コロナ騒動禍で、「飛沫感染」を前提とした感染対策として、人々はマスクを常時着用してきた。
— ヒト (@GVdFrnRWbN18944) February 11, 2024
元を辿ると、「空気感染に言及すると、恐怖により衛生習慣が無視されると懸念した」という非科学的理由で、1900年代にCharles V. Chapinが飛沫感染を唱えた話に遡る。
医学の非科学性は、恒久的である。 pic.twitter.com/ff3C1DoBZb
ヒト@GVdFrnRWbN18944
コロナ騒動禍で、「飛沫感染」を前提とした感染対策として、人々はマスクを常時着用してきた。
元を辿ると、「空気感染に言及すると、恐怖により衛生習慣が無視されると懸念した」という非科学的理由で、1900年代にCharles V. Chapinが飛沫感染を唱えた話に遡る。
医学の非科学性は、恒久的である。

※ブログ主注:記事内容はマスクを推奨する(=否定しない)かのような内容ですが、ブログ主はマスクを推奨していません。
・なぜ日本はマスク好き?その意外な歴史的背景 140年以上前にすでにファッションアイテム化(Frontline Press 2021年4月8日)
※緊急事態宣言は解除されたものの、新型コロナウイルスの感染拡大は収束の気配がなく、マスクを手放せない日々が続いている。そのマスク、日本ではコロナ以前から多くの人が身に着け、身近だった。一方、欧米では重篤な病気にかかっている人がするものとされ、マスクを着けている人は敬遠されていた。国や文化の違いによって捉え方が大きく異なる、不思議な存在だ。
マスクはいつから、誰が、なぜ使ってきたのか。「マスク大国日本」の歴史を軸に、慶應義塾大学文学部訪問研究員の住田朋久氏に尋ねた。
マスクの原型が登場したのは1836年
科学史・医学史の領域で研究を続けてきた住田氏は、新型コロナウイルス感染症の拡大を機に、マスクの歴史を調べ始めた。その時点でマスクの歴史に関する研究は、日本はもとより世界を見てもほとんどなかったという。そのため、過去の新聞や雑誌、小説、民俗について書かれた書籍などを片っ端から調べて、マスクに関する情報を丹念に集めることから研究は始まった。
「現在のマスクに直接つながるものが現れたのは1836年です。イギリスのジェフリーズという医師が、呼吸器疾患の人のための『レスピレーター(呼吸器)』として開発しました。これは今、私たちが使っているマスクと同じような形状で、鼻と口を布で覆い、両端に付けられた紐を耳にかけて使っていました。
ただし、中には格子状の金属が入っていて、息を吐くとそこで温度や湿度が保たれ、温かく湿った空気を
吸うことができるという仕組みです。1862年の第2回ロンドン万国博覧会にも出品されています。
そのレスピレーターが1877年頃までに日本に入ってきました。少なくとも、1879年のレスピレーターの広告が資料として残っています。医療者や患者を対象としたものではなく、一般の人向けのもので、色は黒でした。東京など都会でのファッションアイテムとして人気を博しました」
意外なことに、140年以上も前の日本でマスクはトレンドアイテムだったのだ。

(上)記録として残る日本で最も古いマスクの広告(1879年)(出所:宮武外骨編『文明開化2 広告篇』1925年)
感染症予防のためにマスクを着けるようになったのは、それより遅く、1900年ごろから。人から人に伝染する「肺ペスト」が流行し、大阪で数名の医師やその家族が亡くなったことを契機に、医療者が感染症予防としてマスクを着けるようになる。そのマスクは白色が多かったという。
「ペストと関係があるかはわからないのですが、1898年から1902年にかけても東京でマスクの着用が流行しました。防寒の目的だったようです。
そして、1918年に始まったインフルエンザ(スペインかぜ)のパンデミックを機に、日本の多くの人が感染症予防のために使うようになりました。今と似たような状況ですね。
その後、防塵や防寒のために日常でも使われるようになりました。当時の写真などに鼻や口を布で覆った人々が多く登場します」
配膳のときのマスクも自然発生的に生まれた習慣
「日中戦争が始まり、国家総動員法が公布された1938年ごろには、生徒たちが学校でマスクを着けて戦地へ送る物資を作っている様子が雑誌に掲載されています。第2次世界大戦の後、学校給食を配膳する際に衛生管理としてマスクを使うようになったのは、その名残の可能性があります。
皆さんも配膳するときにマスクを着けていた記憶があるのではないでしょうか? これは国や自治体が指導して徹底させたわけではなく、現場から自然発生的に生まれた習慣のようです。今回、私たちが政府や自治体から強制されたわけでもないのに、自発的にマスクをつけたことと、これも似ています」

(上)1900年前後に東京の女性は防寒のために白い絹の襟巻きを鼻と口にかけていた(出所:宮武外骨編『奇態流行史』1922年)
高度経済成長に伴い、日本では1960年代から各地で大気汚染が深刻になっていく。1980年代になると、花粉症が爆発的に流行し始めた。そうした結果、マスクはますます身近になっていく。一方、近年では、若い世代を中心に「だてマスク」なども広がり、マスクがファッションとしても定着。独自のマスク文化が育まれてきた。
日本のマスク着用率を長期にわたって調査したデータはないが、新型コロナウイルスが広まった昨年春からは、各国の着用率のデータがある。
日本リサーチセンターとイギリスの調査会社YouGov社が、23の国・地域で実施したインターネット調査(2020年3~5月から2021年2月上旬まで)によると、「公共の場ではマスクを着用する」と回答した割合は、日本では2020年3月中旬に62%だった。
それが、1度目の緊急事態宣言が出されていた5月上旬には86%に急上昇。2度目の緊急事態宣言が出されていた2021年1月中旬にはついに90%に達した。2月上旬になっても88%となり、高い水準を保っている。
一方、同じ期間、アメリカも5%から80%へ、フランスは12%から81%へ、スペインも25%から88%へと急伸した。住田氏は「各国ではマスクの着用が義務化されたことで着用率が伸びました。各国と比べ、日本は例外的に義務化されていないことを考慮すると、着用率は非常に高いと言えます」と話す。
朝鮮や中国では100年前から「マスク着用=日本人」
住田氏はこれまで、自然保護や大気汚染の歴史について研究を進めてきた。雑誌『現代思想』に花粉症の患者会に関する文章を寄稿したところ、編集部から「マスクについて書いてみないか」と勧められ、昨年春から幅広い資料に当たり、分析を続けている。
では、この1年間の研究でマスク史の何が見えてきたのだろうか。
「韓国や中国の研究者と議論する中で知ったのですが、20世紀前半、日本の植民地だった朝鮮半島の京城(現在のソウル)では、『マスクを着けている人=日本人』と見られていたそうです。
また1930年代の上海では、日本兵の黒いマスクは衛生的であると同時に暴力性の象徴であると、中国の人たちに捉えられていました。朝鮮や中国にとっては約100年前から、マスクが日本の象徴だったということを知り、驚きました」
感染症にかかりたくないという気持ちは、万国共通のはず。しかし、アメリカでは、マスクの着用を巡って市民が口論することもある。
では、なぜ私たちは、マスクを着けることに違和感や抵抗感があまりないのか。「横並び意識の強さ」「人にうつしたくない」「清潔好き」など、日本人の国民性と重ねて語られることが多いが、住田氏はどう考えているのだろうか。
新しい生活様式を積極的に取り入れようとした一環
「1930年代にスペインかぜが流行したとき、欧米でも多くの人がマスクを着けていました。でも、それは定着しませんでした。一方、日本ではマスクを着けることが定着し、日常の一部になりました。私が取り組んできた歴史的な側面からは、“過剰な近代化”と言えるのではないか、と考えています。
日本は明治時代の文明開化で近代化を進めた際、“西洋=近代的ないいもの”という意識が強く、西洋のものを過剰に取り入れてきました。その後も日本社会には、それぞれの時代で新しい生活様式を積極的に取り入れようとする機運がありました。マスクの浸透もその一環だったのではないかと見ています。
私の研究の範疇ではありませんが、文化の違いについてはいろいろ議論されていて、人の感情を読み取るときに、欧米では『口元』に、日本では『目元』に重きを置くようです。
顔文字でも、欧米では「:P」(時計回りに90度回転させて見ると、舌を出した顔に見える)、「:D」(笑顔)のように口元の変化で感情を表し、日本では「(><)」「^^」のように目の変化で感情を表します。
このことから考えると、欧米の人は目元を隠すサングラスに抵抗がなく、日本の人は口元を覆うマスクに抵抗がないということもうなずけます」
取材:宮本由貴子=フロントラインプレス(FrontlinePress)所属
住田朋久(すみだ・ともひさ)/2002年国際基督教大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程(科学史・科学哲学)単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、東京大学特任研究員などを経て、2020年から慶應義塾大学文学部訪問研究員、科学技術振興機構研究開発戦略センターフェロー
・なぜ日本人はマスクを着用するのかーー衛生対策とファッションの両立(FASHION TECH NEWS 2022年8月18日)

(上)『団団珍聞』1879年4月26日、1863頁(国立国会図書館所蔵)
※日本人はマスクをつけることに、大きな違和感を抱くことはない。風邪を引けばマスクをし、インフルエンザや花粉症の予防で欠かせない人も多いはずだ。コロナ禍が続く昨今では、もはやマスクは顔の一部になりつつある。
だが、欧米では日本ほどマスクを着用する習慣はなく、特にコロナが猛威を振るう以前は、マスクをして出歩く日本人に対して違和感を抱く人も多かった。では、なぜ私たちはこれほどまでにマスクに馴染みがあるのだろうか。
それを紐解くために、今回マスクの歴史を研究されている住田朋久さんにお話を伺った。日本のマスク受容、そしてファッションとの関係性まで、歴史的な視点から語っていただいた。
ーーー はじめに、住田さんのご研究を教えてください。
科学と社会の関わりに興味があり、「環境・生命・科学の社会史」と称して研究してきました。一例を挙げると、大気汚染対策における研究者のネットワークの組織化を調べたことがあります。
その後、多くの人が関わる問題について考えたときに、やはり花粉症は外せないだろうと思い研究を始めました。すると、1980年代ごろに花粉症の患者会があったことがわかりました。患者たちが仲間を募っていき、さまざまなマスクを試して、効果の大きかった防塵マスクのメーカーに対しては、街中でも使えるようなデザインに改良してほしいと要望したそうです。
この患者会についてのエッセイを2020年に『現代思想』に寄稿したところ、ゲラが送られてきたときに、編集者が次の号に「マスクの歴史について書いてみないか」と提案してくださったんです。それがきっかけで、この2年はマスクの研究を行っています。
ーーー マスクは、いつ発明されたものなのでしょうか。
ひとまず仮面は除外して、マスクを鼻と口を覆うものと定義します。そうすると、一番古い記録は紀元1世紀の大プリニウスによる『博物誌』のようです。そこには、鉱山でヤギの膀胱を頭に被っていたことが書かれています。また不殺生を信条とするジャイナ教徒の白衣派では、口を覆って虫が入らないようにしていますが、5世紀以前まで遡れるようです。もちろん、歴史的な資料に残る前にも、防寒や防塵のために鼻口を覆うことはあったでしょう。
日本の場合、近代以前から作業の際に布や紙で口を覆っていたことが確認できます。たとえば、19世紀中頃に徳川家の御用菓子を作る際に、口に紙を当てていたことが資料からわかります。もう1つ例を挙げると、江戸の将軍のために熱海で温泉を汲む人たちも同じように口を覆っています。いずれも偉い人が接するものを汚さないという配慮です。

(左図)加納諸平・神野易興編『紀伊国名所図会 後編 巻之一 若山補遺』平井五牸堂、1851年、ホ12裏
(右図)斎藤要人『熱海錦嚢』芹沢政吉、1897年、32頁
私たちが想像するようなマスクは、19世紀前半にイギリス人医師ジェフリーズが発明した「レスピレーター(呼吸器)」が起源です。これは金属が組み込まれており、特許を取った機能的なものでした。
これについてジェフリーズは、「ポータブル・クライメット」という表現を用いています。すなわち、「気候を持ち運ぶ」を発明したと主張しています。肺病の患者が暖かく湿った空気を吸えることを目的にしていました。ジェフリーズはインドで育ち、イギリスで医学を修めた人物です。インドとイギリスの両方で生活したからこそ、寒いイギリスで肺を患っている人を救うにはどうしたらいいのか考えたのでしょう。
これが1870年代(明治初期)に、日本にも輸入されて流行しました。ところが、当時の主流の医者はマスクの着用を薦めていませんでした。1884年に大日本私立衛生会が作成した『衛生寿護禄(すごろく)』には、マスクをつけた唯一の人物は「虚弱」のコマに描かれており、「うまれつき よわきはあれども 心から 身をよわくする 人ぞかなしき」と詠まれています。当時の専門家から見ると、マスク着用は人を虚弱にするものであり、「健康な人はわざわざマスクをつける必要はない」と考えられていたようです。

(上)大日本私立衛生会「衛生寿護禄」青木半右衛門編、石川恒和出版、1884年
それでも、一部の市民は積極的にマスクをつけていたようです。当時のマスクの広告には、寒さを防ぐことによって風邪を予防するということがうたわれています。
1899年から1900年に大阪でペストが流行したときには、新聞記事で、検疫官全員がマスクするようになったことや、ある医者が役所にマスクを寄付したことなどが伝えられています。これが1910年ころの満州のペスト対策でも用いられ、さらに1918年からのインフルエンザ対策にも使われていきました。
ーーー マスクはファッション的なアイテムとしても受容されたそうですが、どういった経緯だったのでしょうか。
明治時代の「呼吸器広告」を見ると、和服と洋服を着た人がマスクをつけている姿が掲載されています。どのような服装でもマスクは似合うというファッション的な視点があったと想像します。専門家が推奨しているわけでもないのに市中でマスクが流行したということを考えると、やはり西洋で使われてるアイテムという意識が強かったはずです。こちらの絵は講演会に行くエリートを映しています。こうした身分の高い人たちがマスクをしている姿に、市民は羨望のまなざしを向けていたわけです。実際、この「呼吸器広告」は大正末期の1925年に出版された宮武外骨の『文明開化』という本にも収められています。

(左図)『郵便報知新聞』1879年2月14日、4頁(国立国会図書館所蔵)
(右図)The International Exhibition of 1862: The Illustrated Catalogue of the Industrial Department, Vol. 2, p. 134
その後、インフルエンザなどの感染症対策で一般に用いられるようになり、ファッションとしても定着します。下図は、第二次世界大戦の総力戦体制期に贅沢の批判として持ち出された写真ですが、たくさんのプレゼントを抱えた女性が豪華なファッションの一部としてマスクをつけています。

(上)『写真週報』251号(1942年12月16日)、7頁
ーーー 日本人にとってマスクが馴染みのあるものになったきっかけはありますか。
馴染みという点では、学校給食で子どものころからマスクをつけるようになったことは大きいでしょう。これまで見つけたなかでもっとも早い例は、1944年の日本女子大学校附属豊明初等学校です。ここでも総動員体制のなかで、給食のお手伝いをしていたお母さんたちが労働に駆り出されることになり、当番の子どもたちが授業を抜けて給食の準備をするようになります。このとき、子どもたちがマスクをつけるということが起こりました。それが今も引き継がれて、日本の文化の1つになっています。
あとは最初に触れた花粉症ですね。日本で初めてスギ花粉症が報告されたのは1963年です。患者会が1979年に設立され、その後は花粉症になる人が著しく増え、春のマスクも広く見られるようになりました。
文化的には、人に迷惑をかけてはいけないという意識や同調圧力が強いとも言われますね。去年(2021年)11月頃の感染者がほとんどいなかったときでも、ほとんどの人が屋外でマスクをつけていました。ただ、同調圧力については、コロナ前はむしろ他の国のほうが公共の場でのマスクを許容しないという圧力が強かったと言えそうです。
ーーー 今後、マスクに新たな機能が付与されていく可能性はありますか。
これまでも、マスクはただ内と外を遮るのではなく、ジェフリーズの「呼吸器」のように、さまざまな機能がありました。
ペストが流行したときには、マスクに消毒薬を染み込ませることもありました。ただ、濡れたものを口に当てると息苦しくなるため、定着はしませんでした。
もう1つはアロマです。ヨーロッパの17世紀以来のペストマスクは香りのする草花をマスクに入れていました。今だとアロマを染み込ませたシールが売られていて、マスクに貼るだけで簡単に香りを楽しめるようになっています。
近年の技術の発展を考えると、おそらく見た目やファッション性以上の機能が求められるような気がします。たとえば、小顔になるようにローラーをつけたり、何かしらの刺激を与えてリフトアップができるなど、美容関係の付加価値が登場するかもしれません。
ーーー 今後「ファッションアイテムしてとしてのマスク」は、ますます意識されていくのでしょうか。
すでに十分に意識されていることだと思います。特にコロナ禍の2年間で、世界中でいろいろな試みがありました。
日本で初めてコロナが確認されたとき、マスクの入手が困難になりました。そこで人々は、繰り返し洗える布マスクを自作したわけです。その後、不織布マスクが推奨されるようになり、布マスクは姿を消していきます。また、3D構造を持つマスクが考案され、小顔効果や横から見たときの美しさなどが追求されてきました。
他にも、コロナ前ですが、日本における黒マスクの流行は、BTSの影響であるとも言われています。もはやアジアの流行を日本が取り入れることは当たり前になっています。携帯型扇風機も中国や韓国のほうが先に使っていたものですしね。
ですから、今後は日本国内だけを見て考えるのではなく、世界各地で生じたマスクの発展を見ていくとおもしろいはずです。
PROFILE|プロフィール
住田 朋久 (すみだ ともひさ)
慶應義塾大学大学院社会学研究科 訪問研究員
東京大学大学院博士課程満期退学(科学史・科学論)。日本学術振興会特別研究員(DC1)、東京大学大学総合教育研究センター特任研究員、丸善出版、東京大学出版会などを経て、現在、科学技術振興機構研究開発センターフェロー。