謎」だ。
(筆者註・肩書きは「ロスト」の時点。事実関係は4月25日現在のものである)
・陸自ヘリ墜落「エンジン出力が急低下」一部全国紙が報道 「謎もある。残る情報はいつ公表か」辛坊治郎が注視(ニッポン放送 2023年5月24日)
※キャスターの辛坊治郎が5月24日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。沖縄県宮古島沖で4月に起きた陸上自衛隊ヘリコプター事故で、回収されたフライトレコーダーの記録から、墜落の直前にエンジンの出力が急激に低下していたことが分かったと読売新聞が報じたことを巡り、「謎もある。残る情報はいつ公表されるか」と注視した。
読売新聞の24日付朝刊によると、沖縄県宮古島沖で4月に起きた陸上自衛隊ヘリコプター事故で、墜落の直前にエンジンの出力が急激に低下していたことが分かった。海底から回収されたフライトレコーダーに録音されていた機長らの音声記録から判明した。
辛坊)このヘリコプターの最後の交信から、機影がレーダーから消えるまでの時間が約2分だったことは既に分かっていました。その2分間に何かが起きたのだろうと考えられています。回収されたフライトレコーダーには、急に変わったローターの回転音や、機長らが事態に対処している会話が録音されていました。これにより、エンジンに急激な不調が起きたことが分かったわけです。ただ、謎もあります。エンジンに不調が起きてから、ヘリがどのくらいの時間、空中にとどまっていたかが分からないのです。
捜索では機体がなかなか見つかりませんでした。ヘリが当時、高度約150メートルという低空を飛んでいたことや、最後の交信から機影がレーダーから消えるまでの時間が約2分間だったことなどから、当初はレーダーから機影が消えた辺りの海域を集中的に捜索していました。ところが、実際に機体が見つかったのは、約4キロも離れた海域でした。ヘリが空中を飛んでそこまで行ったのか、海に墜落してから流されたのかは、いまだに謎です。
その点については、フライトレコーダーの解析により、既に分かっているはずです。しかし、読売新聞の記事には、その時系列が書かれていません。関係者によるリークとみられる情報の対象になっていなかったということかもしれません。
事故を起こしたヘリは、アメリカ軍で「ブラックホーク」と呼ばれています。エンジンが2基搭載され、1基が壊れても残の1基で飛行できるようになっています。それにもかかわらず、墜落しました。2基が同時に壊れることも考えにくく、なぜ墜落したかが分かりません。
事故後、この番組にゲスト出演された海上自衛隊ヘリの元パイロットで笹川平和財団上席研究員の小原凡司氏は、高度約150メートルという低空からでも、惰性で回る主回転翼の力だけで竹とんぼのように徐々に降下するオートローテーションは可能だと解説されていらっしゃいました。しかし、このヘリは墜落しました。
同型ヘリの過去に起きた事故を全世界的にみると、多くは機体の異常ではなく、パイロットの操縦ミスです。今回も当初はそうした見方もありましたが、フライトレコーダーの解析から、その可能性はなさそうで、機体の突然の故障で墜落したという蓋然性がかなり高くなりました。報道されている情報以外に、もっと詳細なデータが既に分かっているはずなので、あとは未公表の情報がいつ公表されるかに注目したいと思います。