・ロシアを食い荒らす「オリガルヒ」が、ウクライナ侵攻後もプーチンを支え続ける理由(DIAMOND ONLINE 2022年3月12日)

ジャーナリスト 仲野博文

ロシアの社会や政治におけるオリガルヒの影響力とはどのようなものなのか。「少数による支配」を意味するギリシャ語が語源とされるオリガルヒについて、本稿では考えてみたい。

※ソ連崩壊後を牛耳ったオリガルヒの

プーチン大統領就任後の明暗

国際通貨基金(IMF)の調べによると、ロシアの2021年の国内総生産(GDP)は約1兆4600億ドルで(世界11位)、ブラジルやオーストラリアと近い額になっている。アメリカや中国、日本はもちろんだが、ドイツやイタリア、韓国といった国も、GDPではロシアを超えている。一方、ロシア国内のビリオネア(10億ドル以上の資産を持つ者)は現在117人いるとされ、これだけを見ると世界第5位になる。

人口では日本より約2000万人多いが、GDPでは日本の3分の1以下となるロシアで、ビリオネアの数が日本の倍以上という現状から、ロシア国内の深刻な経済格差が垣間見える。だが、それ以上に興味深いのはロシアのビリオネアの大半が「オリガルヒ」に分類されている面々という点だ。

アメリカ財務省が作成した制裁対象者のリストには、約200人の政府関係者(プーチン大統領から官僚までが含まれる)と19人の国営企業トップ、そして96人のオリガルヒが含まれていた。

その中には、2003年にイングランド・プレミアリーグのサッカークラブ「チェルシーFC」を買収し、ポケットマネーで多くの有名選手を獲得し、クラブを強豪の一つに押し上げた実業家のロマン・アブラモビッチ氏の名前も記載されていた。

プーチン大統領と近い関係にあるとされる同氏だが、3日にはチェルシーFCの経営権を売却する意向を表明。売却の純益は新たに創設する財団に全て寄付し、ウクライナにおける戦争の犠牲者を支援するために使うのだという。

一部のオリガルヒは1991年のソ連崩壊前から大金を稼いでいたが、当時は大富豪になるだけのビジネスを展開していたわけではなく、規制が厳しかった西側諸国の製品を輸入し(その多くは密輸)、コンピューターなどは一般人の稼ぎでは購入できない金額で販売していたという。

だが、ソ連崩壊後に発足したロシアのエリツィン政権でオリガルヒの力は一気に増大。オリガルヒやマフィアがロシアの政治に頻繁に絡んでくるようになった。ソ連崩壊後のロシアにおける政治環境が混沌としていたことも理由ではあるが、カネ(賄賂)で物事が決まる傾向がより強くなった時代でもあった。

1998年に財政危機に見舞われたロシアでは、前年に発生したアジア通貨危機とのダブルパンチで、デフォルトが発生した。この際に巨額の財産を失ったオリガルヒもいたが、財政危機を乗り越えたオリガルヒや新たに生まれたオリガルヒは、これまで以上に影響力を持つようになっていたのだ。

順風満帆に見えたオリガルヒだが、2000年に大きな転換期を迎える。ゲームチェンジャーとなったのは、同年5月に第2代ロシア大統領に就任したウラジミール・プーチンであった。

プーチン大統領は大統領就任から2カ月ほどたった2000年7月28日、21人のオリガルヒを集め、プーチン政権の経済政策などについて話し合いを行った。しかし、話の中心は今後の経済政策ではなく、実際にはプーチン大統領に忠誠を誓うかどうかの踏み絵をさせ、残す者と排除する者を決めたとされる。この会談の様子を記録したニュース映像は現在も残っているが、多くのオリガルヒが文字通り顔面蒼白(そうはく)の状態であった。

プーチン大統領と距離を置いたり、反プーチンを声高に叫ぶオリガルヒもいた。2006年8月に経営破綻したロシアの石油会社「ユコス」の元社長で、2003年時点で1兆5000億円以上の資産を保有し、ロシア一の大富豪とされたミハイル・ホドルコフスキー氏はプーチン政権の政策を公然と批判し、野党への政治献金を繰り返した。

しかし、ホドルコフスキー氏は2003年に脱税の容疑で逮捕。2005年に禁錮10年の刑を科せられ、2013年12月にプーチン大統領による恩赦で釈放され、国を追われる形でイギリスに移住。現在も生活の中心はイギリスだ。

プーチン大統領によるアメとムチによって、多くのオルガリヒがプーチン大統領と一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係となり、同時に個人の資産もさらに増やしていくようになったのだ。

オリガルヒが造反してもプーチン政権への影響は限定的

昨年4月に経済誌フォーブスが発表した世界のビリオネアの保有資産額に目を向けると、ロシアのオリガルヒで最もリッチな人物とされるアレクセイ・モルダショフ氏の資産が約3兆円で(世界第51位)、それにウラジミール・ポターニン氏(約2兆8000億円)、ウラジミール・リシン氏(約2兆7000億円)という順に続く。

ロシア国内で少なくとも18人が1兆円以上の資産を保有し、そのうちオリガルヒと無関係なのは、ロシア最大のSNS「VK」や通信アプリ「テレグラム」の創設者として知られるパーヴェル・ドゥーロフ氏や、ロシア最大のECサイト「ワイルドベリーズ」の創設者で、唯一の女性でもある韓国系ロシア人のタチヤーナ・バカルチュク氏ら数名に限られる。

ドゥーロフ氏とバカルチュク氏に共通するのは、ロシア以外の国でも見られるIT企業を自分で創設して億万長者になったことだ。

また、プーチン大統領やロシア政府の中枢に近付きすぎないスタンスを取っていることも共通している。

ドゥーロフ氏はフェイスブックにインスパイアされてVKの開発を始めたが、クリミア危機が発生した2014年4月にVKの最高経営責任者を解任されている。

解任の1週間前、ドゥーロフ氏はロシアの治安機関から反プーチンデモに参加しているウクライナ人ユーザーの個人データを提出するように求められたが、これを拒否。さらにロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の個人ページを削除するようにも求められたが、こちらも断固として拒否していた。

バカルチュク氏はECサイトの代表ということもあり、ドゥーロフ氏のように治安機関から何らかの要請を受けたという話は無い。大学卒業後に英語教師として働いていた彼女は2004年、28歳の時に産休で多くの時間を自宅のアパートで過ごしていた。その際にネットでほしいものが購入できれば便利だと考え、700ドル相当の貯金を切り崩して、ワイルドベリーズを立ち上げた。IT企業でエンジニアとして働いていた夫の助けもあり、ワイルドベリーは順調に業績を上げ、2017年にロシア最大のECサイトとなった。

プーチン政権と親密な関係にある実業家がより多くの利益を手にしてきたロシアの社会構造について、アメリカのサウスカロライナ大学で准教授として経済を専門に教鞭をとるスタニスラフ・マルクス氏にオリガルヒが社会に与える影響について聞いた。

マルクス氏は幼少期をロシアとウクライナで過ごし、ドイツに移住。これまでに、ロシア経済やオリガルヒに関する論文や著作を発表している。マルクス氏はオルガリヒが大きな影響力を持つロシア経済に、次のように警鐘を鳴らす。

オリガルヒはロシアだけではなく、ウクライナにも存在するが、彼らに対する世論はそれぞれの国で異なっていたとマルクス氏は語る。

「ロシアでもウクライナでも、ソ連崩壊後に国営企業の民営化の過程で、うまくチャンスを手にした者がオリガルヒになりました。ロシアでは90年代にオリガルヒが莫大な資金力を背景に政治に介入するようになり、それぞれの事業に有利な法案を通過させ、自治体のトップになる人物もいました。この構造を変えようとしたのがプーチンですが、結果的に自らにとって都合のいいオリガルヒを残すだけになりました。ウクライナではゼレンスキー大統領が誕生するまで、オリガルヒに対する規制などがほとんど行われてきませんでした。前任のポロシェンコ大統領やティモシェンコ元首相は有名なオリガルヒです」

経済制裁対策との見方もあるが、プーチン大統領と親密な関係にあるオリガルヒから、ロシア軍の軍事侵攻に反対すると声を上げる者や、ロシア国籍を捨てる意向があると表明した者もいる。しかし、マルクス氏は、オルガリヒが造反したとしてもプーチン政権の基盤に大きな影響は出ないと語る。

「オリガルヒが結束して反プーチンの姿勢を明確にしたとしても、それがすぐにプーチン政権の終わりを意味するとは思えません。また、プーチン大統領に背を向けることは、彼らの将来の終わりも意味するため、リスクが非常に高いのです。現実的ではないですね。ただし、確率としては非常に低いですが、オリガルヒではなく、軍のような大きな力を持つ組織がプーチン大統領に背を向け始めた場合は、話は大きく変わってきます」

ロシア軍のウクライナ侵攻がいつどのような形で終わるのかは誰にも分からない。しかし、オリガルヒへの規制と徹底した汚職対策は、ロシアとウクライナの両方で「待ったなし」の状態だ。マルクス氏が語る。

「私はソ連崩壊後のロシアとウクライナが『ピラニア資本主義』の犠牲になってきたと考えています。政府や自治体、民間企業がまとまった予算を出しても、オリガルヒや官僚がピラニアのように集まり、中抜きや賄賂という形で食い荒らしていくのです。ピラニアに食い荒らされた社会が30年も続いているのです」

ロシアでは2007年に国防大臣に就任したアナトーリ・セルジュコフ氏が、国防省やロシア軍部隊にまん延していた汚職の摘発を積極的に行い、ロシア軍の組織改革や兵力削減に向けて動いていたが、2012年に国防省傘下企業との間で横領事件に関与したとして、突然国防相を解任されている。オリガルヒが関与しない領域でも、ロシア社会の至る所に無数のピラニアが生息しているようだ。