https://twitter.com/kakuyokusyugi/status/1522532247722598400
kakuyokusyugi@kakuyokusyugi
・ウクライナの情報工作の簡単な歴史
※1950年代から、米国はウクライナ人の民族主義を焚きつけて、内部からソ連を破壊しようとする情報工作を行っていた。コードネーム「AERODYNAMIC」。

日本の軍事・国際政治専門家たちはインテリジェンス工作のことに全く無知っぽいので、代わりに解説。
1929年OUN(ウクライナ民族主義者組織)誕生
誕生当初は革命家の秘密結社のような存在だった。
ポーランドの内務大臣を暗殺したりと過激な行動をとる中で、
1941年6月にリヴィウのラジオ局を占拠し、ウクライナ自由国家の創設を宣言した。

占領統治していたドイツ軍は直ちに犯人を逮捕し、ザクセンハウゼットの強制収容所に送った。

戦禍の混乱の中、収容所から出ることができたOUN(ウクライナ民族主義者組織)のメンバーは、1944年7月、カルパチア山脈の森で、UHVR(ウクライナ最高解放協議会)を結成。
1944年8月、UHVRの4人の主要メンバーは、西ヨーロッパに避難するよう命じられ、
このグループが、ZP/UHVR(ウクライナ最高解放評議会の外国代表)となった。
1948年、CIAは当時活発だったウクライナ国内の抵抗運動を支援するために、最も信頼性が高く、活動経験のあるウクライナの移民組織を調査し、組織を選定していた。
当時ミュンヘンを拠点としていたZP/UHVRがこれに選ばれ、ここからCIAのウクライナ工作が始まることになる。
1949年、CIAによってZP/UHVR の事務局長がドイツから米国に呼び寄せられ、作戦計画が確立されていった。
ちなみに亡命政府や革命組織を作るとき、その国内では組織は地下に潜って活動すると同時に、別動隊として海外に亡命や移民した連中が集まって、外国との交渉(外交)を一手に担うことはよくある形。
ZP/UHVRもそんな感じの立ち回りをしていた。
すこし脱線するが、前身のOUN(ウクライナ民族主義者組織)は、CIAが接触する前はバチカンの連中が一枚噛んでた。彼らは反共なので当然の動きだが、
ウクライナのナショナリズムの黎明期に活躍した、バンデラ、テツレオ、ロパチンスキーの3人がカトリック司祭の息子であることにも注目する必要がある。
バンデラついてだが、
CIAは報告書の中で「彼はテロリストかもしれませんが、成功すれば、「穏健派」「保守派」のウクライナ人ですら拍手喝采し、受け入れていることも確かなようです。」と評価している。
CIAがテロリストに資金を提供し、社会を不安定化する駒に使うのは、いつの時代も変わらない。

話は戻るが、
ZP/UHVRを使ったCIAの作戦のコードネームは「AERODYNAMIC(エアロダイナミック)」。
その目的は
①ウクライナやソ連邦の諸国に、「反ソ連」「反共産主義」「ウクライナ民族主義」のプロパガンダ活動をすること
②情報収集
この作戦は1970年まで続くことになる。

1956年11月、ニューヨークでプロローグという会社が設立され、ドイツのミュンヘンに出版施設からウクライナ語のプロパガンダ書籍、新聞、その他の資料を発行していった。
具体的には、ユダヤ人虐殺など過去の蛮行を矮小化したり英雄化。ウクライナ文学の再評価など。
欧米においてプロローグは、ウクライナ関係の雑誌で一番権威があると評されるようになる。
CIAが裏で資金を出して、学術研究者などに送り付け、表で権威付け。
権威づけをして影響力を持たせる方法は米国がよくやるやり方。
ちなみにプロローグは、一定の効果が会った為、のちにニューヨークとミュンヘンからロンドン、パリ、東京に事業を拡大していった。
ミュンヘンを拠点にしたこのCIAの作戦は、ドイツの政治家たちにも秘密だったが、秘密作戦の執行監督である303委員会で承認が必要になり、
1967年10月ドイツの一部の政治家にもようやく伝えられることになる。
1970年になるとAERODYNAMICは「QRDYNAMIC(QRダイナミック)」と名前を変え、ヘッジファンドの大物であるジョージソロスが資金提供する事業、特にキエフとモスクワにあるヘルシンキウォッチグループの工作員などとも連携を開始していった。
1980年代半ばのグラスノスチとペレストロイカの始まりで、QRDYNAMICの作戦は下火になっていく。マンハッタンの高い家賃は負担になり、ニュージャージーに拠点を移した
ちなみに、ニュージャージーにはナチスの残党たちの墓と記念碑がある。この画像を見ると、どれだけ深いつながりだったのかが分かる。

こういった情報工作の中で、ソ連側は「プロローグはCIAのプロパガンダ機関だ」と非難したり、それに感化された連中を取り締まったりしたし、
欧米は「人権弾圧だー」非難したりと、平時にはそういう戦いを行っている。
カーター大統領の国家安全保障顧問ブレジンスキーなどもこの作戦を強化するように要請していたし、情報工作の争いは、英国や米国の専門家からすれば常識の話。
この作戦以外にも、以前ツイートしたように、国際会議を開いて反共産主義工作の作戦会議や連帯が行われている。
表も裏も使った様々な反共工作の作戦のなかで、米国はウクライナ国内で「ネオナチ(反露)のナショナリズム」をはぐくみ育てていった。
1983年の欧州会議、日本も含め60カ国以上の反共産主義工作員が一堂に会して話し合いが行われた。
ウクライナの代表には、民族主義者組織(OUN)のオメラン・コワルが、
米国代表には、CIA創設メンバーのジョン・K・シンラウブが参加。

情報工作の話は”教科書に載っていない”ので、日本の軍事・国際政治の専門家たちは、平時で一番重要な情報工作のことを全く理解していない。
そのため、ナショナリズムの高揚や民主化の高まり、またそのような活動や思想がまるで自発的かのような発言をテレビなどで繰り返している。
そして、情報工作を知ってる人間たちが、その文脈で論を展開したり話をすると、無知な彼らは「陰謀論だ」と攻撃してくる。
そのやり取りを見るたびに「時代に取り残されてたオワコン達が、またなんか言ってる」と思ってしまう。
CIAは公式ホームページで機密情報を公開してる。
専門家を名乗るなら、陰謀論と決めつける前に、せめてさわりだけでも調べろよと思う。
(ちなみにボリュームは44まであるので公開されてる資料は膨大です。私は学者じゃないので計画が書いてるボリューム9までで見るのをやめました)




kakuyokusyugi@kakuyokusyugi
・ウクライナの情報工作の簡単な歴史
※1950年代から、米国はウクライナ人の民族主義を焚きつけて、内部からソ連を破壊しようとする情報工作を行っていた。コードネーム「AERODYNAMIC」。

日本の軍事・国際政治専門家たちはインテリジェンス工作のことに全く無知っぽいので、代わりに解説。
1929年OUN(ウクライナ民族主義者組織)誕生
誕生当初は革命家の秘密結社のような存在だった。
ポーランドの内務大臣を暗殺したりと過激な行動をとる中で、
1941年6月にリヴィウのラジオ局を占拠し、ウクライナ自由国家の創設を宣言した。

占領統治していたドイツ軍は直ちに犯人を逮捕し、ザクセンハウゼットの強制収容所に送った。

戦禍の混乱の中、収容所から出ることができたOUN(ウクライナ民族主義者組織)のメンバーは、1944年7月、カルパチア山脈の森で、UHVR(ウクライナ最高解放協議会)を結成。
1944年8月、UHVRの4人の主要メンバーは、西ヨーロッパに避難するよう命じられ、
このグループが、ZP/UHVR(ウクライナ最高解放評議会の外国代表)となった。
1948年、CIAは当時活発だったウクライナ国内の抵抗運動を支援するために、最も信頼性が高く、活動経験のあるウクライナの移民組織を調査し、組織を選定していた。
当時ミュンヘンを拠点としていたZP/UHVRがこれに選ばれ、ここからCIAのウクライナ工作が始まることになる。
1949年、CIAによってZP/UHVR の事務局長がドイツから米国に呼び寄せられ、作戦計画が確立されていった。
ちなみに亡命政府や革命組織を作るとき、その国内では組織は地下に潜って活動すると同時に、別動隊として海外に亡命や移民した連中が集まって、外国との交渉(外交)を一手に担うことはよくある形。
ZP/UHVRもそんな感じの立ち回りをしていた。
すこし脱線するが、前身のOUN(ウクライナ民族主義者組織)は、CIAが接触する前はバチカンの連中が一枚噛んでた。彼らは反共なので当然の動きだが、
ウクライナのナショナリズムの黎明期に活躍した、バンデラ、テツレオ、ロパチンスキーの3人がカトリック司祭の息子であることにも注目する必要がある。
バンデラついてだが、
CIAは報告書の中で「彼はテロリストかもしれませんが、成功すれば、「穏健派」「保守派」のウクライナ人ですら拍手喝采し、受け入れていることも確かなようです。」と評価している。
CIAがテロリストに資金を提供し、社会を不安定化する駒に使うのは、いつの時代も変わらない。

話は戻るが、
ZP/UHVRを使ったCIAの作戦のコードネームは「AERODYNAMIC(エアロダイナミック)」。
その目的は
①ウクライナやソ連邦の諸国に、「反ソ連」「反共産主義」「ウクライナ民族主義」のプロパガンダ活動をすること
②情報収集
この作戦は1970年まで続くことになる。

1956年11月、ニューヨークでプロローグという会社が設立され、ドイツのミュンヘンに出版施設からウクライナ語のプロパガンダ書籍、新聞、その他の資料を発行していった。
具体的には、ユダヤ人虐殺など過去の蛮行を矮小化したり英雄化。ウクライナ文学の再評価など。
欧米においてプロローグは、ウクライナ関係の雑誌で一番権威があると評されるようになる。
CIAが裏で資金を出して、学術研究者などに送り付け、表で権威付け。
権威づけをして影響力を持たせる方法は米国がよくやるやり方。
ちなみにプロローグは、一定の効果が会った為、のちにニューヨークとミュンヘンからロンドン、パリ、東京に事業を拡大していった。
ミュンヘンを拠点にしたこのCIAの作戦は、ドイツの政治家たちにも秘密だったが、秘密作戦の執行監督である303委員会で承認が必要になり、
1967年10月ドイツの一部の政治家にもようやく伝えられることになる。
1970年になるとAERODYNAMICは「QRDYNAMIC(QRダイナミック)」と名前を変え、ヘッジファンドの大物であるジョージソロスが資金提供する事業、特にキエフとモスクワにあるヘルシンキウォッチグループの工作員などとも連携を開始していった。
1980年代半ばのグラスノスチとペレストロイカの始まりで、QRDYNAMICの作戦は下火になっていく。マンハッタンの高い家賃は負担になり、ニュージャージーに拠点を移した
ちなみに、ニュージャージーにはナチスの残党たちの墓と記念碑がある。この画像を見ると、どれだけ深いつながりだったのかが分かる。

こういった情報工作の中で、ソ連側は「プロローグはCIAのプロパガンダ機関だ」と非難したり、それに感化された連中を取り締まったりしたし、
欧米は「人権弾圧だー」非難したりと、平時にはそういう戦いを行っている。
カーター大統領の国家安全保障顧問ブレジンスキーなどもこの作戦を強化するように要請していたし、情報工作の争いは、英国や米国の専門家からすれば常識の話。
この作戦以外にも、以前ツイートしたように、国際会議を開いて反共産主義工作の作戦会議や連帯が行われている。
表も裏も使った様々な反共工作の作戦のなかで、米国はウクライナ国内で「ネオナチ(反露)のナショナリズム」をはぐくみ育てていった。
1983年の欧州会議、日本も含め60カ国以上の反共産主義工作員が一堂に会して話し合いが行われた。
ウクライナの代表には、民族主義者組織(OUN)のオメラン・コワルが、
米国代表には、CIA創設メンバーのジョン・K・シンラウブが参加。

情報工作の話は”教科書に載っていない”ので、日本の軍事・国際政治の専門家たちは、平時で一番重要な情報工作のことを全く理解していない。
そのため、ナショナリズムの高揚や民主化の高まり、またそのような活動や思想がまるで自発的かのような発言をテレビなどで繰り返している。
そして、情報工作を知ってる人間たちが、その文脈で論を展開したり話をすると、無知な彼らは「陰謀論だ」と攻撃してくる。
そのやり取りを見るたびに「時代に取り残されてたオワコン達が、またなんか言ってる」と思ってしまう。
CIAは公式ホームページで機密情報を公開してる。
専門家を名乗るなら、陰謀論と決めつける前に、せめてさわりだけでも調べろよと思う。
(ちなみにボリュームは44まであるので公開されてる資料は膨大です。私は学者じゃないので計画が書いてるボリューム9までで見るのをやめました)

在日のイカれたウクライナ人活動家が、ソロス閣下の命令で活動していると、暴露しています。
— 呉龍( ^ω^ )🗣 (@G9KExam) May 6, 2022
マヌケな連中です。(´∀`) pic.twitter.com/XG1wo0YZSf


ウクライナのネオナチから日本のみなさんにご挨拶。
— PickUp🇯🇵🇺🇸 (@pickup_topic) May 7, 2022
卍「俺たちもっと殺したい。ニッポンお金クダサイ。」
高市早苗「感動した!」
櫻井よしこ「涙が出ました」
日「ウクライナがんばれー!募金!募金しなきゃ!」
いや、これ、マジですからね? pic.twitter.com/rH7W22zIYd

1.ウクライナを支援だ!ロシアは悪だ!改憲だ!
— キャットナイト (@catknightjapan) May 7, 2022
2.改憲可決
3.ロシア「国連憲章の敵国条項で日本へ侵攻」
4.政治家「息子よ。早く海外へ逃げろ」
5.緊急事態条項発動、徴兵、但し海外在住者は免除
6.18歳から60歳は出国禁止
7.おい、俺の友達が海外で免除じゃねえかよ。逃げやがったな。 https://t.co/AF1cXNDexU