以下「国際秘密力研究」様より転載

https://kokuhiken.exblog.jp/32456165/

・【全体主義を防ぐ条件とは】

〇惑沈接種義務化に関連し、マクロンが「未接種者をぜひうんざりさせたい。とことんやり続ける。それが戦略だ」といじめ宣言。こんな全体主義者に大統領の座を許している時点で、仏蘭西は“民主主義国家”ではなくなった事を示している。いや、大東社国家の本領発揮と言うべきか。

https://mainichi.jp/articles/20220105/k00/00m/030/057000c

〇厳密には、「全体主義者に大統領の座を許しているから民主主義国家ではない」かは微妙な所ではある。民主主義は選挙で独裁者を選ぶ事もあり得る(不正選挙が無ければ)。「全体主義VS民主主義」という枠組みでは、マクロンの如き傲慢な全体主義者を登場させる西洋近代文明の陥穽の謎は解けないだろう。

〇事実、これまで「民主主義国家」とされてきた欧米の国々程、急速に全体主義化している。偶然とは思えない。西洋近代文明の本質的な部分に全体主義の根があるのだと考察する。一握りの勢力が利益と権力を追求する手段を徹底して「合理化」すると、邪魔になると見なされた要素は容赦なく切り捨てられる。

〇全体主義は高度に組織化した近代的権力機構が無ければ、実行不可能である。大規模な戦争も近代的軍隊と近代兵器の産物。近代科学は気象などの自然現象や遺伝子すらコントロール出来るまでになった。民主主義国と称する欧米ほど全体主義化が急速に進むのは、近代文明の原理、否、陥穽に忠実ゆえと考察。

〇マクロンはジャック・アタリに見出された傀儡。「未接種者をぜひうんざりさせたい。とことんやり続ける。」とは随分とサイコパシーな発言である。裏権力の傀儡候補は“その手”の者を選りすぐっているとしか思えない。秘密結社など裏権力組織ではモラル欠如の者程上に行くシステムがあるのだと推測する。

〇大東社イズムの基本は進歩史観である。「テクノロジーの進化に逆らうのは愚かである」という物言いの根底には進歩史観がある。こういう物言いをする者は多いと思うが、どっぷりとフリーメイソン的思考に染まっている訳である。大東社的な進歩史観がテクノロジーによる全体主義を加速させる所以である。

〇マクロンはヘーゲルに執心し研究していたらしい。ヘーゲル弁証法を歴史に適用すると進歩史観になる。フランシス・フクヤマはヘーゲル哲学に基いて「歴史の終わり」を主張した。これがネオコンによる「民主主義」を掲げる軍事侵略を後押しした。「進歩」を掲げる暴力。今の惑沈全体主義にも通底する。

〇「最先端バイオテクノロジーの産物であるmRNA惑沈を懐疑するのは、技術の進歩を理解できない愚か者である」という決めつけの前提にあるのも進歩史観・進歩主義であろう。「技術の進歩を理解出来ない愚民共よ。つべこべ言わずに打て。」。これが進歩史観の傲慢な本性であると考える。実に暴力的である。

〇「技術の進歩を理解出来るのは、優れた理性を持つ知的選良である」という事で、進歩史観はエリート主義に結びつく。実際、一部の医者が異常に威張り腐っている。マクロンの傲慢極まりないサイコパシーな発言も、進歩主義的なエリート主義による所が大きいだろう。全体主義は大東社国家の本性と言える。

〇「全体主義」について考察する。全体主義は「全体の調和を重んじる」という事ではなく、「一握りの者が全体を支配する」という所に力点がある。「全体の調和」を名目として掲げる事はあるが、それはあくまで名目であって、寡頭支配がその本質。そういう意味でエリート主義や選民主義とは不可分である。

〇西洋には、「個人」を実体視する「個人主義」と、「全体」を実体視する「全体主義」の両建があると見る。相反するように見えるが、実体論という点で共通する。実体論的な個人主義と社会進化論が合わさると、全体主義になる。「最も強力が個人が他者を淘汰して頂点に立ち、全体を支配する」という理屈。

〇大東社国家・仏蘭西は完全に全体主義化しているが、大東社の有名なメンバーの中にバクーニンというアナキストがいた。アナキズムは謂わば「個人」を実体視する思想。「個人」を実体視するアナキズム(無政府主義)と「全体」を実体視するトータリズム(全体主義)は、実体論という点では通底している。

〇個人主義を純粋なエゴイズムと解釈する方向性で突き詰めると、全体主義になる。「最も強い個体が全てを支配する」という理屈になるからである。「個人を尊重する」という道理を度外視し、利益と力を追求する主体としてのみ「個人」を捉えると、必然的にそうなる。ネオリベが全体主義に結び付く所以。

〇結局、全体主義を防ぐには「道理」が不可欠という事が分かる。しかも、その「道理」の中身が恣意的に解釈せられては、それこそ全体主義の道具になる。そこで、要請されるのが、議論・対話である。個人の恣意的な解釈ではなく公論の場にて「道理」を吟味する。その前提が独立的思考・批判的思考である。

〇公論の場にて議論・対話する前提は、「独立的思考・批判的思考=自分で考える事」である。突き詰めると、そこに来る。それが無ければ、「独立的思考が無い→議論・対話が成り立たない→「道理」が無視又は恣意的に解釈される→力の強い者が全体を支配する→全体主義に陥る」という負のプロセスを辿る。

〇「全体の調和」の為には、「全体」を実体視するのではなく、「個」を尊重する事が不可欠だと考える。「個」を踏みにじる「全体主義」は「全体」を歪にするからである。逆に、他との関係を無視して「個」を実体視すると、特定の「個」のエゴばかりが通り、他の「個」が踏みにじられる事になりかねない。

〇「独立的思考が無い→議論・対話が成り立たない→「道理」が無視又は恣意的に解釈される→力の強い者が全体を支配する→全体主義に陥る」は、まさに今の“コロナ禍”騒動下の状況。自分で考えずメディアなどを鵜呑みにする、議論・対話が成り立たず、「陰謀論」「デマ」というレッテル貼りに終始する等。

〇「➀全体主義を防ぐには道理が不可欠→②道理を特定の勢力に都合が良いように恣意的に解釈されない為には議論・対話が不可欠(言論の自由の保障)→➂議論・対話の為には独立的思考=自分で考える事が不可欠」という理路。異論や批判が封殺される最近の風潮は、世の中が全体主義に陥っている証である。

〇以上の考察から導き出される結論は、全体主義化を防ぐ条件は、➀個人に独立的思考がある事②社会に言論の自由がある事➂恣意的ではない真っ当な道理が通る事の3つである、という事だと考える。今の世界は、➀②➂の全てが吹き飛んでしまい、ディストピア化してしまっている。極めて危険な状態である。

〇「全体主義化を防ぐ条件」を、「➀個人に独立的思考がある事②社会に言論の自由がある事➂恣意的ではない真っ当な道理が通る事」と書いた。逆に言うと、➀~➂が破壊されると全体主義化する。➀の破壊=何かを盲信する信者思考の蔓延。②言論の封殺。➀と②の結果として道理が廃れる。まさに今の状況。

〇➀の破壊=何かを盲信する信者思考の蔓延。政府やメディアの盲信。メディアを盲信せずともネットの“インフルエンサー”の信者になる者多し。メディアとネットの両建。罠はそこかしこに。②SNS企業などが裏権力に不都合な発言を公共の言論空間から排除し、言論封殺を行っている。現代の異端審問が横行。

〇近代立憲主義では、憲法は「政府」を宛先とする。「言論の自由」を保証する義務があるのは公的機関だという前提がある。だが、私企業が巨大化した現代に於いては、言論の自由を破壊し得る実質的な力を持つ主体は政府に限らない。近代立憲主義の抜け穴を突いて、巨大私企業が「言論封殺」を行っている。

〇近代立憲主義の前提だと一個人のネットユーザーも巨大な影響力を持つ私企業も私人として対等な関係と見なされる。それ故、言論封殺されても「嫌なら別の所で発言すればよい」という理屈になる。だが、少数のSNS企業が公論のプラットフォームを独占する状況は、そうした理屈を増々非現実的にしている。

〇「パンデミックは今年中に終わる」という宣伝と「第六波が来る(来ている?)」という宣伝が同時に行われている。矛盾する情報(「第六波の後にパンデミックが終わる」という設定なら矛盾でもないが)を同時に刷り込まれると、「ダブルバインド(二重拘束)」の状態に置かれる。それも狙いの一つやも。

〇普通の風邪でもPCR検査を近年程の規模で実施すれば、今と同様のパニックをいつでも起こせたと思われる。“コロナ禍”騒動とは世界各国の全体主義化を正当化し、人々に惑沈を打たせる為の茶番劇としか考えられない。そう捉える事で全ての辻褄が合う。世界各国が全体主義化し、それを繋げるとNWOになる。

〇勿論その事込みでこのように書きました。一つの脅威演出の「終わり」は即新たな脅威演出の「始まり」を意味します。ゲイツは「コロナより恐ろしい大災害が来る」と述べました。“コロナ禍”は半永久的に継続可能なので、「端から止める気はない」という可能性も否定出来ません。
「まず

『パンデミックは今年中に終わる』が隠語の圧力可能性も考えてほしい
(彼らは比較的毎回そうでは?)

これくらい賢いなら」
※カッコ内は他の人のコメント。

〇「“パンデミック”は今年中に終わる」という仄めかしに対し、「“パンデミック”が終わって平和になる」と捉える程おめでたい頭はしていない。一つの脅威演出を終えると即次の脅威演出を開始するのが、裏権力の思考・行動パターンだと分析する。NWO化の企みを完全に打ち破らない限り、安心など出来ない。

〇“コロナ禍”で分かった事は、「ウイルスへの抵抗力の弱さ」ではなく「全体主義への抵抗力の弱さ」であろう。多くの人々は命の脅しによって生存欲を刺激され恐怖にとらわれると、簡単に自由を手放し全体主義を受け入れる。狂気が世の中を覆い、以前なら信じ難い事が日常化し、世界がディストピア化した。

〇欧米の政治体制の特徴は、大衆向けには「民主主義」の看板を掲げつつ、裏では少数の権力者が物事を決定する寡頭専制支配体制だと分析する。最近の欧米を中心とする全体主義化は、「民主主義」の看板をかなぐり捨て、露骨に本性を現したものと捉える。不可視な専制支配が可視的になってきたとも言える。

〇裏で少数の権力者が物事を決定する枠組みとしては、RIIA・CFR・CSIS・ビルダーバーグ会議・ダボス会議などがある。「シンクタンク」「国際会議」の形式を取っている場合が多い。「グレート・リセット」はダボス会議が唱える標語。岸田政権が掲げる「新しい資本主義」は、これを受けたものと見ている。

〇「今まで民主主義が健全に機能してきたのに、“コロナ禍”のせいで急に全体主義化してしまった」と捉えるのは正確ではない。裏のシステムとしてあったものが公然化してきたのが、今の事態と見るべきだろう。前なら「NWO計画などあり得ない」と決めつけたであろう者が、今やNWO的状況を平然と受け入れる。