「昭和天皇を暗殺する」「日本の女は男の寝床に這いつくばる」…!統一教会教祖が信者に語っていた、凄まじすぎる「日本憎悪の言葉」(週刊現代 2022年11月19日)

※韓国には旧統一教会の教祖・文鮮明氏の発言録が存在している。615巻に及ぶこの「御言選集」から垣間見ることができるのは、日本への憎しみや蔑視が入り混じった文氏の複雑な心境だった。


「二重橋を破壊し、裕仁天皇を暗殺する」

今年7月の安倍晋三元総理銃撃事件以降、自民党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関係が問題となっている。

10月24日には、山際大志郎経済再生担当大臣が旧統一教会との関係を理由に辞任し、11月8日には岸田文雄総理が悪質な献金などの被害者救済の新法案を今国会で提出することに「最大限の努力を行う」と発表した。


そんな中、統一教会の創始者である文鮮明氏の発言録『文鮮明先生マルスム(御言)選集』が、インターネット上に無断転載されていることが明らかになった。

これは韓国の教団系出版社である「成和出版社(現・天苑社)」が信者たちに向けて発行したものだ。文氏が'56年~'09年に韓国内で行った説教の内容が全編韓国語で記録されており、その量は各巻300~400ページ、全615巻にも及ぶ。

「この『御言選集』を持っている日本人はほとんどいません。私が知る中で持っている日本人信者は一人だけ。その人も、大切に飾るだけで読んでおらず、内容は知らないようです」(元信者)



『御言選集』の一部を日本語訳したものは製作されているが、原本に掲載されている特定の発言が抜け落ちている。それは、日本に対して向けられた凄まじい憎悪の言葉だ。

文氏は1920年、日本統治時代の朝鮮半島に生まれ、1941年、21歳の時に早稲田高等工学校に通うため、日本へやってきた。工学校卒業後、1943年に帰郷するが、翌年10月、日本での抗日運動に関わっていたとして逮捕されている。

文氏にとって、"内地"での体験は、彼を抗日運動へと走らせるようなものだったのだろう。こうした心情を垣間見ることのできる発言が、ネットに流出した『御言選集』の中に含まれている。

〈日本は一番の怨讐の国でした。二重橋を私の手で破壊してしまおうと思いました。裕仁天皇を私が暗殺すると決心したのです〉(第381巻より。原文を日本語訳したもの・大意。以下同)

〈裕仁天皇を二重橋を越えて殺してしまおうとした地下運動のリーダーだったんです。こうした学生時代には、日本の婦人たちに無視されたこともたくさんありました〉(第305巻より)

昭和天皇暗殺を考えていたことや、皇居の正門に架かっている二重橋を破壊しようとしていたという旨の発言は、第306巻、352巻、402巻にも記録されている。

文氏が実際に地下運動のリーダーだったかについては明らかになっていないが、韓国人信者に対して自身が「昭和天皇暗殺を計画した抗日運動の闘士であった」と話していた可能性は高い。


「日本の女性は嘘が上手い」

日本に住みながら日本人に対して反感を募らせていた文氏は、日本人女性に対して抱いた印象について、蔑むようにこう振り返っている。

〈日本にいた頃は苦労した。日本の女性はあからさまです。韓国の女は男がついてくると逃げ出すが、日本の女は男の寝床に這いつくばる〉(第239巻より)

〈日本の女性は必ず嘘をつきます。エバの国である日本の女性は、エバの特徴をそのまま残している。だから嘘が上手なんですね〉(同巻より)

この発言について、旧統一教会問題に詳しいジャーナリストの鈴木エイト氏はこう語る。

「この発言からは、文氏の日本に対する恨みや蔑みが感じ取れます。旧統一教会には、日本が罪を背負った『エバ国家』だとする文氏の教えがある。エバ国家は夫である『アダム国家』の韓国に尽くすべきだとされています。合同結婚式で韓国人と結婚した日本人女性は、夫から暴力を振るわれたとしても、それは過去に犯した罪のせいであると教え込まれているのです」

文氏の発言の中からは、日本人に対する独特な価値観もうかがえる。

〈韓国人たちは「日本人たち」とは言いません。日本人を倭奴(왜놈)と言いながら「奴」という字をつけます〉(第336巻より)

〈日本人のことを倭奴と言います。日本人が倭奴なら韓国人は「主人奴」。そんな思想を持っています〉(第419巻より)

「倭奴」(왜놈)は、直訳すると「日本人野郎」という意味で、「チョッパリ」(쪽발이)と同様に日本人への蔑称として知られている。この蔑称を文氏は他の説教でも多用しており、本誌が確認しただけでも30回以上発せられている。


日本人と結婚すると、半分死んだ子が生まれる」

日本人男性の「弱さ」についての発言も見受けられる。

〈日本人男性と結婚すると、半分死んだような子が生まれると言われている。なぜなら、日本人男性が弱いからです〉(第333巻より)

〈私が祝福を与えた日本人女性で子がいない家庭は、相手男性が日本人であることが多い〉(同巻より)

〈日本人男性との子供を授かる確率を100%にしたいなら、高麗人参茶を飲むしかないんです(笑)〉(同巻より)

〈もし、日本人と子供を作ったら、精子はどんどん減っていきます〉(同巻より)

日本人女性と韓国人男性の結婚を推奨しているように取れるが、別の巻ではこんな発言も飛び出している。

〈皆さん自身が、怨讐の中の怨讐と結婚しなければなりません。日本と韓国の怨讐の中の怨讐は、最高の頂上である王です。日本の天皇と韓国の王とが交差結婚をしなければなりません。その次に、上下院が交差結婚しなければなりません。日本で言えば、首相と大臣たちが怨讐である韓国の人と結婚しなければなりません〉(第346巻より)

この発言について、教団の元幹部が解説する。

「『韓国の王』とは、教祖である文氏一族を意味していると考えられます。文氏は自身の孫と日本の皇族が結婚することを望んでいたのです」

「週刊現代」2022年11月19・26日号より

ここまで、天皇や日本人に対する憎悪や蔑みを表す文氏の「御言」を紹介した。『「日本の天照大神のルーツは韓国」「西郷隆盛も吉田松陰も韓国人」「対馬は韓国の領土」統一教会教祖の過激すぎる発言録』では、文氏の歪んだ歴史観や、日本人に対する差別的な言葉を紹介する。


・「日本の天照大神のルーツは韓国」「西郷隆盛も韓国人」「対馬は韓国の領土」…!統一教会教祖の過激すぎる発言録(週刊現代 2022年11月19日)

前編記事『「昭和天皇を暗殺する」「日本の女は男の寝床に這いつくばる」…!統一教会教祖が信者に語っていた、凄まじすぎる「日本憎悪の言葉」』では、統一教会教祖・文鮮明氏の日本人に対する蔑みや憎しみが込められた「御言」を紹介した。後編では、文氏の歪な歴史観や領土に対する意欲が垣間見える「御言」を見ていく。


※「西郷隆盛は韓国人」

『御言選集』からは、文氏の持つ偏った歴史観も垣間見える。

〈日本の天照大神のルーツは韓国にある。百済の2番目の女王が日本に逃げてきて、天照大神になったんです〉(第239巻より)

〈西郷隆盛のような人も九州人だったので韓国人だったんです。吉田松陰という日本の啓蒙家も韓国人でした。それを知っていますか? 彼らの先祖が韓国と大陸につながっていたからです〉(第377巻より)

〈明治維新以前の日本人は野蛮人でした。苗字もありませんでした。(略)それを吉田松陰を中心として訓練、教育したのは韓国人なんです。西郷隆盛も韓国人です〉(第444巻より)


朝鮮半島と地理的に近い地域出身の人々のルーツは朝鮮半島にある、だから薩摩や長州の人々も韓国人であると文氏は主張しているのだ。

信者との間で様々なトラブルを引き起こし問題となっている献金について語った記録もある。

〈自分の財産は必要ではありません。全部売って投入しなさいということです。一文無しになっても、神様の力で生きることができます〉(第318巻より)

〈日本責任者はここに4億ドルを補充しなさい。(略)献金を出すのを急き立てたのか? 2000人ずつ連れてきたら、一人あたり100万ドルだといくらになる? 20億ドルになるんだ。20億ドルがいま私に必要だ〉(第375巻より)


「朝鮮総連と民団は対馬に移住せよ」

第375巻では、同席している教会の日本法人幹部が詰め寄られる場面も記録されている。

〈小山田! お前も倭奴だろう? あいつも調子よく『はい、はい』と答えるが、日本人の性質にはひどいところがあるな〉

文氏は'81年に「日韓トンネル」の建設を提唱し、翌年には「国際ハイウェイ建設事業団」(現・財団)を設立した。これは韓国の釜山と日本の佐賀県唐津市を結ぶ全長200km超の海底トンネルを建設するプロジェクトで、実現のために3億円以上の多額の献金をした信者もいるという。

また、日韓トンネルプロジェクトを実現するため、'08年には鳩山由紀夫元首相をはじめとして民主(当時)・自民・公明・社民の議員ら9人が「日韓海底トンネル推進議員連盟」を結成していた。

文氏は、この日韓トンネルの経由地点の候補となっている対馬について、こんな発言をしている。

〈釜山から対馬が見えるでしょう。対馬は韓国の領土なんです〉(第487巻より)

〈小さな島から進んでいけばいいでしょう。対馬に朝鮮総連と民団(在日本大韓民国民団)が移住すれば、自動的に韓国と連結されるのです〉(第434巻より)

日本人を蔑視するような発言をしながらも、日本とのつながりを求める文氏の複雑な心情が表れているといえるだろう。


教義は日本と韓国で変えられている

ここまで紹介した一連の「御言」の内容を、日本人信者は認識しているのだろうか。

前出の鈴木氏が話す。

「教義は、日本と韓国である程度変えられています。『天皇暗殺』など、日本人が読むと都合の悪い部分については、日本語訳版があったとしても削除されている可能性が高い。ほとんどの日本人信者はこうした文氏の発言があったことを認識していないでしょう」

世界平和統一家庭連合は、こうした『御言選集』について、どのように考えているのか。本誌の質問に対し同団体は、以下のように回答した。

「成和出版社発行の文鮮明氏『御言選集』の実物は韓国人信者に対して韓国語で語られた内容ですので、他言語翻訳はされていません。出版の目的は教祖の御言葉を歴史的に保存するためだと聞いております」

「ネット上の不法転載に関して、著作権侵害の申し立てを準備しております。また、不法転載サイトの内容に関しては認識する必要はないと考えております」

『御言選集』で記録されているような思想を根底に持った人物が創設した宗教団体が、自民党と深い関係を築き、政治に食い込んでいたことを、日本国民は改めて認識する必要があるだろう。

「週刊現代」2022年11月19・26日号より



・最盛期には毎年1000億円が韓国へ送金された…統一教会が日本で大金を稼いだ「収奪のメカニズム」(PRESIDENT Online 2023年3月26日)

橋爪 大三郎

※統一教会はどうやって信者を獲得し、金銭を集めているのか。社会学者の橋爪大三郎さんは「まじめで知力の高い若者ほど統一教会の教義に共感しやすい。まもなく神の王国が建設される、と信じさせることで、信徒の時間とエネルギーと金銭を際限なく提供させている」という――。


マルチ商法は本人が儲けるつもりで参加する

いわゆる霊感商法は、マルチ商法と違って、もっと悪質で組織的な犯罪である。

商取引は、売り手、買い手の双方の合意(契約)によって成立する。その際、商品についての情報が正しく伝えられていること、合意(契約)が任意になされること、などの条件が満たされている必要がある。相手を騙せば、詐欺になる。

マルチ商法は、ネズミ講と類似していて、新規の加入者を募り、ネットワークが拡大していくと、早くに加入していたものが配当を受け取り、儲かる仕組みとなっている。ネズミ講はただ出資するのだが、マルチ商法の場合は、商品を買い取る商取引の外見をとっている。

マルチ商法は、取引きの仕組みの説明を受け、本人が合意して、儲けるつもりで参加する。結果的に儲からず、大部分のひとは被害に遭う。


「不幸から逃れられる」と騙す霊感商法

霊感商法の場合は、ネットワークは存在せず、ターゲットとされた顧客が、本来なら買わなくてもいい商品をつぎつぎ高額で買わされてしまう、というやり方である。

なぜ買わされるのか。統一教会(*)の信徒がチームをつくって、顧客の心理をたくみに操り、どうしても商品を買わなければならない心理状態にさせてしまうのである。

顧客は、統一教会の信仰を持つわけでも、その世界観をシェアするわけでもない。売り手が統一教会であることを、そもそも知らないかもしれない。しかし、先祖の祟(たた)りだとか、本人が理解できる不幸の原因を吹き込まれて、それを逃れられるならばと、商品を買う。あるいみ合理的に、非合理な行動をしているのである。

対する売り手のチームは、相手を騙しているという一致した認識を持っている。そして、統一教会の信仰を共有している。統一教会は資金が必要だ。資金を集めるのは正しいことだ。だから教団の任務として、また、信仰を持つ者の義務として、チームとして行動する。そのためのマニュアルもある。売り手のチームの人びとも、合理的に行動している。

この組み合わせが霊感商法だ。

霊感商法は、マルチ商法と違って、どこまでも自分で拡大していくメカニズムを持っていない。代わりに、つぎつぎ獲物となる顧客を見つけなければならない。反社会的な販売方法なので、社会問題となる。そして、早晩、行き詰まる。

*正式名は世界基督教統一神霊協会。いまは、世界平和統一家庭連合と名前を変えている。新聞などは「旧統一教会」と表記するが、本稿では歴史を尊重して、統一教会(Unification Church)と呼ぶ


自分や家族中心の世界から、外の世界へ

そもそもなぜ、多くの若者が、こうしたカルトの一員となるのだろうか。

それは、若者が若い時期に共通に経験する、精神世界の形成と世界観の獲得に関係する。

子どもは家族の一員として育ち、家族に依存している。

次第に、友人との社会関係に、軸足を移す。仲間に受け入れられるかどうか。はじめはおっかなびっくりだ。そして、仲間との結束を優先し自分を犠牲にすることができるなら、このプロセスは完成する。そして、それを経由して、最終的には、

自分(自分の世界)――家族――社会集団(仲間の世界)――世界(世界観)
という精神世界の広がりを手に入れる。これが大人だ。

日本の学校では、部活やサークルが大きな意味を持つ。子どものころからの世界を打ち破る社会集団として大事なのだ。部活には、甲子園やインターハイなどの目標がある。その目標に、かなりの時間とエネルギーを使って、みなで献身する。自分や家庭を中心にした世界を乗り越え、社会的な能力を手に入れる。


卒業できないカルト宗教の有害性

部活やサークルは害が少ない。卒業してしまえば、解放される。それに経済や政治や宗教と切り離されている。どんな経済活動をするかは、本人の就職の問題。どんな政治思想や宗教を選びとるかは、本人がどんな世界観を身につけるかの問題である。

学生運動も、部活やサークルと似たところがある。学生運動は、政治と関係あることになっている。けれども卒業し、就職してしまうと、たいてい学生運動と関係なくなる。

統一教会のようなカルト的な宗教団体は、これと異なる。第一に、卒業がない。いったん加入すると、離脱しない(できない)仕組みになっている。第二に、資金集め(経済活動)をさせられる。社会的な非難を浴びるかもしれない。第三に、宗教団体は特有の世界観を持っている。それを受け入れることが求められる。要するに、青年期に必要な社会集団(仲間の世界)も世界観もいっぺんに与えられて、当人の半生を包み込んでしまうのである。

カルト的でないふつうの宗教は、こうしたことがない。ふつうの宗教は、経済とも政治とも無関連化されている。その宗教を選び取って、世界観に組み込むとしても、経済や政治やそれ以外の領域を、自分の考えによって組み立てなければならない。つまり、害がない。


標的となるのはまじめで知力の高い若者

ではどんな人びとが、統一教会に引き込まれるのだろうか。

きっかけは、街頭のアンケート調査とか、友達にビデオ・セミナーに誘われたとか、いろいろであろう。総じて言えば、統一教会に引き込まれるのは、まじめで知力の高い若い人びと、つまりごくふつうの人びとである。

統一教会は、性にこだわり、性が堕落と罪の始まりであるとし、純潔を強調する。消費社会の爛熟(らんじゅく)や歪んだ性文化に眉をひそめるタイプの若者は、この教えに共感を覚える。また統一教会は、聖書の解釈というかたちで、体系的な世界観を提供する。キリスト教や聖書になじみのなかった若者は、キリスト教っぽい外見を真に受けて、その教義を受け入れてしまう。

統一教会は、部活やサークルのノリがある。信徒を増やすことは、組織の目的でもあり信徒の実績にもなるので、みなとても親切だ。有田芳生『改訂新版 統一教会とは何か』(2022年、原著は1992年)は、献身(専従者となること)してニセ募金や霊感商法に日々を送った当時の、元信徒の日常を生々しく描いている。


統一教会の技法は「洗脳」とまでは言えない

アメリカでキリスト教系カルトの反社会的事件が問題になり、教団から連れ戻した若い信徒を「脱洗脳」する専門家が現れた。キリスト教の牧師やソ連の洗脳の技術に詳しい臨床心理学者らである。

カルト宗教が人びとを信じさせるのが洗脳なら、信じさせられた人びとに責任はない。でもそのかわり、信徒であった当時の人格は、本人の人格と認められないことになる。これはこれで、辛(つら)いものがあるだろう。

統一教会の場合、人格改造セミナーのような技法を使うとは言え、洗脳であるとは言いにくい。それは、宗教の枠内にとどまっており、本人の納得と同意にもとづいて、教団の活動に従事させている。本格的な洗脳の技法で、本人の人格を操作しているとまでは言えない。

それなら、統一教会の反社会性は、どこにあるのか。


信徒は文鮮明が主宰する世界に閉じ込められる

それは、統一教会が、「地上の神の王国」という、経済と政治と宗教にまたがる閉じた世界観を提供し、その内部に信徒を閉じ込めるところから生まれている。

先の図式で言えば、統一教会が提供するのは、社会集団(仲間の世界)=世界(世界観)という閉じた世界であり、その世界を、再臨のメシア(文鮮明)が主宰している。信徒はそこで、生きる意味と価値を与えられる。よってそこから、抜け出すことができにくくなる。

この閉じた世界は、信徒から、時間とエネルギーと金銭を吸い上げる。信徒がそれを提供しておかしいと思わないのは、そうした貢献は、意味があり、価値があり、「地上の神の王国」を実現させるためである、と信じるからだ。「地上の神の王国」が実現するなら、そうした努力と献身は報われる。「地上の神の王国」は、甲子園やインターハイが大がかりになったようなものなのだ。


時間とエネルギーと金銭を収奪するメカニズム

統一教会は、大規模で体系的な収奪のメカニズムをこしらえた。とくに日本で。

これは、周到に計画されており、反社会性が高い。カルトの条件にもぴったりあてはまる。それがどんなメカニズムなのか、整理してみよう。

収奪の第一。信徒の時間とエネルギーと金銭をいくらでも提供させる。

なぜ統一教会の信徒は、時間やエネルギーを教団に提供するのか。それは、メシアが到来して、まもなく神の王国が建設される、と信じるからである。

人間は、信仰のため、あるいは自分の信じる価値のため、時間とエネルギーを用いる。それなりの金銭も提供する。当たり前のことである。

統一教会の場合、それが極端である。学校をやめ仕事をやめ、すべての時間とエネルギーを提供することが望ましいとされる。実際にそうする人びとも多い。それは、望ましいだけではなく、義務である。

なぜなら、神の王国は、神が100パーセント自分の手で建てるのではなく、人間の協力と献身も必要だからだ。人間の力が合わさらないと、この世界は完成しない。文鮮明の主要著作『原理講論』の説く神学である。だから時間もエネルギーも金銭も、自分の持てるすべてを投入する。その見返りは、信仰をまっとうしたという満足感だ。

統一教会が信徒に求める信仰と献身は、度を越している。信徒が通常の社会生活を送るのをむずかしくする。家庭や社会にマイナスをもたらす。カルトの定義に、ぴったりあてはまる。収奪なのは明らかだろう。


ワゴン車で農村を巡るニセ募金キャラバン

収奪の第二。一般市民を騙して金銭を収奪する。

統一教会は、金銭をかき集めようという要求が、ほかの新宗教と比べてもケタ違いに強い。ノルマを信徒に割りあてる。集金のための活動も組織している。有田芳生『改訂新版 統一教会とは何か』から紹介しよう。

ニセ募金の場合。……信徒数名がチームとなって、ワゴン車で寝泊まりしながらキャラバンで農村を回る。身元を明かさず、適当な慈善募金の名目で、1軒ずつ署名を集めて回る。地図をもとにルートを決める。村外れの家から始め、1000円を寄附してもらえると、あとは横並びで寄附してもらえる。集まった募金は大部分を教団に上納する。自分たちの食費にもあてる。ごく一部は寄附されるかもしれない。信徒は朝から晩まで、ほとんど寝る間もない。

ほかに、珍味販売などのキャラバンもある。その日のノルマに達しないと、夜は繁華街で遅くまで販売を続ける。

霊感商法の場合。……印鑑展や壺・多宝塔の展示会でゲスト(犠牲者)を集め、ビデオ・セミナーのあと霊界を信じるか、貯金の額などを聞き出す。トーカー(霊能師役)、ヨハネ役(先生を証(あかし)する役)、などと手分けをして、ゲストを説得する。先祖の因縁などと言いくるめるのだ。1000万円以上の貯金があるゲストをS客といい、なかには1億円出すゲストもいた。


「罪を犯した日本が献金するのは当たり前」

収奪の第三。日本から韓国に送金する。

統一教会の活動資金の大部分は、日本から韓国への送金でまかなわれた。最盛期には毎年1000億円。数百億円だった時期も長かった。それらすべては、日本の信徒の献身と、被害者の犠牲によってまかなわれたのである。目標どおりに資金を集められれば、統一教会の専従職員は上司に評価されただろう。

このほか合同結婚式に参加する際にも、50万円とか150万円とかの現金を持参するようにとも言われる。

日本はエバの国だと、『原理講論』に書いてある。だから、献金するのは当たり前なのである。韓国の人びとの歴史認識にも合っている。


潤沢な活動資金を稼ぐ三段ロケット

以上をまとめると、こうなる。

A 信徒の時間とエネルギー(無償労働)



B 一般市民の金銭を巻き上げる(集金マシン)



C 韓国へ送金する(送金マシン)

全体は、三段構えのロケットになっている。

第一段(A)は、信徒の無償労働でまかなわれている。ビジネスで言えば、賃金を支払わないのだから、売上げがそのまま収益になる。丸もうけである。第二段(B)は、その燃料(信徒の無償労働)をなるべく効率的に、現金に変換する。それは、一般市民を騙して金銭を巻き上げることだ。第三段(C)は、韓国への送金。送金された潤沢な資金は、統一教会の関連企業に投資されたり、政治工作資金になったり、そのほかの活動資金になったりするのだろう。


ふつうの人が集金マシンの歯車になっている

日本のメディアはしばしば「霊感商法」(だけ)を、統一教会のスキャンダルとして取り上げる。社会常識にも道徳にも反する、と。それはそうだが、霊感商法(B)を、全体の文脈のなかに置いてみなければならない。そもそも霊感商法は、信徒が組織的に行なう活動である。信徒は「正しい」と思って、この活動に従事する。信仰とその世界観が、それを可能にする。

霊感商法の個々の手口が悪質かどうか、が問題なのではない。ふつうの人びとが統一教会の信徒となることで、こうした組織活動(組織犯罪と言ってもよいレヴェルである)に積極的に参加し、この集金マシンの歯車となることのほうがずっと問題だ。

そして、このような集金マシンが日本国内で大量の資金を調達し、それを毎年韓国に送金していること(その一部は、北朝鮮に流れているかもしれないこと)が、ほんとうの問題だ。

かつてこの問題を、当局が調査しようとしたとき、「政治の力」が働いてストップさせた。その「政治の力」(当時の自民党首脳)は、国益と社会正義に害をなすきわめつきの犯罪者だと言わなければならない。

---------- 橋爪 大三郎(はしづめ・だいさぶろう) 社会学者 1948年神奈川県生まれ。大学院大学至善館教授。東京工業大学名誉教授。77年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『皇国日本とアメリカ大権』(筑摩選書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)など著書多数。共著に『ふしぎなキリスト教』(大澤真幸との共著、講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)、『おどろきのウクライナ』(大澤真幸との共著、集英社新書)『中国共産党帝国とウイグル』(中田考との共著、集英社新書)など。 ----------



・「カルト権力」とは何か…青木理が安倍銃撃「以前」「以後」に書いたこの時評は日本人必読である(現代ビジネス 2023年3月27日)

青木 理

※「闘うジャーナリスト」青木理氏が注目すべき新著『カルト権力』(河出書房新社)を刊行した。「公安、軍事、宗教侵蝕の果てに」というサブタイトルが付けられたこの一冊、青木氏によれば、《カルト宗教に深々と侵蝕されていた為政者の長期執権下、この国の政治が治安機関や軍事偏重へと異様に傾斜し、それを推し進めた政権自体が一種のカルト臭さえ帯びた危険な復古性、反動性に蝕まれていたことが浮かび上がってくるはずである》。

安倍元首相銃撃事件「以前」と「以後」に書かれた、日付のある論考で構成される本書から、いまの権力のカルト性を読み解くためのキモとなる2篇を特別にお届けする。


※統一教会「空白の30年」の教訓

空白の30年──そんな言い回しを最近よく聞く。現在は世界平和統一家庭連合と名称を変えた旧統一教会を長年追及してきた前参院議員でジャーナリストの有田芳生氏が発した言葉らしい。教団の反社会性など以前も今もさほど変わらないのに、30年の長きにわたって社会やメディアが関心を失い──もっと正確に言えば、払うべき関心を払わずに被害が継続し、元首相が白昼銃殺される事件まで引き起こされたのではないか、と。

なるほど、事件を機に政治問題化した旧統一教会については、ある世代から上の者なら強烈な警戒心を抱くが、同じメディア界で禄を食む者でも若年層は知識さえほとんど持っていないだろう。80年代に学生生活を送り、90年に通信社の記者としてメディアの仕事に関わりはじめた私は明らかに前者の、しかしその末端の世代に連なる。大学時代には教団の学生組織・原理研が学内で怪しげに活動し、その危険性が各所で警告されていた。霊感商法や合同結婚式といった教団の異様な活動も盛んに報じられていた。

教団との関係で私がいまもピンと反応してしまうのは警察庁指定116号事件、いわゆる赤報隊事件である。1987年に朝日新聞阪神支局で記者2人が殺傷された事件はジャーナリズム界を志す者にとって凄まじい衝撃であり、記者としての初任地が大阪社会部だった私も取材の片隅にほんの少しだけ関わった。

この事件自体、最終的には未解明のまま時効を迎え、軽々に推測を語るべきではないが、しかし当初から教団の影が囁かれていた。霊感商法の糾弾キャンペーンを1986年からいち早く展開したのが『朝日ジャーナル』だったし、同じころ、故・岸信介氏ら自民党右派が展開したスパイ防止法制定運動を背後で支えているのが教団の政治団体・国際勝共連合だと朝日が報じ、教団は朝日本社周辺で激しい街宣活動を繰り広げていた。

このあたりについては、朝日で赤報隊事件の取材に長年携わった樋田毅氏の『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)に詳しい。同書は教団を匿名にしているが、教団は内部に「秘密組織」を抱えていたらしく、兵庫県警も「重要な捜査対象」と捉えて詳細な捜査報告書を作成していた。

私自身は、90年代半ばに公安警察を担当していた際の記憶が忘れられない。警視庁公安部が旧統一教会を組織的に調べ始めた──そんな情報を耳にした私は動向を注視したが、間もなくその動きはピタリと止まった。理由を尋ねると、公安部の幹部はこう漏らした。「政治の意向だ」と。

この件はほかの所でも記したが、有田氏もほぼ同じ時期、同じような情報を耳にしていたという。公安警察が当時、どのような角度で斬り込もうとしたかは判然としないものの、もしあの時に大々的な捜査のメスが入っていれば果たしてどうだったか。

少なくとも悪質な活動に歯止めはかかり、被害の拡大や継続は抑えられた。ならば、教団への恨みを募らせる者は消え、元首相の銃殺事件は起きなかったかもしれない。さらに想像をめぐらせれば、戦後史の闇になった事件の蓋も開けられたのではないか――これは二重、三重の「もし」を積み重ねた妄想に近いものではあるが。

いずれにせよ、以後の30年、私たちはたしかに「空白」の時を過ごしてしまった。ならばせめてこれ以上の被害を生じさせぬよう、政治と教団の怪しい蜜月は断固として断ち切らせねばならない。それが「空白」の教訓であろう。


自称愛国者の薄っぺらな仮面

どうにも解せないでいる。いや、解せないというより、物事の本質が見事に露になってしまったと書けば、やはりこれは皮肉と受けとられてしまうだろうか。

憲政史上最長の政権を率いた元首相が白昼銃殺されて間もなく3ヶ月。その政治スタイルや所作振る舞いからアンチが相当数いるのは当然にせよ、彼を熱心に持ちあげていた人びと、熱烈に支持していた人びとは、いったいいま何を考えているのか。なぜ事件の原因を徹底解明しようとせず、解明せよと叫び声を上げることさえせず、嵐が通り過ぎるのを待つかのようにただ首をすくめているのか。

すでに報じられている通り、元首相を銃殺した男は、カルト教団に人生を破壊された遺恨が犯行の動機だと供述し、メディアの関心は政治と教団の関係に集中している。

なるほど、たしかにこの国の戦後政界の一部はそのカルト教団と怪しい蜜月を築き、まるで共依存のような関係を続け、それが教団の活動に一種のお墨つきを与え、近年は元首相がその中心的存在の1人だったのは間違いないらしい。

だから、真摯に考える。元首相はいったいなぜ、殺害されてしまったのかを。この国の憲政史上最長の政権を率いた元首相が白昼銃殺されるという重大事は、いったいなぜ起きてしまったのかを。

もちろん、警察の警備の手抜かりといった直接的な瑕疵も見逃すことはできない。それはそれとして徹底検証が必要な課題であり、すでに警察庁長官らが事実上の引責辞任に追い込まれてもいる。

しかし、根本的な要因にまで眼を凝らせば、元首相を殺そうと思い詰めるまでに1人の男を追い込んだカルト教団の反社会性に行き当たる。しかもカルト教団によって苦悶の底に突き落とされたのは決して彼1人でなく、現実には何百、何千、何万もの被害者が存在することも私たちはあらためて知らされた。さらにいえば、そのカルト教団の実態が極度に反社会的なだけでなく、相当に“反日的”な教義を内部に抱えていたことも──。

ならば、反省すべきは反省し、同時に腹の底から憤らなければならない。野放しにされたカルト教団によって夥しい数の被害者が生み出され続け、ついには元首相が銃殺される重大事件まで引き起こされてしまったことを。


嵐が過ぎるのを待つ者たちへ

元首相の政治思想や政治姿勢には微塵も賛意を覚えなかった私ですら憤りを抱くのだから、元首相の姿勢や各種政策を高く評価し、再登板すら望んでいた者たちは、その元首相が理不尽に殺されてしまったことを心底嘆き、強く憤り、猛り、その原因となったカルト教団に満身の怒りをぶつけて当然ではないのか。

なのに、現実はどうか。元首相をひたすら称揚して追随していた者たち――特に政界の追随者たちは、教団との関係を追及されて自らに火の粉がかかるのを恐れ、まさに嵐が過ぎ去るのを待つかのように首をすくめているのみ。一部の追従者は教団との関係をメディアに追及され、「知らなかった」「指摘されて初めて知った」などとトボけるだけ。

バカを言ってはいけない。票集めのために動員されたポッと出のタレント議員の類ならともかく、当選回数を積み重ねたベテラン議員があのカルト教団とその本質を知らなかったはずがない。

いや、もし本当に知らなかったというなら、自らの不明を心から恥じ、自らが称揚した元首相の死を嘆き悲しみ、その命を奪う原因となった教団に全力の怒りをぶつけて事態の解明に全霊を傾けるべきではないのか。

だが、自らの過ちも含めてすべてを明らかにし、身を投げ打って教団を追及しようと声を上げる者は1人たりとも出てこない。結局のところ、彼ら彼女らの本性はその程度だということなのだろう。

自らが称揚し続けた政権の主が銃殺されるという決定的重大事を前にしても、悔い改めることもなく、憤りを露にすることもなく、政治生命を賭けて真相の解明と教団の追及に全力を傾けることもなく、カマトトぶって嵐の過ぎ去るのを待つ。国の誇りとか、国を愛せとか、国民の生命を守るのが政治の使命などと常日ごろは勇ましいことを口にしていても、いざとなれば我が身の保身と政治的打算が第一。今回の歴史的重大事件は、そういう自称愛国者たちの薄っぺらな仮面も無惨に引き剥がして見せた。


・<宗教票が日本を破壊する!>統一地方選「都道府県議の300人以上が統一教会と関わりがあり、その8割が自民党」という事実をどう見るか(集英社オンライン 2023年3月28日)

※安倍晋三元首相暗殺を機に、統一教会が自民党に深く食い込んでいる実態が明らかになった。すでにこの問題の報道は下火になっているが、宗教社会学者・橋爪大三郎著『日本のカルトと自民党』では、カルトの正体を見極め、もう一度原点に立ち返って政治と宗教の関係を考え直すべきだと説く。数十年にわたって統一教会をはじめカルトの実態を取材し続けてきたジャーナリスト・有田芳生氏と橋爪氏との対談をお届けする。


※日本に欠けているカルト教育

有田 橋爪先生とお会いするのは28年ぶりです。1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きて、日本の報道はオウム事件一色になりましたが、そのテレビの仕事で橋爪先生と一度だけ同席する機会がありました。私のように現場をドタバタ回っている人間から見ると、蓄積された学問に基づいての事件分析は非常に印象深かった記憶があります。

橋爪 前回も今回も大きな事件があって、お会いすることがいいのか悪いのか(笑)。でもお話を聞けるチャンスを心待ちにしておりました。

有田 今度の本は、生長の家、日本会議、統一教会についての分析だと伺っていましたが、実はゲラを読んでびっくりいたしました。序論で書かれた「カルト原論」、この内容が素晴らしかった。カルトとは何か、なぜ危険なのか、それが歴史的な検証を含めて非常にわかりやすい文章で端的にまとめられている。31年前の桜田淳子さんなどが参加した合同結婚式のときの統一教会の報道、そして28年前の地下鉄サリン事件の報道、そこから日本の社会は何を学んだのかと今でも強く疑問に思っているんです。オウム事件を機にフランスでは、2001年に反セクト法というカルト問題に対処する法律ができました。それをきっかけにフランスは中学生レベルからカルト教育を学ぶ社会になっていったと思います。

ところが、日本は今もそれがないままに来ている。じゃあ、具体的に日本でのカルト教育にはどういうテキストが必要だろうかと考えたときに、橋爪先生の今回のカルト原論を読んでまさにこれだと思いました。カルトというものをわかりやすく国民に知らしめる。特に若い人たちに知ってもらう。こういう本は私が知る限り皆無に等しかった。この内容こそ中学生レベルから学ばなければいけない。そのためにも学校、図書館、そして各家庭にもぜひ普及してもらって、多くの人に読んでほしいというのが、私の率直な感想です。そのくらい衝撃的でした。

橋爪 大変意義深く受け止めていただいて感謝です。宗教絡みの事件が起きると、日本人はみんな首をすくめてしまうんです。巻き込まれずに通り過ぎればいいやと。なぜかといえば、しっかり信仰を持って、信仰を選んでいる人が少ないからです。宗教と距離を置いて、最初からうさんくさいものだと思っている。これはこれで問題です。事件を起こした宗教とそうでない宗教をきちんと区別して、問題をピックアップするべきなのに、宗教だからいけないという結論で、いい大人が思考停止になってしまう。それは日本のためにも困ったことだし、本人のためにもならない。

それでわかりやすくウイルスに譬えた。ウイルスはどこにでもいて根絶はできないが、その中に伝染性が高く害毒をもたらすウイルスがいる。それがカルトである。その悪さをする部分を何とかすればいい。ワクチンもあるし、いろいろな対処法がある。宗教も同じだということです。

有田 はい。しかし日本の場合、ワクチンどころか何も対処策が講じられていない。オウム事件をきっかけに、確かに宗教法人法の一部は改正されましたが、創価学会をはじめ既成の宗教団体の強い反発にあって、結果的に新しい法律的な進展はほとんどなかった。今回も、統一教会問題で、昨年末に被害者救済法という新しい法律ができましたが、やはり創価学会の方々の反発もあって、ほとんど効果のない中途半端なものになっています。


犯罪以外、宗教は法律で取り締まれない

橋爪 問題を起こす宗教が出てきたときにどうすればいいか。法に触れて犯罪行為を行っていれば、それは検察、司法の問題です。既に存在する法律を根拠にして、外形的にこれが違法だ、あれは犯罪だとやるしかない。でも、カルトはそういうふうに対応できるものだろうか。

役人は、刑法ではなく別の法律によって変な宗教を取り締まろうという発想になりがちですが、これは間違い。変な宗教に対しては、それを見つけて、拒否して、社会から排除するのは、健全な良識を持った市民の常識。これが正しい対処の方法です。一方で、人間には信仰の自由がありますから、「ちょっと変わっていても私はいいと思うので信じます」という人がいても止めることは難しいし、止めなくていいと思う。犯罪にならないなら、少し変な宗教を信じるのは自由の範囲です。その変さを社会が認識して、一握りの人にとどまっていれば、実害はそんなにない。

私が問題だと思うのは、役人が法律で何とかしてくれるんじゃないかと、普通の市民はぼんやりして、態度をはっきりさせないでもいいと思っている点です。だから態度をはっきりさせるために、この本を書いた。奇妙な宗教の奇妙な点はここですよと具体的に言う。統一教会はここが変です、日本会議はここが変ですと指摘すれば、態度が決まりますね。病原性の高いウイルスに対しては、普通の市民が見識をもって見極め、はっきり拒絶する態度を取る。まずはそれが必要です。

有田 なるほど。オウム事件のあと、大江健三郎さんが『宙返り』という小説を書いたのですが、その中に、ユダヤ教のメシアの話がありました。その人が宙返り、つまり転向してイスラム教徒になるわけですが、そこまで変節すれば信者たちは逃げてしまうだろうと思っていたら、イスラム教としてトルコからアジアへと広がっていったと大江さんが書いていらした。今の先生のお話を聞いて、人間の心に関わる問題というのは、法律で抑えることができないということがひとつの私の感想でした。

もうひとつ頭に浮かんだのは、安倍晋三元首相銃撃事件を起こした山上徹也被告のお母様のことです。テレビのコメンテーター、弁護士の中に、お母さんそんな宗教はもう脱会しなさいと言う人たちがいるんです。もちろん統一教会には霊感商法とか問題はありますが、そのお母様は、自分の夫が自殺をし、さらには長男が病気を患って、心の救いを求めて入信したわけで、犯罪に加担しなければそのこと自体は自由だと思うんです。ですから、他者がその信仰をやめろというのは、私にはとても違和感がありました。

橋爪 寄附をし過ぎたわけでしょう。もし寄附を強制しているとすれば、それは教団の問題であって、お母様の問題ではない。だから、何も言えないというのが日本国憲法の考え方だと思います。


創価学会-公明党の関係は憲法違反ではないのか

有田 その日本国憲法とのつながりで、創価学会と公明党の問題をどう考えるかをお聞きしたい。政教一致で創価学会を国教化するのは当然憲法違反であるという認識はありますが、政教分離という原則の中で、宗教活動がどこまで政治に関わっていいのか。これは統一教会問題での講演でものすごく頻繁に質問されることです。

橋爪 宗教団体と政府、特に選挙の関係は重要なこととして本にも書きました。選挙とは、国民、市民が政治的な意思決定を表明するほぼ唯一の機会で、主権者である国民の権利、そして義務です。その市民の投票の原則は、一人一人が自分の良心と見識と理性をもって、立候補している候補者の中でこの人がよいと思った人に投票する。無記名秘密投票なので、結果責任は問われない。しかし、投票の結果は全部自分に返ってきますから、最善の努力を尽くして、個別に投票するというのが正しいのです。これがゆるがせになったら、民主主義のミの字がもうない。

そこで、団体として組織票が存在してよいのかどうか。存在してよいのは職能に関するもの。医師とか農民とか漁業組合とかの業界団体、そういう人たちが選挙のときに利害を表明し、この候補に投票しようと申し合わせる。こういうことをしても民主主義はゆがまないのです。民主主義は市民社会の様々な利害や矛盾をいかに調整するかということですから、有権者が利害に基づいて投票するのは当然のことです。

じゃあ、何がいけないかというと、政治的な利害や政治的な決定に全く関係のない団体というのを使うのがよくない。今回のことで言うと、宗教団体です。宗教というのは、個々人が信仰を持ち、その信仰を深め合うために団体をつくっている。よい政治を望むのは自由ですが、宗教団体が政治をしてはいけない。それをすればもう宗教団体ではない。宗教団体が特定の候補者を応援したり投票することを指示したりすれば、それは即、民主主義にもとることになる。

共産党はどうか。共産党は政党です。だから、この候補者に投票しましょうと活動するのはいいと思います。共産党は政党だからです。でも、創価学会は政党じゃない。創価学会が政党をつくって、政治に関与している。これは共産党と似ているようですが、違うと思います。宗教団体が公明党をつくったという点が問題なのです。もしアメリカでこのようなことがあれば大スキャンダルですし、どこの国でも問題ですよ。

有田 すっきりして、よくわかりました。創価学会だけではなく、去年の参議院選挙では、統一教会が自民党の安倍晋三さんの秘書官をやっていた人に組織として票を集中したり、野党で言うと、立憲民主党を立正佼成会が組織として応援するという歴史がずっと続いてきています。そういうことは問題だと理解してよろしいわけですね。アメリカではスキャンダルになるということですが、何か法的な対処策はあるんですか。

橋爪 法律以前の問題で、それは市民の常識だと思います。でも、ここ数十年、福音派とかクリスチャンナショナリズムが出てきてから、その原則が少し揺らいでいます。共和党保守派に宗教組織票が投じられたり、ちょっと妙なことになっています。宗教がだんだん都市部で退潮していく中で、私たちは見捨てられている、アメリカが間違った方向に行っていると考える教会の人々が増えてきて、あたかも教会が組織した運動が特定候補を応援するような現象が出てきているんです。

有田 アメリカでも政教分離の原則が揺らいでいるんですね。日本では、もっと深刻です。創価学会や、ほかの宗教団体に対して、日本でどういうことをこれから進めていくことが必要だとお考えでしょうか。

橋爪 まず、創価学会には反省してもらって、公明党は少なくとも国会に代表を送らないようにする。昔、公明党が解散したとき、地方政治レベルでは実質公明党のままけれど、中央では新進党と合体して表に出ないというやり方を取りましたね。あの線でよいのです。大体、公明党は最初に参議院に進出したときに、衆議院じゃないからいいんだと言っていたはずですよ。参議院は良識の府で、そこに宗教代表がいるのは国民の健全な良識を反映している証だというようなことを言っていたんですから。

有田 そうです。公明党が1955年にはじめて政治に出てきたときは、地方議会でしたからね。その翌年に参議院選挙に出て当選して、そこからどんどん衆議院にまで進出していったことが問題点だということはよくわかります。

橋爪 だから、公明党、創価学会には見識や一貫した方針があるわけではない。そのときそのときに言い抜けをして、事実問題として政治勢力になってしまおうという考え方だったと疑われるわけですね。もしそうなら、日本の民主主義にとって大変よろしくない。


統一教会より深刻な日本会議の影響力

有田 もうひとつ、今度は日本会議のことを伺いたい。本の中でも指摘されていますが、日本会議が出している新憲法大綱と、安倍元首相が提唱していた自民党の憲法改正案がそっくりだということ。緊急事態条項や、家族保護条項の追加、憲法9条の見直しなど、安倍さんの考え方と日本会議の方針がぴったり一致しているんですね。私は長いこと統一教会を取材してきましたが、統一教会が日本の政治を動かしているという見方は過大評価だと思っています。むしろこの憲法改正案を見る限り、日本会議のほうが政治的な影響力は強いと思うのですが、いかがでしょうか。

橋爪 集票力、政治への影響力ということで言えば、一頃の日本会議のほうがずっと大きかったと思います。日本会議は、谷口雅春という宗教家が創始した生長の家が母体なのですが、復憲論、つまり帝国憲法に復帰しましょうというのが谷口さんの考え方。その谷口さんが引退して、政治運動の実務部隊が生長の家の事務局を原点にしたグループ、集票構造を作った。それが日本会議です。そこで反発を招きやすい「復憲」ではなく、改憲として、復憲案に近いことをバラバラと箇条で提案していく。このやり方が安倍さんの考えとぴったり一致したのだと思います。

有田 私もそう思います。第一次安倍政権で新しい教育基本法ができて、第10条に家庭教育というものが入った。それをてこにして、2012年12月に、熊本県が初めて家庭教育支援条例を制定し、さらに鹿児島、静岡でも同様の条例ができて全国各地に広がっていきました。だけど、その実態を調べてみると、この条例の創案者は、国際勝共連合の熊本県本部の責任者なんですよ。彼らは前から家庭教育支援条例をつくって、各家庭に道徳の時間をつくろうなどと提唱していた。そこだけを見ると、統一教会がすごい力で日本の政治を変えているように見えますが、私はそれを過大評価だと言っているんです。もともと生長の家のメンバーの高橋史朗さんなどは、1970年代から統一教会系の機関誌にも常連執筆者として出ていて、統一教会の提唱はその受け売りだと私は見ています。

橋爪 統一教会と生長の家、日本会議は、別系統ですから関係がないと言えば関係ないです。でも、戦術面で一致できるところはあって、もしかすると共同戦線を組んだのかもしれない。社青同と中核派みたいな感じですか。政治の世界は、一致できるところは一致して合同したほうがパワーが強くなるので、そういう論理は働くと思います。

有田 1985年当時、天皇奉祝運動が活発に行われているときに、この間お亡くなりになった一水会の鈴木邦男さんなどが、国際勝共連合、統一教会は愛国団体ではない、非常に極端な韓国ナショナリズムなのだと厳しく批判して、右翼団体の人たちが、天皇奉祝運動から勝共連合を追い出したことがありました。けれどこの30年間、ほとんど統一教会に対する監視の目がなくなっていたことで、最近ではまた統一教会の古参信者が、堂々と演説している。そういう意味で、この統一教会と日本会議、生長の家との政治的な関係など、先生の今度の本で理解が広がってくれれば、統一教会への監視の目もより強化されていくのかなと思います。


統一地方選挙を前にはっきりさせるべきこと

橋爪 統一教会の政治力を過大評価することはないという点は、おっしゃるとおりだと思いますが、その危険性を看過してはならないですよ。

統一教会は、ウイルスで言えば、生長の家や日本会議よりも毒性がずっと強いんです。ひとつは、メシアが現にいるという考え方です。メシアは政治権力より上にいるものです。統一教会の言い方だと、イエス・キリストがメシアとしてもう一回韓国人に生まれて、神の王国を地上で建設するという話でしょう。

有田 はい、信者はみんなそう信じています。

橋爪 つまり、信者は神ではなく、彼に従わなきゃいけない。これはもう普通のキリスト教ではなく、完全な権威主義的体制になるはずです。

聖書に即して言うと、神は完全ではない。神は世界の設計図を95%までアレンジするけれど、最後の5%は人間の努力だと言っている。つまり、人間のできることを最大限やっても、最後は神のおぼしめしで、努力してもうまくいかないことはあるし、努力しなくてもうまくいくことはある。これがキリスト教の普通の考え方です。

ところが統一教会に言わせると、うまくいかないのはサタンの罪に侵されているあなたが悪いということになる。その罪をあがなうには、どうすればいいか。うそをついてもいいから偽募金でお金を集めなさい、相手をだましてもいいから霊感商法でお金を集めなさい、ただ働きでも代議士の事務所に行って選挙を手伝いなさいなんですよ。そうやって根こそぎに人々のエネルギーとお金と資源、ありとあらゆるものを動員できる。

こうやってかき集めたエネルギーが、落ち目でエネルギー不足の自民党にとても役に立っている。この持ちつ持たれつです。取りあえずは、統一教会から自民党への一方的贈与です。一方的贈与は、贈与された側に義務感を生むんです。その借りをつくったお返しとして、講演したりメッセージを送ったりと、その団体に協力して信者を集めたり、教勢の拡大に手を貸している。私に言わせれば、統一教会は反社会的集団ですよ。

中には、何を間違えたか、政策協定まで個人的に結んでいる代議士もいる。これは国が乗っ取られる一歩手前とは言わないが、三歩か四歩手前ですよ。それなのに何の警戒もなしに危険な宗教団体と付き合っている。それが今の日本の政権与党です。これがどれだけ危険なことか、みなさんは理解しているんだろうかと、声を大にして言いたい。

有田 全く同感です。しかも、4月には統一地方選挙が全国で行われます。共同通信の調査では、昨年の11月の段階で、都道府県議の334人が統一教会と関わりがあって、その8割が自民党なんですよ。岸田文雄総理も、野党の追及があっても、建前的な答弁ばかりで、自民党の東京都連なんかは、候補者が多過ぎて調べようがないとか、神奈川県連も統一教会とは縁を切るという確認書を書かせてはいても、非常に及び腰なんですね。それだけ断ち切れない関係がもうできていると私は思っていますが。

橋爪 多分そうでしょう。ではどうするか。国会に責任があるのは、民主主義の原則からして理の当然のことですから、国会に対して市民が声を上げる。マスメディアが声を上げる。機会あるごとに声を上げる。そういうものなんだと思う国民が少しずつ増える。これがまず第一です。

有田 私もいろいろと働きかけてみます。

橋爪 お願いします。今度の選挙で何人立候補するか知りませんが、全員にマスメディアから、あなたは統一教会と関係ありますか、関係あるとしたら何と何かと聞く。関係ないと答えたら、もし当選した後でその事実が明らかになった場合は責任取れますかと、そういう質問状を作る。これを新聞社が個別にやると大変だから、理想的には、新聞協会が各社連名で統一の質問状を選挙前に作成して、立候補届出と同時に候補者全員に送るべきです。

有田 いい案だと思います。当選後に関係が明らかになったときは、約束通り責任を取ってもらう。

橋爪 過去のことは何食わぬ顔をしてしらばっくれても、今後は危ないから関係を断つしかない、リスクが大き過ぎると自民党議員が思えば、目的は果たせる。そうして市民もメディアも全力で日本の民主主義を守る。反社会的カルトに対するには、それしかないと思います。

*統一教会(世界基督教統一神霊協会)は、現在は、世界平和統一家庭連合と名前を変えています。新聞などは「旧統一教会」と表記しますが、本稿では歴史を尊重して、統一教会(Unification Church) と呼ぶことにします。


・宗教とカルト 誰もがその当事者(毎日新聞 2023年1月8日)

鈴木英生

※昨夏来、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題に絡んで、宗教を人権を侵害し公共の福祉に反する破壊的カルトと同一視し、「アブナイものは遠ざけるべし」と言わんばかりの議論を見かける。

宗教とカルトは重なる面もあるが、そもそも概念の位相が違う。

実は、この社会全体がどちらとも広く浅く関係している。この間に取材した宗教学者や宗教者の分析から考えたい。


「無宗教」なのに宗教で忙しい私たち
 
日本には、「自分は無宗教」と信じる人が多い。NHKの調査(2018年)で、「信仰心がある」人は26%に過ぎない。なのに、67%の人が仏壇を拝む。葬儀は仏教式が一般的だし、観光地では寺社を参拝して、さい銭も出す。お守りのひとつくらい持っている方が普通だろう。

初詣に行かない人は珍しい。クリスマスを筆頭にキリスト教行事も定着している。スピリチュアルブームやパワースポット巡りなど新たな宗教的文化もある。多くの人が、「宗教を信じない」のに宗教的な行為や行事で忙しい。なぜ、こうなったのか。

岡本亮輔北海道大准教授らの議論で整理する。岡本准教授は、日本で支配的な宗教像を「キリスト教モデル」と呼ぶ。

このモデルの宗教では、体系的な教義を軸にした教団に信者が所属する。信者は、礼拝や献金をし、教義を生活の指針にする。つまり、信仰と所属、行為がワンセットだ。欧米は、この「三位一体」が社会に長く浸透してきたし、イスラム圏は今もその傾向が強い。日本でも新宗教はこのタイプといえる。

日本の多数派は、明治期に宗教という概念が輸入されて以来、違う道を歩んできた。明治政府は、欧米社会の基盤がキリスト教だと気づき、同様の国家宗教を神道と仏教の統合で作ろうとした。

仏教界の一部がこれに反発。これまた欧米の政教分離論をもとに、「信仰は個人の内面の問題で、国家は介入できない」と主張した。言い換えると、宗教の信仰面だけを強調した。

結局、国家神道がすべての宗教の上に立つ「国民の習俗」として成立した。国家神道に服する、つまり神社の氏子(所属)になったり神社に参拝(行為)したりしたうえでならば、他の宗教を信仰しても構わない二重構造ができた。宗教は、いわば「わざわざ信じるもの」になった。

戦後に国家神道がなくなっても、人々が自分の宗教行為を習俗と見なす意識は残った。高度経済成長期に一部の新宗教教団は急拡大したが、その布教は世間の目から強引に映った。旧統一教会などの霊感商法やオウム真理教の事件もあり、否定的な宗教イメージが完成した。


どんな組織や集団にもカルト性はある

他方、前述のNHK調査で、困ったとき神仏に祈ったことのある人は59%、「山や川など自然に宿る神」を理解できる人は74%(「どちらかといえば」含む)もいる。

末木文美士東京大名誉教授は「きっちりした教義のない漠とした信仰が、社会で共有されている」と指摘する。「旧統一教会も、キリスト教の異端なのに日本では先祖の霊を持ち出す」。「カルト宗教」のあり方も、「漠とした信仰」に即している。

岡本准教授は「旧統一教会の問題性は、どこまで宗教固有のものか?」と問う。「ホストクラブやパチンコに依存しすぎて人生が破綻する人もいる。マルチ商法など宗教以外にもマインドコントロールはある」

もっと言えば、「世のあらゆる集団や組織に、多かれ少なかれカルト性がある」(僧侶で一般向け著作の多い松本紹圭さん)。

当然、そのほとんどは構成員をマインドコントロールする気も、必要以上に搾取する気もない。が、松本さんは「帰属意識の強調など(カルト団体と)共通する面はある」とみる。

大概の人は、家庭や職場、学校、地域などを居場所にして生きている。これらは、朝礼や合宿、飲み会など、帰属意識を再確認して結束を強める儀式や行事に事欠かない。

どんな集団や組織にも不条理な慣習や業務はつきものだが、拒否は難しい。ときに、パワーハラスメントやいじめの標的になったり、不遇な目にあったりもする。

その際、帰属意識が強すぎると他へ逃げる選択肢が選べない。居場所を失うのは、何よりも怖い。あげく精神的に行き詰まり、生きる気力を失い……。

1971、72年に「同志」14人を殺害した連合赤軍も連想する。連合赤軍は、戦後日本で宗教以外の代表的な破壊的カルトだろう。彼らのリンチは、構成員を「革命戦士」に仕立てる手段とされ、リーダーが高校時代に所属した剣道部での経験もヒントになった。

当事者だった植垣康博さんから以前、「一部の企業の新人研修などでの過剰なしごきも、私たちの事件と似た面があるのではないか」と聞いた。


宗教もカルトも我がこととして考える
 
岡本准教授は「宗教を、スポーツのように大まかなカテゴリーを指す言葉と理解すべきだ」とする。柔道も野球も水泳も登山もスポーツ。同様に、キリスト教や仏教の教団も新宗教も「習俗」も宗教だ。神仏など超越的なものを積極的に否定する人以外は、なんらかの宗教に「はまっている」。

カルト性も同じだ。程度の差こそあれ、宗教や政治、経済などの極端な団体から身近なあらゆる集団までが持つ。

宗教を自分と縁遠いものと信じ込み、破壊的カルトと混同することは、「キリスト教モデル」の宗教全般への差別につながり、宗教以外のカルト問題を見えにくくする。

多くの人は、たまたま、破壊的カルトの被害者になっていないだけだ。構造的に似た状況へ陥る可能性は、いつでもある。私もあなたも、誰もが当事者なのだ。