・世界最大の航空機「An-225」、ロシアが破壊か? その数奇な歴史と今後の影響(マイナビニュース 2022年3月1日)
※ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のなか、ウクライナのクレバ外務大臣は2022年2月27日、世界最大の航空機のひとつであるアントーノウAn-225「ムリーヤ」が、ロシアによって破壊された可能性があると発表した。
同機を運用するアントーノウなどは「専門家による調査を行うまで、機体の状態について発表できない」とし、断定を避けた。
An-225はその大きな輸送能力で、規格外の貨物や、大量の救援物資の輸送などで活躍。機体の状態や修理の可否によっては、今後の世界の物流などに影響が出る可能性もある。
An-225破壊か?
ウクライナの防衛大手ウクロボロンプロムによると、ロシアによる侵攻が始まった2月24日の時点で、An-225はウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊の、キーウ州ホストーメリにあるアントーノウ空港に駐機していたという。
また、An-225を運用するアントーノウ航空によると、侵攻を受けて24日中に避難する指令が出されたものの、エンジンの1つが修理のために解体されており、離陸することができなかったとしている。
そして2月27日、クレバ外務大臣はTwitterを通じ「An-225が、ロシアによって破壊された可能性があります」と発表。アントーノウ空港ではロシアとウクライナによる交戦があったと報じられており、同空港が攻撃を受ける画像や映像なども出回っている。
ただ、ウクロボロンプロムは「現在(27日)、同空港はロシア軍が占拠しており、機体への立ち入りができないため、機体の状態や修復の可能性、費用について評価することは不可能です」とし、「破壊」が事実かどうか、あるいはどの程度のものなのかについては断定は避けている。
またアントーノウも、「現時点では、機体の技術的な状態について発表できることはありません。専門家による調査が必要です。今後の正式発表をお待ちください」としている。
An-225とは?
アントーノウAn-225は、ウクライナの航空機メーカー、アントーノウが開発、製造し、その傘下のアントーノウ航空が運用している輸送機である。同型機はなく、世界に1機しか存在しない。
愛称は「ムリーヤ(Mriya)」で、ウクライナ語で「夢」を意味する。この「夢」とは、睡眠時に見るもののことではなく、「想像、空想、願望」といったほうの意味である。
長さは84m、高さは18.2m、主翼の長さは88.4m。計6発のエンジン、32個もの車輪をもつムカデのような着陸脚など、独特の姿かたちをしている。最大離陸重量は約640.0t、最大ペイロードは253.8tの記録をもち、その大きさや輸送能力から、世界最大の航空機として知られる。
もっとも、主翼の長さだけでいえば、かつて米国の実業家ハワード・ヒューズが開発したH-4「ハーキュリーズ」が97.5m、米国の宇宙企業ストラトローンチが開発中の「ストラトローンチ(ロック)」が117mと、An-225よりも上回っていることもあり、厳密には世界最大の航空機“のひとつ”と呼ばれることもある。ただ、H-4は開発が頓挫し、ロックもまだ試験飛行の段階であるため、運用されている“実用機”としては間違いなく世界最大であり、なにより最大離陸重量については他の追随を許さない。
これほど巨大な航空機が開発された背景には、ソビエト連邦(ソ連)のスペースシャトル計画の存在があった。
ソ連は1974年、当時米国が開発を進めていた宇宙往還機スペースシャトルに対抗し、ほぼ同じ能力をもった「ブラーン」の開発を決定した。
開発が進むなかで、約60tもあるその機体を、工場や発射場、着陸場の間を行き来させるための手段が求められた。そして1977年にブラーンを運ぶための航空機の開発が決定。アントーノウの前身であるアントーノウ(アントノフ)設計局が担当することになった(なお、開発が遅れたため、別の設計局がVM-T「アトラーント」という別の機体を開発している)。
当初は「400М」というコードネームで呼ばれていたが、最終的にAn-225、愛称ムリーヤと命名。そして1988年12月20日、初飛行に成功した。1989年3月22日には156.3tの貨物を積んで飛行し、110個にも及ぶ当時の世界記録を樹立した。
1989年には、もともとの目的であるブラーンを積んだ飛行も実施。同年6月にはパリ航空ショーにブラーンを積んだ状態で飛来し、デモ飛行を見せつけた。
しかし、ブラーンは1988年に一度無人で宇宙を飛んだきりで、計画は頓挫。1990年には110tあるブルドーザーとその付属品を運ぶ任務をこなし、超重量の貨物を運ぶ輸送機として新たな活路が見出されたが、1991年にはソ連が解体。An-225の2号機の製造も進んでいたが、途中で打ち切りとなり、1号機も長らく幽閉されることとなる。
1990年代には、欧州などと共同で宇宙船やロケットの空中発射母機として活用する検討も行われたが、頓挫。最終的にAn-225の1号機がふたたび日の目を見たのは、最後の飛行から7年後のことで、飛行再開に向けてオーバーホール(徹底的な点検、修理、部品交換)を受けたのち、2001年5月7日に空へ舞い戻った。
その後、An-225はパイプライン敷設装置や風力発電のタービンブレード、発電所の発電機など、通常の輸送機などでは運べないような規格外の大型貨物を輸送できる唯一無二の存在として活躍。とくに2001年には、4輌の戦車を積み、総ペイロード253.82tで飛行。2009年には、単一のものとして世界最大となる189.98tのペイロードを積んで飛行するなど、数々の世界記録を打ち立てている。
また、貨物や物資の大量輸送でも活用され、災害時などに活躍。日本にも2011年に東日本大震災の復興支援物資の輸送や、2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けた医療物資の輸送の道中などで飛来している。
An-225は決して需要が多いわけではないが、しかしAn-225でしか運べない、あるいは利用を念頭に置いた貨物の需要は確実に存在する。もし、An-225が破壊されたとなると、輸送方法の見直しなどにより、世界の物流や災害時の対応に影響が出ることは免れない。
修理が可能な場合、あるいは無傷だったとしても、運航が再開できるめどが立っていない以上、当面は影響が出ることになる。
なお、未完成の2号機に関しては、たびたびアントーノウが製造を再開するという話や、また近年では中国企業への技術移転、ライセンス生産といった話が出ることもあるが、現時点でいずれも具体的な動きはみられない。
・ロシアが破壊した世界最大の飛行機「アントノフAn-225」(JB press 2022年3月4日)

(上)世界最大の飛行機「アントノフAn-225」
※ロシアがウクライナに侵攻し、21世紀にこのようなことが起きるのかと驚いている。市民生活が破壊され、多くの方々が亡くなっていることには言葉もないが、世界最大の航空機アントノフ「An-225」の破壊も衝撃的だった。
An-225はソ連版スペースシャトルのブランを空輸するために製造された。
最大離陸重量は600トンと言われ、他のどの航空機よりも大きい。他の航空機では運べない大型貨物輸送に活躍してきた。
航空業界の方でなくても、An-225が東日本大震災後に救援物資を運んできたことをご記憶の方もいらっしゃるだろう。
そこまで数は多くないと思うがAn-225でなければ輸送に困るサイズ・重量の貨物も確かに存在する。産業的にもAn-225の喪失は打撃だ。
破壊の場所と様子
An-225はキエフ郊外のホストメリ空港で、屋根付きの整備場で整備を受けていたところを攻撃された。
ホストメリ空港は、航空機メーカー アントノフが飛行試験を行うとともに、貨物輸送を行うアントノフ航空の基地だ。軍用空港という報道もなされたが、これは正しくない。
ホストメリ空港には、大型格納庫1棟とかまぼこ型の屋根が設けられた整備場があった。この整備場が爆破され、駐機していたAn-225が巻き添えを食った形だ。
現状、鮮明な写真は出ていない。しかし、日本時間3月3日の夜から出回った動画から、破壊の程度が読み取れる。
前方から機体を見た動画だが、本来なら見えるはずのコックピットが見えない。ノースカーゴドアと思われる丸っこい物体のみが、転がっている
また、両翼の間がくぼんでいるように見える。左右の主翼を繋ぐ中央翼と呼ばれる構造が、無くなっている。中央翼からコックピットにかけての部分が、爆破されたか焼け落ちたようだ。
不鮮明ではあるが、左舷内側のエンジンはあるべき場所にあるように見える。主翼の再利用に期待したくなる。また、別の写真から読み取れるところでは、尾部は比較的原型をとどめている。
しかし、仮に再利用可能だとして、バラバラの尾部と主翼を一機の飛行機にすることは、再製造に近い困難さがある。
加えて、一見、原形をとどめているように見えても、熱に曝されているかもしれない。また、主翼を支えている中央翼がなくなっているため、主翼は地面に落下しているかもしれない。実際に再利用できる可能性はそう大きくない。
An-225は、修理で済む範囲を超えているのが実態だろう。An-225を再び飛ばすには、作り直しが必要だ。
しかし、アントノフの現状とAn-225がソ連崩壊前に開発・製造された事実を考えると、残念ながら再製造は不可能だ。
2号機の存在
実は、An-225には2号機が存在する。キエフ市内にあるアントノフの工場で、2号機の胴体が放置されている。
現時点ではロシアの占領地域外だ。アントノフの工場が攻撃され被害が出たという報道はない。
2号機は恐らく無事なのであろう。2号機は胴体の構造がほぼ完成した状態で30年以上放置されてきた。しかし、状態は悪くない。主翼やエンジン等を取り付け、艤装を施せば、完成するはずだ。
それでも、残念ながら2号機の完成は不可能と断言できる。
仮にできるのなら、既に完成していたはずだ。2号機を完成させるという報道は、10年前から形を変えて繰り返されてきた。
「2号機の完成に手を付ける」「ロシアが買う」「中国でライセンス生産する」などだ。最近は「トルコと協力して完成させる」という新しいプランまで登場した。
10年以上、「作る作る詐欺」をやってきたのだ。
翼のない飛行機
2号機の完成は見た目ほど簡単ではない。現状、胴体が存在するが、主翼は存在しない。これが作ればいいじゃないかというわけにいかない。
An-225は、アントノフの「An-124」を改造・大型化して開発された。An-124はAn-225製造前、世界最大の航空機だった。
巨大なAn-124の胴体と主翼のさらなる延長が行われた。主翼の延長は主翼の付け根を継ぎ足す形で行われたため、An-225の主翼の外側はAn-124の主翼そのままだ。
An-124は当時のアントノフ設計局で開発され、最初はアントノフ設計局に隣接するキエフ航空機工場で最終組立が行われた。An-225も同じだ。
しかし、機体構造のすべてがキエフで製造されたわけではなく、主翼はウズベキスタンのタシュケント航空機製造会社で作られた。
この企業は航空機製造をやめている。最後にAn-124の主翼を作ったのは30年前だ。
なお、An-124の本格的量産は、ロシアのウリヤノフスクにある現Aviastar SPで行われた。同社には主翼を製造する設備が残る可能性もあるが、現在の情勢を見るに、ロシアで作るなどということはあり得ないだろう。
つまり、An-225 2号機を完成させるためには、新たに主翼製造体制を再建しなければならないのだ。
では、主翼製造を立ち上げられるのか。無理だと断言できる。
アントノフは、「An-70」というAn-225よりもAn-124よりもはるかに小型の飛行機で、主翼製造立ち上げをできなかった実績があるのだ。
An-70は「Il-76」輸送機の代替として、ソ連末期に開発された。なお、Il-76はソ連時代からの旧ソ連圏の主力輸送機で、今般の戦争でも撃墜が報道されている。
An-70は、プロップファン、複合材尾翼、グラスコックピットと、極めて先進的な機体だった。
An-70の試作機が2機完成しているが、この試作機の主翼もタシュケント航空機製造会社で生産された。An-124と同じく主翼製造から撤退している。
An-70の開発は遅れに遅れ、量産立ち上げは2010年代に入ってしまった。量産立ち上げにより、キエフのアントノフで胴体の製造が始まった。
しかし、タシュケント航空機製造会社の代わりに主翼を作る企業は見つけられず、An-70は翼のないまましばらく量産がされた。翼のない飛行機なんて何かの冗談である。
主翼のないまま完成するわけがなく、An-70の量産はそのままうやむやになった。
そもそも、飛行機に主翼が必要なことなど明らかだ。主翼の生産を立ち上げずに、量産を始めてしまったことがおかしい。
どうもアントノフでは、飛行機製造のマネージメントが崩壊しているようなのだ。
なお、An-225 2号機は全く艤装が行われていないが、エンジンを除く装備品も多くが同様の状態に陥っていると推察される。
実は、アントノフはほとんど飛行機を作れなくなっている。
ロシアと関係が切れてからは、年に数機ずつは完成させていたリージョナルジェット機「An-148」/「An-158」も、生産できなくなった。少なからぬサプライヤーがロシアにいるからだ。
ここ数年で、アントノフが生産できた航空機はAn-178 1機だけだ。
An-225の最大離陸重量が600トンであるのに対し、An-70の最大離陸重量は150トンもない。An-148/158は50トンもない。はるかに小さい飛行機すら作れない。
これでAn-225 2号機の生産ができるわけがない。
開発・生産体制は崩壊したまま
どうして、このようになったのか?
ソ連崩壊時、ロシアにおいてもウクライナにおいても、航空産業は壊滅的打撃を受けた。細々と輸出用戦闘機が続いたロシアはややましであったが、旅客機・輸送機の生産は年数百機から年数機に落ちた。
ソ連では航空工業省が航空機メーカーの企画部門や営業部門の機能を担っていた。その航空工業省はなくなった。
ソ連時代、航空機の開発は設計局と呼ばれた組織で行われた。設計局はTsAGI(空力、構造試験)やGosNIIAS(アビオニクス)といった、現在のロシアにある研究所の開発成果を利用した。
タシュケント航空機製造会社で、An-124やAn-70の主翼生産が行われていたように、ソ連各地に散らばる関連企業で生産を分担した。
こうした官庁がコントロールするソ連の航空機生産体制は、ソ連とともに消滅した。
ロシアも打撃だったろうが、ソ連の航空機生産体制の残骸のほとんどはロシアにあった。
一方のウクライナでは、航空工業省という頭脳を失っただけではなく、開発や生産を支える研究機関やサプライヤーが外国になってしまった。
ロシアが曲りなりにも航空機開発・生産体制を再建したのに対し、ウクライナはうまく再建できなかった。
アントノフは、ソ連の仕組みの中では優れた技術を誇っていた。
しかし、現在は航空機生産をマネージメントする能力を完全に失っている。翼のない飛行機を作ってしまったことを見れば、状況はお察しだ。
An-225 2号機の完成の困難さは、三菱スペースジェットの型式証明取得の比ではない。アントノフ社は飛行機を作れる状態にないし、An-225の複雑さはスペースジェットどころではない。
実は、アントノフと書いてきたが、実は会社の存在すら怪しいのだ。
アントノフは2017年にウクロボロンプロム(ウクライナの軍事産業を統合した企業)に吸収され、法人格を喪失したと発表されている。
しかし、独自の社長がいて、独自の活動をしている。
ウクロボロンプロムの中で、会社の機能や組織は残ったのかもしれないが、会社として存在しているのかどうかはよく分からない(現地の人に聞いても分からなかった)。
すでにアントノフは航空機メーカーの体をなしているとは言い難いのだ。
An-225を再建するにも、誰がどうやってやるのか計画し、主導できそうな組織はウクライナにない。
極めて嘆かわしいことであるが、An-225の本格的再建は不可能であろう。かつて生み出していたものが優れているだけに、極めて悲しい状態である。
極めて残念だが、An-225の雄姿を再び見ることは極めて困難であろう。
・世界最大の航空機「ムリーヤ」大破、キーウ近郊の空港が報道公開(朝日新聞DIGITAL 2022年5月6日)

※ロシア軍の攻撃を最初に受けた地点の一つ、ウクライナ首都キーウ(キエフ)近郊ホストメリのアントノフ国際空港が5日、報道陣に公開された。ホストメリは首都近郊の激戦地の一つで、格納庫に駐機していた世界最大の航空機「アントノフ225ムリーヤ」も破壊されていた。
機体は、黄色と青色の鮮やかな塗装が残る部分もあったが、特に胴体の前半分が激しく攻撃を受けて切断されたような状態になり、機首部分は地面に崩れ落ちていた。操縦席の場所も判別がつかなくなり、右翼のエンジンの一つは完全に焼損していた。
※ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のなか、ウクライナのクレバ外務大臣は2022年2月27日、世界最大の航空機のひとつであるアントーノウAn-225「ムリーヤ」が、ロシアによって破壊された可能性があると発表した。
同機を運用するアントーノウなどは「専門家による調査を行うまで、機体の状態について発表できない」とし、断定を避けた。
An-225はその大きな輸送能力で、規格外の貨物や、大量の救援物資の輸送などで活躍。機体の状態や修理の可否によっては、今後の世界の物流などに影響が出る可能性もある。
An-225破壊か?
ウクライナの防衛大手ウクロボロンプロムによると、ロシアによる侵攻が始まった2月24日の時点で、An-225はウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊の、キーウ州ホストーメリにあるアントーノウ空港に駐機していたという。
また、An-225を運用するアントーノウ航空によると、侵攻を受けて24日中に避難する指令が出されたものの、エンジンの1つが修理のために解体されており、離陸することができなかったとしている。
そして2月27日、クレバ外務大臣はTwitterを通じ「An-225が、ロシアによって破壊された可能性があります」と発表。アントーノウ空港ではロシアとウクライナによる交戦があったと報じられており、同空港が攻撃を受ける画像や映像なども出回っている。
ただ、ウクロボロンプロムは「現在(27日)、同空港はロシア軍が占拠しており、機体への立ち入りができないため、機体の状態や修復の可能性、費用について評価することは不可能です」とし、「破壊」が事実かどうか、あるいはどの程度のものなのかについては断定は避けている。
またアントーノウも、「現時点では、機体の技術的な状態について発表できることはありません。専門家による調査が必要です。今後の正式発表をお待ちください」としている。
An-225とは?
アントーノウAn-225は、ウクライナの航空機メーカー、アントーノウが開発、製造し、その傘下のアントーノウ航空が運用している輸送機である。同型機はなく、世界に1機しか存在しない。
愛称は「ムリーヤ(Mriya)」で、ウクライナ語で「夢」を意味する。この「夢」とは、睡眠時に見るもののことではなく、「想像、空想、願望」といったほうの意味である。
長さは84m、高さは18.2m、主翼の長さは88.4m。計6発のエンジン、32個もの車輪をもつムカデのような着陸脚など、独特の姿かたちをしている。最大離陸重量は約640.0t、最大ペイロードは253.8tの記録をもち、その大きさや輸送能力から、世界最大の航空機として知られる。
もっとも、主翼の長さだけでいえば、かつて米国の実業家ハワード・ヒューズが開発したH-4「ハーキュリーズ」が97.5m、米国の宇宙企業ストラトローンチが開発中の「ストラトローンチ(ロック)」が117mと、An-225よりも上回っていることもあり、厳密には世界最大の航空機“のひとつ”と呼ばれることもある。ただ、H-4は開発が頓挫し、ロックもまだ試験飛行の段階であるため、運用されている“実用機”としては間違いなく世界最大であり、なにより最大離陸重量については他の追随を許さない。
これほど巨大な航空機が開発された背景には、ソビエト連邦(ソ連)のスペースシャトル計画の存在があった。
ソ連は1974年、当時米国が開発を進めていた宇宙往還機スペースシャトルに対抗し、ほぼ同じ能力をもった「ブラーン」の開発を決定した。
開発が進むなかで、約60tもあるその機体を、工場や発射場、着陸場の間を行き来させるための手段が求められた。そして1977年にブラーンを運ぶための航空機の開発が決定。アントーノウの前身であるアントーノウ(アントノフ)設計局が担当することになった(なお、開発が遅れたため、別の設計局がVM-T「アトラーント」という別の機体を開発している)。
当初は「400М」というコードネームで呼ばれていたが、最終的にAn-225、愛称ムリーヤと命名。そして1988年12月20日、初飛行に成功した。1989年3月22日には156.3tの貨物を積んで飛行し、110個にも及ぶ当時の世界記録を樹立した。
1989年には、もともとの目的であるブラーンを積んだ飛行も実施。同年6月にはパリ航空ショーにブラーンを積んだ状態で飛来し、デモ飛行を見せつけた。
しかし、ブラーンは1988年に一度無人で宇宙を飛んだきりで、計画は頓挫。1990年には110tあるブルドーザーとその付属品を運ぶ任務をこなし、超重量の貨物を運ぶ輸送機として新たな活路が見出されたが、1991年にはソ連が解体。An-225の2号機の製造も進んでいたが、途中で打ち切りとなり、1号機も長らく幽閉されることとなる。
1990年代には、欧州などと共同で宇宙船やロケットの空中発射母機として活用する検討も行われたが、頓挫。最終的にAn-225の1号機がふたたび日の目を見たのは、最後の飛行から7年後のことで、飛行再開に向けてオーバーホール(徹底的な点検、修理、部品交換)を受けたのち、2001年5月7日に空へ舞い戻った。
その後、An-225はパイプライン敷設装置や風力発電のタービンブレード、発電所の発電機など、通常の輸送機などでは運べないような規格外の大型貨物を輸送できる唯一無二の存在として活躍。とくに2001年には、4輌の戦車を積み、総ペイロード253.82tで飛行。2009年には、単一のものとして世界最大となる189.98tのペイロードを積んで飛行するなど、数々の世界記録を打ち立てている。
また、貨物や物資の大量輸送でも活用され、災害時などに活躍。日本にも2011年に東日本大震災の復興支援物資の輸送や、2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けた医療物資の輸送の道中などで飛来している。
An-225は決して需要が多いわけではないが、しかしAn-225でしか運べない、あるいは利用を念頭に置いた貨物の需要は確実に存在する。もし、An-225が破壊されたとなると、輸送方法の見直しなどにより、世界の物流や災害時の対応に影響が出ることは免れない。
修理が可能な場合、あるいは無傷だったとしても、運航が再開できるめどが立っていない以上、当面は影響が出ることになる。
なお、未完成の2号機に関しては、たびたびアントーノウが製造を再開するという話や、また近年では中国企業への技術移転、ライセンス生産といった話が出ることもあるが、現時点でいずれも具体的な動きはみられない。
・ロシアが破壊した世界最大の飛行機「アントノフAn-225」(JB press 2022年3月4日)

(上)世界最大の飛行機「アントノフAn-225」
※ロシアがウクライナに侵攻し、21世紀にこのようなことが起きるのかと驚いている。市民生活が破壊され、多くの方々が亡くなっていることには言葉もないが、世界最大の航空機アントノフ「An-225」の破壊も衝撃的だった。
An-225はソ連版スペースシャトルのブランを空輸するために製造された。
最大離陸重量は600トンと言われ、他のどの航空機よりも大きい。他の航空機では運べない大型貨物輸送に活躍してきた。
航空業界の方でなくても、An-225が東日本大震災後に救援物資を運んできたことをご記憶の方もいらっしゃるだろう。
そこまで数は多くないと思うがAn-225でなければ輸送に困るサイズ・重量の貨物も確かに存在する。産業的にもAn-225の喪失は打撃だ。
破壊の場所と様子
An-225はキエフ郊外のホストメリ空港で、屋根付きの整備場で整備を受けていたところを攻撃された。
ホストメリ空港は、航空機メーカー アントノフが飛行試験を行うとともに、貨物輸送を行うアントノフ航空の基地だ。軍用空港という報道もなされたが、これは正しくない。
ホストメリ空港には、大型格納庫1棟とかまぼこ型の屋根が設けられた整備場があった。この整備場が爆破され、駐機していたAn-225が巻き添えを食った形だ。
現状、鮮明な写真は出ていない。しかし、日本時間3月3日の夜から出回った動画から、破壊の程度が読み取れる。
前方から機体を見た動画だが、本来なら見えるはずのコックピットが見えない。ノースカーゴドアと思われる丸っこい物体のみが、転がっている
また、両翼の間がくぼんでいるように見える。左右の主翼を繋ぐ中央翼と呼ばれる構造が、無くなっている。中央翼からコックピットにかけての部分が、爆破されたか焼け落ちたようだ。
不鮮明ではあるが、左舷内側のエンジンはあるべき場所にあるように見える。主翼の再利用に期待したくなる。また、別の写真から読み取れるところでは、尾部は比較的原型をとどめている。
しかし、仮に再利用可能だとして、バラバラの尾部と主翼を一機の飛行機にすることは、再製造に近い困難さがある。
加えて、一見、原形をとどめているように見えても、熱に曝されているかもしれない。また、主翼を支えている中央翼がなくなっているため、主翼は地面に落下しているかもしれない。実際に再利用できる可能性はそう大きくない。
An-225は、修理で済む範囲を超えているのが実態だろう。An-225を再び飛ばすには、作り直しが必要だ。
しかし、アントノフの現状とAn-225がソ連崩壊前に開発・製造された事実を考えると、残念ながら再製造は不可能だ。
2号機の存在
実は、An-225には2号機が存在する。キエフ市内にあるアントノフの工場で、2号機の胴体が放置されている。
現時点ではロシアの占領地域外だ。アントノフの工場が攻撃され被害が出たという報道はない。
2号機は恐らく無事なのであろう。2号機は胴体の構造がほぼ完成した状態で30年以上放置されてきた。しかし、状態は悪くない。主翼やエンジン等を取り付け、艤装を施せば、完成するはずだ。
それでも、残念ながら2号機の完成は不可能と断言できる。
仮にできるのなら、既に完成していたはずだ。2号機を完成させるという報道は、10年前から形を変えて繰り返されてきた。
「2号機の完成に手を付ける」「ロシアが買う」「中国でライセンス生産する」などだ。最近は「トルコと協力して完成させる」という新しいプランまで登場した。
10年以上、「作る作る詐欺」をやってきたのだ。
翼のない飛行機
2号機の完成は見た目ほど簡単ではない。現状、胴体が存在するが、主翼は存在しない。これが作ればいいじゃないかというわけにいかない。
An-225は、アントノフの「An-124」を改造・大型化して開発された。An-124はAn-225製造前、世界最大の航空機だった。
巨大なAn-124の胴体と主翼のさらなる延長が行われた。主翼の延長は主翼の付け根を継ぎ足す形で行われたため、An-225の主翼の外側はAn-124の主翼そのままだ。
An-124は当時のアントノフ設計局で開発され、最初はアントノフ設計局に隣接するキエフ航空機工場で最終組立が行われた。An-225も同じだ。
しかし、機体構造のすべてがキエフで製造されたわけではなく、主翼はウズベキスタンのタシュケント航空機製造会社で作られた。
この企業は航空機製造をやめている。最後にAn-124の主翼を作ったのは30年前だ。
なお、An-124の本格的量産は、ロシアのウリヤノフスクにある現Aviastar SPで行われた。同社には主翼を製造する設備が残る可能性もあるが、現在の情勢を見るに、ロシアで作るなどということはあり得ないだろう。
つまり、An-225 2号機を完成させるためには、新たに主翼製造体制を再建しなければならないのだ。
では、主翼製造を立ち上げられるのか。無理だと断言できる。
アントノフは、「An-70」というAn-225よりもAn-124よりもはるかに小型の飛行機で、主翼製造立ち上げをできなかった実績があるのだ。
An-70は「Il-76」輸送機の代替として、ソ連末期に開発された。なお、Il-76はソ連時代からの旧ソ連圏の主力輸送機で、今般の戦争でも撃墜が報道されている。
An-70は、プロップファン、複合材尾翼、グラスコックピットと、極めて先進的な機体だった。
An-70の試作機が2機完成しているが、この試作機の主翼もタシュケント航空機製造会社で生産された。An-124と同じく主翼製造から撤退している。
An-70の開発は遅れに遅れ、量産立ち上げは2010年代に入ってしまった。量産立ち上げにより、キエフのアントノフで胴体の製造が始まった。
しかし、タシュケント航空機製造会社の代わりに主翼を作る企業は見つけられず、An-70は翼のないまましばらく量産がされた。翼のない飛行機なんて何かの冗談である。
主翼のないまま完成するわけがなく、An-70の量産はそのままうやむやになった。
そもそも、飛行機に主翼が必要なことなど明らかだ。主翼の生産を立ち上げずに、量産を始めてしまったことがおかしい。
どうもアントノフでは、飛行機製造のマネージメントが崩壊しているようなのだ。
なお、An-225 2号機は全く艤装が行われていないが、エンジンを除く装備品も多くが同様の状態に陥っていると推察される。
実は、アントノフはほとんど飛行機を作れなくなっている。
ロシアと関係が切れてからは、年に数機ずつは完成させていたリージョナルジェット機「An-148」/「An-158」も、生産できなくなった。少なからぬサプライヤーがロシアにいるからだ。
ここ数年で、アントノフが生産できた航空機はAn-178 1機だけだ。
An-225の最大離陸重量が600トンであるのに対し、An-70の最大離陸重量は150トンもない。An-148/158は50トンもない。はるかに小さい飛行機すら作れない。
これでAn-225 2号機の生産ができるわけがない。
開発・生産体制は崩壊したまま
どうして、このようになったのか?
ソ連崩壊時、ロシアにおいてもウクライナにおいても、航空産業は壊滅的打撃を受けた。細々と輸出用戦闘機が続いたロシアはややましであったが、旅客機・輸送機の生産は年数百機から年数機に落ちた。
ソ連では航空工業省が航空機メーカーの企画部門や営業部門の機能を担っていた。その航空工業省はなくなった。
ソ連時代、航空機の開発は設計局と呼ばれた組織で行われた。設計局はTsAGI(空力、構造試験)やGosNIIAS(アビオニクス)といった、現在のロシアにある研究所の開発成果を利用した。
タシュケント航空機製造会社で、An-124やAn-70の主翼生産が行われていたように、ソ連各地に散らばる関連企業で生産を分担した。
こうした官庁がコントロールするソ連の航空機生産体制は、ソ連とともに消滅した。
ロシアも打撃だったろうが、ソ連の航空機生産体制の残骸のほとんどはロシアにあった。
一方のウクライナでは、航空工業省という頭脳を失っただけではなく、開発や生産を支える研究機関やサプライヤーが外国になってしまった。
ロシアが曲りなりにも航空機開発・生産体制を再建したのに対し、ウクライナはうまく再建できなかった。
アントノフは、ソ連の仕組みの中では優れた技術を誇っていた。
しかし、現在は航空機生産をマネージメントする能力を完全に失っている。翼のない飛行機を作ってしまったことを見れば、状況はお察しだ。
An-225 2号機の完成の困難さは、三菱スペースジェットの型式証明取得の比ではない。アントノフ社は飛行機を作れる状態にないし、An-225の複雑さはスペースジェットどころではない。
実は、アントノフと書いてきたが、実は会社の存在すら怪しいのだ。
アントノフは2017年にウクロボロンプロム(ウクライナの軍事産業を統合した企業)に吸収され、法人格を喪失したと発表されている。
しかし、独自の社長がいて、独自の活動をしている。
ウクロボロンプロムの中で、会社の機能や組織は残ったのかもしれないが、会社として存在しているのかどうかはよく分からない(現地の人に聞いても分からなかった)。
すでにアントノフは航空機メーカーの体をなしているとは言い難いのだ。
An-225を再建するにも、誰がどうやってやるのか計画し、主導できそうな組織はウクライナにない。
極めて嘆かわしいことであるが、An-225の本格的再建は不可能であろう。かつて生み出していたものが優れているだけに、極めて悲しい状態である。
極めて残念だが、An-225の雄姿を再び見ることは極めて困難であろう。
・世界最大の航空機「ムリーヤ」大破、キーウ近郊の空港が報道公開(朝日新聞DIGITAL 2022年5月6日)

※ロシア軍の攻撃を最初に受けた地点の一つ、ウクライナ首都キーウ(キエフ)近郊ホストメリのアントノフ国際空港が5日、報道陣に公開された。ホストメリは首都近郊の激戦地の一つで、格納庫に駐機していた世界最大の航空機「アントノフ225ムリーヤ」も破壊されていた。
機体は、黄色と青色の鮮やかな塗装が残る部分もあったが、特に胴体の前半分が激しく攻撃を受けて切断されたような状態になり、機首部分は地面に崩れ落ちていた。操縦席の場所も判別がつかなくなり、右翼のエンジンの一つは完全に焼損していた。