・憲法よりも国会よりも強い、日米「秘密会議」の危ない実態
嗚呼、これが日本の「現実」だった(現代メディア 2017年10月24日)

田原総一朗×矢部宏治

※アメリカが日本を支配する構造を解き明かしたベストセラー『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏と田原総一朗氏が、徹底議論。戦後、日本がずっとアメリカの「いいなり」であったことの理由や北朝鮮ミサイル危機の行方、さらには、日本がアメリカに核兵器を持たされる可能性について、意見を交わした。

まず、田原氏が着目したのは、在日米軍の特権が認められた、不当ともいえる日米地位協定だった――。


日米間で結ばれた密約

田原: 最初の最初から、おうかがいしたいんですが、そもそも矢部さんが日米地位協定に関心をお持ちになった理由は何ですか?

矢部: きっかけは、2010年に鳩山由紀夫政権が「何か、わけのわからない力」によって退陣したことです。問題は沖縄の米軍基地にあるらしいというので、私は沖縄の基地すべてを撮影する書籍の企画を立て、写真家と二人で沖縄に撮影に行ったのです。ここがスタートですね。

田原: なるほど。鳩山首相が辞任せざるを得なくなったと。それは一般的に、普天間の移設先を辺野古ではなく「最低でも県外」と言ったことに起因していて、鳩山さんはどうも徳之島をその候補として考えていたらしいけど、その徳之島がダメになった。

それで結局、アメリカと交渉して辺野古を認めざるを得なくなり、沖縄を裏切るかたちで鳩山さんは首相を辞任したわけですが、矢部さんが沖縄を訪れて最初に「これは大変なことだ」と思ったのは、どういう点でした?

矢部: 沖縄では、米軍機が民家の上を低空飛行していたことですね。ものすごい低空飛行をしていますから。

田原: アメリカ国内ではもちろん、沖縄でも米軍の宿舎の上を米軍機は低空飛行しない。ところが、日本人の民家の上は平気で飛んでいる。

矢部: その区別がわかったのは撮影後、かなり経ってからなんですけれど、要するにアメリカ人の人権は守られているのに、日本人の人権に関しては一切ケアされていません。

それはなぜかというと、日本には航空法特例法というものがあり、米軍機は安全基準を守らなくても飛行できることになっている。ですから、米軍住宅の上は飛ばないけれど、日本人の住宅の上はいくら低く飛んでもいいという、ものすごくグロテスクな状況が起こっているのです。

田原: 今回矢部さんの出した本の8ページには、たとえば「アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる」と書いてある。

しかも、「日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない」ということが、なんと外務省が1983年12月につくった高級官僚向けの極秘マニュアルに記されている、と。

これ、どういうことなんですか? まあ占領下ならともかく、なんで戦後40年近く経った1983年の段階で、こんなことが通用したの?

矢部: それが今日、本当に説明したかった点なんです。1952年にできた日米行政協定が改定されて1960年に日米地位協定となったのですが、この地位協定をよく読むと、アメリカは日本国内の基地と区域の使用を許可されると書いてある。

さらに米軍は日本国内の米軍基地や区域に出入りし、その基地と基地や、それらと日本の港や飛行場との間も自由に移動できるという特権についても、記されています。

田原: だけど、これについてはね、1951年に締結された最初の吉田安保はこのとおりだったんですよね。でも、1960年に改定された岸安保では、事前に日本政府と相談をしてOKを得なきゃダメだっていうふうになったのでは?

矢部: そこで出てくるのが、改定のウラで結ばれていた密約なんです。日本国内における米軍基地の使用と米軍の法的地位は、行政協定にかわる地位協定によって規律されると。

田原: そうすると、地位協定はできたけれども、実は52年の行政協定がそのまま続く。

矢部: そうです。それで、この密約ですね、在日米軍の基地権は、地位協定の改定された文言の下で、行政協定の時代と変わることなく続くと。

田原: これは、岸信介は知っているわけ?

矢部: もちろん知っています。

田原: 知っていて密約を結んだ。

矢部: その通りです。

田原: 岸が仮に裏があることを承知でやらざるを得なかったとしてね、現在までそれが続いているというのは、その後の総理大臣はどうしているんですか?

矢部: だから、みんな知らないんです、そうした密約を。

田原: なんで知らないんだろう?

矢部: 引き継ぎがないんです、一言でいうと。

田原: 「ない」っていったって……。

矢部: 僕もそれはびっくりしたんですけど。

田原: 官僚も言わないの?

矢部: 官僚も知らないです。なぜかというと、これは、元外務省国際情報局長の孫崎享さんがおっしゃっているんですけど、外務省でしかるべきポストに就いたとしても、ちゃんとした情報がもらえるのは、その地位にいる3年間ぐらいだけだと。その前後のことは、よくわからないというふうに証言しています。

田原: なんで調べようとしないの?

矢部: 密約について日本の外務省には、政権が変わったら引き継がなくていいという悪しき伝統があるんです。

田原: でも、守ってるんでしょう?

矢部: もちろん米軍側に文書があるから、守らざるを得ない。だからこっちは否定するけど、いざとなったら力で押し切ってくれてかまわないという「暗黙の了解」があるわけです。


東京のど真ん中で秘密会議

田原: 話は飛ぶけど、日米合同委員会っていうのがあるんですね。これ、僕は矢部さんの本で初めて知ったんだけど。できたのは……。

矢部: 1952年ですね。日本のエリート官僚と在日米軍の幹部が月に2度ほど、都内の米軍施設(南麻布にあるニューサンノー米軍センター)と外務省で行っている秘密の会議です。

ここで決まったことは国会に報告する義務も外部に公表する必要もなく、何でも実行できる。つまり、合同委員会は、日本の国会よりも憲法よりも上位の存在なのです。

田原: 合同委員会の日本側のトップが外務省の北米局長で、ほかに法務省大臣官房長や防衛省地方協力局長などがいる。一方、アメリカ側のトップは在日米軍司令部の副司令官で、メンバーのほとんどが軍人ですね。1952年にできて、まだ続いているんでしょう?

矢部: 65年間続いているんです。1600回ぐらい。

田原: 続いていることを、総理大臣は知らないわけ?

矢部: 鳩山さんは、合同委員会の存在そのものを知らなかったとおっしゃっています。

田原: 鳩山は民主党だからね。たとえば、中曾根(康弘)や小泉(純一郎)も知らなかったのかな?

矢部: あることは知っていたかもしれませんが、その実態については、知らなかったかもしれません。議事録がほとんどオープンになっていませんから。

田原: そういえば以前、石原慎太郎が横田基地の返還と日米での共同使用を訴えていたことがあった。結局うまくいかなかったけど、なんでダメだったんだろう?

矢部: 外務省がまったく協力してくれなかったと石原さんは記者会見で言っていましたけど、合同委員会の実態を見ると、外務省が交渉してどうこうなるっていう話ではないんですよね。要するに、合同委員会で米軍側が決めたら、日本側はそれを聞き入れるしかないという関係なんですよ。

田原: 実は、森本(敏)さん(元防衛大臣)に、矢部さんの本に合同委員会のことが書いてあるよと伝えたところ、彼は知っていたんです。「自分も合同委員会に出たことある」と。そこで、「なんでこんなもの変えないんだ」と尋ねると、森本さんは「それを変えようという意見がどこからも出てこないんだ」と言っていた。

矢部: 合同委員会には本会議の他に、30以上の分科委員会があるんですが、森本さんは自衛隊から外務省北米局日米安保課に出向していた時期があるから、そのころ出ていたのかもしれませんね。

ちなみに合同委員会のアメリカ側のメンバーには、一人だけ外交官がいます。それはアメリカの大使館の公使で、つまりアメリカ大使館のナンバー2なのですが、これまでの何人かはものすごく批判しています、その体制を。

なぜかと言うと、それは当たり前の話で、本来、日本政府と交渉して、決まったことを軍部に伝えるのが自分たち外交官の仕事なのに、頭越しに軍が全部決めちゃっている。これはおかしいと、ものすごく怒っているんです。

田原: 一番の問題はね、なんで日本側がね、日米地位協定にしても日米合同委員会にしても、それをやめようと言わないのかと。言ってみりゃこれは、日本はまだアメリカに占領されているようなものですよ。独立したのに。

でも、いまの体制を続けたほうが得だと思っているのかな、実は。アメリカの従属国になっていることで、安全なんだと。そのために自衛隊も戦う必要もないし。現に72年間、戦死者は1人も出なかったと。平和だったと。それで、経済は自由にやってりゃいいと。

矢部: とくに冷戦時代は、軍事的にも守ってもらえるし、経済的にも優遇してもらえるし、日本にもすごくメリットがあったんですよね。だから変えられなかったんだと私も思います。


「核の傘」に意味はあるのか

田原: 歴代総理大臣はこれまで、憲法九条を盾に、アメリカの戦争には巻き込まれないようにしてきた。たとえば佐藤(栄作)内閣のときに、アメリカが「ベトナムに来いよ、自衛隊、一緒に戦おう」と。佐藤はそれに対して、「もちろん一緒に戦いたい。ところが、あなたの国が難しい憲法を押しつけたから、行くに行けないじゃないか」と返している。

小泉のときも、ブッシュから「一緒にイラクへ来て戦ってくれ」と求められたので、「行くには行くけれども、あなたの国が難しい憲法を押しつけたから、水汲みにしか行けない」と言って水汲みに行ったの。

その一方で、山崎拓から「憲法改正しよう」と持ちかけられた小泉は2005年、舛添(要一)とか与謝野(馨)、船田(元)らに「新憲法草案」をつくらせるじゃない。

これは2012年の「日本国憲法改正草案」よりよっぽどいいと僕は思っているんだけど、山拓が「さあ、草案をつくったんだから憲法改正を打ち出そう」と小泉に言っても、小泉は「いや、郵政民営化が先だ」と。頭に来た山拓が僕に電話を掛けてきたんです。「小泉の野郎に逃げられた」と。小泉もやっぱり、憲法改正しないで、従属したほうが得だと思ったの。

矢部: 今年8月の内閣改造で沖縄及び北方担当大臣になった江崎鉄磨さんも、就任直後に地位協定を見直すべきだって発言したあと、すぐに引っ込めましたよね。

田原: 日本は「核の傘」の下でアメリカに守ってもらっている。だから、今年7月、国連で採択された核兵器禁止条約に日本は反対したし、条約の交渉会議にも出なかった。アメリカの従属国のままのほうが、安全だと思っているのかな。

矢部: いままではそうでしたけど、今回、北朝鮮のミサイル問題を見てもわかるとおり、核の傘なんて何の意味もありませんし、かえって危険だという状況はありますよね。

田原: もしね、北朝鮮が核を持てば、韓国も核を持とうとするでしょう、当然。日本も持とうとするんじゃない?

矢部: うーん。持とうとするというか……。

田原: 日本が核を持つのに、一番反対したのはアメリカなんだよ。僕はキッシンジャーに、そのことを何度か聞いたことがある。絶対反対だと。

矢部: ところが、いまはむしろ、持たされる可能性が高い。

田原: トランプがそう言ってるじゃない、大統領選挙のとき。

矢部: ですよね。1970年代にヨーロッパで起きたことですが、中距離核ミサイルを持たされて、ソ連とヨーロッパが撃ち合いの状況をつくられてしまった。でもアメリカはその外側にいて、自分たちは絶対安全と。そういう体制が今後、日本・韓国と中国・北朝鮮の間でつくられてしまう可能性があります。

あと、今日はもう一つ、田原さんにどうしてもお話ししておきたいことがあるんです。安倍首相が2015年に安保関連法を成立させて、集団的自衛権の行使が認められるようになりましたよね。もう、あれで自衛隊は海外へ行けるわけですから、米軍側の次の課題っていうのは憲法改正とかじゃなくて、違うフェーズに移っているということを、いま調べているんです。具体的には全自衛隊基地の共同使用なのですが。

田原: どういうこと?

矢部: 要するに、すべての自衛隊基地を米軍と自衛隊が一緒に使って、米軍の指揮の下で共同演習をやるようになるということです。たとえば静岡県にある富士の演習場というのは、もともと旧日本軍の基地で、戦後、米軍基地として使われていました。それが1968年、自衛隊に返還されたのですが、その際、年間270日は米軍が優先的に使うという密約が結ばれていたのです。

田原: いまでもその密約は続いているの?

矢部: ええ。年間270日ですから、日本に返還されたと言ってたら、事実上、米軍基地のままだったわけです。

田原: 本当は米軍基地じゃないんでしょう? 残ってるわけか、少し。

矢部: ちょっとだけ残っているんですよね。全部米軍基地だったのを少しだけ残して、いちおう日本に返したのですが、密約で270日間は自分たちが使うと。そうすれば、基地を管理する経費がかからないし、米軍基地じゃなくて自衛隊基地のほうが周辺住民の反対運動も少ないので、はるかに都合がいいんです。

下手したらね、たとえば辺野古ができたあと、普天間を日本に返して自衛隊の基地にする、でも米軍が優先的に使いますよ、ということだってあり得るわけです。ですからこれから日本では、米軍基地の返還が進み、表向きは自衛隊基地なのにその実態は米軍基地、というかたちがどんどん増えていくかもしれません。

どのような政権枠組みになるにせよ、今後厳しく注視していく必要があります。

(読書人の雑誌「本」2017年11月号より)

本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。




・なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
『知ってはいけない』(現代ビジネス 2023年2月22日)

矢部 宏治

※日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。


※「これが法治国家か」

本当に大切なことは、驚くほど簡単な言葉で表現できる。

みなさんは、そういう経験をされたことはないでしょうか。

私はすでにお話ししたとおり、二〇一〇年六月に起きた鳩山政権の崩壊をきっかけに、沖縄に渡って米軍基地問題を調べはじめました。

そのわずか九ヵ月後には福島の原発事故が起こり、沖縄だけでなく、本土でも、

「これが法治国家か」

と思うような、信じられない光景をいくつも目にすることになりました。

二〇万人もの罪のない人たちが家や畑を失い、避難先の仮設住宅で「これからどうすればいいのか」と悩みつづけている一方で、事故を起こした二〇一一年の年末には、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をする東京電力の社員たち。

不思議だ、不思議だと思いながら、なにをどうすればいいか、まったくわからない日々が続きました。

そんなある日、耳を疑うような事実を知ったのです。

それは米軍・普天間基地のある沖縄県宜野湾市の市長だった伊波洋一さん(現参議院議員)が、講演で語っていた次のような話でした。

「米軍機は、米軍住宅の上では絶対に低空飛行をしない。それはアメリカの国内法がそうした危険な飛行を禁止していて、その規定が海外においても適用されているからだ」


いちばん驚いたこと

「?????」

一瞬、意味がよくわかりませんでした。

私は沖縄で米軍基地の取材をしている最中、米軍機が市街地でギョッとするほどの低空飛行をする場面に何度も遭遇していたからです。軍用ヘリコプターが巻き起こす風で、民家の庭先の木が折れるほど揺れるのを見たこともありますし、マンションの六階に住んでいて、

「操縦しているパイロットといつも目が合うのさー」

と言っていた人にも会いました。

実際、丘の上から普天間基地を見ていると、滑走路から飛び立った米軍機やヘリが、陸上、海上を問わず、島の上空をどこでもブンブン飛びまわっているところが見える。

「それが、米軍住宅の上だけは飛ばないって、いったいどういうことなんだ?」

しかも伊波氏の話によれば、そうした米軍の訓練による被害から守られているのは、人間だけではないというのです。アメリカでは、たとえばコウモリなどの野生生物や、砂漠のなかにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう訓練はできない。計画そのものが中止になる。

なぜなら、米軍が訓練をする前には、訓練計画をきちんと公表し、環境への影響評価を行うことが法律で義務づけられているため、アメリカ国内では、人間への悪影響に関して米軍の訓練が議論されることはもうないというのです。

いや、いや、ちょっと待ってくれ。おかしくなりそうだ──。

どうして自国のコウモリや遺跡にやってはいけないことを日本人にはやっていいのか。

それは人種差別なのか?

それとも、よその国なら、何をやってもいいということなのか?

いや、そんなはずはない。

なぜなら、たとえば沖縄本島北部の高江では、ノグチゲラという希少な鳥の繁殖期には、ヘリパッドの建設工事が数ヵ月にわたって中止されているからだ。

「日本人」の人権にはまったく配慮しない米軍が、「日本の鳥」の生存権にはちゃんと配慮している。

これはいったいどういうことなのか……。


ただアメリカの法律を守っているだけ

この問題は長いあいだ頭のなかをグルグルまわっているだけで、答えはなかなか見つかりませんでした。しかし、かなりあとになってから、アメリカ国内の米軍基地における飛行訓練の航跡図を見て、

「ああ、そういうことか」

と納得する瞬間があったのです。

つまり、アメリカ国内の米軍基地というのは、たとえばカリフォルニア州のミラマー海兵隊基地などは、沖縄の普天間基地にくらべると約二〇倍の面積があって、基本的には基地の敷地の上空だけで低空飛行訓練ができるようになっている。しかも、もともと基地自体が山のなかにあるから、住宅地への影響はいっさいない。

海上に出て長距離の飛行訓練をするときも、もちろん住宅地のうえは避けて、渓谷沿いのルートを海まで飛んでいく。離陸用の滑走路は、そのため渓谷の方向をむいている。

つまり、われわれ日本人は、

「米軍住宅の上だけは飛ばないなんて、あまりにもひどいじゃないか」

と米兵たちに対して大きな怒りを感じるわけですが、それは違っていた。

彼らはただ、アメリカの法律を守っているだけなのです。

米軍住宅に住むアメリカ人たちも、環境に配慮した本国の法律によって、海外にいても人権が守られているだけなので、私たちから非難される理由は何もない。しかも、アメリカのそのすばらしい環境関連法は、自国の動植物や遺跡だけでなく、なんと日本の鳥(希少生物)まで対象としているというのだから、徹底している。

問題は、ではなぜ日本人の人権だけは守られないのか、ということだ。


結局、憲法が機能していないということだ

そこまで考えてきて思い出したのが、第一章で触れた「航空法特例法」でした。

「米軍機には、〔最低高度や飛行禁止区域を定めた〕航空法第6章の規定は適用しない」

という法律です。

日本には、国民の人権を守るための立派な憲法があり、危険な飛行を禁止する立派な航空法も存在する。しかしそのせっかくの条文が、米軍に関しては「適用除外」になっている。

もちろん、どんな特例法があろうと、国民の人権が明らかに侵害されていたら、憲法が機能してそれをやめさせなければならないはずだ。ところが現実はそうなっていない。

つまり在日米軍に関しては、

「結局、憲法が機能していないということなんだ」。

そう思った瞬間、それまでまさに混沌状態にあったいろいろな思いが、スッと整理されて、目の前が急に開けたような気がしたのです。

「憲法さえきちんと機能すれば、沖縄の問題も福島の問題も、ほとんど解決することができるんじゃないのか」

いま考えると、それは当たり前の話で、どうしてもっと早く気づかなかったんだろうと思うのですが、そのことにはっきり気づくまで、丸々二年かかりました。

でも、そこからはスラスラと謎が解けていったのです。


人権が守られている人間と守られていない人間

「Q:米軍機はなぜ、アメリカ人の家の上は飛ばないのか」
「A:落ちると危ないから」
「Q:東京電力はなぜ、東京で使う電力を東京ではつくらなかったのか」
「A:原発が爆発すると危ないから」

つまり同じ島(沖縄本島)のなかで、人権が守られている人間(米軍関係者)と、守られていない人間(日本人)がいる。

また、同じ地域(東日本)のなかで、人権が守られている人間(東京都民)と、守られていない人間(福島県民)がいる。

沖縄の米軍機の低空飛行の場合、その差別を正当化しているのは、航空法の適用除外条項でした。

そう思って福島の問題を調べていくと、やはりあったのです。「適用除外」条項が。

日本には環境汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです(二〇一一年時点)。

「大気汚染防止法 第27条1項 この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染及びその防止については、適用しない」
「土壌汚染対策法 第2条1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)(略)」
「水質汚濁防止法 第23条1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない」

これらの条文を読んだとき、私が二年前から疑問に思い続けてきた、

「なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられないのか」

という問題の法的な構造が、沖縄の米軍基地問題とほとんど同じであることがわかりました。つまり現在の日本には、国民の人権を「合法的」に侵害する不可解な法的取り決め(「適用除外条項」他)が、さまざまな分野に存在しているということです。

事実、福島県の農家のAさんが環境省を訪れ、原発事故で汚染された畑について何か対策をとってほしいと陳情したとき、担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠に、

「当省としましては、この度の放射性物質の放出に違法性はないものと認識しております」

という、まさに驚愕の返答をされたことがわかっています(「週刊文春」二〇一一年七月七日号)。


・じつは「日本」は「完全な属国」だった…日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」(現代ビジネス 2023年3月2日)

矢部 宏治


※大きな歪みの根底

ここまでは、問題を調べ始めてから、四年ほどでわかったことでした。

つまり「戦後日本」という国が持つ大きな歪みの根底には、日米のあいだで結ばれた「法的な関係」が存在する。しかしその姿が、日本人にはまったく見えていない。

最大の問題は、そもそも一九五二年に日本の占領を終わらせた「サンフランシスコ平和条約」が、じつは普通の平和条約ではなかったことだ。

たしかにそれは、「政治」と「経済」においては占領状態を終わらせた「寛大な」条約だったが、逆に「軍事」に関しては、安保条約と連動するかたちで日本の占領を法的に継続し、固定するためのものだった。

その結果、「戦後日本」という国は二一世紀になってもなお、

「軍事面での占領状態がつづく半分主権国家」

であり続けている──。

多くの著者のみなさんとの共同研究により、そのことはほぼ証明できたと思っています。これまで精神面から語られることの多かった「対米従属」の問題を、軍事面での法的な構造から、論理的に説明できるようにもなりました。

けれども最後までどうしてもわからなかったのは、

「なぜ日本だけが、そこまでひどい状態になってしまったのか」

ということでした。

「戦争で負けたから」という答えは明らかな間違いです。

世界中に戦争で負けた国はたくさんある。けれども現在の日本ほど、二一世紀の地球上で、他国と屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しないからです。

そのことは第三章で紹介した、イラクが敗戦後にアメリカと結んだ地位協定の条文を読めば、誰にでもすぐにわかってもらえるはずです。

「密約の歴史について書いてくれ」
その点について、ずっとモヤモヤしたものが残っていました。もうひとつウラの構造があることはたしかなのですが、それが何かが、よくわからなかったのです。

そんなある日、

「密約の歴史について書いてくれませんか」

という出版社からのオファーがあったので、よろこんで引き受けることにしました。以前からずっと、調べてみたいと思っていたことがあったからです。

じつは戦後の日本とアメリカのあいだには、第五章で書いた、

「裁判権密約」

「基地権密約」

のほかに、もうひとつ重要な密約のあることが、わかっていたのです。それが、

「指揮権密約」

です。その問題について一度歴史をさかのぼって、きちんと調べてみたいと思っていたのです。

指揮権密約とは、一言でいってしまえば、

「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」

という密約のことです。

「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」

とお怒りの方も、いらっしゃるかもしれません。

しかし日米両国の間に「指揮権密約」が存在するということは、すでに三六年前に明らかになっているのです。その事実を裏付けるアメリカの公文書を発見したのは、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一氏で、一九八一年に雑誌『朝日ジャーナル』で発表されました。

それによれば、占領終結直後の一九五二年七月二三日と、一九五四年二月八日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭でその密約を結んでいたのです。


「指揮権密約」の成立

次ページに載せたのは、その一度目の口頭密約を結んだマーク・クラーク大将が、本国の統合参謀本部へ送った機密報告書です。前置きはいっさいなしで、いきなり本題の報告に入っています。

「私は七月二三日の夕方、吉田氏、岡崎氏〔外務大臣〕、マーフィー駐日大使と自宅で夕食をともにしたあと、会談をした」

まずこの報告書を読んで何より驚かされるのは、米軍の司令官が日本の首相や外務大臣を自宅に呼びつけて、そこで非常に重要な会談をしていたという点です。占領はもう終わっているのに、ですよ。

これこそまさに、独立後も軍事面での占領体制が継続していたことの証明といえるようなシーンです。しかも、そこに顔を揃えたのは、日本側が首相と外務大臣、アメリカ側が米軍司令官と駐日大使。まるで日米合同委員会の「超ハイレベル・バージョン」とでもいうべき肩書きの人たちなのです。

「私は、わが国の政府が有事〔=戦争や武力衝突〕の際の軍隊の投入にあたり、指揮権の関係について、日本政府とのあいだに明確な了解が不可欠であると考えている理由を、かなり詳しく説明した」

つまり、この会談でクラークは、

「戦争になったら日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、はっきり了承してほしい」

と吉田に申し入れているのです。そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。

「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。同氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」

戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。こうして独立から三ヵ月後の一九五二年七月二三日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。


徹底的に隠された取り決め

ここで記憶にとどめておいていただきたいのは、吉田もクラークもマーフィーも、この密約は、

「日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきである」

という意見で一致していたということです。

結局その後も国民にはまったく知らされないまま、これまで六〇年以上経ってしまったわけですが、考えてみるとそれも当然です。

外国軍への基地の提供については、同じく国家の独立を危うくするものではありますが、まだ弁解の余地がある。基地を提供し駐留経費まで日本が支払ったとしても、それで国が守れるなら安いものじゃないか──。要するに、それはお金の問題だといって、ごまかすことができるからです。

しかし、軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」ですので、絶対に公表できない。

そもそも日本はわずか五年前(一九四七年)にできた憲法9条で、「戦争」も「軍隊」もはっきりと放棄していたわけですから、米軍のもとで軍事行動を行うことなど、公に約束できるはずがないのです。

ですから、一九五一年一月から始まった日本の独立へ向けての日米交渉のなかでも、この軍隊の指揮権の問題だけは、徹底的に闇のなかに隠されていきました。

この「戦時に米軍司令官が日本軍を指揮する権利」というのは、アメリカ側が同年二月二日、最初に出してきた旧安保条約の草案にすでに条文として書かれていたもので、その後もずっと交渉のなかで要求し続けていたものでした。

しかし、日本国民の目にみえるかたちで正式に条文化することはついにできず、結局独立後にこうして密約を結ぶことになったのです。

その後アメリカは、占領中の日本につくらせた「警察予備隊」を、この指揮権密約にもとづいて三ヵ月後、「保安隊」に格上げさせ(一九五二年一〇月一五日)、さらにその二年後には二度目の口頭密約(一九五四年二月八日:吉田首相とジョン・ハル大将による)を結び、それにもとづいて「保安隊」を「自衛隊」に格上げさせ(同年七月一日)、日本の再軍備を着々と進めていきました。

それほど重大な指揮権密約ではありましたが、古関氏が雑誌に発表したときは、とくに反響らしい反響もなく、ただ編集部に、

「そんな誰でも知っていることを記事に書いて、どうするんだ」

などという嫌みったらしいハガキが、一枚来ただけだったそうです。

その二年前(一九七九年)にやはり公文書が発掘された「天皇メッセージ」(昭和天皇が一九四七年九月、側近を通してGHQに対し、沖縄の長期占領を希望することなどを伝えた口頭でのメッセージ)のときもそうだったようですが、問題が大きければ大きいほど、スルーされる。あまりにも大きな問題に対しては、そういうシニカルな態度で「なんでもないことだ」と受け流すしか、精神の安定を保つ方法がないということなのでしょうか。

しかしすでに述べたとおり、この密約を結んだ日米両国の要人たちは、それが日本の主権を侵害する、いかに重大な取り決めであるかをよくわかっていたわけです。

事実私も、戦後の日米関係のなかで最も闇の奥に隠された、この「指揮権密約」の歴史をたどることで、それまでわからなかった日米間の法的な関係の全体像を理解することが、ようやくできるようになったのです。